2016/12/31

アディーチェに明けてアディーチェに暮れる

2016年を振り返ってみると。

 いちばん大きな出来事はやっぱりチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』(河出書房新社)が出たことだった。
 1月末に1500枚をこえる訳をあげてから、10月下旬に本のかたちになるまで、いやあ、いろいろあったなあ。とにかく長いテクストを訳しおえるために昨年から走りに走って、ようやくしあげた途端、ばったり。ちょっとバテてお休みモードの春がすぎ、初夏になってゲラ読みが始まって、編集者の交代があって秋になり、ついに本になった。

 そうこうするうちに、パリではクリスチャン・ディオールの Tシャツの胸にWe Should All Be Feminists というアディーチェのTedTalk 2012 のタイトルがあらわれて、日本でもついに、これが本になることが決まって……来年春には……またまた走る!

 『アメリカーナ』はとてもお洒落な衣装を着せてもらいました。イラストも装丁もとてもすてき。インタビューが雑誌に掲載されたり。恵まれました。
2016.11 プラハで

 しかし。6月に「くぼたのぞみ」として、詩集以外で、初めての単著『鏡のなかのボードレール』(共和国)が出たことを忘れてはいませんか、と自分を叱る声が聞こえる。そうでした!これは大きな出来事でした。書評もたくさん出ました。嬉しい!「ボードレールからクッツェーまで、黒い女たちの影とともにたどった旅」として、下北沢のB&Bでイベントもやったのでした。ぱくきょんみさん、清岡智比古さん、どうもありがとう。

 お名前はいちいちあげませんが、お世話になった編集者のみなさん、装丁家の方々、そして書評を書いてくださった方々、ありがとうございました。Muchas gracias! 来年もまた何冊か、アディーチェとクッツェーで本が船出する予定です。ご期待ください。
 
 日本社会はどんどん生きずらくなっていく気配だけれど、世界のありようも危うくなっていく気配だけれど、あちこちで戦争が絶えないし、これまで住んでいたところを有無をいわさず追われて難民が多出するし、天然資源をめぐって強欲な資本が跋扈し、理不尽なことばかり起きているけれど、でもその難民を受け入れようとする人たちがいて、理不尽なことには「ノー」という人がいて、絶望的な状況のなかでも「行動すること」で希望が生み出されていく。ジョナサン・リアのいう「ラディカル・ホープ」が。


「世界は絶えず驚きを放出しつづける。われわれは学びつづけるのだ」──J・M・クッツェー『ヒア・アンド・ナウ』。

みなさん、どうぞよいお年を!

2016/12/29

フィクションなどスクラップしてしまえばいいじゃないか?

"If there were a better, clearer, shorter way of saying what the fiction says, then why not scrap the fiction?"──J. M. Coetzee

「もしもフィクションが伝えることを言うための、もっと良い、もっと明快な、もっと短い方法があるとするなら、フィクションなどスクラップしてしまえばいいじゃないか?」──J・M・クッツェー


プラハ作家フェス. 2016.11.18

 これは、J・M・クッツェーが2003年にノーベル文学賞を受賞したとき、デイヴィッド・アトウェルとのインタビューで語ったことばだ。(スウェーデンの新聞「ダーゲンズ・ニューへーテル」に掲載)
 作品をじっくり読まずに質問にくるジャーナリストや、あまりに的外れな読みをされつづけたクッツェーが、ある時期から自分の作品について「解説」したり「説明」したりは絶対にしないと決めた理由。けだし、名言である。

 今年、11月にプラハの作家フェスで朗読したときの写真を貼り付けて、2016年の締めにしよう。来年もまた、後半はクッツェーで明け暮れすることになりそうだから。

2016/12/26

日経新聞と東京新聞にもアディーチェ『アメリカーナ』が

昨日は、日経新聞では陣野俊文さんが、東京新聞では中村和恵さんが、アディーチェの『アメリカーナ』をそれぞれ「2016 私の3冊」としてあげてくれました。

……とにかく物語る能力に長けている小説家の筆に脱帽と陣野さん。

苛烈な壁に何度も衝突し、越えてゆく圧倒的な長編を、あくまで軽妙に語る作家に敬服と中村さん。


 この本の核心をみごとに言い当ててくれる評に、今度はこちらが脱帽です。Merci beaucoup!

 値段がちょっと高めになりましたが、その分、中身はがっつり、軽妙かつ読み応えのある本になっていますので。年末年始のお休みにまとめて時間がとれるかたは、ぜひ物語の深い森へ迷い込んで、読書の愉楽にひたってください!

(見つけた記事のクリッピングを、勝手ながら、貼り付けさせていただきました──陣野さん、中村さん、お許しあれ!)
  

2016/12/23

西加奈子さんのアディーチェへのインタビューが「SPUR」2017年2月号に

 これは読ませます。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェに作家の西加奈子さんが電話でインタビューをして、書きおこしたすてきな文章です。

 今日発売のシュプール」2017年2月号(集英社)です。

 特集「THE FACES of 2017」に登場する7人のアーチストの一人がチママンダです。トップがグレース・ウェールズ・ボナーというイギリスとジャマイカにルーツをもつファッション・クリエーター。ほかにモデル、デザイナー、女優/ミュージシャン、クリエーターなど才能豊かな若いアーチストがならび、チママンダはその最後を飾っています。

「最初の小枝は細く、しなやかで、緑色をしている。そうした小枝は完全な円になるほど曲がるが、折れはしない」というトニ・モリスン『青い目がほしい』からの引用で始まる西さんの文章からは、アディーチェの作家としての特質やその魅力がたっぷりと伝わってきます。それが見開きページにぎっしり。わくわくしながら読みました。少しだけ引用します。


 ──彼女は、ステレオタイプだった私の「アフリカ」のイメージを鮮やかに覆し(中略)私を未知の世界へ連れて行ってくれた。新しい世界へ。
 でも、彼女のやり方は「正しい価値観」を目の前に突きつける、というような乱暴なものではなかった。もちろんその「声」は圧倒的だったけれど、(中略)ときに静かに、何より美しく私に語りかけてくれた。「あなたの知っている世界だけがすべてじゃないのよ」と。……私が彼女の言葉を追っていて強く感じたのは、しなやかさだ。


 アディーチェの魅力を縦横に語る西加奈子さんの文章は、何度読んでも心にしみます。
 左上にならぶ3冊の既刊書の書影の下には、この秋のクリスチャン・ディオールのショーで、アディーチェの We Should All Be Feminists 「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」と描かれた白いT-シャツを着たモデルさんの写真も。おまけに「モデルは細すぎだけど(笑)、マリアの考え方に共感するわ」というチママンダらしいコメントも添えられています。(マリアとはディオール史上初の女性アーティスティック・ディレクターになったマリア・グラツィア・キウリのことです。)
 このWe Should All Be Feminists 「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」は来年春に、日本語訳の本としてお届けしますので、ご期待ください!

 アディーチェの長編小説『アメリカーナ』の帯も書いてくれた西加奈子さん... Muchas gracias, Nishi-san!!


2016/12/18

一夜明けると『アメリカーナ』が毎日新聞「2016 この3冊」に

 窓から差し込む陽の光がまぶしい日曜日。
 
昨日は池袋まで行ってきた。立教大学の「共生社会研究センター」が日本の反アパルトヘイト運動を記録するためのアーカイヴを作ってくれて、その記念イベントがあったからだ。

 1989年10月に長いあいだ獄中にあった政治囚が解放されはじめ、翌1990年2月にネルソン・マンデラが釈放されて、血みどろの混乱と権力移譲のかけひきを経て、南アフリカがアパルトヘイトという軛からようやく解放されたのが、1994年だ。
 このプロセスは、ベルリンの壁が1989年11月に崩れて、旧ソ連を中心とする共産圏経済が崩壊していった時期とみごとに一致していた。この歴史的事実は、しっかり記憶にとどめておきたい。

 あらためてここに、アパルトヘイトとは何だったのか、その体制内で生まれ、生きた作家 J・M・クッツェーの定義を再掲しておく。今年5月にパレスティナ文学祭に参加したクッツェーが「最後の日に行なったスピーチ」の一部である。

アパルトヘイトとは、人種あるいは民族に基づく強制隔離システムであり、ある排他的な、自分たちだけで定義した集団によって植民地支配を強化するために導入され、とりわけ、土地とその天然資源の掌握支配を固めるためのものだった。

「排他的な集団」というのはヨーロッパから大陸南端に上陸して土地を奪っていったヨーロッパ白人部族のことをさす。最初はオランダ系、それにイギリス系植民者が加わって少数グループとして白人至上主義を先鋭化させていった。
 1980年代に入って国際連合が「Crime against Humanity=人道に反する罪」と定義づけてから、アパルトヘイトは西側諸国の普遍的価値観である「人権」に反するものとして槍玉にあげられ、やがて、その体制は崩壊していった。だが、そこには大国を軸にした「経済的利害」の天秤の存在があったことはしっかり記憶されていくべきだろう。根幹には常に植民地主義的経済の世界システムが働いていたのだ。共産圏諸国の後ろ盾で独立することの多かったアフリカ諸国が採掘権を握る膨大な資源を有する大陸、そのアフリカ大陸へ西側諸国がアクセスするための入り口、それが南アフリカという国だったという指摘もクッツェーは『ヒア・アンド・ナウ』でしている。

 そしてニホンという国は、尻尾を振るようにして黄色い肌をした有色の「名誉白人」となり、経済的なやりとりのためのみに嬉々として「白人扱い」してもらい、他の有色の人たちと自分は違う、という差別感情を内面化していった。こんな恥ずかしいことはない。そんなねじれた感情が、「見ないことにした現実」(自分たちの顔)がいまも尾を引きずっている。
 

 さて、20年以上前にいっしょに行動した懐かしい顔ぶれが、まるで同窓会だね、と笑い合うおしゃべりの翌日、はらりと新聞を広げると……毎日新聞の「2016 この3冊」に中島京子さんがアディーチェの『アメリカーナ』をあげてくれているではないか。
 あれ、一週間前もこれと似た展開が……という既視感とともに、嬉しさがこみあげてくる。
 
「人種」が特別の意味を持つ大国・アメリカの現在を描いて……人種問題を正論で語るときの欺瞞や鬱屈も描かれ、トランプ次期大統領を生んだ社会の背景が……

『アメリカーナ』という小説は、アメリカという世界の大国で「人種」がどのようなものとして機能しているかを、クリアに、詳細に、描き出していく作品でもあるのだ。それもナイジェリア出身の若い女性の曇りない目を通して。

 戦後、ややもすると「単一民族」などという妄想に目を塞がれ、アメリカ製ホームドラマ、西部劇、ディズニー映画などで目くらましを食らいながら、「白いアメリカ」やその反転像としての「黒人文化」に憧れてきたニホンが、多民族国家であるアメリカ社会内の「本当は見たくない、見たくなかった現実」を根底部分から容赦なく描き出している作品であるかもしれない。そろそろこういう事実ともまっすぐに向き合おうか、「トランプのアメリカ」から目をそらすわけにはいかないのだから。


 そして。今日のグーグルは、なんと、1977年に当時のアパルトヘイト政権の警察が拷問・虐殺した黒人意識運動の主導者スティーヴ・ビコの写真だ。そうか、12月18日はビコの誕生日だった。享年31歳の彼が生きていたら今年70歳。アフリカの若き指導者の多くは、とても若いうちに、暗殺、虐殺された。ビコ、ルムンバ、トマス・サンカラ、カブラル。ルムンバのようにCIAがらみのケースも多いだろう。

 ちなみにナイジェリアは南アフリカのアパルトヘイトに対して、常に反対をとなえてきた国である(これは南部アフリカ諸国もおなじだ)。アディーチェも小学生のとき獄中にあるマンデラの話を聞いて、みんなでお小遣いからカンパをした、とどこかで語っていたっけ。


2016/12/16

「本の雑誌」で2人の評者が『アメリカーナ』を

数日前に発売された「本の雑誌」でアディーチェの『アメリカーナ』が紹介されています。それも、なんと評者が2人もいっしょに、ダブルです!

まずは佐久間文子さんの 「2016年度現代文学ベスト10」で、筆頭に『アメリカーナ』があがっています。記事のタイトルは:

 アディーチェ『アメリカーナ』を記憶に刻む

 佐久間さんは、「トランプ大統領、ありえますよ」という年賀状を今年のお正月にアメリカ政治の専門家からもらった話から書き起こし、この小説内に出てくる2008年の大統領選挙でバラク・オバマが勝利したときのシーンに触れていきます。作品を立体的な文脈のなかに位置づけて見通す視点の、しなやかな評です。最後にスーザン・ソンタグの名があるのが印象的でした。

 江南亜美子さんが今号から担当する「新刊めったくたガイド」でもまた『アメリカーナ』が取りあげられています。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェという作家の来歴やこれまでの作品のことを紹介して、長編三冊目にあたるこの『アメリカーナ』の魅力について細部までリアルに伝える評、そのタイトルがすごい!

 まったき恋愛小説

 そして、ここにもまず最初にスーザン・ソンタグの名前がありました!
 最後の決め文句──「このボリュームにもかかわらず、もっと長く物語世界にとどまりたいと思わせてくれる一冊である」が、長編だけれど、いや長編だからこそ余韻があとを引く、物語の魅力を伝えてくれています。


 「本の雑誌」って、いまどんな本が出ているのか、ざっと見渡すことができるんですよね。それも一級の評者があれこれ書いてくれるので、確かな情報がとっても助かります。

 なんだか数日前からぐんぐん冷え込んできた東京ですが、『アメリカーナ』の面白さが少しずつ読者の方々に届いていくようすが伝わってきて、長期間がんばったかいがあったな〜と、陽だまりの猫のような気分です。ふわ。

 Muchas gracias! 

2016/12/12

Kama せっけんの至福感

 カナダのヴァンクーヴァー沖にあるソルトスプリング島を出てから、たった 6日間でとどいてしまった。レースのカーテン越しに、Kamaの石けんたちが明るい午後の陽射しをあびている。


包みを開けた直後から室内に漂い出した匂い。その芳香に包まれる至福感。心地よい香りを胸いっぱいに吸い込みながら、カメラのシャッターを押した。この石けんたちとこれから年末年始をすごすのだと思うと、それだけで嬉しい。ゆっくり息を吸い込む。喉と胸がすうっとする。

 やわらかな石けんをカッターで切って、ざらっとした包み紙でくるんで枕元に置いておくと、その香りが心地よい睡眠へと誘ってくれる。快適睡眠は仕事の質をあげるためには、いまや欠かせないものになっているので、この石けんの到着は、まるで一足早くおとずれたクリスマス・プレゼントのよう。

 レモン、ジンジャー、ラヴェンダー、レモングラス、ローズ・ジェラニウム、ユーカリプス、セージ、パチョリ(パクチー、コリアンダー)、オートミール......みんな、Kama soap のすぐれものたちだ。


 最速の便で送ってくれた友人 Rumi さんに心から感謝します!

2016/12/11

『鏡のなかのボードレール』が毎日新聞「この3冊」に

和田忠彦教授退官記念シンポジウムで体験した感動的な講義のあとの、賑やかで楽しい一夜があけて、はらりと開いた今朝の新聞には、毎年恒例のその年をふりかえって書評者たちがあげる特集記事「2016 この3冊」が見開きページにずらりとならんでいる。

 そして、おお! なんと拙著『鏡のなかのボードレール』も仲間入りしているではないか。池澤夏樹氏が選ぶ「この3冊」に『鏡のなかのボードレール』が入っていたのだ!

 ♪うれしや〜ありがたや〜年の暮れ〜♪

「ボードレールの恋人だったジャンヌ・デュヴァルが黒人と白人の混血だったところから始まって、肌の色の違いが性的魅力に転化するからくりを論じる。展開は融通無碍で、時代を渡り、言語を越え(著者は……)、大陸を跨ぎ、男女の位置も逆転させる」と。

和田忠彦教授退官記念シンポジウムに参加して


昨日は東京外国語大学の和田忠彦さんの退官記念シンポジウムに参加してきた。午後1時から始まって午後7時すぎまでの長丁場だったけれど(わたしは少し遅れて参加)、登壇者の方々の発表がそれぞれ個性に満ちていて、驚くほど刺激的な内容だった。

 わたしが聞いたのは第1部の半ばからだったけれど、シンポジウム全体に共通した問題意識の中心は、やはり、「表現」「翻訳」「詩」について、「翻訳」とテクストの背後に潜む「声」を「呼び出す」あるいは「召喚する」ということについてだっただろうか。プログラムの内容を備忘録のためにも記しておこう。

 第1部 感覚の摘み草──五感の表象と戯れる
  司会:松浦寿夫 
  登壇者:福嶋伸洋 小沼純一 沼野恭子 岡田温司 山口裕之
 第2部 ことばのたろんぺ──とけては固まる翻訳の言葉 
  司会:久野量一
  登壇者:Giorgio Amitrano  木村栄一 西成彦 澤田直 栩木伸明 都甲幸治
 第3部 声の在処──詩から詩へ
  和田忠彦
 第4部 読みまどろむ
  司会:土肥秀行
  登壇者:くぼたのぞみ ぱくきょんみ 山崎佳代子 / 和田忠彦
              

 硬い木の椅子に座って長い時間をすごしたけれど、それに十分みあった、いやそれ以上の収穫のある時間だったように思う。

 なんといっても、第3部の和田忠彦さんの講義が圧巻だった。モンターレの詩を引用しながら、カルヴィーノとタブッキをめぐる話を進める和田さんの、ゆったりと安定した声の響きは、聴いているものを完全に魅了して、じわじわと遠く、彼方へ誘う力を秘めていた。和田さんって、こんな魅力的な話し方をする人だったのか!と遅ればせながら、イタリア文学門外漢のわたしは驚いた←気づくのが遅すぎるのだ!

 第4部に、土肥秀行さんの司会で和田さんご自身を交えながら、詩人のぱくきょんみさん、山崎佳代子さんといっしょにわたしも登壇して、それぞれが和田さんの著作や翻訳から朗読した。わたしは和田さんが2008年に発表した『ファシズム、そして』(水声社)の最後におかれた「思考の軛から解読の鍵へ──<同時代/モダン>の発見」から少しだけ読んだ。その文章はこんなふうに始まる。


 ファシズムを究極のモダニズム表現として考えてみる──当初は突飛とも映ったにちがいない仮説をことあるごとに提示するようになったのはいつからだろう。
 
 そして2ページ後の次の一行へたどりつく。

 表現と、時間軸においても空間軸においても立体的に向き合うこと、それが同時代のまなざしで作品を読むことなのだ、と──柱廊のめぐる街で暮らしながら文学研究の方向を手探りしていたわたしが掴んだ問題の在処は、たぶんこのことだったにちがいない。


 「表現と、時間軸においても空間軸においても立体的に向き合うこと」という1行に、強く共感し、共振する翻訳者としての自分がいたのだ。この本が出たのは2008年だから、すでに8年もの歳月が経過している。でも、その後の「Cross-Lingual Network 世界文学・語圏横断ネットワーク」の活動へと広がっていった和田さんの仕事の方向性は、この『ファシズム、そして』ですでに定まっていのではないか。そして、3.11のあと危機感を共有する多くの人たちの切迫感へと繋がっていったのだと思う。

 和田さんの仕事のすごさは、すでに膨大なその仕事量もさることながら、これからそのあとに続く人たちに確実に伝えてきたもの、伝えようとしているものにこそあるのではないか、昨日の感動的な講義を聞いていてそう思ったのはわたしだけではないかもしれない。実行委員会を担った人たちの、心のこもった周到な準備、行き渡った心遣いなどをひしひしと感じた1日でもあった。Muchas gracias!
 

2016/12/07

冬の針葉樹

師も走るという12月になって1週間。ここ数年、12月は大晦日までほとんど休みなく仕事をして、年が明けてもまたすぐにPCに向かう暮らしだった。

 今年こそは年末年始はゆっくりとすごしたいと思いながら、毎年のようにそれがかなわないまま年越しをしてきた。でも、今年は久しぶりに、本当にゆっくりできそうだ。
 昨日、ずっと温めてきたアディーチェの翻訳原稿を編集部に送って、これで年内の「締め切り仕事」はいちおう終わり。ふうっと一息。

 そこで懐かしい冬景色の写真を2枚。道路の両脇に雪をかぶっている針葉樹の高さや遠くの山の険しさから、これは北海道ではないな、と見抜く人もいるだろうか。そう。これはカナダのBCの写真、友人のブライアン・スモールショーさんから拝借したものなのだ。
 Muchas gracias, Brian!

 12月に一息入れるには、こういう写真をじっとながめて、雪けむりのなかにいる時間が、わたしにとっていちばんしっくりくるようだ。

2016/11/24

英語の「豆」がフランス語では「スープ」になる話

朝起きてみると外は雪。
 11月に東京で雪が降るのはずいぶん久しぶりです。それもこんなに積もるなんて。でも、1968年に東京に出てきたころは、いまにくらべるとずいぶん寒くて、10月にはもうストーブを引っ張り出していた記憶があります。ある決定的な記憶としては、10月21日に雪が降った年があったこと。あれは、1969年だったかな。

***************
さて、先日ある小説のオリジナル英語版とフランス語訳を読みくらべていて、すごく面白い例に行き当たりました。英語の「豆」がフランス語では「スープ」になっていたのです!

英語の原文はこうです。

I was always a clever child, a good child and clever child.  I ate my beans, which were good for me, and did my homework.

ぼくはいつだって頭のいい子だった。良い子で頭のいい子だった。身体にいいからと豆も食べたし、宿題もやった。

それがフランス語ではこうなっていたのです。

J'étais un enfant intelligent, un bon petit et un enfant intelligent.  Je mangeais ma soupe pour grandir, et je faisais mes devoirs.

ぼくはいつだって頭のいい子だった。良い子で頭のいい子だった。大きくなるためにスープだって食べたし、宿題もやった。


こんなふうに慣用的な表現をその言語独自の表現に変換する例は多々ありますが、これは英語圏と仏語圏の日常的な「食文化」の違いがはっきりあらわれている例で、とても面白いですね。

はてさて、この作品はなんでしょう? 
来年中にはきっと書店にならぶはずです。
お楽しみに!


2016/11/11

ジャニス・ジョップリンの「薔薇」

訂正します──これはベット・ミドラーがジャニスをモデルにした映画の主題歌として歌った曲でした。1979年のことです。ジャニス・ジョップリンは1970年に27才で他界しています。でもいい曲ですねえ。心にひたひたときます。




"The Rose"

Some say love, it is a river
That drowns the tender reed.
Some say love, it is a razor
That leaves your soul to bleed.
Some say love, it is a hunger,
An endless aching need.
I say love, it is a flower,
And you its only seed.

It's the heart afraid of breaking
That never learns to dance.
It's the dream afraid of waking
That never takes the chance.
It's the one who won't be taken,
Who cannot seem to give,
And the soul afraid of dyin'
That never learns to live.

When the night has been too lonely
And the road has been too long,
And you think that love is only
For the lucky and the strong,
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose.

Written by Bette Midler and Gordon Mills

2016/11/09

自分の時間は自分が満たす

「アメリカ大統領選挙のニュースばかり流れる今、思い出したのは米国市民のポール・オースターに J・M・クッツェーが返した手紙のことばだ。オースターが自国アメリカについて語る楽観的なことばに、鋭く切り込むクッツェー」と書いて昨日、facebook などに以下の文章を引用して載せたのだけれど、備忘録のためにここにも書いておこう。
 手紙の日付は2010年11月29日だ。
 
「二インチ前進、一インチ後退」──それが君の国における社会的進歩を表現するために君が使うフレーズだが、その国は世界の主導権を握る者であるゆえに、ある重要な意味において僕の国でもあり、この惑星上のほかのもろもろの人間にとってもそうであるにもかかわらず、われわれ部外者はその政治的プロセスに参加できないという条件の元におかれている。
 生涯にわたり支配される階級の一員である僕自身の、いくぶん偏見を抱いた目には、われわれを支配する者がわれわれをより良き未来へ導くと見るのはナイーヴに映る。」

                    ──『ヒア・アンド・ナウ』p237より


 今回のアメリカの大統領選を、世界中が固唾を飲んで見守りながら、悔しい思いで地団駄踏んで、絶望的な気持ちになった理由は、下線を引いた部分にこそあると思う。しかしサンダーズ候補が舞台から消えた時点で、ほとんど幕引きだったようにも思えるな。

 しかし。それでも。地球はまだあるし、とりあえず地面はまだ足の下に横たわっていて、わたしはまだ生きている。夜空を見上げれば、冷たい空気のなかで、こうこうと輝く冬の月。遠くから、消防車が鳴らす「火の用心」の鐘が近づいてきては、また遠ざかっていく。

 明日からもまた生きていくのだと思う。いたずらに絶望的になってみても始まらないのだ。暴力的に介入してくる「情報」なるものにあらがいながら、私たちの時間は私たちが満たす。じっくりと、ゆっくりと、本を読もう。
 そうだ、そうしよう。

2016/11/05

J・M・クッツェーの『三つの物語』

J・M・クッツェーの『Three Stories/三つの物語』、フランス語の訳が出たみたい。スイユから。Trois histoires.



***************************************
付記2016.11.8:三つの物語とは「スペインの家」「ニートフェルローレン」「彼とその従者」で、「スペインの家」はこの秋の「すばる 10月号」に詳しい解説といっしょに訳出しました。「ニートフェルローレン」は2013年「神奈川大学評論」の特集「アフリカの光と影」に訳しました。「彼とその従者」もすでに訳してあります。
日本語版もぜひ、本にしたいなあ。

2016/10/24

発売になりました!──アディーチェ『アメリカーナ』

ママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』が、発売になりました。
 ここまでたどりつく道のりの長かったこと。でも、本になって、書店にならびました。

 最近、BBC Radio 4 のサイトに掲載されたアディーチェの横顔をアップ。編み上げたコーンロウがとてもすてきです。



2016/10/18

アムステルダムでのアディーチェ:ロング・インタビュー

 つい最近、オランダのアムステルダムを訪れたチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが、トーク・イベントで語る動画です。アメリカで自分が初めて「ブラック」であり「アフリカ人」だと知ったこと、小説『アメリカーナ』について、フェミニズムについて、さまざまなことについて突っ込んだ話をしています。

2016/10/12

チママンダ・アディーチェ『アメリカーナ』がついに!

ブログの欄外右上に、早々と写真をアップしてきましたが、ついに、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』(河出書房新社刊)が発売されます。

 アディーチェの魅力はなんといっても、ストーリーテラーとしての抜群の才能です。かなり分厚い本ですが、ぐんぐん読ませます。訳しながら、加速されるスピードに机から離れられなくなり、ついにダウン、ということが幾度かありました(笑😆汗)。

 話はプリンストン大学でのフェローを修了したイフェメルが、髪を結いに隣町まででかける場面で始まります。西アフリカ出身の女性たちが経営する場末の小さなヘアサロンにたどりつくまで、そして髪を結う場面でも、タピストリーのような物語の面白さを予感させるエピソードがたっぷりと描き込まれていて、これからどんな物語が展開されるのか、期待がふくらむことでしょう。

 ピリ辛のブログにのせる素材を鋭い視線でさがす主人公イフェメル。彼女の髪はアディーチェとおなじような縮毛、キンキーヘアです。その豊かな髪は母親ゆずり。その思い出から場面は一気に、ナイジェリアで過ごした少女時代へ戻っていきます。そこで出会った運命の人、オビンゼ。でも、大学に進学するころから、二人は、運命のいたずらに翻弄されることになって……。

 西アフリカはナイジェリア、新大陸アメリカ、旧大陸イギリス、大西洋をまんなかにしてかつての歴史を逆戻りするような人の往来をベースに、現代の生活がありありと描かれます。より良き生活をもとめて人々が移動し、不運に見舞われて逆戻りし、あるいは本来の自分にもどるために帰郷する。さまざまな人間模様のなかに、いくつもの恋があり、親子の葛藤があり、移民として生きる苦労があり、政治や経済の出来事に翻弄されながら生きる人たちの姿が立ちあがってきます。

 アメリカですごす学生生活や、そこで出会ったリッチな白人の恋人や、インテリのアフリカンアメリカンのボーイフレンドとの関係などから、外部からは見えにくい、人種をめぐるアメリカ社会の細部が、アフリカ人ならではの微妙な視線によって、奥行きをもって浮上するのがこの本の特徴です。それが評価されたのか、出版された年に全米批評家協会賞を受賞しました。物語を駆動させる力は、なんといっても、熱い「ラブストーリー」です。

「弁解の余地のないオールドファッションなラブストーリーを書きたかった」──アディーチェ自身がガーディアン紙にそう語っていました。コメディタッチのメロドラマ、さわやかなスパークリングワインの味。

 さあ、軽やかに味わいながら、物語の深い森に分け入って、思う存分さまよっていただきましょう! 予約受付中です。
 

2016/10/03

藤本和子さんの、翻訳をめぐる名言あれこれ

昨夜ふいに、8年前に書いたブログの再掲を思いついた。
 つい最近、村上柴田翻訳堂から『チャイナ・メン』(新潮社)として復刻されたマキシーン・ホン・キングストンの翻訳者、藤本和子さんの、いくつかの名言をめぐるものだ。

「ゲラが火事になった!」
「翻訳はコンテクストが生命」 

     *************************
*翻訳をめぐる名言「ゲラが火事になった!」

 1980年代なかばだったでしょうか、いや、1990年代初めだったかもしれません。その人の口からじかに聞いて以来、翻訳に対する心構えとして、肝に銘じていることばがあります。

 それは、1975年にリチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』を訳し、斬新な翻訳文体で日本の翻訳文学にまったく新しい風を吹き込んだ、藤本和子さんのことばです。

「翻訳はどのようなコンテキストで紹介されるかが生命」

 だから、解説はとても重要な要素ということになるでしょうか。
 2008年5月に青山ブックセンターで行われた岸本佐知子さんとのトークショーで、新潮文庫に入った『芝生の復讐』について語りながら、「ゲラが火事になった」とおっしゃったのが印象的でした。つまり、朱が入って真っ赤になったという意味です。「だって、間違いだってわかったものを、訂正しないわけないはいかないでしょ」とも。
 文庫化にあたって、あの大先輩の翻訳家は、細部におよぶ微妙な朱入れを、徹底的にやる姿勢をいまも崩していない。その真摯な姿勢は感動的でした。(2008.9.19)

********************
藤本和子さんの「ゲラが火事」は、拙訳を読み直すときいつも肝に銘じることばです。

「だって、間違いだってわかったものを、訂正しないわけないはいかないでしょ」──はい。その通りですよね。

 これは昨年12月、東京外語大で開催された岩崎力先生の仕事をめぐるイベントで耳にしたことにも通じます。岩崎先生は、ご自分の翻訳を出版されたあとも、版を重ねるたびに、何度も訳文に手を入れていたそうです。 やはり! 名訳は一夜にしてならず! なんですね。

2016/09/23

ドストエフスキーについてクッツェーは

 クッツェーが二度目の来日をしたのは2007年12月だった。この年に出版された『厄年日記』の主人公が、スペイン語の名前であることは以前も書いた。フアンだ。作品内ではセニョール・Cとも呼ばれている。著書に Waiting for the Barbarians があるとされる80歳の作家でオーストラリアに住んでいる。この本の後半部にあたる「第二の日記」の最後を飾るのが「ドストエフスキーについて」という文章だ。そのひとつ前がバッハ。
 彼の最新作 The Schooldays of Jesus を読み、作品内にアロヨ(バッハ)やドミートリー、アリョーシャといった『カラマーゾフの兄弟』の名前が出てきたとき、驚きながらも、そうか、やっぱり、と思ったのだ。

 クッツェーにとってドストエフスキーが特別の存在であることは、彼の作品やエッセイを読み込んできた人にはわかるはずだが、なかでも選りすぐりの日本独自版エッセイ集『世界文学論集』(みすず書房)におさめられた「告白と二重思考」は圧巻だった。
 また、息子ニコラスの死を乗り越えるためにも書かざるをえなかった『ペテルブルグの文豪』(1994)の主人公はそのままドストエフスキーという名の作家だった。それ以外に、クッツェーがこの文豪について書いている文章はひとつしかない。ヨーゼフ・フランクのドストエフスキーの伝記、第四部 Miracurous Years に対する書評だ。これは2001年に出たエッセイ集 Stranger Shores におさめられている。

 クッツェーがドストエフスキーの作品をどのように読んでいるか、老作家フアンの口を借りて書いているのが次の文章だと思えばいいだろうか。これがまた、すごいのだ。フアンという作家の性格や年齢によって脚色され、こういう書き方になっているのだろうが、その底流にはクッツェー自身の本音もちらほら見え隠れして、どこまでが創作でどこまでが本音なのか、といつもながら興味がつきない。
 すこし訳出する。

********************
 昨夜、『カラマーゾフの兄弟』の第二部第五章*をまた読み直した。イワンが、神の創造した世界へ入るための入場券を突き返す章だ。堪えきれずに、わたしはすすり泣いてしまった。

これまで数えきれないほど何度も読んできたページなのに、それでも、そのページを前にするとその力に慣れるのではなく、むしろ以前にも増して自分がどんどん感じやすくなっていくのがわかる。なぜだろう? なにもイワンの復讐心に燃える考え方に共感しているわけではない。彼とは違い、わたしは政治的倫理への貢献でもっとも偉大なものはイエスによってなされたと考えるからだ。私たちのなかで、傷つき、腹を立てている者に、イエスが、もうひとつの頰をも差し出すよう促し、そうすることで復讐と報復のサイクルを断ち切るよう言ったときのことである。とするなら、なぜイワンのことばが、心にもなくわたしを泣かせてしまうのか?

 答えは倫理や政治とはまったく無関係、すべてはレトリックに関係している。許しを認めようとせずに長々と熱弁をふるうイワンは、恥知らずにも、自分の議論を進めるために感情(犠牲になった子供)や戯画(残虐な地主)を利用する。あまり説得力のない彼の議論の中身よりはるかに力強いのは、苦悩を強調する語調であり、それはこの世界の恐怖に耐えられない魂の個人的苦悩である。わたしを圧倒するのは、ドストエフスキーによって言語化されたイワンの声であって、彼の理屈ではない。

 あの苦悩の口調は本物だろうか? イワンは「本当に」彼が主張するように感じているのだろうか、そしてその結果、読者は「本当に」イワンの感情を共有することになるのか? 後者の質問に対する答えは厄介だ。答えは、共有する、だ。ここで人が悟ることになるのは、イワンのことばを聞いているときでさえも、彼が自分の言っていることを心から信じているだろうかと疑いながらも、自分も立ち上がって彼にならって入場券を突き返したいのかと自問しながらも、それはいま読んでいる単なるレトリック(「単なる」レトリック)ではないのかと疑いながらも、疑い、衝撃を受けながらも、キリスト教徒であり、キリストの従者であるドストエフスキーが、どうしてイワンにこれほど力強いことばを語らせることができるのか、なのだ──そのようなさなかにもまた、こう考える余地はある──すばらしい! ついにわたしは目の当たりにしている、至高の地における激しい戦いがくりひろげられているのだ! だれかに(たとえば、アリョーシャに)、言葉によって、あるいは例証によってイワンを論駁するためにそれがあたえられるものであるなら、キリストの言葉はそのときこそ、永遠にその正しさが証明されるだろう! それゆえ人はこう考える、栄光の(スラヴァ)、フョードル・ミハイロヴィチ! あなたの名が永遠に名声の殿堂に鳴り響かんことを!

 そして人は、ロシアに、母なるロシアにもまた感謝する、そのような異論の余地なき確かさで、われわれの目の前に、真摯な小説家なら誰しも骨惜しみせずに到達すべく努力しなければならない水準を設置したということに。たとえそこへ到達するには千載一遇のチャンスしかないとしても。それは、一方に文豪トルストイが、他方に文豪ドストエフスキーがいるという水準である。彼らを模範とすれば、より良き芸術家になれる。より良きというのは、技巧に長けているという意味ではなく、倫理的に優れているという意味だ。彼らは人の不純な虚勢を消し去り、視界を澄明にし、腕の力を強化するのだ。⭐︎

*「プロとコントラ」の章:米川、池田、原、亀山各氏の訳を読み比べてみた。勢いをつけて、わ~っと読めたのは新訳で、日本語の移り変わりの早さをあらためて思い知らされた。

2016/09/21

アルゼンチンの刑務所を訪れたクッツェー

現在ブエノス・アイレスにいるJMクッツェーについて、興味深い記事がアップされた。Folha というサンパウロの媒体の記事だが、ざっとgoogleで訳したものを部分訳して引用する。現在、この作家が何を考え、どのような活動をしているか、それを理解するための大いなる助けになることは間違いない。

*******
アルゼンチンの刑務所を訪れたクッツェー
シルヴィア・コロンボ(Folha de S.Paulo)

つい最近、ホセ・レオン・スアレスを訪れたクッツェー
──アルゼンチンの刑務所を訪問するようになったのはどうしてですか? 南アフリカや他の国々でもこのような活動をしているのですか?

JMC──このプロジェクトは、わたしが国立サンマルティン大学を初めて訪問したときにスタートしました。刑務所で「ワークショップ」をしたことはありませんでしたが、南アフリカでは朗読や囚人が書いた文章にコメントするといったことには参加していました。

──2015年のマルバで行われたパネルディスカッションで、アルゼンチンの作家たちとともに、ヨーロッパやアメリカの出版社の調停に対する批判をしていました。彼らは翻訳や、他の世界から出てくる文学をプロモートすることにほとんど関心を示さないと、作品と大きな距離をとりながら、相互交流を阻んでいると。それは変わってきている思いますか?

JMC──変わってきたという明らかな証拠は見えません。それ以上に、ここ数ヶ月のあいだにこの目で見たことは、ラテンアメリカ諸国による相互交流がいかに困難かということでした。ラテンアメリカの作家たちの作品をラテンアメリカ諸国内で独自に出版流通させる手段がない、それが理由です。

──アルゼンチンの刑務所と南アフリカの刑務所の相違点と類似点はどんなものでしょうか? 

JMC──どんな国へ行っても、刑務所での日課は相違点より類似点が多いものです。でも、わたしは個人的には刑務所経験はありません。そこで生きている人たちの経験についてあれこれ語る資格はわたしにはないと思います。

──では、相互交流したアルゼンチンの囚人の作品ですが、その文学的な性質についてはどうお考えですか?

JMC──彼らは自分の感情を表現したい、非常に情熱的な考え方を表現したい、と思っていますが、それには限界がある。なぜなら、十分な教育を受けていないため、また文学になじみがないため、明らかに最も基本的なものにさえです。刑務所の教師たちは、自己表現の練習を刺激しながらすばらしい仕事をしています。

──この南アメリカでの経験をこれからお書きになる作品で使う計画はありますか?

JMC──作家として、そういうやり方をわたしは採りません。
 (取材前に、メールによって行われたンタビューです)

2016/09/19

世界人権デー:チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのスピーチ



8月に「世界人権デー」に、ニューヨークに姿をあらわしたチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが、ビアフラ戦争のときに街を脱出した両親が経験した出来事を皮切りに、心に響くことばで、しかも、明解に語ります。「場所を開けよう」「あなたがたのために場所をつくろう」──人は最初から難民だったわけではないのだから。

2016/09/17

9月のクッツェー、今年もチリ、エクアドル、アルゼンチンへ

受賞者に賞を手渡すクッツェー
9月のクッツェーの活動です。
 まず、チリでクッツェーの名を冠した文学賞(18歳までが対象の短編小説賞)の受賞者に賞を手渡し、つぎはエクアドルのグアヤキルで開かれたブックフェアに参加してキーノートスピーチを行い(テーマは「検閲」で、クッツェーさんはスペイン語でスピーチをしたそうです)、12日からはアルゼンチンのサンマルティン大学で、恒例の「南の文学」講座に参加。23日まで。今年はチェアをやっているようです。詳細はここで。

検閲について語るクッツェー
 ゲスト講師は、モザンビークからミア・コウト/Mia Couto、そして南アフリカからはアンキー・クロッホ/Antjie Krog。

テーブル席最左がコウト
 ミア・コウトはポルトガル語圏屈指の作家で、数年前に国際マンブッカー賞のファイナルに残りました。専門は環境生物学で、両親はポルトガルからの移民です。ミア・コウトは幼いころからモザンビークで南部アフリカの風土を皮膚から吸い込んで育ったために、いわば、アフリカ的感覚とヨーロッパ的知性が渾然一体になったような文章をポルトガル語で書いている(らしい)。(何冊も英語に訳されています。)この作家の作品を日本語に訳してくれる人があらわれないかと、首を長くして待っているひとが何人もいるのですが……。

 一方、アンキー・クロッホは南アフリカのオランダ系の名前。アフリカーンス語で書く詩人でジャーナリストです。1994年にアパルトヘイトから解放された直後、デズモンド・ツツ主教の先導で真実和解委員会がたちあげられました。アパルヘイト政権下で行われた暗殺、拘禁、拷問死など、数々の不正に手をくだした人間が、もし、犠牲者の家族の目の前で真実を語るなら恩赦をあたえよう、という趣旨で始められた委員会でしたが、このやりとりの一部始終を詳細にわたって報告したのがアンキー・クロッホでした。


クッツェーとアンキー・クロッホ
 その結果が Country of my Skull (1999)という分厚い本にまとめられて出版されました。日本でも『カントリー・オブ・マイ・スカル』(現代企画室)というタイトルで2010年に訳が出ています。*
 アンキー・クロッホについては、クッツェーが『厄年日記』で一章をさいて書いているのを、何年か前にこのブログでも紹介しました。ここです。

*スペイン語訳が出たというのは未確認情報でした。訂正します。

2016/09/16

J・S・バッハについてクッツェーは

 15歳のときに偶然、隣家から流れてきたバッハの音楽に少年ジョン・クッツェーが凍りついた話が「古典とは何か?」(『世界文学論集』所収)に出てきたけれど、以来、クッツェーはJ・S・バッハの音楽をつねに身近に置いて暮らしてきた。『サマータイム』には、バッハにはまった少年が、テバルディ好きの父親と戦闘状態に入ったという、少年時代のエピソードも書かれていた。

 彼の最新作 The Schooldays of Jesus のなかに、ヨハン・セバスチャン・バッハの名前や彼の音楽理論のようなものが書き込まれているのを読んで、ふと思い出したことがある。2007年に出版された『厄年日記/Diary of a Bad Year』だ。
 この本は奇妙な構成で、全体が第一部「強烈な意見/Strong Opinions」、第二部「第二の日記/Second Diary」の二部からなり、さらに、その主文ともいえるオピニオンやダイアリーの下に、まるで楽譜のスコアのように下部パートが二つならんでいる。今回、思い出したのは、ポリフォニックな装いで小説仕立てにするためのそれら下部パートではなく、あくまで主文のほうだ。

 この本の「第二の日記」の最後から二番目に「 J・S・バッハについて/On J. S. Bach」という一文があったのだ。クッツェーが大バッハをどのように評価しているかを考えるよき道しるべになる文章と言えるだろう。

 試訳を少し引用しよう。
************ 
                  
 人生は良きものであり、それゆえに神はやはり存在するかもしれず、神がわれわれの幸福を望んでいることを証明する最良のものとして手元にあるのは、われわれ万人には、生まれたその日からヨハン・セバスチャン・バッハの音楽があたえられていることだ。それは贈り物として、労せずして、不相応にも、無償であたえられている。
                             
 一度でいいからあの人と、とうの昔に死んでしまった人ではあるが、話をしてみたいものだ!「見てください、二十一世紀のいまも、われわれはあなたの音楽を演奏し、その音楽に深い敬意を抱き、愛しつづけています。心を奪われ、感動し、力づけられ、楽しませてもらっています」とわたしは言うだろう。「全人類の名において、とても十分とはいえませんが、どうかこの賛辞を受け取ってください。そして、あなたが晩年に耐えた辛い歳月を、痛ましい目の手術も含めて、忘れ去ることができますように」

 なぜバッハなのか、なぜバッハだけに話しかけたいという願望をわたしは抱くのか? なぜシューベルトではないのか(酷い貧窮のなかで生きなければならなかったことを忘れることができますように)? なぜセルバンテスではないのか(無残にも手を失ったことを忘れることができますように)? ヨハン・セバスチャン・バッハとは、わたしにとって何者なのか? 彼の名をあげることで、生者と死者のなかから父なる人を選んでよいと言われて、自分は彼の名をあげているのだろうか? そういう意味で、精神的な父としてわたしは彼を選んでいるのか? そしてその口元に、初めて、かすかな微笑みをついに浮かばせたことで、わたしが償いたいと思うものとは、いったい何か? 生涯にわたり、わたしがかくも悪しき息子であったことだろうか?
⭐︎                        
この最後のところが泣かせる。というか、『厄年日記』の2年後にあたる2009年に発表された『サマータイム』の息子と父親の関係に、まっすぐつながっていくところが要注意だ。
 考えて見ると、奇妙にもスペイン語が出てくるのは、この『厄年日記』からだった。80歳の書き手がスペイン語のフアンという名になり、セニョール・Cと呼ばれていたのだ。ここから「イエスの新シリーズ」は羽を生やして、飛び立ったのかもしれない。

2016/09/06

J・M・クッツェーの「晩年のスタイル」

 イギリスのガーディアン紙などで『イエスの学校時代The Schooldays of Jesus』が話題だ。先ごろ邦訳が出た『イエスの幼子時代The Childhood of Jesus』の続編で、いずれもJMクッツェーが70歳をすぎて発表した作品。まさに彼の「晩年のスタイル」と呼ぶにふさわしい内容であり、スタイルだ。テーマは「子育て」と「教育」、(これ以降は9.19に加筆)といってみてじつはこの本、「小さいけれど多くの重要な真実を含んだ作品で、ひとつの中心となるメッセージではなく」というガーディアンの評(Alex Preston)に深くうなずいてしまった。(加筆はここまで)

 ここで「晩年のスタイル」をめぐる作家自身の定義を確認しておこう。ポール・オースターとの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』(岩波書店刊)で、クッツェーはこんなふうに述べている。2009年10月14日付のポール・オースターへの手紙だ。

──晩年のスタイルというのはそもそも、僕にとってはシンプルかつ抑制のきいた、文飾を排した言語という理想と、生と死の問題まで包含する真に重要な諸問題への集中から出発する。もちろん、その出発点をひとたび超えたら、書くことそれ自体が優勢になり、書き手を導いていく。最後にできあがったものはおよそシンプルとは言いがたく、抑制とも無縁のものかもしれないが。
          
 この最後の「およそシンプルとは言いがたく、抑制とも無縁」というところで、考えてしまうのだ。このイエスの連作は、読者を煙にまくような謎めいた書き方をしているように見える。でも、じつに明らかなこともある。このシリーズを書いた動機だ。「自伝的要素を作品のなかに流し込んできた」作家が、76歳にしてこの連作を発表しければならなかった衝迫について考えることが、その手がかりになるだろう。

 彼は自伝的三部作の最終巻『サマータイム』(2009)を発表してすぐにこのシリーズに取りかかったと思われる。
 以前ここにも書いたけれど、2012年12月に南アフリカのヴィッツ大学から名誉博士号を授与され、その卒業式で行ったスピーチで会衆から一瞬どよめきが起きた。「小学校の教師になって幼い子供のそばにいること」を卒業生に薦めたのだ。大学院の男子卒業生に、である。「思春期前の幼い子供たちといっしょにいることは、きみたちにとって、きみたちの魂にとっていいのだ」と。原著『イエスの幼子時代』を発表する直前のスピーチである。

 このエピソードを考え合わせながら、一作目よりさらに摩訶不思議な(と表層的には思える)二作目を読むと、この作家が晩年にいたって何を最重要事項と考えてきたかが見えてくる。多出する、ヨハン・セバスチャン、アンナ・マグダレーナ、ドミートリー、アリョーシャといった有名な固有名詞がどこに由来するのかは、クッツェーの読書歴と音楽の好みについて調べればすぐにわかる。アンナ・マグダレーナはヨハン・セバスチャン・バッハの二人目の奥さんの名前。ドミートリーやアリョーシャは、もちろん、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』である。ダビードが入る寄宿制のダンス学校を経営する一家「アロヨ」はスペイン語で「小川」、ドイツ語の「バッハ」なのだ。

 ちりばめられた固有名詞の向こうに広がる文学史上の濃厚なイメージと、それをつなぐ太い糸と、物語をあやつる細い糸との絡まり。これはもうほとんど謎解きの様相を帯びてくる。しかし、それを超えて、シモンがダビードの保護者として自問し、苦悩し、ときには堪えきれずに大泣きまでして、ひたすら努力する姿は、いささか滑稽ながら、やはり胸を打つ。この作品を晩年にクッツェーという作家に書かせたものは、どうやら、決定的なある体験に端を発しているといえるだろう。

 それにしても、シモンという人物の理論中心の思考やことばで綴られるモノクロのシーンに、デモーニッシュで激情的なドミートリーという人物が登場するや、物語全体がフルカラーになるところがなんとも面白い。

2016/09/02

雑誌「すばる 10月号」に J・M・クッツェーの短編を訳出

「スペインの家/A House in Spain」 

J・M・クッツェーの短編「スペインの家」を、集英社の雑誌「すばる 10月号」に訳出した。「海外文学の実り」という特集で、ほかにもマーガレット・アトウッド、アリ・スミスなどがずらり。発売は9月6日。

 翻訳にとりかかったのは、アディーチェの長編『アメリカーナ』を訳し終えたときだった。ふたたび簡素で、力強いことばの滋味をフルに出せるよう、自分の言語脳と身体感覚を大きく切り替えた。

 アディーチェの文体は、読み手が理解できるように、どこまでも丁寧にことばを使って語るので、ある意味、とても解りやすいし流れもゆるやか。だから、ことばが自由に動いていくように、肩の力を抜いて波に乗る。長いので(1500枚)、マラソンのようにペースを考えながら、とにかく最後まで走りきる。

 一方、クッツェーの作品は長編といっても、長くて800枚程度だし、だいたいノベラの長さだ。密度の高い数ヶ月間は、心地よい緊張感を持続できるよう調整する。
 今回は短編だからぐんと短い。ぐんと短いけれど、一語一語に込められた中身の質は高く、ひねりも効いている。いつもながら、彼の文章は解釈的な説明や装飾をつけて訳すことはできない。慎重に(とにかく「注意深く訳してください」とクッツェーはいう)、行間の透明感に耳を澄まし、ほんのりと灯る温かい光の密度が均一に保たれるよう心がけた。ひたすら作家のことばと真摯に向き合い、そのリズムと流れに身をまかせる。逆らわない。それしかないのだと思う、クッツェーの文章を訳すには。


「スペインの家」は短いが、いぶし銀のような作品である。2000年に発表されたこの短編は、クッツェーが南アフリカからオーストラリアへ移住する直前に書かれたもので、大学で教える講義のコマ数を減らして(給料も減らして)、書くことに全力投球した『恥辱』(1999)のあとの、肩の力を抜いた開放感が感じられる。作品内に見え隠れする「女性観」が、『恥辱』の主人公のそれとは対照的で、こっちが作家の本音に近いかな、と興味深く読める。
 それまでの彼の文体やスタンスが微妙に変化するプロセスも垣間見える。「晩年のスタイル」(『ヒア・アンド・ナウ』参照)ともいうべき作風へ移行する直前の手触りがあるのだ。解説ではそのことを中心に書いた。

「鯨」のいないクッツェー──それが解説のタイトル。


2016/08/30

図書新聞一面に書評が載りました

  • 「硬派書評」をうた図書新聞(2016年8月27日発売号)にも『鏡のなかのボードレール』(共和国)の書評が載りました。

    評者は詩人の田中庸介さん。この本の書き手と本自体の構造的関係を「メタファー」という語を用いて解明する、とても力のこもった評です。なみなみならぬ意気が伝わってきて感動しました。
     それも一面に掲載、向かって左手です。偶然ながら、右手には奥田愛基さんのプロフィールがあり、西谷修氏の論考が。
     また、なかには管啓次郎さんらの『地形と気象』の書評もあって....読み応えたっぷりです。

     こうしてありがたくも書評が出そろうと、自分がなにを書いたのか、それが誰にどんなふうに受け止められたのか、ということが客観的にわかってきます。書き始めたときや、本を出したばかりのときには、まったく見えなかった視点がおぼろげながら見えてくる。
     ずらりとならぶ書評者はすべて男性。予想はしていましたが、例外なく、でした。

    毎日新聞──池澤夏樹氏
    北海道新聞──野村喜和夫氏
    日経新聞──陣野俊史氏
    週刊読書人──芳川泰久氏
    図書新聞──田中庸介氏
    東京新聞・中日新聞──男性記者?
    「本の雑誌」──都甲幸治氏

     でも、実は、女性読者からの感想もたくさんいただいています。「ボードレールからクッツェーまで、黒い女たちの影とともにたどる旅」というところに鋭く、強く反応してくれる方々が多い。ただし、それは活字にはなりにくい感想やことばで、まさに「境界の文学」のラインのあっちとこっちで、ぱっきりと分かれる、ということのようでもあります。そこにもまた、いろいろ考えていくヒントが埋まっていそうです。とても興味深い結果です。
     読んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。

     まだまだ旅は続きます。これからもどうぞよろしく!

2016/08/26

明日発売の「現代詩手帖」に書評が……

明日発売の「現代詩手帖 9月号」が届きました。拙著『鏡のなかのボードレール』の書評(p121)が掲載されています。

 シャルル・ボードレール。この名はこれまでに、どれだけの読み手の胸を高鳴らせてきたのだろう。この極東の島国でもまた、──
 という書き出しの評を書いてくれたのは、トークイベントにも参加してくれた清岡智比古さんです。

──「ジャンヌ・デュヴァル詩群」を読んだときに、ジャンヌがシャルルに向けていた視線について、あなたは思いめぐらせることがあっただろうか?
 と問いかけながら、最後はこんな結びです。

──本書が提示する、詩と、視線と、歴史を巡る考察には、育てられるべき多くの種子が満ちている。画期的な、と形容できる一冊である。 

 Muchas gracias! 
 むっちゃ嬉しい!       ──と頭韻を踏んでみたくなりました/笑。

 ぜひ、手に取って全文を読んでください。
 *思潮社編集部さんに深謝します。

2016/08/23

ヘンリー・パーセルの「ゴールデン・ソナタ」

朝から午後にかけて、暴れまわった台風が東京から遠ざかって、虫の音が響く夜だけれど、なんかいいことないかなあ、と呟きたくなるほど、あっちでもこっちもひどいことばかり起きている。リオもひどい。沖縄は激しく辛い。
 だから、いや、だからこそ、ヘンリー・パーセルの「ゴールデン・ソナタ」を聴いて寝ようかな。心の健康のために。




2016/08/20

新刊めったくたガイド「本の雑誌 9月号」

うっとうしい雨と湿気がちょっと遠のいたか、と思ったらまた雨。台風の季節だものなあ、モンスーン気候の土地に生まれてしまった運命か、とため息が出てしまう。しかし。嬉しいこともありました。

『鏡のなかのボードレール』をめぐる究極の書評が出ました。
 都甲幸治さんが「本の雑誌」に連載している「新刊めったくたガイド」、9月号です。
 3冊の新刊書について書かれています。1冊目はわたしも大好きなリディア・デイヴィス、2013年に国際マン・ブッカー賞を受賞した米国の作家です。フランス文学に深く通じていて、プルーストの名訳者でもある。岸本佐知子さんの訳でこのデイヴィスの『分解する』が作品社から出たばかり。これはもう、ホント、泣けます。

 2冊目が拙著『鏡のなかのボードレール』なんですが、2冊つづけて評されていることが、まったくもって偶然とは思えない視点を浮上させています。この2冊を貫くものを評者はしっかり見抜いています。さすが。


「現代の女性は学校教育において男性として考えるように教育される。なにしろ古典の多くは男性作家のものだし、メディアでも依然として男性の視点が力を持っているのだから。しかしいざ大人になると、彼女たちは男性としては扱われない。そして彼女たちは、男の言葉を使いながら自分の心情を書くという課題に向かい合うことになる。デイヴィスはそうした軋みを見事に作品化している」

 そう書いたあとに、拙著を評することばが続き、「……<逆にいまは、ジャンヌ・デュヴァルのような女たちの声を代弁する現代文学を、日本の男性読者が若いうちに精読することの重要性をとても強く感じる>というくぼたの言葉には、日本の文学研究だけでなく、日本社会そのものを変える力がある」と結論づける、耳喜ぶことばがならんでいました。(ほら、チママンダ、聞こえた?)
 そして最後をミラン・クンデラの『小説の技法』(西永良成訳・岩波文庫)でしめるという、なんとも豪勢な盛り付け!「新刊めったくたガイド」という名もめっちゃ面白いよねえ。

「本の雑誌 9月号」、手にとって読んでみてください。ぜひ。

2016/08/19

ふたたび:16年前のJMクッツェーのロング・インタビュー



わたしはクッツェーという作家について考える時、何度もこのインタビューにもどる。南アフリカという土地と、彼のオリジンであるヨーロッパ文化と、クッツェーとの関係を知るための原点に近い。「美しさと慰め On Beuty and Consolation」

以下はこのビデオに含まれているクッツェーの発言( J.C.Kannemeyer からの引用:ちなみにカンネメイヤーの伝記には、このTVは2002年となっているが、オランダで初めて放映されたのは2000年)。


The peculiar cruelty and horror of apartheid was the very un-African aspect of it, a very rigid and ordered and in a sense European derived system imposed on a country and society to which it was really petrifying. And its horror was all the more because it seemed an absurd rerun in Africa of what the Nazis had done in Europe. It seemed a farcical repetition of a history of what then ought to have been obsolete. So you look here at a continent which is prolific of life and where life is cheap and always was cheap, but not in that way, not in a manner of systemized cruelty and extinction. So that has been the peculiar hideousness of the past half-century. In a country and on a continent which is not perhaps beautiful on the human scale, but [...] beautiful in a wild and grand and impressive manner. It is the contrast between the particular ugly, banal, systematic, cruel horror in an environment which is so huge and so lavishly beautiful. (Kannemeyer, p211)