Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2012/12/18

12月10日クッツェーがヴィッツ大学で名誉博士号を授与されて

またまた、ジョン・クッツェー登場です/笑。
 12月10日ヴィッツヴァーテルスラント大学で J・M・クッツェーが名誉博士号を授与された、そんなニュースが数日前にあちこちに流れた。

 そのときの彼のスピーチがまた面白い。まず卒業生に向かって、人文学はもう女性の専門領域になってしまったと思ったが、以外にも多くの男性がここにいて嬉しい(会場は爆笑)、ぜひ、小学校教師になってほしい、小さな子どもたちにとっては男の教師も女の教師とおなじくらいいるほうがいい、と述べたのだ。その発言に聴衆も「ええっ?」と戸惑いを隠せなかったようだ。
 
 教師という仕事は、労力の割にはささやかな収入だが、若年人口が多い南アフリカでは将来性のある重要な仕事だ。官僚制度が作り出す多量のペーパーワークと格闘することにはなるが、なにより、小さな子どもたちといっしょに過ごすことは、物を売買したり、コンピュータの前で数字や記号だけをいじっているよりはるかに良いことだし、人間として成長できる仕事だ、とこの作家は述べる。

 スピーチの英文テクストはそっくりここで入手可能。また、スピーチはここで聴けるので、ぜひ!
 
 クッツェーは、自分が小学校で男の教師に初めて教わったのは11歳だったが、小さいときから両性の教師に教わったら、もっと十全な成長ができたのは間違いない、と述べる。社会に出るときの準備ができる、と。これは彼の人間観、教育観ともいえるものがあらわれていて興味深い。

 ちなみに彼の母親ヴェラは小学校教師だった。彼女は幼いころから2人の息子たちを、当時のアパルトヘイト国家体制に奉じる人間をつくりあげる(form)教育に抵抗して、モンテッソーリ・メソッドやルドルフ・シュタイナーの教育理論にしたがって育てた。その子のもっている個性をあたうるかぎり伸ばし、学校教育が押しつけてくる「型にはめる/form」やり方を回避する方法だ。それが彼(ら)を孤立させもしたけれど、ジョン・クッツェーという人間の基礎部分を形づくった。そのことは自伝的三部作の『少年時代』や『サマータイム』のなかで詳しく述べられている(いま訳してま〜す)。

 72歳にして母国、南アフリカのジョハネスバーグにある、アフリカーンス語の名を冠する(かつてはアフリカーナーの法律家を数多く排出し、アパルトヘイト思想の牙城と呼ばれた)大学の名誉博士となったこの作家が、若い卒業生に、ときに笑いをとりながらあくまで平易に語ることばは、彼の思想を考えるうえでも、なかなかに深い意味合いが込められている。

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付記:アパルトヘイトという「人類への犯罪」と呼ばれた制度のなかで加害の側に組み込まれながら、50年を、歯ぎしりしながら、絶望的な思いに駆られながら、それでも真摯に生きてきた人間のシンプルで強いことばは、いまこの怨念が渦巻くような社会のなかに生きるものたちにも強くシンプルに伝わる。ことばの表層の意味ではなく。