Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/07/30

オランナ役のタンディ・ニュートンのインタビュー



少しずつ近づいてきましたねえ。映画「半分のぼった黄色い太陽」でオランナを演じたタンディ・ニュートンのインタビューです。

2013/07/26

映画「半分のぼった黄色い太陽」からのスティル

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ原作の映画「半分のぼった黄色い太陽」から、公表されたスティルを何枚かここでもシェアします。




2013/07/25

映画「半分のぼった黄色い太陽」がトロント映画祭に!

9月のトロント映画祭(5〜15日)で、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ原作の映画「半分のぼった黄色い太陽」が世界初公開されます。予想はしていましたが、ついに!

 YOUTUBE で予告編が見られます。すごく期待できそうです。ぜひ!







2013/07/23

フィクション、メモワールそして自己:2012、ノリッジ文学フェスでのクッツェー



ケープタウンの寒風に吹かれて語った60歳のクッツェーから、場面変わって、イギリスはノリッジで開かれた文学フェスに参加して問題提起する、72歳のクッツェー、またまた/笑。

 2012年6月18-22日、ノリッジ世界文学フェスのコロキアムで J・M・クッツェーが行ったプレゼンテーションのタイトルは「Fiction, Memoir and the Self/フィクション、メモワールそして自己」。

 ちょうど彼の「フィクション化」した「メモワール/自伝」三部作を訳し終えて見直しとあとがきの準備をしているところなので、このプレゼンは見逃せない。聴いてみると、きわめて刺激的なヒントが含まれ、さらに、現時点でのこの作家の文学的コミットのある面がすごくよく伝わってくる内容だ。セラピーとセラピストの話、主観と客観による「真実」の異なるありよう、というか、「わたし」と「作者」の関係を可視化しようとするところが面白い。流行りの tell a story について、その社会的位置について、個人にとっての意味合いについて鋭い光があたる。


19世紀にヨーロッパで隆盛をきわめたフィクションの一種類、後にリアリズムという名で呼ばれるようになった小説、そのキーとなる概念が登場人物の歴史的「representativeness/代表していること」あるいは「typicality/典型的であること」だったと簡潔に論じたあと、現代のラジオ/テレビ番組のセラピストの話が出てくるので、ぐんと視界が現代まで広がる。最後の問い:
 
 If we are going to be authors of our own life stories, are we free to be authors of their truth too?

 さあ、この問いの意味は? 

2013/07/20

2000年、ケープタウンで語るジョン・クッツェー



2000年に晩秋のケープタウンで録画された動画を紹介する。

 オランダのテレビ番組として撮影されたものだが、これはポルトガル語の字幕がついたバージョン。語りはオランダ語、インタビューとクッツェー本人の話は英語だ。
 1時間19分と少し長い動画だが、まだケープタウンに住んでいた2000年に、ジョン・クッツェーがインタビューワーのさまざまな問いに対して、ゆっくり考え、考え、表情ゆたかに、真摯に答えている。

 ケープタウンのホテルの部屋で語るクッツェー:美について、美と慰藉の関係について、愛における美とピースについて、気分が落ち込んだら料理をすること、そしてまたアパルトヘイトについて。ようやく過去のものとなったアパルトヘイトについてここまでことばを尽くして、平明に、正直に語るクッツェーは初めてではないか。『Disgrace/恥辱』を発表した翌年であることも興味深い。なぜかオランダのテレビで語っているという事実もまた。

 インタビューを受けるのは苦行ですか?──ええ。──なぜ? ──(沈黙)なぜならそこには省察がないからです。
 
 『マイケル・K』の最後のフレーズについて語り、オランダ語版を朗読するクッツェー。
 
そして、ケープ半島の岬近くのディアス・ビーチで、冬が間近に迫った晩秋に、打ち寄せる波しぶきを見ながら訥々と語るクッツェー:この季節にしては穏やかな良い天気の日だが、ここの美しさは好天の穏やかなときではない。冬場はひどく荒々しい場所になる。この海岸線の美しさは穏やかなものではなく、ワイルドという語がいつも使われる。

 冷たい風に吹かれて、イノセンスについて、南アフリカという土地の自然と植民者たちの関係について、人間と動物の関係について、戦時中のポーランドの詩人ツヴィグニュウ・ヘルべルトについて、自然の美が癒しになることについて、南アフリカの厳しい現実との対比、容易ではない死・・・、作品行為と癒し、人のオリジンを癒しをあくまで自然のなかに見るクッツェー、書いていないときはどんどん落ち込むこと、また、人間という生物種について、死のない世界を考えることについて、天国を作り出した人間をめぐる話など、見ていて、聞いていて、興味が尽きない。オランダ語のナレーションが理解できないのがとても残念!

 13年前の、60歳当時の──こうして見ると、すごく若々しい/笑──彼が、非常にリラックスした感じで、ことばを探りながら語っています。連日クッツェーばかりですみません! 

 明日は選挙ですからね。

2013/07/18

『青年時代』を朗読する61歳のクッツェー

3年ほど前に、やはり猛暑のなか、ここでもお知らせしましたが、J・M・クッツェーが『青年時代』を完成させた年、つまり2001年、の11月8日にニューメキシコのサンタフェでその原稿から朗読するビデオがあります。前半の朗読と後半の、ピーター・サックスとの対話を短く編集したものですが、クッツェーがノーベル賞を受賞する2年ほど前の映像、彼は61歳です。地味目のチャコールグレーのスーツにボタンダウンのシャツ、大きなレンズの眼鏡をかけて…。フレームが1990年ころからかけているのとおなじ型です。(なんかオタクっぽい観察眼ですが・・・笑/汗)。



『青年時代』の原稿が完成したのは、2001年の4月末。訳者は5月末に、紙で送られてきたものを読みました。当時、原稿はいまのように添付テキストでeメールで送られてくるのではなく、まだ紙のコピーで郵送されてきました。わずか12年前というか、もう12年前というか。

 朗読に先立って、クッツェーはその5年前に完成していた『少年時代』について語っています。この本がメモワールかフィクションか、と出版社から問われたとき、両者のあいだでホバリングさせることはできないか、と出版社にかけあってみたが、それは難しいといわれたとか。本屋さんでどの書棚に分類するか? ということはいつもながら本を作る者には、大きな悩みでしょう。
 書く側にとって、とりわけクッツェーのような「これまで存在しないような本を書くこと」を自分に課している作家にとって、これはなかなか納得いかないことかもしれない。結局、この『少年時代』は英国ではバイオグラフィー、米国ではフィクションとして書店で売られることになったと語っています(ここで会場からは笑い声)。

『青年時代』も『少年時代』とおなじ fictionalized autobiography、つまりフィクション化した自伝ということですが、名前も生年月日も作家とおなじ、生まれた土地、暮らした土地などほぼ事実に即した構成になっています。がしかし、『少年時代』はたんにぼかして書かれていたのに対し、『青年時代』は明らかにフィクション化されたところがあります。
 訳していてわかったのですが、それはどうも書かれていない部分にある。1963年の彼のロンドン/ケープタウン間の移動の事実、ケープタウンでの結婚の事実を伏せて──カンネメイヤーの伝記で明らか──後半部があくまで独り者の生活として描かれています。

また、この『青年時代』には60年代初めにロンドンの映画館にかかっていた新作映画の話がたくさん出てきますが、この辺も年代を微妙にずらしながら物語は書かれています。初めて眼鏡をつくって観て泣いた映画として、パゾリーニ監督の「奇跡の丘」が出てきます。(ついに訳者はこの映画のDVDをゲットしました! ああ、なんというはまり込みよう!)

 まあ、なにがどう事実と異なるか、詳細は三部作出版のおりに「訳者ノート」に詳しく書きますので、それを読んでいただくとしましょう。どうぞお楽しみに。

 朗読のフルバージョン(約43分)はこちら。クッツェーは作品の最終部分、18章、19章、20章からアレンジして読んでいます。

2013/07/16

希望の岬をまわって──Doubling the Point


まるで絵はがきみたいな写真だ、とわれながら思う。でも、空気が乾いているケープタウンではどこで撮っても、ど素人のわたしが撮っても、こんなふうになる。深い緑色の海を絶壁の上からのぞき込むと、ここをまわってインド洋へ出ることがヨーロッパ人のオブセッションであった時代について考えてしまった。

2013/07/14

もう一度、海、海、海。


駝鳥じゃあんまり涼しくないか/笑。ということで、ふたたび海です。ケープ半島沖をながめて。

2013/07/13

ケープ半島の駝鳥のファミリー

とっておきの1枚です。ケープポイントへ向かう途中に出会った駝鳥のファミリー。黒いほうが雄。右下がまだひよっこの鳥ですね。

車の窓から撮ったショットですが、空気が乾いているせいか、色鮮やかにばっちり写りました!

2013/07/09

猛暑への反撃 ── 床そうじと白ワイン

数日前にいきなり襲ってきた猛暑、あまりの暑さに最初は音をあげた頭と身体も、次第に反撃を準備して、まずは窓ふきでクリアな視界、つぎは床そうじで裸足の足裏がぺたぺたと気持ちいい(祖母の教え)、すると俄然、仕事にも弾みがついて、暑さのために約半分に減っていた仕事量が今日はぐんと進んだ。クッツェーとオースターの往復書簡集。

 こんな展開はまだ暑さが序の口、のうちだけだけれど。さあ、そろそろ冷たいワインの時間だ。今日は地元のトマトと茄子でラタトゥーユも作ったし…。最近はグラスにもっぱら冷酒用の、ほんのりピンクのカットグラスを使っている。先日、94歳になった母とおそろい。

 左のサンダーバードを描いた陶製のコースターは、1995年にカナダはバンクーバー沖の島に住む友人を訪ねたときに買ったもので、とても気に入っている。

2013/07/06

彼らの行間 ── クッツェー&オースター往復書簡集

オーストラリアの新聞「シドニー・モーニング・ヘラルド」に少し前に『Here and Now』の書評が載っていた。オースターとクッツェーの往復書簡集については、もちろん、これまでにも英語圏の新聞や雑誌には数えきれないほどの書評が掲載された。でも、5月に載ったこの評には愉快なイラストがついていたので、そのイラストをちょっと拝借しておこう。


 評者はDelia Falconerという人。タイトルは、Between thier Lines、彼らの行間! パソコンで手紙を書いて印刷してからファクスで送る1940年生まれのジョン・クッツェー、かたや手動のタイプライターで手紙を書いて郵送する1947年生まれのポール・オースター。孤高の二人のあいだに、伝書鳩が飛んでいる!

2014.9.30: 付記/イラストは by Andrew Dyson です。もとのページはここ。
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2013.12.10付記:よくよく調べると、ポールはファクスではなく、なんと郵便で手紙を出していました! Sorry!

2013/07/05

ジョン・クッツェーとヨシフ・ブロツキイ


「一本の針の内部のように暗い」とブロツキイはある詩のなかで書いている。その一行が彼の脳裏から離れない。もしも彼が集中すれば、本気で集中すれば、毎夜毎夜、完璧な注意力でがむしゃらにインスピレーションの祝福が降臨するようにすれば、それに匹敵するなにかを彼もまた思いつけるかもしれない。というのは彼のなかにはそれがあり、自分のイマジネーションがブロツキイのものと同色であることを知っているからだ。それにしても、どうすればアルハンゲリスクまでそれを伝えられる?
 頼りはラジオで聞いた詩だけでほかはなにもない、だが彼はブロツキイのことを知っている、知り尽くしている。それこそ詩が可能にすることだ。
                       ── J.M.クッツェー『青年時代』より

 1960年代初頭のロンドンで、孤独に苛まれながら詩人になろうとする若きジョンの姿を、作家クッツェーはこんなふうに描いている。昨日、facebook にも書き込んだけれど、ここにも貼付けておこう。

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2013.7.6 付記:ちなみにクッツェーとブロツキイはおなじ1940年生まれ、ともにノーベル賞受賞作家/詩人。ブロツキイは55歳で早々と他界したが、クッツェーはまだ旺盛に作家活動を突けている。

2013/07/03

クッツェーの自伝的三部作訳了!

 クッツェーの『Youth/青年時代』をほぼ訳了した。これで『Boyhood/少年時代』(1997)、『青年時代』(2002)、『Summertime/サマータイム』(2009)と続いた三冊のメモワールすべてが日本語になって訳者のPCに入っていることになった。400字詰めにして約1500枚。ふうっ!

 まだ見直し作業や編集作業が残っているので、読者の方々の手元に届くのは来年になるけれど、いつもながら作業上のこの区切りに差しかかると、大きな深呼吸をしたくなる。
 今年の梅雨は空梅雨だろうか、あまり雨が降らない。野菜や果物、もちろんお米もちょっと心配だけれど、湿気が苦手のわたしとしては、じつはかなり過ごしやすい。

 思えば、1999年に『少年時代』の訳をみすず書房から出し、2年後の5月には『Youth』のコピー原稿が手元にとどき、それからさらに2009年3月にはメールで送られてきた『Summertime』の原稿を読み、2011年秋には三部作が一巻としてまとめられて、いまにいたる。
 このあいだに著者クッツェー氏が3度も来日し、訳者はケープタウンと内陸のヴスターまで出かけて、とじつにさまざまな展開があった。ようやく本になるのだ。もう一度、深々と息を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。