2017/11/14

J・M・クッツェーの自己形成期(2)

ケープタウンの画廊で開かれる写真展
ウィッテンバーグの文章から少し紹介しよう。
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 J・M・クッツェーの最初の自伝作品『少年時代』にあるように、「すごい速さで、完全に没頭して」読むことは、クッツェーが早いころに確立した習慣だった。だが、若いジョンが我を忘れるほど熱中して読んだものとは、いったいどんなものだったのだろう?
──中略──
 下の写真が雄弁に物語るのは、これがクリエイティヴ・アートへ初めて分け入ろうとするクッツェーの最初の制作物だったことで、クッツェーがハイスクール時代(最近のオリヴァー・レディの論によれば)フォトグラファーになろうと思っていたことを表している。クッツェーは上質なカメラ、イタリア製のウェガ35ミリ(ライカIIより低価格のコピー製品)を購入していた。暗室をしつらえ、そこでネガをポジに現像してプリントにした。一家は裕福ではなかったので、経済上の理由からプリントは重要な写真に限られた。この写真は少年が、地図、キーツの詩、新聞、雑誌のカバー、ピアノ曲の楽譜(バルトークのルーマニア風舞曲)といった印刷物に熱中したことを示す写真数枚のうちの1枚である。

 ──中略──
ずらりと並ぶ古典
 この写真で注目せずにいられないのはその中身だ。16歳にしては、ずいぶん野心的で生真面目な選書である。20世紀前半に知の民主化をめざしたエヴリマン、オクスフォード、ペンギン各社から出版された詩集、哲学書、古典の翻訳から構成されているのだ。
 照明があまりよくないとはいえ、数多くのエヴリマン叢書の背表紙からいくつかの書名が判読できる。プラトン、聖アウグスティヌス、ホッブズ、スピノザ、ルソー、ロック、カント、デカルトの名があり、ロシア文学の古典であるドストエフスキーの『罪と罰』、トルストイの『戦争と平和』の文字が読み取れる。英文学の小説は皆無、シェイクスピアさえなく、あるのはT・S・エリオット、ワーズワース、テニスン、キーツの詩の選集だ。ユークリッドの『原論』などは数学者になろうとするクッツェーの野心を示しているが、マルクスの『資本論』はたいした影響力をもたなかったようだ。これらの書物のうち何冊かは、のちに彼のフィクションに痕跡を残すことになるが、将来大きな影響力をもつようになるパウンドやベケット、そしてカフカはこの時点ではまだ姿を見せていない。
つづく