Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2017/10/19

16歳のジョン・クッツェーのセルフポートレート

TLSに面白い記事が載った

 先月、オクスフォード大学とロンドン大学SOASで、あいついで開催されたJMクッツェーをめぐるシンポジウム(というかほとんど祝祭的な催しに見えるイベント)の詳細なリポートが掲載されたのだ。
 タイトルは:The Languages of J.M.Coetzee. (JMクッツェーの言語たち)
 書き手は:Oliver Ready(オリヴァー・レディはロシア文学の翻訳者らしい)

これを読むと、50~60年代構造主義言語学の申し子であるJMクッツェーという作家と、翻訳を前提とした言語、言語メッセージ、作品行為をめぐるこれからの議論の方向性が、ぼんやりながら透かし見える。

少年ジョンが16歳のときに、35mmで撮影したセルフポートレート
「ぼんやり」といえば左の写真。自伝的作品を翻訳してきた者としては、とりわけ、SOASで開催された「アーカイヴ会議」に興味がわくが、それと同時に展示されたクッツェーの少年時代の写真が面白そう。聖ジョゼフ・カレッジ時代のジョン少年は、自宅に暗室をつくるほど写真に凝っていたが、その時代の写真が展示されたのだ。(暗室内で火花を散らした実験で危うく失明しそうになったエピソードも残っている。)写真は大部分がネガの状態で、彼が2002年にアデレードへ移住するときケープタウンに確保していたフラットに残されていた。それらは、2014年にフラットを売却する時点で、ハーマン・ウィッテンバーグ(クッツェーの二作品のシナリオを書籍化した人:ウェスタンケープ大学所属)のもとへ移った。それが今回ロンドン大学のイベントで展示されたのだ。

 TLSに載った写真は、少年ジョンが16歳のときにイタリア製のカメラ、WEGA 35mm で撮影したセルフポートレートだ。見るものの想像力を喚起してやまない写真だ。文中では、このころから cool detachment があらわれていると指摘されていて、これはある意味、うなずけないわけではないけれど、まあ、それは数々の作品を読んできた者の後付けの理屈といえなくもないかな。

 そうそう、Slow Man をオペラにしたベルギーの作曲家ニコラス・レンスが、制作を終えてプレミア上演を待つ作品「Costello – this body that I am」からテスト・レコーディングしたアリアをかけてくれたとか。モチーフは「I believe in what does not need to believe in me」で、もちろんオペラのセリフはクッツェーが書いた。へええ〜〜またまたコステロか! 次のクッツェーの作品もコステロ絡みらしい。これは気になるな。

2017/10/10

デイヴィッド・リムニックと語るアディーチェ

 このところスパイシーなキレのよさで聞き手を思い切り笑わせてくれるチママンダ・ンゴズィ・アディーチェですが、この動画では「ニューヨーカー」の名物編集者、デイヴィッド・リムニックを相手にチママンダが語ります。



アメリカにきて自分が初めて黒人だと知ったことや、物議をかもしたトランス・ジェンダー・ウーマンについての発言と、それをめぐる周囲の反応などについても。実際には90分の長いトークですが、「ニューヨーカー」がそこから少しだけアップしています。

2017/10/07

「アーカイヴ会議」で朗読するJ・M・クッツェー

これも備忘録として。


10月6日にロンドン大学で開かれたクッツェーとアーカイヴ会議/Coetzee & Archive Conference2日目で『The Schooldays of Jesus』から朗読するJ.M.クッツェー。


(付記:2018.5.26──YouTubeにこのときの様子がアップされましたので、貼り付けます。朗読はやっぱりThe Schooldays of Jesus からでした。)


その前後に、ピアノの演奏があったみたい。曲はもちろんバッハから。
    クッツェーの朗読は、9:00あたりからです。両親とバッハに謝辞を述べたりして。