Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2017/03/09

『アメリカーナ』と「アメリカかぶれ」


チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』の日本語訳が出てから、いろんな人がいろんな感想を書いてくれている。とても嬉しい。ちらほら読んでいると面白いことがわかってきた。
 まず、この本はアメリカ社会の複雑な内部情報として読まれることが多いようだ。イフェメルという、米社会の外部からきた人の鋭い目線で、なかなか見えないところまで光をあてているのだから、それはそうだろう。半分はアメリカ合州国を舞台にした作品なので「アメリカ文学」として読む。それはありだ、もちろん。

「アメリカーナ」というタイトルからして「おお、アメリカか」となるのもわかる。この名前のブランドやバンド(いや音楽のジャンルか?)もあるらしい、というのもつい最近知った。
 まあ、アディーチェの本のなかで使われるときは、ナイジェリアの少年少女たちが、アメリカへ行ってアメリカ文化を身につけてきた同級生を「アメリカかぶれ」と揶揄することばなんだけれど。「あいつはアメリカ〜ナ〜だな」とか。

パートナーのイヴァラさんと
作品にはロンドンとその近郊を舞台とした移民のドラマも、細部にわたって描き込まれている。ナイジェリアのラゴスやスッカを舞台にした少年少女や家族の物語、あるいは政変、騒乱に人々が巻き込まれるシーン、主人公イフェメルが帰国して雑誌の編集をするところなど、ナイジェリア社会の描写も、もちろんたくさんある。細部のモノ、コト、ナイジェリア英語の独特のいいまわしなど、登場人物どうしのやりとりで、ナイジェリア人ってこんな感じで生きてるってことが浮かび上がるような場面も多い。

 だから、この小説は大雑把には、西アフリカ、西ヨーロッパ、北アメリカの三点を結ぶ大西洋を横断、縦断する物語なのだといえる。それはちょうど、何百年か前に奴隷を運ぶ船が行き来した航路そのままたどりなおす旅でもあるのだ。(まあ、カリブ海を中継したことは消えるけれど……。)
 
 そういう大きな枠ではなくて、細部を読み取る楽しみに焦点をあててみると、アメリカをめぐる感想が多いということは、日本語読者にとって「アメリカ」がいかに大きな存在であるかということで、そのことをあらためて実感した。先の大戦で負けた相手国の文化摂取の肥大化───戦後の70余年ってそういうことだったのかと。

 でもこれをきっかけに、「アフリカ諸国」とアメリカの絡み合った関係に目が行けばいいなあ、とわたしなどは思う。アフリカにそれほど関心がなかった人たちも、この本を読んで、アディーチェのほかの本も読みたいと思ってページを開く、となれば、これほど嬉しいことはない。
 いわゆる「アフリカらしい」ステレオタイプな「アフリカ文学」(使っちゃった、「アフリカ文学」という表現!)ではなくて。アフリカ出身のほかの、個々の作家にも興味がわく、という流れになると、もっと嬉しい。

 先日、ガーディアンにアディーチェのインタビューをもとにした面白い記事が載った。この作家の近況を伝えるとても内容の濃い記事だった。彼女の写真もたくさん載っているし、娘のこと、フェミニズムのこと、ナイジェリア社会のことなどを率直に語っているところがとても面白かった。おすすめです。(写真はその記事から拝借しました。)

男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社 4月刊)

 もうすぐ刊行ですよ〜。