2017/01/29

読売新聞書評『アメリカーナ』by 長島有里枝

今朝の読売新聞書評欄に、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『アメリカーナ』の書評が載りました。タイトルは「自分に正直であること」、評者はなんと写真家の長島有里枝さんです。

───厚さ4センチ、本文がに段組みの本書は、アフリカ、欧州、北米を股にかけた壮大なラブストーリーであると同時に、「女性」に可能な選択肢の指南書のようでもある。

 そう始まる評は、この作品をイフェメルとオビンゼの純愛小説としてまっすぐに読み解きながら、でも、「ロマンチックな恋愛小説であるだけでなく、「黒人」であること、移民であること、女性であることについての鋭い考察が、余すところなくちりばめられている。……フェミニストとしても知られる著者は、どこであれ結婚や教会、不倫相手に依存して生きる女性がいて、そうでない女性もいることを淡々と描く」と。そして最後に「自尊心を捨てずに生きることは可能かつ最善の選択だと思わずにいられない物語は、多くの女性を励ますはずだ」と結ばれます。

 とてもストレートに、共感をこめて読んでくださったことが伝わってくる、嬉しい評でした。Muchas gracias!

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2017.2.6付記:ネット上で読めるようになりました。

2017/01/22

充実した冬の一日:Women's March とアディーチェ

ひさしぶりのブログ更新です。

 アメリカ合州国ではオバマ大統領が8年間の大統領職を終えてホワイトハウスから出て、代わりに恐るべきT大統領が就任演説をした。
 それに抗して世界中でWomen's Marchがくりひろげられて、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェもそれに参加する写真が彼女のfacebookにアップされた。アディーチェが微笑みかける小さな少女がかかげるプラカードには「FUTURE IS FEMALE/未来は女性」と描かれいてるのだ。カナダのトロントではマーガレット・アトウッドがマーチに参加したというニュースも流れてきた。東京でもこの週末はあちこちで人が集まったと思う。

 そんなニュースが伝えられるなかで、6歳のソフィー・クルーズという移民の少女が、家族といっしょに壇上に立って、英語で、それからスペイン語で、しっかりした声で行ったスピーチを伝える動画には、正直いって涙が出た。観衆のなかにも眼鏡をはずして涙をぬぐう若い男性の姿が映し出された。

ここです。

 じつは今日は、まるまる一日、PCの前に座って、つぎに出るアディーチェの冊子のために解説を書いていたのだ。
「SAY YOUR WORD LOUDLY」という特集が組まれた雑誌「Harper's BAZAAR」も届いて、それに載ったアディーチェのエッセイも読んだ。

「青いマスカラなんてものがあるなんてことを知ったのは……」と始まる、2015年にMOREに掲載された「THE FEMINIE MISTAKE:完璧な女性という檻」というエッセイだ。これはとても面白い。この雑誌「Harper's BAZAAR」には、西加奈子さんが「ゴリゴリと書いた」という、とても心を打つ文章も載っていて、おすすめだ。

 夕方になって、仕事に疲れた頭で、少しワインなど飲みながらおでんを作った。冬は大根がとても美味しい季節だ。たっぷりとしただし汁で、コトコトと大根を煮た。

 とても充実した、2017年1月の、冬の一日。
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2017.1.24:付記 ソフィー・クルーズ(クルス)ちゃんのメッセージが(英語のほうですが)載っていたので転載します。スペイン語のほうが流暢に思ったことをたくさんしゃべっていた感じですが。
SOPHIE CRUZ: Hi, everybody. My name is Sophie Cruz. We are here together making a chain of love to protect our families. Let us fight with love, faith and courage, so that our families will not be destroyed. I also want to tell the children not to be afraid, because we are not alone. There are still many people that have their hearts filled with love and tenderness to snuggle in this path of life. Let’s keep together and fight for the rights. God is with us!

2017/01/05

2017年はアディーチェがブレイクしそうな予感が


お正月早々、今年はアディーチェでブレイクしそうな予感を強く感じる出来事が......

 まず、1月7日(土曜日)のTBS「王様のブランチ」で西加奈子さんが、アディーチェのヒット作『半分のぼった黄色い太陽』を取り上げてくれました。
 羽田圭介さん、西加奈子さん、村田沙耶香さん、朝井リョウさんの4名が2017年に一押しの作家を紹介する“作家サミット”という企画で、村田沙耶香さんがJMクッツェーの『イエスの幼子時代』を、西加奈子さんがアディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』を一押し。なんと、アディーチェとクッツェーの本が仲良くならぶという奇跡が起きました。
 アディーチェとおなじ年の生まれの西さんには、昨年10月に出た『アメリカーナ』の帯もいただきました。おまけに雑誌「SPUR」にはアディーチェへの中身の濃いインタビュー記事が載ったばかり...本当に、Muchas gracias! 

 そして翌8日(日曜日)の朝日新聞と日経新聞に『アメリカーナ』の書評が載りました。朝日新聞には作家の円城塔氏の「移住が身近な時代の差別と日常」というタイトルの評が、日経新聞にはこれまた作家の松家仁之氏の「情報豊か アフリカの若者の恋」という評が掲載されるという、ダブルの書評掲載となりました。
 それぞれが異なる視点、異なる切り口で、この本の重層的で今日的なテーマに光をあてながら、作品の特徴やその入口を指し示してくれています。

また、文芸誌「すばる」2月号にも倉本さおり氏の「時を編み込む豊かな言葉」というタイトルの『アメリカーナ』評が載っています。作品や作家の視点にぐんと寄り添って、物語の魅力と核心をじわりと伝える嬉しい評です。

 作品は出たばかりのときは蕾のような存在で、読者に読まれてはじめて花開くもの。これからアディーチェ作品がより多くの読者に出会うことを祈って!

2017/01/01

賀正── J・M・クッツェーへ、ふたたびの旅

 あけましておめでとうございます! 今年もどうぞよろしくお願いします!

現在のペンギン版
 昨年からクッツェーのデビュー作『Dusklands/ダスクランズ』(1974)の新訳作業を進めている。初訳は1994年にスリーエーネットワークから『ダスクランド』としてすでに出ていて、そこには充実した解説もついていた。だが、あれから20余年がすぎて、その後クッツェーの新たな作品がいくつも日本語に翻訳され、彼の作家活動と作品群を照らし合わせる伝記や文学論も数多く出版された。1940年生まれの、まさにわれわれの同時代作家であるクッツェーの全体像を考えるためにも、この作品の含みもつ意味合いを再評価するためにも、新訳が出てもいい時期だ。それで気づいたことがある。

 二つのノベラから構成される『ダスクランズ』の第一部「ヴェトナム計画」は、クッツェーの自伝的三部作の二作目『青年時代』にかぎりなく接近するところがあるのだ。それは『青年時代』を訳したあとで『ダスクランズ』をあらためて読み直したことで発見した事実だった。

 「ヴェトナム計画」にこんな文章がある。
南アRavan社版の表紙

──図書館のぼくの閲覧ブースは灰色で、灰色の書見台と書類を入れる灰色の小さな抽き出しがついている。ケネディ研究所の職場も灰色だ。灰色の机に蛍光灯、一九五〇年代の機能主義だ。不満を述べることをちらりと考えてはみたが、反撃に身をさらさずにすむ方法が思いつかない。硬材の机は管理職用なのだ。そこでぼくは歯をくいしばって耐える。灰色の平面と影をつくらない緑色の照明、その下を気絶した青白い深海魚のようにぼくは浮遊する。それが記憶のもっとも灰色の部分に染み込んで、かつてのぼく自身に対する愛憎入り交じる白昼夢にとっぷりと浸らせる。二十三歳、二十四歳、二十五歳の炎を使いはたしたあの歳月、データマチック社のぎらつく蛍光灯の下で、おぼろげに西方の国の訪れを約束する午後五時を、ぼくは瀕死の時間のなかで待ちわびたのだ。──『ダスクランズ』第1部「ヴェトナム計画」1974

 場所はカリフォルニア、時代は1970年代のヴェトナム戦争のまっただなか、主人公ユージン・ドーンは軍部から請け負った心理戦のプランを練っている。神話による先住民を制圧する方法論だ。
 彼はいわゆるバックルーム・ボーイズの1人だ。これはMITなどの卒業生がシンクタンクに勤めて、米軍から発注された心理作戦を構想する男たちを呼ぶチョムスキーのことばだが、ここでユージン・ドーンが述べる「かつてのぼく自身に対する愛憎入り交じる白昼夢」とは『青年時代』に出てくるジョン・クッツェーのロンドン暮らしと限りなく重なり、「23歳、24歳、25歳」の炎を使いはたした、というのもクッツェーがロンドンに滞在した1962年から65年までと時期が重なるだけでなく、データマチック社という架空名はIBMやインターナショナル・コンビューターズで働いたクッツェーのプログラマー時代を彷彿とさせる。「ヴェトナム計画」が発表されたときは、もちろん『青年時代』はまだ書かれていない。

 そのクッツェーの自伝作品『青年時代』(2002)には、こんな箇所がある。

ハードカバー版
──第三週目の終わりに最終筆記試験を受けて、ぱっとしない成績でパスし、研修終了となってニューマン通りへ進み、そこで机をあてがわれて九人の若いプログラマーと同室になる。オフィス内の家具はすべて灰色だ。机の抽き出しには紙と定規、鉛筆、鉛筆削り、そして黒いビニールカバーの小さなスケジュール表が入っている。カバーにはがっちりした大文字で「THINK」という語が書かれている。メインオフィスのはずれに上司のブースがあり、その机に「THINK」と書いた立札がある。「THINK」がIBMのモットーだ。IBMの特色は、考えることに情け容赦なく専心することだと思い知らされる。四六時中考えるかどうか、つまりはIBMの創設者トマス・J・ワトスンの理念に従って行動するかどうか、それは従業員次第だ。考えない従業員はIBMにいる資格はない、IBMは事務機器世界の貴族なのだ。ニューヨークのホワイト・プレーンズにあるIBM本社には実験室がいくつかあり、そこでは最先端のコンピュータ・サイエンスの研究が進み、これは全世界の大学を合わせたものよりはるか先を行っている。ホワイト・プレーンズの科学者たちは大学教授よりも高給で、欲しいと思うものはなんでもあたえられる。その見返りに要求されるのが考えることなのだ。──『青年時代』2002


 灰色のオフィス内の家具に対する印象は、クッツェーが自作内でディテールとして自分の具体的な体験を使う一例だが、ロンドン時代の経験が約10年後に書かれたデビュー作からすでに使われていたことを、今回訳していて発見した。これは面白い。

 すでに「晩年のスタイル」に入ったクッツェーという作家のデビュー作を新訳する作業は、「自伝はすべてストーリーテリングであり、書くということはすべて自伝である」という彼の作風、小説哲学を再確認することにもなりそうだ。また、第二部「ヤコブス・クッツェーの語った話」はオランダ語からの英訳ということになっているが、彼の原点ともいうべきこのノベラには、クッツェーが作家として出発するときの最重要ポイントが秘められていることにも気づいた。作品自体が「翻訳」なのだ。これについてはまた別に。

PS:*ちなみに、右上にあげたヨハネスブルグのレイバン社の表紙は、いかにもレトロな開拓時代の南部アフリカの風景画で、クッツェーは気に入らなかったらしい。
 **新訳『ダスクランズ』は秋ごろ出る予定ですが、版元は京都のかの老舗出版社、人文書院です。