2017/07/15

プチ夏休み:読書の愉楽

まだ梅雨はあけないみたいだけれど、東京はまるで真夏の暑さだ。このところ、5月に種を蒔いた朝顔がほぼ毎日のように花を咲かせている。

 昨日、40枚ほどの短編を訳了! クッツェーの『ダスクランズ』の再校ゲラがとどくまでに、まだ少しあるので、数日プチ夏休みということにした。
 昨日はまず、洗濯を朝から二回に分けて、がらがらと。風があるので、あっという間に乾いた。で、午後からは読書の愉楽にひたった。夢中になって本を読むという時間はひさしぶりだ。時間がかぎられていない「夏休み」ならではだ。読まねば、という義務感もないし、読んだら書評を書かなければという縛りもなく、ひたすらページをめくるという、遠いむかしの「夏休み」の感覚を取り戻す。ときのたつのを忘れて読みふける。

 今年のささやかなプチ夏休みの読書は、これ!
 谷崎由依著『囚われの島』(河出書房新社刊)。
 
 無駄のない端正な日本語と、ことばのリズムに乗せられて読み進む心地よい読書、ひさしぶりだな、この快楽は。たとえばこんな細部が光るのだ。

「蓮花がちいさな花びらの先を赤く燃やして咲くときに、その年の蚕飼いははじまりました」

 高校時代まで住み暮らした北の外地に「蓮花」はなかった。教科書に引用された俳句のなかに出てくる花の名前として記憶された「蓮花」を、内地にきてから目にして「ああ、これが蓮花の花か」と思ったことは覚えていても、それがどこでいつだったか記憶は定かではない。
 蓮花はマメ科の植物だから、根に根粒バクテリアとの共生によって窒素を固定する。だから休閑地や、耕す前の田んぼに蓮花を植えて、それを土地にすき込む、と学んだのは生物の授業でだったか。

 高校時代の夏休みは家の前の植え込みのかげにデッキチェアを広げて、そこに寝転んでよく本を読んだ。あの当時、夢中になって読んだフランス小説に出てくる「ヴァカンス」なるものを真似てみたかったのかもしれない。それはダントツに涼しい北の国で、ささやかな演出をかねた「夏休みの読書」だったのだけれど、いかんせん、気温が27度くらいまでしか上がらなかった60年代半ばのこと、強い風に吹かれて本を読んでいるうちに、手足が冷えて、芯まで冷たくなってしまう。ぶるぶる震えながら、家のなかからシーツを持ち出して全身をおおい、シーツから手だけ出して文庫本を読んだ記憶がある。いま思うと笑える。
 

2017/07/05

対談:ハッピーなフェミニスト

アディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』の出版を記念して、下北沢のB&Bで5月20日に行われた対談が、雑誌「すばる 8月号」に掲載されました。タイトルは:

 ❤️ハッピーなフェミニスト❤️

2時間ちかく星野智幸さんとしゃべった話の要点をざっくりまとめて、しかも、とてもわかりやすい流れにしてくださったのは倉本さおりさん。Merci beaucoup! みんな、読んでね〜〜。

7月9日には神田でこんな読書会もあります! わあ、満員御礼ですね!

2017/06/28

2年遅れの読書──セバスチャン・サルガド再考

2年間、積ん読状態だった本をようやく読了した。セバスチャン・サルガドのことばを聞き書きした『わたしの土地から大地へ/De Ma Terre à la Terre』だ。

本を読む前に「地球へのラブレター」という、タイトルを見るとちょっと恥ずかしくなる映画を観てしまったのが、はっきりいって、悪かった。それで2年前に、ここで、映画を観た感想を早々と書いてしまった。いまサルガドの自伝的語りを読み直してから、2015年のブログの文章を再読してみたが、書き直さなければならない箇所はなく、むしろそこで疑問に思ったことがこの『わたしの土地から大地へ』を読んで、おおかた解決されたことを報告したい。

 この本は面白い、面白いだけでなく感動的でもあり、サルガドの写真を理解するうえでとても貴重だ。彼の写真を、彼自身が語る人生や時間と重ね合わせて、もう一度見たり考えたりすることができるからだ。とりわけブラジルの1960年代の政治事情。恋人レリアといっしょにパリへ亡命した10年間については、じっくりあちこち調べながら読んだ。そうか、60年代に南アメリカ諸国からパリへ逃げた人たちは本当にたくさんいたんだなあと。歌手のカエターノ・ヴェローゾもその一人だったはずだ。当時の亡命人たちを監視していたスパイの事情(サルガドの家にやってくる知人、友人の姿をとった)も背筋がぞくっとしたけれど。

 ヴェンダーズの映画を見て激しく疑問に思ったコンラッドのことばは、この本のどこを探しても出てこない。あれは明らかにドイツ人映画監督から見たアフリカへの、ヨーロッパ的視点であり、西欧の観客受けのために加筆したことばだったのだろう。

 もちろんこれはサルガドの「自伝的な語り」であるため、おそらく記憶は自分に都合よく整理されて記録され、それを聞き手がさらに整理して読者の前に差し出すプロセスを経ている。だから「物語」としてはとても読みやすい。つまり消費されやすいものとなっている。しかし、サルガドの写真を追いかけてきた者にとって貴重な細部をも提供してくれるのは事実。

2009年の展覧会カタログ
2009年に恵比寿の東京都写真美術館で開催された「アフリカ」を思い出しながら読んだ箇所もある。モザンビークの作家ミア・コウトを訳したこともあって、モザンビークの歴史事情にふれるサルガドのことばがびんびん響いてきた。
 最後のナイル川の源流をさかのぼるエチオピアの旅では、スーダンのハルツームで白ナイルと青ナイルが合流することを、スーダン出身の作家レイラ・アブルエラーが強調していたことも思い出した。

 そして、なにより大きな収穫は、サルガドは、やっぱり、南半球の出身、それもブラジルの森の奥にある農園で少年時代を送った感性を身につけている人間だということだ。この本を読むとなぜ彼が「アフリカ」を愛したか、ルワンダ虐殺に関係するさまざまな光景を見て、事態に遭遇して、精神を病むほど影響を受けたか、そこからの自己快復として父親から譲り受けた土地に数百万本の木を植えながら「GENESIS」へ向かっていったかがよくわかる。
 読みながら、あらためてブラジルってどういう国だっけという疑問が浮かんだ。ブラジルってアフリカからアメリカスへ奴隷として大航海時代以降もっとも多くの黒人が連行された土地だったことも思い出した。ブラジルとナイジェリア、ブラジルとアンゴラ、などの大西洋をまたいだ関係も視野に入ってくる。

レリアとわたしにとって大事なことは、いつでもじぶんの時代にかかわるような生き方をすることだ」──p210。これがもっとも印象にのこったフレーズだった。
 
 先日買った、ジョアン・ジルベルトのベストアルバムでボサノヴァを聞く耳さえ、この本を読んだあとでは、少しだけ変化したような気がする。

 写真集 GENESIS も買おうかな。
 

 

2017/06/13

チママンダ・アディーチェの最新スピーチ

6月4日に、マサチューセッツ州にあるウィリアム・カレッジの卒業式で、アディーチェがこれまでになく、政治について、階級について、はっきりと語りました。民主制が本当に民主的であるためには。。。
 そして最後に、卒業生にエミリー・ディキンソンの詩から「希望」をめぐることばを贈っています。希望はいつも羽をもっている、と。




2017/06/04

ボードレール、だれそれ?


明後日6日発売の雑誌「すばる」7月号がなんと「詩」の特集を組んでます。

 わたしも「ボードレールと70年代」というお題をいただき、あれこれ考えているうちに、学生時代のことをリアルに思い出して書きました。
 当時通った狭い敷地の大学に、「造反教官」と呼ばれた2人のすばらしい教官がいたこと。もちろんカッコイイ先生はほかにもいたのですが、ダントツに強い記憶に残っているのは安東次男と岩崎力のご両人、いずれもフランス文学を教えていた人たちです。安東教授に対する一方的かつ理不尽な教授会からの弾劾辞職勧告決議に、日本フランス語学文学会はすぐさま抗議声明を出したのは快挙でした。当時の世相がどんなものだったか、レジスタンスのありかたなんかも少し。記録として。
 また、阿部良雄責任編集による1973年5月刊の雑誌「ユリイカ、ボードレール特集号」にずらりと並んだ、そうそうたる面々も書き写しました。記録として。

 昨年出した『鏡のなかのボードレール』(共和国)を書くことになったいきさつや、JMクッツェーの個人ライブラリーの最終巻『51 poetas/51人の詩人』に『悪の華』から入った4つの詩篇「スプリーン(憂鬱)」についても。あいからわず、話は「一つ所に滞らない」どころか、じつにあちこちにジャンプします😆。

 タイトルは「たそ、かれ、ボードレール」!
 そう。「黄昏ボードレール」です、というよりむしろ、ぶっちゃけた話、「だれそれ、ボードレール?」って感じでしたね、あのころは。😇!



2017/06/02

6月の夕暮れ

 今日は風の強い1日だった。朝方の、もう梅雨かと思わせる強い湿気が強風に吹き払われて、昼すぎには空気も軽くなってほっと息をつく。夕方、いつもの散歩にでかけると、6月の陽はまだ高く、雑木林に斜めに差し込む西陽が足元の路上に揺れる葉波模様を描いている。樹木から振り払われた小枝を踏む。靴底がぱりぱりと音をたてる。
オパールの原石:璃葉
 夕陽をあびながらいつもの道をたどる。古い保育園の前で立ち話をする母親たちのまわりを、幼い子供が走りまわる。一瞬、走ってくる小さな娘たちを思い切り抱きあげた遠い記憶がよみがえる。そして、長いあいだ住み暮らした土地を離れなければならなくなった人たちのことを考える。戦争で。原発事故で。津波で。過疎で。残って土の世話をしつづける者のことを考える。廃屋に住みつづける者。野生化寸前の山羊と。牛と。緑なす原野のことを考える。

 今日は風の強い1日だった。いまもまだ風は吹いている。余計な湿気も、妄想の霧も吹き払ってくれそうな6月の、もう初夏とはいえない、夏の風だ。

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絵は「水牛のように 6月号」に掲載された、璃葉さんの文と絵「オパール石」から拝借しました。

2017/06/01

クッツェーがトルコの教育者たちに連帯のメッセージ

Nuriye Gülmen and Semih Özakça
JMクッツェーが、トルコで昨年、クーデタ未遂事件後に出された非常事態宣言によって解雇された教育者たちに連帯のメッセージを出した、と伝えられる。彼らは解雇に抗議してハンガーストライキをしていたが、逮捕され、刑務所内でもハンストを続けているという。以下はこのトルコの「デイリーニュース」のサイトからの抜粋。
 またストックフォルムの「自由のためのセンター」のサイトにも詳しい。(画像はこのサイトから拝借。)

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<ノーベル賞作家JMクッツェーがトルコでハンガーストライキをしている教育者たちへ連帯のメッセージを送る>

JMクッツェーが、非常事態命令のために解雇されたことに抗議して80日以上のハンガーストライキを続ける教育者ヌリエ・ギュルメンさんとヘミヒ・オザクチャさんに連帯するメッセージを送った。
 ギュルメンさんは研究者、オザクチャさんは小学校教師で、ハンガーストライキを開始して75日目にあたる5月23日に「テロ」容疑で逮捕されたが、刑務所内でもハンガーストライキを続けている。スレイマン・ソイル内務大臣は彼らを非合法化された「革命的人民解放党」のメンバーだと非難した。
 クッツェーは手紙でトルコ政府に対し、この問題について行動をとるよう呼びかけた、と5月30日付オンラインニュース・ポータル「Bianet」は報じた。 

 クッツェーは手紙のなかで「ヌリエ・ギュルメンさんとヘミヒ・オザクチャさんが勇敢にもハンガーストライキによって訴えたのは、新体制トルコで知識人が置かれた絶望的な状況に世界の耳目を集めるためだ。どうかNATO内でトルコと同盟を結ぶ国々の政府はこれに注目し、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に対して自国を法治国家へ戻すように圧力をかけてほしい」と述べた。

 トルコでは、2016年7月15日に合州国を根拠地とするイスラム教伝道者フェトフッラー・ギュレンの信奉者によって指導されたと広く考えられているクーデタ計画が失敗したあと、非常事態命令が出され、それ以来ずっと非常事態が続いている。

 何千という人が非常事態命令のために職場から解雇されたままだ──以下略──
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クッツェーの手紙の文面は以下の通り:

“Nuriye Gülmen and Semih Özakça have bravely gone on hunger strike to draw the attention of the world to the desperate situation of intellectuals in the new Turkey. It is to be hoped that governments associated with Turkey in NATO will take note and exert pressure on President Erdoğan to return his country to the rule of law,” said Coetzee.



2017/05/29

クロッホとクッツェーとコウト

昨年の9月にブエノスアイレスのサンマルティン大学で行われた「南の文学」講座のことは、ここでも触れましたが、その後、アンキー・クロッホとミア・コウトとJMクッツェーが仲良くならんだ写真が見つかりました。記録のために、ここに貼り付けます。
南部アフリカ出身の3人の作家たち

写真が小さいとジョン・クッツェーの顔が怖い顔に見えるけれど、拡大してみてください。3人とも、かすかに微笑んでいるんですよ〜〜。

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2017.5.30付記──アンキー・クロッホについてJMクッツェーが『厄年日記』に書いた文章をここで紹介しました。ミア・コウトは雑誌「すばる」に抄訳をのせましたが、それについてはこちらへ。

2017/05/28

反アパルトヘイト・ニュースレターのリンク先

昨日開かれた「反アパルトヘイト運動と女性、文学」の場で、アフリカ行動委員会のニュースレターのアーカイヴが移設されていたことを知ったので、リンクをいくつか更新しました。かつての投稿をここに再掲いたします。

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2013/12/31(の投稿です)

2013年がもうすぐ終る。今年はドリス・レッシング、チヌア・アチェベ、そしてネルソン・マンデラが逝った。来年早々にはそのネルソン・マンデラ追悼特集があちこちの雑誌に掲載されることだろう。1950年代にアパルトヘイトに抗して抵抗運動を組織したネルソン・マンデラとその仲間たち。たぐいまれな品格と、その意志と思想の強さで、27年という獄中生活を耐えた人は、南アフリカの抵抗運動、解放運動のシンボルとなっていった。

 日本でも古くは60年代初頭に、南アフリカの人びとと繋がろうとする反アパルトヘイト運動が芽吹いた。70年代初めにマジシ・クネーネが来日して当時の若者たちにあたえた「クネーネ・ショック」、それを契機に運動は着実に継続され、ネルソン・マンデラ解放時に最盛期を迎えた。この運動についてはもっと知られてもいいだろう。また当時の日本社会がどんなようすだったかも振り返ってみるのは悪くない。
 その運動のおおまかな歴史(日本各地に自発的につくられたグループがあり、それぞれに思い思いのかたちで展開された)を、東京のグループである「アフリカ行動委員会」の実質的中心人物、楠原彰氏がまとめたものがここで読める

 わたしが知っているのは80年代末、そのマジシ・クネーネというズールー詩人の叙事詩の翻訳で悪戦苦闘していたころからネルソン・マンデラが解放され、来日した時代のことだ。それについては中村和恵編『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店 2009)に詳しく書いたので、ぜひ。
 特筆にあたいするのは、日本における反アパルトヘイト運動が、それまでわたしが抱いていた「運動」のイメージを快く裏切ってくれたことだ。つまり、組織特有の束縛が一切なく、あくまで自発的個人の意思による活動の場として確保されていたのだ。これは60年代末の全共闘に端を発する運動がセクト化してやせほそり内向きになっていくのを学内でちらちら横目で見ていた者には、じつに新鮮だった。
 だから、集団がからきしダメというわたしのような人間もすっと入ることができた。つまり、あの運動は「あ、それ、わたしがやります!」と手をあげて事実やってしまう人間の集まりであり(そのなかでみんな力をつけた)、命令とか指令とか動員とか、上下関係とか、初心者とかベテランとか、先輩とか後輩とか、そういうものとは無縁だったのだ。人と人の関係が、いわゆる「縦系」の縛りから完全に解放されていた。

 きみもぼくもわたしもあなたも、来る者はこばまず、去る者は追わず。ほんの数年ではあったけれど、のびのびと、やりたいことをやらせてもらったように思う。自分の仕事ともリンクさせることができたし、大いなる学びの場として、また、面倒な人間関係もおなじ志を仲立ちにしてのりこえ、深めていけることも学んだ。だから、心地よく裏切られたり勘違いしたりしたこともあったけれど、恨みとか怨嗟とは無縁だった。世はバブルたけなわ、喧噪とは縁のないわたしの30代から40代にかけての例外的事件だった。

 先日、20年ぶりにそのころの仲間数人とテーブルを囲む会があった。同窓会などとは違って、すっとあの時期に戻っておしゃべりできて、さらに現在この社会で起きていることをも気兼ねなく話題にできた。そういう人間関係。これは貴重。
 運動の最盛期、東京を中心に活動していた「アフリカ行動委員会」は「あんちアパルトヘイト・ニュースレター」を毎月発行し、定期購読者に郵送していた。1987年の準備号を出した森下ヒバリ編集長から始まり、つぎの高柳美奈子編集長が第三種郵便にする努力を惜しまず、それを引き継いだ須関知昭編集長の超人的な遠路往復で、1995年まで全85号が発行された。その全ページがその須関氏の努力で「アーカイヴ」にpdf ファイルとしてアップされ、読めるようになった。

 当時はまだインターネットはなかった。ようやく小型のワープロが出まわってきたころで、紙面はそれを駆使して打った原稿をそのまま写植で起こして即印刷された。そのため、字間行間に独特のニュアンスが残る。購読料だけでやりくりしたので、経費上ざらっとした紙が使われ、当時はまだコピーも上質ではないため、滲みも多い。いまから見れば紙面は苦労がしのばれるものではあるが、わずか20年のあいだに、われわれを取り巻く活字媒体の変化は恐ろしいほど変化したことをも実証している。
 
 あのころの南アフリカと日本の関係がどうだったのか、バブルにわく日本社会の裏側で、南アフリカの解放運動を横目でながめながら、経済的に裕福になった不名誉な、恥知らずの「名誉白人」がどう振る舞ったのか。80年代に白人アパルトヘイト政権下の議員たちと「友好議員連名」なるものをつくり事務局長をやった当時の国会議員、のちに長らく東京都知事をやった人の名前も登場する。あの時代に若者だった人たち、子供だった人たち、そしていま社会の最前線で活躍する人たちが、なにを得てなにを失い、なにを引きずっているのか。
 いずれ、各号の「目次」もできるはずだ。そうなれば、もっと使いやすくなるだろう。これはまちがいなく貴重は記録だ。2013年大晦日の、わたしからのプレゼント。


 では、みなさま、よいお年をお迎えください。

2017/05/26

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの魅力全開トーク

さる5月4日にニューヨークで開かれたNYTimes のトークです。聞き手は編集者のラディカ・ジョーンズ。限定公開アップですので、ご注意ください。



ちょっと長いトークですが、核心をついたやりとりで話は進みます。

 会場からの質問にも丁寧に答えるアディーチェの姿がいい。かなり突っ込んだ質問が出ますが、なかでも、「天才」という考えはもう過去のものだ、とか、人種差別ではなく肌の色の違いによる(まさに南アフリカのアパルトヘイトを彷彿とする)差別意識がTVからコマーシャルなどで流されて若い女性に内面化される問題──だから「ファッション」はだたの「ファッションの問題」にとどまらないわけですが──とか、現代社会を包むそんなもやもやを払って、クリアに見せてくれるアディーチェのことばには、とても説得力があります。
 
 最後に質問者に対して、Enjoy your life! と加えるところがとてもいい。

2017/05/22

ふたたび!「クッツェー」について、「クッツィー」ではなく

ジョン・クッツェーのCoetzee の発音は、このブログにも、『マイケル・K』の訳者あとがきにも書きましたが、クッツェー [kutsé:] です(左の作家自身の手紙を参照してください! 下から二段目のパラグラフに、My family name is pronounced /kutse:/. The /u/ is short, the stress falls on the second syllable, the syllable break is between the /t/ and the /s/.とあります)。
 
 オランダ人が南アフリカへ移住したことでさまざまに変化した名前ですが、作家本人が「クッツェー [kutsé:] 」だといっているのですから、これはもう疑問の余地がありません。というか、直接面と向かって質問し、この耳で確認した者としては、あくまで彼の意思を尊重しなければなりません。

 ところが、先日ちょっとびっくり、という体験をしました。
 来日したデイヴィッド・アトウェルやジャン=ミシェル・ラバテさんたちは「クッツィー」と発音するのです。クッツェーの弟子であるアトウェルさんには、「いや、クッツェーだ、作家本人にも確かめたのだ」と上の手紙のコピーもお渡ししました。

 以下に三つの動画を貼り付けます。最初の部分をよく聴いてください。クッツェーがアデレード・ライターズ・ウィークで最初に My name is John Coetzee. と自己紹介をしています。

まず、2008年、シリ・ハストヴェットを紹介するところ。



次に、2008年、デイヴィッド・マルーフを紹介する動画。



さらに、2010年、ジェフ・ダイヤーを紹介する動画。



どう聴いても、クッツェー、です。クッツィー、ではありませんね。

 この間違いは、英語という言語には [e:] という長母音がないことからくるものと思われます。Wikiの英語版も「クッツィー」です。何度かわたしも修正を試みたのですが、上の動画を参照として貼り付けても、英語には [e:] という長母音がない、とはじかれました。(パートナーのドロシー・ドライヴァーさんも、かつて何か修正を試みたがやはりはじかれた、と伝えられています。Wikiって!!!

 英語圏の人たちは、クッツェーという英語で書く作家が自分のオリジンにこだわって名前はオランダ語風に(1980年代まではアフリカーンス語風といっても通ったはずで、クッツェー自身もアフリカーンス語風の発音だといっていましたが)読むという主張が受け入れられないのでしょうか。もちろんオランダ語圏ではごくふつうに、クッツェー、と発音されています。(2010年の70歳の誕生日を祝って、アムステルダムで開かれたイベントの動画などを参照してください。)

 またデイヴィッド・アトゥエルさんにクッツェー自身から来た説明(上の手紙)を見てもらいました。オランダ語の文法書に、[e:] という長母音は存在します。英語内にすんなり入らない音は、作家本人の意思であっても、受け入れられないのでしょうか。あるいは2009年のBBCの情報が、誤って理解されているのかもしれません。
 そのBBC情報ですが、2009年に『サマータイム』がブッカー賞のファイナルに残ったときBBCから問われてクッツェー自身が答えたもののようです。そのBBCのサイトには「kuut-SEE」と表記され、この後ろ部分を英語を母語とする人たちは[i:]音と読んだようです。ここが決定的な間違いなのですが、[e:]という音をもたない言語を母語とする人たちには、英語で作品を書くノーベル賞作家が英語の発音以外の音で自分の名前を発音するということが受け入れられなかったのかもしれません。どうなんでしょうねえ。
 Wikiの頑固さについては、いろいろ複雑な要因はありそうですが、なんだか英語的テンプレートによる世界観の肥大がここにもあらわれていると思わざるをえません。グローバル言語の英語だけで世界を見ようとする世界観には大きな違和感を感じると、クッツェー自身が『ヒア・アンド・ナウ』で吐露していましたが、その片鱗がこんなところにもあらわれているのでしょうか。

 さて、オランダと長いつきあいのある日本は、これをどうするか?
 オランダ語とも長いつきあいのあった日本語は、これをどう受け入れるか?
 グローバル言語である英語圏の勢いに乗るのか、それともオランダ語をオリジンとして自分の名前の音にこだわりつづけているJMクッツェー自身の意思を尊重するのか。英語圏文学にたずさわる人たちの良識、歴史観、アイデンティティー観などが問われる場面でしょうか。アルファベットのままいけたらいいのですが、日本語ではなにしろ原音に近いカタカナ表記をしなければいけないわけですから。

 ちなみに、南アフリカでは、クツィア、クツィエ、といわれることが多く、このことをジョン本人にたずねると、It's a dialect. それは方言です──という返事が返ってきたことは以前ブログに書きました
 まあアルファベット言語圏では表記さえ正しければ、それをどう読もうと、読み手のバックグラウンドによって差異が出るのも当然で、個々の「なまり」についてはどれが「正しい」とはいえないのですが、それはあくまでアルファベット言語圏内の話で、カタカナにしなければならない日本語圏内の翻訳者は苦渋の選択を迫られますが。

 訳者としては作家本人の主張を尊重して「クッツェー」とします。

 ただ、ラグビーなどで Coetzee という監督が来日して新聞や雑誌などで「クッツェー」と書かれているのを見ると、あああ、と複雑な思いです。おそらく南アフリカ出身の彼らは、南アフリカ社会で呼ばれているように、自分は「クツィア」だと主張するかもしれないからです。😅。

付記:文面を少し修正しました。

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付記:2017.5.29現在、Wikiの英語版をのぞいてみると [kut'se:] となっていました。訂正してくださった方に感謝します!

2017/05/19

無関心な人びとの共謀

 敵を恐れることはない──敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
 友を恐れることはない──友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
 無関心な人びとを恐れよ──かれらは殺しも裏切りもしない。
 だが、無関心な人びとの沈黙の同意あればこそ、
 地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。
                      
                  ヤセンスキー『無関心な人々の共謀』より
                      
共謀罪法案が衆議院法務委員会で強行採決された。こんなひどい法案が、こんな雑で非論理的な説明のままゴリ押しされて成立してしまうのを放置するこの社会、民主思想のかけらも感じられない政治家たちを国会へ送り込んでしまう選挙民の愚挙、それを抑制したり阻止したりできないままの無責任はどこからくるのだろう。

 1970年代に読んだこんな詩を思い出す。思い出すだけでなく、何度でも認識しなおしたい。レジスタンスの方法も各人で、あきらめずに考えていこう。あきらめないで。

付記:まだ「成立」したわけではない。法務委員会で強行採決されただけだ。だから。。。。

2017/05/18

トレヴァー・ノアとチママンダ・アディーチェが語ります!

すごい組み合わせです。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェとドレヴァー・ノア、そしてランダムハウスの編集者P・ジャクソン。PEN ワールド・ヴォイスが開催した「表現の自由」のためのプログラム。5月3日の録画です。



 ナイジェリアで子供時代を送ったアディーチェは、軍事独裁政権下で生きることがどういうことかを身をもって体験している。自分はアメリカへ移民したわけではない、自分はナイジェリア人で、ナイジェリアとアメリカの両方に半々に住んでいるのだと明言するのが印象的。アメリカの楽観主義の危険性を指摘する。

また、アディーチェがパン・アフリカニズムについて質問されて、アメリカスの奴隷制はアメリカで始まったわけではなく、アフリカから始まったといって、ブラジルのバイーアやアフロ・コロンビアにも言及するところが興味深い。

南アフリカで1984年に生まれたドレヴァー・ノアが、初めてアメリカにやってきてやったショーのエピソードがまた、めっちゃ面白い、というか、考えさせられるんだけど、アメリカという国の内実がぼろぼろ出てくる感じ。笑い、というのは誰と何を共有するかというのが、とっても微妙なものだから。これは深い。フィクションよりもっと深いかも。

 話のなかで一箇所だけ、アディーチェの口からジャパンという語が出てくる。ユニヴァーサルの話に絡めて。ここは耳をしっかり傾けたいところ。あなたの本はユニヴァーサルだ、といわれることはアディーチェにとっては決して褒めことばではないのだ。なぜか。来日したときも明言していた。それ以前からも語っていた。『アメリカにいる、きみ』の「あとがき」にも書いたんだけど。
 チママンダがドレヴァーのお母さんについて最後の方で語る内容が、すごく心にしみる。とにかく、南アフリカ出身の作家とナイジェリア出身のコメディアンの絡み、これを見逃す手はない。


2017/05/17

3日後に迫りました ── B&Bのイベント!

B&Bのイベントが3日後に迫ってきました。もう一度ここに告知いたします。星野智幸さんとアディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』について語ります。どきどき。

********
チママンダ・アディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』刊行記念イベント、詳細が決まりました。風薫る5月、土曜の午後のマチネーです。ゲストはなんと、作家の星野智幸さん!

"フェミニスト"が生まれかわる

日時:5月20日(土曜日)午後3時~5時
場所:下北沢 B&B
出演:くぼたのぞみ × 星野智幸

予約も始まりました。こちらから。

*****B&Bのサイトから引用します****

ナイジェリアに生まれ、アメリカとナイジェリアに暮らす作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが、2012年12月にTEDxEuston(アフリカに焦点を当てて毎年開かれている会議 http://tedxeuston.com)で行なったスピーチ「We Should All Be Feminists」のテキストが、この春、日本語版として書籍化されました!
「フェミニストという言葉やフェミニズムという考え方そのものに、ステレオタイプの型がはめられているように思えてならない」という問題意識から、アディーチェは「フェミニスト」を「ジェンダーについては今日だって問題があるよね、だから改善しなきゃね──という人」のすべてだと定義します。このスピーチからは、ビヨンセがアディーチェの声をサンプリングした曲を発表したり、Dior Tシャツをつくったり、スウェーデン政府が16歳のすべての子どもにテキスト全文を配布するなどの広がりを見せ、世界中で話題になりました。 

男性、女性にかぎらず、どんな人も、窮屈な価値観から自由になろう。「フェミニスト」ということばをリフレッシュさせるのは、わたしたちひとりひとりなのだから――そんなメッセージを短いながら過不足ない構成でいきいきと伝えてくれるこの本には、誰もが励まされることでしょう。

本書の刊行を記念し、アディーチェの作品を日本語に訳してきたくぼたのぞみさん、そして本書の書評を執筆され、そこで「ジェンダーに縛られているのは実は男も同じなのであり、アディーチェの言葉に解放を味わってもいいのだ。平等をともにめざすフェミニストたることは、男にとっても自分を取り戻す行為なのだから。」と述べる作家の星野智幸さんをお招きし、おふたりに本書のテキストを中心に、フェミニズムについて、アディーチェについてお話いただきます。

この集いに、新たなフェミニストとして、あなたもぜひお越しください。

We Should All Be Feminists
*****
星野智幸さんの書評はいま発売中の『文藝』に掲載されています。こちらもぜひ!

2017/05/15

J.M.クッツェー『三つの物語』ドイツ語版も

JMクッツェーのフランス語版『三つの物語』が出版されたことは昨年すでにお知らせしましたが、今年5月にはドイツ語版も出たようです。 この写真がそれ! とても瀟洒な装丁です。


 このうちの一篇「スペインの家」は昨年の秋、雑誌「すばる 10月号」に訳出しましたが、三つの物語を一冊の薄いおしゃれな本にして、日本語版もぜひ出したいなあ、と思っているのですが……。

2017/05/13

ふたたびJMクッツェーの動画です

5月10日(水曜日)、人権擁護組織によって開催されるマーチ(アルゼンチン最高裁が76年からの軍事政権時代に行われた誘拐、拷問など人権侵害の罪でいま刑に服している軍人たちの刑期を半減させる判決をしたことに反対するデモ)のために(下の付記参照)、JMクッツェーが『夷狄を待ちながら』の冒頭部分を朗読する動画がアップされています。朗読に入る前はスペイン語です。



 場所は、後ろの書架のようすを見ると、図書館か資料室のようなところですね。
 クッツェーが述べていることは、76年以降のアルゼンチンの軍政時代と南アフリカのアパルトヘイト政権下の拷問などについてだと思われます。スティーブ・ビコが虐殺されたのが67年、76年にはソウェト蜂起が起きました。
 この動画は、facebookでデイヴィッド・アトウェルさんがシェアしてくれました。Muchas gracias, David!

付記:MSさんの情報によれば──そこで議会はその判決には問題があるので、判決を一時的に差し止めるよう働きかけ、その動きは街路にも波及した。作家たちも抗議に加わり、クッツェー氏もその流れに賛同し、MALBA(ラテンアメリカ芸術博物館、公立ではないパトロンが複数いるNGO運営の美術館)での講演を中止した。

つまり、クッツェーはこの判決に抗議するために(付記:というか10日に予定されていた講演とマーチがぶつかるので、マーチと連帯するために)、MALBAで予定されていた講演を延期し(アリアドネの糸社から出版した個人ライブラリーの話をする予定だったらしい)、その代わりに翌日、『夷狄を待ちながら』から朗読したようです。
 
MALBA で予定されていた講演は次回9月にかならず行うと約束したと伝えられています。https://www.facebook.com/museomalba/photos/rpp.35416449206/10155330947624207/?type=3&theater

スペイン語のできる方は、こちらの記事をぜひ!

2017/05/05

ボゴタのブックフェアでのJMクッツェー:動画!



先日、コロンビアのボゴタで開かれたブックフェアに参加したJMクッツェーが、市内の書店をまわる動画がアップされています(と書いたら、詳しい方がこれはブックフェアの会場です、と指摘してくださいました。さすが! Muchas gracias!)。ならべられた本の説明を受けたり、偶然そこにいあわせたファンといっしょに写真を撮ったり、本にサインをしたり。アルゼンチンのほかにも、毎年のように訪ねているコロンビアを、クッツェーはとても気に入っているようです。このクッツェーの姿からは、英語圏ではなくスペイン語圏のアメリカスに親しみをおぼえているのが伝わってきますね。

 それにしても、ベストを脱いだシャツの背中に、バンドエイドみたいなものが貼られているのは何? だれかがどさくさに紛れて貼ったのかな? なんだか、ニヤリとなりました。

*****
2017.5.6付記──ボゴタのフェアでクッツェーが読んだのは The Glass Abattoir という短編で、エリザベス・コステロと息子のジョンが登場。動物を屠殺するためのガラス張りの屠殺室を作ったらいい、人間が動物になにをしているか知るために、という話のようです。それについてのレポートが「The Bogota Post」に載りました。エマ・ニューベリーという人が記事を書いています。でもそのサイトの写真は今年の写真じゃないですね!(調べるとこの写真のクレジットは、Coetzee in 2014. EPA/Mauricio Duenas Castaneda!
 3年前の写真でした。今年の写真をあげておきます。ほら、背景もクッツェーのネクタイの色も全然ちがう!「ボゴタ・ポスト」の記事はファクトチェックが不完全ですねっ!

2017/04/30

岩波文庫「私の三冊」に

岩波文庫創刊90周年記念に「図書」が臨時増刊として出した「私の三冊」。2015年にクッツェー『マイケル・K』を岩波文庫に入れていただいたご縁もあってか、わたしも三冊あげさせていただきました。その三冊は以下のとおりです。

・『ウンベルト・エーコ 小説の森散策』和田忠彦訳
・『道草』夏目漱石著
・『ボオドレール 悪の華』鈴木信太郎訳

ほかにもそうそうたる人たちが!

 中村和恵さんとお父様の中村健之介さんが、見開きページにならんでいるのを見て「すばらしい」と声をあげてしまいましたし。大学の教授陣にまじって、落合恵子さん、北原みのりさん、武藤類子さんがいたり、女優の有馬稲子という名を見て、遠い昔に一気に飛んだり、このめまいを起こすような感覚がとても不思議でした。

 いやあ、岩波文庫。すごいな。

2017/04/26

「翻訳ハイキング」:現代詩手帖に詩を一篇!

鶯色の表紙に汽船が浮かぶ。今月の現代詩手帖で「旅する現代詩」という特集をやっている。わたしも「翻訳ハイキング」という詩を書いた。ハイキングもまたちいさな旅だからね、というこじつけ。

 ずらりとならんだ名前が「翻訳」にかかわってきた人たちなのが、この特集の「旅」の意味をあらわしている。
 ジェフリー・アングルスさんと柴田元幸さんの対談も面白そうだし、アンソロジーが「エクアドル現代詩」で訳者には千里靴を履いて、いつもいつも飛行機に乗っている管啓次郎さんの名前があり、エッセイには山崎佳代子さんや吉田恭子さんの名前もある。旅ばかりしている人たちだ。

 そして作品として7人の名前が。隣に中村和恵さんの名前があるのが、嬉しい。和恵さんもまた旅の人だ。みんな、ぱらぱらしてみてね!

2017/04/21

『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』刊行記念イベント決定!

チママンダ・アディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』刊行記念イベント、詳細が決まりました。風薫る5月、土曜の午後のマチネーです。ゲストはなんと、作家の星野智幸さん!

"フェミニスト"が生まれかわる

日時:5月20日(土曜日)午後3時~5時
場所:下北沢 B&B
出演:くぼたのぞみ × 星野智幸

予約も始まりました。こちらから。

*****B&Bのサイトから引用します****

ナイジェリアに生まれ、アメリカとナイジェリアに暮らす作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが、2012年12月にTEDxEuston(アフリカに焦点を当てて毎年開かれている会議 http://tedxeuston.comで行なったスピーチ「We Should All Be Feminists」のテキストが、この春、日本語版として書籍化されました!
「フェミニストという言葉やフェミニズムという考え方そのものに、ステレオタイプの型がはめられているように思えてならない」という問題意識から、アディーチェは「フェミニスト」を「ジェンダーについては今日だって問題があるよね、だから改善しなきゃね──という人」のすべてだと定義します。このスピーチからは、ビヨンセがアディーチェの声をサンプリングした曲を発表したり、DiorがTシャツをつくったり、スウェーデン政府が16歳のすべての子どもにテキスト全文を配布するなどの広がりを見せ、世界中で話題になりました。 

男性、女性にかぎらず、どんな人も、窮屈な価値観から自由になろう。「フェミニスト」ということばをリフレッシュさせるのは、わたしたちひとりひとりなのだから――そんなメッセージを短いながら過不足ない構成でいきいきと伝えてくれるこの本には、誰もが励まされることでしょう。

本書の刊行を記念し、アディーチェの作品を日本語に訳してきたくぼたのぞみさん、そして本書の書評を執筆され、そこで「ジェンダーに縛られているのは実は男も同じなのであり、アディーチェの言葉に解放を味わってもいいのだ。平等をともにめざすフェミニストたることは、男にとっても自分を取り戻す行為なのだから。」と述べる作家の星野智幸さんをお招きし、おふたりに本書のテキストを中心に、フェミニズムについて、アディーチェについてお話いただきます。

この集いに、新たなフェミニストとして、あなたもぜひお越しください。
We Should All Be Feminists!

*****
星野智幸さんの書評はいま発売中の『文藝』に掲載されています。こちらもぜひ!

2017/04/20

第5回「南の文学」のテーマは映画!

 2015年から毎年2回、ブエノスアイレスのサンマルティン大学で行われている「南の文学」講座。第5回目にあたる今年は、5月3日から7日まで。テーマは「本からスクリーンへ」、つまり「映画」! 文学作品をシナリオに書くことについて学ぶコースがあるとか。

 ゲストはオーストラリアから映画『Disgrace』のシナリオを書いたアナ・マリア・モンティセッリ、『ロミュラス、わが父』(日本での上映名は「ディア・マイ・ファーザー」)の原作者レイモンド・ガイタ、アルゼンチンからはトリスタン・バウアー監督が参加する予定らしい。おもな講師陣がUNSAMのサイトにアップされているのでぜひ!


 そうだ、すっかり忘れていた。クッツェーの第三作『夷狄を待ちながら』がコロンビアの若手監督シーロ・ゲーラによって映画化されるんだった。詳しくはここで。

*****
追記:加筆しているうちに、消えてしまった箇所があって、あらためて書き直しました(汗)。講師陣については、ある記事を参照して書いたのですが、公式サイトのほうが確かかも。

2017/04/12

みほんがきた!──『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』、みほんが届きました! We Should All Be Feminists.  ひゃっ!

白地に墨文字が浮かぶ、シンプルな装丁です。帯のオレンジ色が鮮やか。縦が167mm、横が124mmという小ぶりの本で、予定より少し早く、4月18日から発売です。定価1200円+税(河出書房新社刊)

 帯に推薦のことばを寄せてくださったのは、アディーチェとおなじ年に生まれた作家の西加奈子さん。


──あらゆるボーダーを越えて皆の心にするりと入り込み、皆を心から笑わせ、くつろがせ、でも絶対に核心となる言葉を逃さず、皆に「心から考える」ことを促すことができる彼女に、私は10代の少女みたいに夢中になった。              ──雑誌「SPUR」2017.2から──


Muchas gracias!  Merci beaucoup! Grazie mille! Muito obrigado! 非常感謝你!большое спасибо! 대단히 감사합니다! Daalụ nke ukwuu!  আপনাকে অনেক ধন্যবাদ! Eskerrik asko! شكرا جزيلا! आपका बहुत बहुत धन्यवाद! Tack så mycket! Veel dank! மிக்க நன்றி! Asante sana! Enkosi kakhulu! Terima kasih banyak! Nagyon szépen köszönjük! Vielen Dank! Cảm ơn nhiều! Вялікі дзякуй! Kiitos paljon!
Çok teşekkür ederim! ──かぎりなくGoogle 翻訳したくなります😆。だって、アディーチェの作品はこれまでに30以上の言語に翻訳されているんですから。

*****
 じつは、5月20日にイベントを予定しています。アディーチェの本をめぐるイベントは、これが初めてかもしれません。いまから、わくわく、どきどき。ゲストは豪華です! ちょっと緊張します。
 
 イベントに来てくださった方々が、女の人も男の人も、話を聞いているうちにだんだん気持ちが楽になってきて、帰るころには元気になっている、そんなイベントにできたらいいな、とわたしは思っています。だって、フェミニズムってそもそも、男でなくても女でなくても、だれもがみんな、人と人がフェアな関係で生きていけるようになるためのものなんですから。

 詳細は決まりしだいお知らせしますっ!

2017/04/09

抒情詩との決別──安東次男のことば

 安東次男氏が逝ってから15年がすぎた。今日4月9日は彼の命日。1950年8月、安東次男は初詩集『六月のみどりの夜わ』を出した。「あとがき」から引用する。


 ぼくは時には政治という風景を、時には文学という風景をじぶんに許されたものとしてしらずしらずそれをゆるめたかたちで書いてきたようにおもう。しかしこれは安易にあまえた態度であり、最後のぎりぎりのところでじぶんの人間的立場をあいまいにするものだということを感じはじめている。
 そういうところからぼくはもういちど歌いなおさねばならぬ。ぼくにはアラゴンのいうような「たたかい」も「人」もうたえてはいない。そのことはぼくに、あらゆる「たたかい」の場に於て──ぼくがそれを黙認してきたかたちになつたかつての日本帝国主義侵略期の戦争をもふくめて──いかに抵抗を持ちつずけることがむつかしいかということをおしえた。このおしえはぼくにとつてもう決定的なものとなるであろう。
 そういうところからぼくは持続する歌をうたっていきたい。感情の高まりの頂点に立つような歌ではない。感情の低まつた谷間谷間がそのままで頂点に立つような歌をだ。

(下線は引用者)


人それを呼んで反歌という

「叙情詩は危ない」時代がある、という危機感をもったのはいつだろう。抒情的なものに感動し、なにかと一体化する至福感に酔って、足元を一気にすくわれていくのは危ないと思ったのはいつだろう。抒情的なものに満たされる自分がいることに気づいたときがあった。日本的抒情(あわれ)が現実を見えなくすることにも、そのとき気づいた。うっとりと溶ける、自他の境界が消える、それはこの土地では、下手をすると、自己憐憫や自己惑溺と表裏一体だ、という覚醒が危機感のように襲ってきたのはいつだろう。


 抒情については、1969年の激動の時間のなかでよく考えた。それはよく覚えている。抒情というのとは少しずれるが、セックスによって全宇宙との一体化をめざすヒッピー思想が嫌いだったのは、それが理由かもしれない。女は当然のように「一体化される客体」としてもとめられた時代だ。それを称揚する歌も流行った。奥村チヨの「恋の奴隷」、広田三枝子の「人形の家」。和製フォークもひどく薄っぺらく思えた。いつか足をすくわれる、日本浪漫派のように、と思った。

 暴力について、人と人がかかわることについて、両方の立場から考えてみることを自分に課したのもそのころだった。人とのかかわりが、結果として、抑圧や暴力となってしまうことがあるのかと、愛も、情も、そういうものを伴わずにはありえないのだろうか、と。


 以来、ぬくもりはいつも渇いた場所で見つけてきたように思う。男も女も、厳しい表情がふいに破れて笑顔になるときほど、その人の優しさが強く感じられるときはない。

 たぶん、抒情詩と別れたのは、あの時代だったのかもしれない。うっとりする、足をすくわれる、それはなにかに盲目になることを意味すると、気づいてしまったからだ。Love is Blindという歌に、だから、泣いた。


 安東次男のことを、晩年は「国内亡命者」のように暮らしていた、といったのは確か 粟津則雄氏だった。

 この国を捨てばやとおもふ更衣   流火

 しかし、いまにして思えば、安東次男のことばは、あの戦争に駆り出された被害者としての自己認識はあっても、加害者としての自己認識は不完全だった大正生まれの、わたしの親の世代に共通するものだったかもしれない。

「自然は じつに浅く埋葬する」と歌った詩人は、日本語の外部へ出ることを最終的に恐れ忌避した。その問題を問題として問いそこねた次世代である「われわれ」は、いま、まだ不完全な自己認識を、自己への批判性を、時代の裂け目に試されているような気がする。


2017/04/05

「すばる 5月号」にミア・コウトの「フランジパニの露台」が

今月号の「すばる」には、表紙にはありませんが、「すばる海外作家シリーズ」の34回アグネス・オーエンズと35回ミア・コウトが掲載されています。オーエンズは柴田元幸さんの翻訳と解説、コウトはわたくしめの拙訳と解説です。

 アグネス・オーエンズはスコットランド出身の作家(1926~2014)で、今回は「アニー・ロジャーソン」と「金貸し」という二編の短編が訳されています。グラスゴー近辺を舞台にした労働者階級の家族の物語で、どれもとても面白い。

 一方のミア・コウトは1955年生まれで、モザンビークのポルトガル語で書く作家です。今回訳した「死んだ男の夢」は長編(というか中編ですね)『フランジパニの露台』の第1章にあたります。作品については少し前にここに書きました。よかったら、ぜひ!

2017/03/27

デイヴィッド・アトウェル教授との2日間

3月24日と25日、東京大学の駒場キャンパスで、JMクッツェー研究の第一人者、デイヴィッド・アトウェルさんを迎えて読書会と講演会があった。主催は田尻芳樹教授研究室。

 一日目はクッツェーの最新作:The Schooldays of Jesus を読む会で、細やかな分析と自伝的な事実との絡み、他作品との響き合いなど、クッツェー読みならではの視点から参加者全員が深くコミットする意見、質問、指摘などを出し合って、濃密な時間があっというまに過ぎていった。

 二日目は講演会で、まずアトウェルさんの"The Comedy of Seriousness in J.M. Coetzee"というレクチャーがあり、さらに三人の研究者のとても興味深い発表があった。アトウェルさんの講演は、真摯さのなかにアイロニカルな笑いがちりばめられたクッツェー作品を、いくつかのキーワードを交えながら縦横に分析するもので、metalepsis という語が印象に残った。ほかにもtradgecomedy, immortality of writer, contingency, non-position, otherness, unsettlement of planters といった語がメモに残っているが、時間がすぎると細かな記憶がどんどん遠ざかっていく。

 余韻としてくっきりと残っているのは、むしろ、アトウェルさんの深い響きのいい声、人柄、話し方、語調といったことで、それは出席者全員によって共有された gift なんだろうと思う。作家や作品への共通の関心をもつ人たちが実際に会って、率直にことばを交わし、ハグして触れ合うことの大切さ。限られた人生の時間で、それは、いろんな情報を交換する以上に大切なことかもしれない、そんな気がする。

会が終わったあとの食事会、飲み会で出た話がまた、とてつもなくおもしろかった。80年代、90年代の南アフリカの細かな事情や、日本でそのころ反アパルトヘイト運動があった話や、先日他界したミリアム・トラーディのこと。ANCの資金調達係として初来日したズールー詩人マジシ・クネーネが80年代に亡命先のカリフォルニアからクッツェーに、クッツェー作品を賛辞する長い手紙を書いていたというのは初めて聞いた話だった。ほかにも現在の南アフリカの学生の動き、政治状況、出版事情など、じつにいろんな裏話が聴けた。

 二日目の最後の発表がゾーイ・ウィカムの作品についてだったためか、「『デイヴィッドの物語』を日本語に訳したきっかけは?」という問いが訳者へまわってきた。そのとき即座に「JMクッツェーの作品の歴史的な背景を日本語読者に知って欲しかったから」と答える自分がいた。それで、あらためて、そうだったのだと自分でも再認識したのだった。クッツェー作品をより深く(勘違いせずに)理解するためのコンテクスト(まあ、もちろん、それだけではないんだけれど)としての南アフリカ文学。カウンターとしての作品──あっちにもこっちにも、デイヴィッドがいるんだもんなあ。マニアックな話ですが……。
 
***************
付記:2017.3.29──デイヴィッド・アトウェルさんはクッツェー作品のなかで、なんといっても『マイケル・K』がいちばん好きだ、といっていたのを付記しておきます。彼の著書の副題"face to face with time"は、マイケルがスヴァルトベルグ山脈の洞穴のようなところにこもって、考えたことばだった。しみじみと、嬉しい。

2017/03/21

デイヴィッド・アトウェル──切り抜き帳(3)

今日も1日、雨の降るなか、みっちりとデイヴィッド・アトウェルの著作を読んでいた。第1章はこれで三度目。読むたびに発見がある。とりわけ、『ダスクランズ』の訳者あとがきの参考になる部分には、何重にもアンダーラインを引いてしまう。

<南アフリカによってデフォルメされたぼくの人生>

この第1章に出てくる写真は衝撃的だ。サイモンズタウンのゴルフコースに植えられた松の木。写真のように、松の木は大西洋から吹きつける強い風によって、激しく傾いて、変形し、醜悪なかたちをさらしている。サイモンズタウンはケープタウンの中心部から半島を南下した、東側のフォールス湾に面した軍港。クッツェーはこの木のようすを、自分が少年時代にヴスターで受けた教育と重ねあわせている。

──これから書こうとしていた内陸のヴスターで子供時代をすごした何年かを振り返りながら、彼(クッツェー)はノートブックにこう書いた。「形を歪ませること。南アフリカによって、年を追うごとに、形を歪められたぼくの人生。エンブレム:サイモンズタウンにあるゴルフコースの形を歪められた樹木」

──Looking back on the years of his childhood spent in rural Worcester that he was about to describe, he wrote in his notebook: ‘Deformation. My life as deformed, year after year, by South Africa. Emblem: the deformed trees on the golf links in Simonstown.'


2017/03/18

デイヴィッド・アトウェル──切り抜き帳(2)

第1章 An alphabet of trees. Autobiography - The uses of impersonality を読み始めるとすぐに、この本のサブタイトルは『マイケル・K』の草稿からとられた、と出てくる。スヴァルトベルグ山脈にこもったマイケルのつぶやきだ。そして、クッツェー文学の核を言い当てることばが続く。重要な箇所なので訳してみる。

「時間/時代と向き合うこと」はクッツェーがフィクションを彼自身と歴史、および、彼自身とその倫理性のあいだに置く方法を伝えている。それは高度に自己を意識する方法で行なわれるため、結果としてクッツェー作品への批評は小説のメタフィクション的な特質をめぐる論評にあふれることになる──つまり書くことについて書くということだ。クッツェーのメタフィクションがめざす最も苛烈なところは、しかしながら、それが鋭い実存的問い、たとえば「この本にはわたしのための、そして、わたしの歴史のための場所はあるのか? ないとしたら、いったいわたしは何をしているのか?」という問いによって自分を試す手段だというところである。書物とはある意味、その作家が存在するという謎に答えなければならない。クッツェー作品とは、フィクション化された自伝にもとづく、巨大な実存的試みなのだ。この試みのなかで自伝と印されたテクストは、フィクションと印されたテクストとひと繋がりのものであり、フィクション化の度合いが異なるだけなのだ。

アトウェル(右)とクッツェー
‘Face to face with time’ conveys the way Coetzee puts fiction between himself and history, between himself and his mortality. It does this in highly self-conscious ways, with the result that Coetzee criticism is filled with commentary on the novels’ metafictional qualities – the writing about writing. The most trenchant of the purposes of Coetzee’s metafiction, however, is that it is the means whereby he challenges himself with sharply existential questions, such as, Is there room for me, and my history, in this book? If not, what am I doing? The book must in some sense answer to the mystery of its author’s being. Coetzee’s writing is a huge existential enterprise, grounded in fictionalized autobiography. In this enterprise the texts marked as autobiography are continuous with those marked as fiction – only the degree of fictionalization varies.  ──David Attwell, J.M.Coetzee and the Life of Writing, p2.

2017/03/16

デイヴィッド・アトウェル著からの切り抜き帳(1)

 来週末のデイヴィッド・アトウェル氏の講演会まで、何回かに分けて、彼の近著、 J.M.Coetzee and the Life of Writing, 2015, Viking から気になる箇所を抜き出して紹介する。この本はJMクッツェーにケープタウン大学大学院で教えを受けたアトウェル氏が、クッツェー作品をその生成過程に肉薄して解き明かした本で、本当に面白い。

 これまで『マイケル・K』『少年時代』『鉄の時代』『サマータイム、青年時代、少年時代』『ヒア・アンド・ナウ』と訳してきた者にとっては、なんとなくわかっているが確信がもてないことをいろいろ質問できる絶好のチャンスでもある。予習、予習! 再発見としては、たとえばマイケル・Kについて、今日もこんな記述を見つけた。


More than any other character in Coetzee’s fiction, K embodies a capacity to survive the nightmare of history. It is not fanciful to suggest that by the time Coetzee wrote Michael K, the Karoo had become an essential part of the substrate of his creativity, a key element in his poetics. ──David Attwell, J.M.Coetzee and the Life of Writing, p54.
クッツェーのフィクションに登場する人物のなかで、Kほど歴史の悪夢を生き延びるための素質を体現している者はいない。クッツェーが『マイケル・K』を書くころには、カルーこそが彼の創造性の根幹をなす基本部分となり、彼の詩学を解くための重要な鍵となっていた。

2017/03/15

デイヴィッド・アトウェル教授の講演会

来週末、24日と25日に東大駒場でこんな催しがあります。予約不要、無料、だれでも参加できるようです。ただし、使用言語は英語で、通訳はなしです。

J・M・クッツェー研究の第一人者であるアトウェル氏を囲んで、2日にわたるシンポジウムが開かれます。まず読書会、それから講演、さらにクッツェー作品や南アフリカ、とりわけゾーイ・ウィカムをめぐる発表があります。
 
 デイヴィッド・アトウェル氏といえば、なんといっても2015年に出た J.M.COETZEE AND THE LIFE OF WRITING ですが、いま『ダスクランズ』の訳者あとがきを書くために再度読み直しています。読み直すたびに新たな発見があって驚きます。



 来週末はアトウェル氏に会って、じかにいろんなことを質問できると思うと、いまからわくわくします!

2017/03/13

ワイルドフラワーが春風に揺れる

そうだ、お知らせするのを忘れていた。
今月はひさしぶりに「水牛」に詩を書いたのだった。

ワイルドフラワーが春風に揺れる

これはよくわかる──奴隷貿易について

<数百年前の奴隷貿易が、現代社会にあたえている影響──当時のヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカの経済状況を含めて、なぜあれほど大規模な奴隷貿易がおこなわれ、それが何百年ものあいだ続いたか>

2017/03/09

『アメリカーナ』と「アメリカかぶれ」


チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』の日本語訳が出てから、いろんな人がいろんな感想を書いてくれている。とても嬉しい。ちらほら読んでいると面白いことがわかってきた。
 まず、この本はアメリカ社会の複雑な内部情報として読まれることが多いようだ。イフェメルという、米社会の外部からきた人の鋭い目線で、なかなか見えないところまで光をあてているのだから、それはそうだろう。半分はアメリカ合州国を舞台にした作品なので「アメリカ文学」として読む。それはありだ、もちろん。

「アメリカーナ」というタイトルからして「おお、アメリカか」となるのもわかる。この名前のブランドやバンド(いや音楽のジャンルか?)もあるらしい、というのもつい最近知った。
 まあ、アディーチェの本のなかで使われるときは、ナイジェリアの少年少女たちが、アメリカへ行ってアメリカ文化を身につけてきた同級生を「アメリカかぶれ」と揶揄することばなんだけれど。「あいつはアメリカ〜ナ〜だな」とか。

パートナーのイヴァラさんと
作品にはロンドンとその近郊を舞台とした移民のドラマも、細部にわたって描き込まれている。ナイジェリアのラゴスやスッカを舞台にした少年少女や家族の物語、あるいは政変、騒乱に人々が巻き込まれるシーン、主人公イフェメルが帰国して雑誌の編集をするところなど、ナイジェリア社会の描写も、もちろんたくさんある。細部のモノ、コト、ナイジェリア英語の独特のいいまわしなど、登場人物どうしのやりとりで、ナイジェリア人ってこんな感じで生きてるってことが浮かび上がるような場面も多い。

 だから、この小説は大雑把には、西アフリカ、西ヨーロッパ、北アメリカの三点を結ぶ大西洋を横断、縦断する物語なのだといえる。それはちょうど、何百年か前に奴隷を運ぶ船が行き来した航路そのままたどりなおす旅でもあるのだ。(まあ、カリブ海を中継したことは消えるけれど……。)
 
 そういう大きな枠ではなくて、細部を読み取る楽しみに焦点をあててみると、アメリカをめぐる感想が多いということは、日本語読者にとって「アメリカ」がいかに大きな存在であるかということで、そのことをあらためて実感した。先の大戦で負けた相手国の文化摂取の肥大化───戦後の70余年ってそういうことだったのかと。

 でもこれをきっかけに、「アフリカ諸国」とアメリカの絡み合った関係に目が行けばいいなあ、とわたしなどは思う。アフリカにそれほど関心がなかった人たちも、この本を読んで、アディーチェのほかの本も読みたいと思ってページを開く、となれば、これほど嬉しいことはない。
 いわゆる「アフリカらしい」ステレオタイプな「アフリカ文学」(使っちゃった、「アフリカ文学」という表現!)ではなくて。アフリカ出身のほかの、個々の作家にも興味がわく、という流れになると、もっと嬉しい。

 先日、ガーディアンにアディーチェのインタビューをもとにした面白い記事が載った。この作家の近況を伝えるとても内容の濃い記事だった。彼女の写真もたくさん載っているし、娘のこと、フェミニズムのこと、ナイジェリア社会のことなどを率直に語っているところがとても面白かった。おすすめです。(写真はその記事から拝借しました。)

男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社 4月刊)

 もうすぐ刊行ですよ〜。

 

2017/02/28

ミア・コウト『フランジパニの露台』抄訳しました


気の早い予告です。まだひと月も先のことなんです。でもいわずにいられない/笑。

 モザンビークの作家、ミア・コウト(1955~)の作品を抄訳しました。1996年に出た『フランジパニの露台/A Varanda do Frangipani』から第1章「死んだ男の夢」です。

 訳したといっても、原著はポルトガル語で書かれていますから、わたしには手が出ません。デイヴィッド・ブルックショーが英語に訳した『Under the Frangipani』(2001)からの重訳で、ひと月ほど先の、4月初旬発売の「すばる 5月号」(集英社)に掲載される予定です。

 この作品を読んですっかり魅了されたのは、アフリカ南部に共通する世界観のようなものが色濃く出ているからです。でも、そんなことをいったらコウトのほかの作品だってそういえる、と反論が返ってきそうですが、とくに「カメレオンが神さまから人間に永遠の生命をさずけるというメッセージを運んでいくうちに手間取って、そのうち神さまの気が変わって反対のメッセージを伝える使者が出されて……」という話がふいに出てきて、あ、これはマジシ・クネーネだ、あの「ズールーの創世記神話」の骨格になった話型そのままだ、と思ったのがこの作品をまずとりあげた理由です。

 あれは必ずしもズールー民族に固有の神話ではないかもしれない、アフリカ南東部に住み暮らす人たちには、多少の違いはあっても、広く共通する世界創生の神話かもしれない、と思ったのですが、とにもかくにもそれが大きな収穫です。偏狭なナショナリズムは「俺たちに固有」という言い方をやたら強調したがるけれど、じつは周辺にいる複数の民族のあいだで共有されてきた話が多いのではないかと。でも、じつはこの本にはエピグラフに「シャカ」のことばも引用されています。ズールー民族の武勲のほまれ高い英雄です。ということは……?!

本来ならポルトガル語に達者な方が直接、原語から翻訳すべき作品だと思いますし、ミア・コウトが日本の文学圏に紹介されるべき作家であることは間違いないのですが、待てど暮らせどそんな知らせが聞こえてこない。それで、しびれを切らして試訳しました。
 あらためて思ったのはミア・コウトは詩人なんだということと、環境生物学者であること、です。かならずといっていいほど作品に動物が出てくる(フラミンゴとかライオンとか)。動物と人間の不可分の関係が(これこそ「アフリカに固有の」といえる?)摩訶不思議な話となって紡がれていきます。
 たとえばこの『フランジパニの露台』では「ハラカブマ」と呼ばれる「センザンコウ」が大きな役割を演じます。背中がびっしりと鋭い鱗でおおわれた哺乳動物です。蟻を食べる。くるりとまるくなる。検索するとたくさん写真も出てきますが、作中ではこの「鱗」が暗示的に、効果的に使われています。

 解説に「白い肉体、黒い魂」というタイトルをつけました。この作品の英訳にある故ヘニング・マンケル(スウェーデンの著名な作家、児童文学者)の前書き「White Body, Black Soul」からいただいたタイトルです。これはフランツ・ファノンの『黒い皮膚、白い仮面/Peau Noir, Masques Blancs』を意識したものでしょうね、きっと。

 ミア・コウトについては、じつはここでも触れました。ブエノスアイレスのサンマルティン大学で、J・M・クッツェーが年に2回開いている「南の文学」講座に、昨年、南アフリカのアンキー・クロッホといっしょに、講師として招かれていたのです。
 まあ、とにかく本邦初訳です。「すばる 5月号」、ぜひのぞいてみてください。

2017/02/20

映画『レッド・ダスト』をDVDで観る

ひっさしぶりに映画を観た。DVDをPCで。それも何年も前に買ってあったDVDだ。そして、いわく因縁つき──というのは古いPCのドライヴに入れたところ取り出せなくなって、そのままDVDはマシンともども、昨年永遠の眠りについて、結局、新しく買い直したディスクをやっと観たのだった。いや、これが予想以上に面白かった。

南アフリカの真実和解委員会の話である。ジリアン・スロボ原作の小説を映画化したものだけれど、制作の途中でスロボは手を引いてしまったという話だけは耳にしていたので、これまたいわく因縁つきの映画だ。
 ジリアンの父はジョー・スロボ、母がルース・ファースト、いずれも70年代から「超」がつくほど有名な白人の反アパルトヘイト活動家だった。ジョー・スロボは南アフリカ解放後のマンデラ政権で1994-95年の短期間、大臣を務めたりしたが、ルース・ファーストは国外に出てモザンビークで活動していた80年代に、アパルトヘイト政権のセキュリティ・ポリスが送りつけた手紙爆弾で殺されたのだ。その実行犯が真実和解委員会で恩赦によって罪を問われなかったという経験をもとに、娘のジリアン・スロボは小説を書いた。それがこの映画の原作になった『レッド・ダスト』だ。
 
 映画は監督がイギリス人のトム・ホッパー。主演がチウェテル・イジョフォーとヒラリー・スワンク。ロケが東ケープ州のヒラーフ・ライネットで行われている。グレート・カルーの赤土の風景や、当時のANCの解放歌などが、90年代の雰囲気をそのまま伝えているように思える。

 当時の真実和解委員会の詳細については、もちろん、ジャーナリスとであり詩人でもあるアンキー・クロッホの『カントリー・オブ・マイ・スカル』の右に出るものはないけれど、映画はまたそれとはちがうものを圧縮したかたちで伝える手段だから、これはこれで面白かった。それにしても原作の小説は2000年、映画は2004年に出ているのだから、ずいぶんと時間が過ぎてしまったものだ。いや、時間が過ぎたために、かえって感情ぬきで記憶をパンフォーカスして理解できるところがある。それもまた面白い事実かも。


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2.22付記:facebook でつぶやいたことをこちらにも備忘録のために──

南アフリカのアパルトヘイト政権下で、反体制派だというだけで逮捕され、拷問されて死んだ10代の若者をめぐる「真実和解委員会」のやりとり。そのやりとりをめぐって、当時の警察官とその上司がどんなことをしていたかがあきらかになっていく。田舎町で起きた事件、すさまじい拷問だ。アフリカーナ抵抗運動という白人極右派のふる旗がナチの卍の変形模様であることも思い出した。米南部でつい先日もふられていた旗にそっくりな。。。。
昨日この映画を観ながら、これは過去のことではなく、あるいは、これからの日本(戦前の日本も)、これからのアメリカ(これまでも、南部で起きたリンチ)など、もっぱら「これから」の世界が直面する(見えない状態のまま?)ことではないかと背筋が凍る思いに何度か襲われた。
アパルトヘイトと拷問が、世界中を取り巻く時代がやってくるのだろうか」

2017/02/14

JMクッツェー 『ダスクランズ』訳了!

JMクッツェーのデビュー作『ダスクランズ』を訳了した。ふうっ!

 衝撃のデビュー作とはこのことか、と何度もつぶやきながら訳した。とにかく、30歳になる寸前のジョン・クッツェーが一大決心をして、作家になるべくバッファローの借家の半地下にこもって書きはじめた短編「ヤコブス・クッツェーの物語」と、南アに帰国したころの、32-33歳のクッツェーが、一冊の本としてもうすこし長くするためさらに書き足した短編「ヴェトナム計画」。
 この二つのノベラが、たがいにゆるやかな連結で──とクッツェーさんご自身はおっしゃるが、どうしてどうして、18世紀の南部アフリカを、象狩りと称してどかどかと侵略していく文盲の「野蛮な」ヨーロッパ人の強烈なナラティヴと、ヴェトナム戦争時の米国で、エリート青年が心理戦にかかわり神経をすり減らして発狂していくプロセスは、東アジアの列島に住む者が現在の視点でながめやると、たがいに緊密に連鎖し、強く引きあっていることが、びんびんと伝わってくる作品である。

 ここまで書くか、こんなふうに書くか、すごいやと。デビュー作にはその作家のすべてが出る、という定説がやっぱりこの場合もばっちり当てはまりそうだ。

 キーワードは、エピグラフに使われたフローベールのことばにあるるように「歴史の哲学」。初訳が出た1994年には見えなかったことも、いまは明らかになっている。だから解説はしっかり書く予定だ。

2017/02/13

雑誌「FIGARO japon」の書評『アメリカーナ』がここで読めます

雑誌「フィガロ・ジャポン 3月号」に掲載された『アメリカーナ』の書評がネット上で読めるようになりました。

評者は藤井光氏。

『アメリカーナ』が描く、本当の自分を見つける旅。

こちらです。

ハード・トークでのアディーチェ

記録のためにシェアしておこう。

 2014年6月、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェがBBCのスタジオで、司会のスティーヴン・サッカーからかなり突っ込んだ質問をつぎつぎに浴びせられている。映画『半分のぼった黄色い太陽』がなぜナイジェリアで上映されないかとか、ナイジェリア東部でまだ行われているというFGMについて、あるいは北部の貧困とボコ・ハラムとの関係などなど。しかし彼女は、そんな厳しい質問にも微動だにせず、さっと切り返して答える。快挙というしかない。

2017/02/09

JMクッツェーのインタビュー by CBCラジオ

今日は、ジョン・クッツェーの77歳の誕生日だ。Happy Birthday, John!

 クッツェーのインタビューがYouTubeにアップされていた。カナダのCBCラジオが行なったもの。もともと2時間ほどのとても長いインタビューから、『鉄の時代』と『夷狄を待ちながら』についてクッツェーが述べている部分をピックアップしている。2000年のインタビューだから、声が、なんとも若い。

 あれからすでに長い年月がすぎた。2000年を転機として、クッツェーは作風を大きく変えた。Please enjoy it!



2017/01/29

読売新聞書評『アメリカーナ』by 長島有里枝

今朝の読売新聞書評欄に、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『アメリカーナ』の書評が載りました。タイトルは「自分に正直であること」、評者はなんと写真家の長島有里枝さんです。

───厚さ4センチ、本文がに段組みの本書は、アフリカ、欧州、北米を股にかけた壮大なラブストーリーであると同時に、「女性」に可能な選択肢の指南書のようでもある。

 そう始まる評は、この作品をイフェメルとオビンゼの純愛小説としてまっすぐに読み解きながら、でも、「ロマンチックな恋愛小説であるだけでなく、「黒人」であること、移民であること、女性であることについての鋭い考察が、余すところなくちりばめられている。……フェミニストとしても知られる著者は、どこであれ結婚や教会、不倫相手に依存して生きる女性がいて、そうでない女性もいることを淡々と描く」と。そして最後に「自尊心を捨てずに生きることは可能かつ最善の選択だと思わずにいられない物語は、多くの女性を励ますはずだ」と結ばれます。

 とてもストレートに、共感をこめて読んでくださったことが伝わってくる、嬉しい評でした。Muchas gracias!

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2017.2.6付記:ネット上で読めるようになりました。

2017/01/22

充実した冬の一日:Women's March とアディーチェ

ひさしぶりのブログ更新です。

 アメリカ合州国ではオバマ大統領が8年間の大統領職を終えてホワイトハウスから出て、代わりに恐るべきT大統領が就任演説をした。
 それに抗して世界中でWomen's Marchがくりひろげられて、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェもそれに参加する写真が彼女のfacebookにアップされた。アディーチェが微笑みかける小さな少女がかかげるプラカードには「FUTURE IS FEMALE/未来は女性」と描かれいてるのだ。カナダのトロントではマーガレット・アトウッドがマーチに参加したというニュースも流れてきた。東京でもこの週末はあちこちで人が集まったと思う。

 そんなニュースが伝えられるなかで、6歳のソフィー・クルーズという移民の少女が、家族といっしょに壇上に立って、英語で、それからスペイン語で、しっかりした声で行ったスピーチを伝える動画には、正直いって涙が出た。観衆のなかにも眼鏡をはずして涙をぬぐう若い男性の姿が映し出された。

ここです。

 じつは今日は、まるまる一日、PCの前に座って、つぎに出るアディーチェの冊子のために解説を書いていたのだ。
「SAY YOUR WORD LOUDLY」という特集が組まれた雑誌「Harper's BAZAAR」も届いて、それに載ったアディーチェのエッセイも読んだ。

「青いマスカラなんてものがあるなんてことを知ったのは……」と始まる、2015年にMOREに掲載された「THE FEMINIE MISTAKE:完璧な女性という檻」というエッセイだ。これはとても面白い。この雑誌「Harper's BAZAAR」には、西加奈子さんが「ゴリゴリと書いた」という、とても心を打つ文章も載っていて、おすすめだ。

 夕方になって、仕事に疲れた頭で、少しワインなど飲みながらおでんを作った。冬は大根がとても美味しい季節だ。たっぷりとしただし汁で、コトコトと大根を煮た。

 とても充実した、2017年1月の、冬の一日。
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2017.1.24:付記 ソフィー・クルーズ(クルス)ちゃんのメッセージが(英語のほうですが)載っていたので転載します。スペイン語のほうが流暢に思ったことをたくさんしゃべっていた感じですが。
SOPHIE CRUZ: Hi, everybody. My name is Sophie Cruz. We are here together making a chain of love to protect our families. Let us fight with love, faith and courage, so that our families will not be destroyed. I also want to tell the children not to be afraid, because we are not alone. There are still many people that have their hearts filled with love and tenderness to snuggle in this path of life. Let’s keep together and fight for the rights. God is with us!