Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2016/11/24

英語の「豆」がフランス語では「スープ」になる話

朝起きてみると外は雪。
 11月に東京で雪が降るのはずいぶん久しぶりです。それもこんなに積もるなんて。でも、1968年に東京に出てきたころは、いまにくらべるとずいぶん寒くて、10月にはもうストーブを引っ張り出していた記憶があります。ある決定的な記憶としては、10月21日に雪が降った年があったこと。あれは、1969年だったかな。

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さて、先日ある小説のオリジナル英語版とフランス語訳を読みくらべていて、すごく面白い例に行き当たりました。英語の「豆」がフランス語では「スープ」になっていたのです!

英語の原文はこうです。

I was always a clever child, a good child and clever child.  I ate my beans, which were good for me, and did my homework.

ぼくはいつだって頭のいい子だった。良い子で頭のいい子だった。身体にいいからと豆も食べたし、宿題もやった。

それがフランス語ではこうなっていたのです。

J'étais un enfant intelligent, un bon petit et un enfant intelligent.  Je mangeais ma soupe pour grandir, et je faisais mes devoirs.

ぼくはいつだって頭のいい子だった。良い子で頭のいい子だった。大きくなるためにスープだって食べたし、宿題もやった。


こんなふうに慣用的な表現をその言語独自の表現に変換する例は多々ありますが、これは英語圏と仏語圏の日常的な「食文化」の違いがはっきりあらわれている例で、とても面白いですね。

はてさて、この作品はなんでしょう? 
来年中にはきっと書店にならぶはずです。
お楽しみに!