Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2016/08/13

『イエスの幼子時代』『イエスの学校時代』そして『イエスの……』


”オランダ語版『イエスの幼子時代』と『イエスの学校時代』De schooldagen van Jezus 
8月1日刊)、もう出ている。いつもながら英語版より早く出るところが、すごい! オランダ語使用者には、まず自作をオランダ語で読んでもらいたい、という著者のはからいだろう”──そう書いて、オランダ語版が2冊ならんだ左の写真をtwitter やfacebookにアップしたのが数日前。

 でも、やっぱりここにも書いておこうと思う。これはあくまでわたしの直感なのだけれど、しばらく前から、このシリーズには続巻があるのではないかと、ふと念頭に浮かんだ思いが離れないのだ。『イエスの青年時代』とか……。『イエスの成年時代』とか……。
 クッツェーが5月にパレスティナ文学祭に参加したとき、麦わら帽子をかぶって、カルーにも似たブッシュの散在する丘をながめながる写真があった。その写真を見たときひらめいたのだ──ひょっとしてパレスティナを訪れたのは、かつてこの地に生きた「あの奇人変人のユダヤ人預言者、ナザレのイエス」(『ヒア・アンド・ナウ』)のことを新たに作品として書くための、現地リサーチを兼ねていたのではないかと。

 もちろん最大の目的は、パレスティナ・イスラエルの現状を見るためだっただろう。でも、あの旅はいまひとつ、次作のリサーチも兼ねていたのではないか。最近の The Times の記事のタイトルを見ると、どうもそう考えるのはわたしだけではなさそうだ。案外あたらずとも遠からずの考えのような気がするが……。どうなか?