Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2016/06/07

クッツェーの創作プロセスを探るアトウェル


デイヴィッド・アトウェルがその著書『J.M.Coetzee and the Life of Writing──face to face with Time』についてインタビューに応えている中身が、とても面白いので、その続きを。

──この本のサブタイトルに、face to face with Time とありますが、どういうことですか?
DA:このフレーズは『マイケル・K』のある草稿から採ったものです。マイケルはスヴァルトベルク山脈に逃げ込んで、ここまでくればもう追っ手は自分を探し出せないと思ったとき、「これでついに俺は時間と差し向かいだ」と考える。クッツェーが人間の存在と向き合う方法としてフィクションをどのように使っているかを論じるために、僕はこのイメージを使いました。

──あなたの書いた本は、伝記とどう違うのですか?
DA:伝記作家は作家を包装して棚に飾ります。作家の作品を小さくまとめて個人生活にしてしまうことも多い。クッツェー自身、一度、伝記作家というのは作家が書いていないとき何をしているかについて書くんだと指摘していたことがありました。僕はちょっと違うことをしようと思った。生活ではなく、作品から始めることで、つまり、どのように作家の人生が変形されて作品内に具体化されていったかを見ていった。

──クッツェー作品を通して、彼のどんな内面が、どのように把握できるのでしょう?
DA:クッツェーの一般的イメージは、厳格で、よそよそしく、感情を顔に出さない、それに、つまらないやつには手厳しいというものです。彼の書いたもの(原稿類や出版された小説)からわかるのは、彼が傷つきやすくて、間違いもやるし、不安症だということです。とはいえ、クッツェーほど自分に厳しい人はいない。自分自身への要求は信じがたいほど厳しく、自己統制と、自分の仕事へのコミットは半端ではありません。

──アトウェルさんはこの本を、どうのような読者を想定して書いたのですか?
クッツェーとアトウェル 2014
DA:クッツェーの小説を読んだ人なら誰でも、もっと知りたいと思う人は誰でも読めます。批評家は、これは役に立つ内容だと思うでしょうが、僕はあくまで一般読者に向けて書きました。いちばん得るところが多いのは、たぶん、作家たちではないかと思っています。どんなふうに作品が書かれたのか、彼らはとても知りたいでしょうから。

──作家が書くプロセスについて書いたわけですね、アトウェルさん自身、そこからご自分の書き方について何を学びましたか?
DA:自伝を書きたいという欲求は、あながち悪い出発点ではないということです。クッツェーはほとんどいつも個人的なことから書き始めています。そのあと徹底的に文章の練り上げをやります──何度でも書き直す──書き直しの回数たるやすごい。

──クッツェーとその小説に対する考え方がどう変わりましたか?
DA:学生時代に彼の最初の小説『ダスクランズ』を読んでから40年ものあいだ、僕はクッツェーのフィクションの賞賛者でした。(ついでにいうと『ダスクランズ』は植民地主義がテーマ、というか、脱植民地主義を舞台化したものだといったほうがいいでしょう。読破にはちょっと胆力が必要ですが、扱われている暴力は現在に通じるものです。)長年のつきあいで、僕は、クッツェーがたどった旅の、なにがしかを理解できたように思います。彼の作品のファンとして出発し、いまではさらに、彼が作品を生み出すにいたった創造性とそのプロセスを理解できるようになりました