Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2016/05/24

パレスチナをめぐる J・M・クッツェーの姿勢

 ポール・オースターとの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』に収められた2010年4月17日付の手紙のなかで、クッツェーはパレスチナについてこんなふうに述べている。備忘録をかねて書き写しておく。(p169-172)


──君がイスラエルの問題を持ち出すのは初めてだ。イスラエルについて語るのは難しいが、僕の言うことを我慢して聞いてくれるなら、絡まり合った僕の考えを秩序立てて述べてみようと思う。
 イスラエル/パレスチナのニュースに注目すると愕然としたり嫌悪感が嵩じたりして、どっちもどっちだと言って顔をそむけてしまわないよう一苦労することがある。パレスチナ人に対してはおびただしい不正が行われてきた──それはわれわれすべてが認めるところだ。彼らは自分にまったく責任のない、ヨーロッパで起きた出来事の結果に耐えることを強いられてきたし、それは──君がワイオミングをユダヤ人のためにというファンタジーのなかで指摘するように──パレスチナ人を彼らの土地から追放することを伴わない、数ある方法で解決できたかもしれない。
 しかし、起きてしまったことは起きてしまったことであり、なかったことにはできない(訳注『マクベス』)。イスラエルは存在し、まだまだ存在しつづけるだろう。イスラエル人政治家は、アラブ軍が国境にあふれ、男を虐殺し、女をレイプし、神殿の契約の箱に尿をひっかけるというイメージを呼び起こしたがっているのは分かっているが、事実としてアラブ人は、必死で努力してきたこの半世紀にパレスチナ人の土地を一平方メートルすら取り戻せていない。かりに彼らが新たな侵攻を試みたところで、成果をあげるだろうと考える公平無私な観察者はいない。

 (そして運命論ともいうべき意見を述べる。)

──敗北というものがあり、パレスチナ人は敗北した。そんな運命はひどく過酷かもしれないが、彼らはそれを味わい、本当の名前でそれを呼び、甘受せざるをえない。彼らは敗北を認めざるをえず、それを建設的な意味で受け入れざるをえない。そうせずに非建設的な道を歩めば、明日は奇跡が起きて過ちはすべて糾されるという報復主義者の夢に滋養をあたえつづけることになる。敗北を認める建設的な方法としては、一九四五年以後のドイツが参考になるかもしれない。
 究極の報復の夢と僕が呼ぶものをパレスチナ人は究極の正義の夢と呼ぶのだろう。しかし、敗北は正義をめぐるものではない、それは暴力を、より大きな暴力をめぐるものだ。公正な結着を求めるパレスチナ人の表向きの嘆願の下でくすぶる、テーブルをひっくり返す究極の夢、それがイスラエル人に見えているかぎり、彼らが交渉による結着に熱意を見せることはないだろう──熱意を見せない以下だ。
 パレスチナ人に必要なのは「われわれは負けた、彼らが勝ったのだ、武器を捨ててわれわれにできる最良の降伏条件の交渉に入ろう、もしもそれが慰めになるなら、全世界が監視するだろうと心に留めながら」と大声でいえる人物だ。言い換えるなら、彼らに必要なのは偉人であり、彼らのなかから舞台へあがってくる、ヴィジョンと勇気をもった人物なのだ。不幸なことに、ことヴィジョンと勇気となると、僕には、パレスチナ人がこれまで生み出してきた指導者たちは小人という印象がする。そして僕の推測では、なにかの偶然で聖人があらわれたとしても、すぐに撃ち殺されてしまうだろう。
 ひょっとするとパレスチナの女性たちが指揮者の座を引き継ぐ時代がやってきたのかもしれない。

(こんな意見を読むと、どっきりする人もいるかもしれない。ここを訳しながらわたし自身、とても緊張した記憶がある。イスラエルの不正を糾弾したい強い感情のため、その反転像としてパレスティナの現実を見てしまいがちだからだが、となると、現実を苛烈な、曇りなき眼で見ようとするクッツェーの視点をとらえそこねる、と思ったからだ。しかし……。クッツェー自身はイスラエルについてこう述べる。)

──パレスチナ人についてこんなふうに言ってしまったのだから、僕はさらに続けて、歴代のイスラエル政府が執ってきたその方法には醜悪きわまりないものがあると言わなければならない──民主的に選ばれた政府が、超憲法的行動以外は絶対に変えられない、欠陥だらけの、お粗末な憲法下で進めてきたこと──これはもう正真正銘、胸くそが悪くなる。レバノンとガザで先ごろ行われたことを表現することばは一語しかない。「身の毛がよだつ/シュレックリッヒ」という語だ。「身の毛がよだつこと/シュレックリッヒカイト」──醜く、厳しい語──ヒットラー主義者の語──人間を扱う醜く、厳しく、容赦ない方法を意味する語だ。より良き人間になりたければ人間の歴史が教える教訓に耳を傾けるべきであり進歩にはそれが不可欠だ、と考えたがるわれわれ誰もがしばし黙考を促されるに違いない問い、それは、歴史はイスラエルにどのような教訓をあたえてきたか、ということだ。

(分厚い高いコンクリートの壁で囲まれたパレスチナはいまや「アパルトヘイト」の名で呼ばれるようになった。アパルトヘイトの元祖、南アフリカで生きた体験を交えてクッツェーはこう述べる。)

検問所を抜ける文学祭のゲストたち
──僕は人生の大半を南アフリカに住み暮らした。そこでは大勢の白人が黒人のことを、丁重な恩着せがましさから紛れもない侮蔑、さらには赤裸々な憎悪まで、ありとあらゆる口調で話していたが、それはイスラエル人が──じつに、じつに多くのイスラエル人が──アラブ人について話すときに用いる口調だ。「善い」イスラエル人がいるように(僕はそんな人たちに会ったことがある、彼らは地の塩だ)、かつての南アフリカにも「善い」白人はいた。だがここには慰めとなる教訓は潜んでいない。「悪い」南アフリカ白人が敗北したとしても、それは彼らのやり方が間違っていると「善い」南アフリカ白人が説得して改悛させたからではなかった。かりに「悪い」イスラエル人が敗北するとしても、それは「善い」イスラエル人が彼らを恥じ入らせるからではないだろう。それはまったく違う理由からであるだろうし、われわれにはそれがまだ見えない。
 僕は「左翼」の側の人間だと思われているため、パレスチナ人のための嘆願書に署名してくれとか、彼らの大義をおおむね支持してくれと頼まれる。頼まれたようにすることもあるし、しないこともある。常に決定は心の奥を探ることを要求するものだ(下線引用者)。この点ではきっと僕も例外ではないと思う。多くの非ユダヤ系西欧知識人を含む、他の多くの西欧知識人のように、僕はイスラエル/パレスチナについては引き裂かれた感情を抱いている。
 この僕がなぜ引き裂かれた感情を抱くか、それには二つの理由がある。第一の理由は、西欧文化内のユダヤ的要素が僕という人間の形成に影響をあたえたからだ。フロイトやカフカがいなければいまの僕はいないし、あの奇人変人のユダヤ人預言者、ナザレのイエス(下線引用者)については言を俟たない。それに対してアラブ文化やムスリムの宗教思想は、その客観的偉大さがどうあれ、僕という人間の形成になんら関与していない。
 もちろんフロイトやカフカはベンヤミン・ネタニヤフにとってなんの意味ももたない。ネタニヤフはユダヤ人の過去における最悪のものの継承者だ、最良のものではない。僕には、ネタニヤフと彼の共犯者が失墜すればいい、ユダヤ右派に楯つく度胸のある新しい指導者が到来すればいい、と熱烈に思うことになんら良心の呵責を覚えない。

ラーマッラーの丘で朗読を聴くゲストたち
(さらにクッツェーは、外部の人間にはいささかショッキングな、しかし、友情をめぐる、あるいは愛をめぐる、紛れもない人間の真実を──アパルトヘイト下の南アフリカで、多くの人たちが人間関係を引き裂かれ、常に選択不能なものの選択を強いられつづけた社会で、長いあいだ生きた者として──はっきりと言語化していく。ここまで突き放して、明言できる人も少ないかもしれない、とわたしなどは、湿気の多いアジアの土地で思うのだ。言外の意を汲み取ることをよしとするアジアは、この辺の問題になると、たいがい口を濁してしまいそう。彼が友情について、愛について出した結論は、ぜひ直接本にあたってみてほしい。
 そしていま、クッツェーはパレスティナ文学祭に招かれ、ゲストとしてパレスティナを訪れている。47歳のとき彼はエルサレム賞を受賞し、イスラエルに赴いた。76歳にしてパレスティナの地を踏んだ彼は、いま何を感じ取り、何を考えているのだろう。26日には朗読をするというが、どんなメッセージを発するのだろう。眼が離せない。)