Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2016/02/15

J・M・クッツェー『世界文学論集』──朝日新聞に拡大枠の書評が

クッツェーの『世界文学論集』(田尻芳樹訳 みすず書房刊)について、昨日の朝日新聞に書評が載りました。評者は中村和恵さんです!

 クッツェーを「現英語圏、いや世界で最も重要な作家のひとりである」とし、彼が「特権的中心(巨匠)と周縁(その他)に分断されない、ひと連なりの平原に立つ」と指摘、これはクッツェー文学を読むうえで、もっとも重要なポイントと言いたいけれど、なかなか分かっていてもことばにならない部分でした。そこを中村さんはバシッと明言してくれました。お見事!
 こんなふうに、クッツェーが文学を見わたすすぐれて現代的な視点を明示しながら、「この世界文学の平原に古典は投げ返され、再検証されるのだ」と論じ、さらにこの本で「論じられる主題の多くは、じつはクッツェー自身の小説の主題でもある」と彼のエッセイと作品の関係を中村さんは喝破していきます。

「南アフリカ文学」というレッテルを貼られることを、クッツェーはむかしから嫌いました。いまオーストラリアに住むからといって「オーストラリア文学」というレッテルを貼られることも、おそらく彼は忌避することでしょう。ただし、南アフリカという土地から彼の作品を完全に切り離して読んでほしいといっているわけではないことは言うまでもありません。そういう「単一の解釈とナイーヴな論調をつねに警戒しながら、どこまでも覚醒した自己と世界の認識へと、クッツェーは自分を追い立てていく」という、この書評の最後の文もまた、既存の価値観だけで外側から解釈しようとすると見事にはぐらかされる、彼の入り組んだ立ち位置と響き合っているように思えます。クッツェー文学のもつ緊迫感と拮抗した鋭い視点の結びです。

 J・M・クッツェーという作家の全体像が、この論文集が読まれることによってようやく、この地でもクリアに見えるような気配が.......。翻訳された本の内容を深く読み込み、正確に位置づける書評は、多くの読者にとってなによりの指標です。これでクッツェーという作家がいま、あらためて視座にすえようとしている「世界文学」と「南」の文学との位置関係を、ニホンゴ世界で考えていく下地ができたことになるでしょうか。ニホンゴ文学における「世界文学」への視点もまた、クリアになることを期待したいところですが、どうでしょう。