Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/09/21

「スーダン」と耳にして……

自衛隊が来年2月にも南スーダンに派遣されるかもしれない、というニュースが流れた。
 立憲政治も法治主義もかなぐり捨てて、委員会室に部外者の侵入を画策し、乱闘ともいえる暴力によって無理やり進めた「採決不在」の違憲の法律を根拠に据えて、自衛隊が派遣される先が、自衛隊の内部文書どおり、南スーダンなのか。

(2015.9.22付記:すでに自衛隊が数百人派遣されているから、それの増強で、NGOなどで働いている民間人を武器をもって警護する、いわゆる「駆けつけ警護」ということだろうか。しかし、銃をもたない日本人のイメージで信頼されてきたのになあ、これまでは。アフガニスタンの中村哲氏がいっていたように。南スーダンの紛争についてはここで。)

南北に分かれたスーダンは(付記:おおざっぱにいうと、北がイスラム教徒が多く、南はキリスト教が広まっている)内戦が何十年も続いた。2011年に独立した南スーダンに油田が発見されたのは1974年だったそうだ。
 1980年代の政変、そして今世紀に入ってから、チャドとの国境近くのダルフールで虐殺が起きたのを覚えている人もいるだろう。「Save Darfur=ダルフールを救え」の名で、アメリカでは運動が盛り上がったりもしたけれど、「ダルフールを救え」は現地の救援活動を危険にさらすような提案をする一方、集めた数百万ドルの寄付はダルフール難民のためには使われていない、批判する人(マフムード・マンダニ、コロンビア大学教授)もいる。

 とても複雑なかたちで民族が混住している土地だ。宗教や文化もさまざま。

 石油のパイプラインをめぐって、中国資本が入り既存の諸国の利益を損なうとして勢力争いが起きているといわれている。中国資本がアフリカ大陸に積極的に入っていったのは、スーダンだけではないが、2011年に独立した南スーダンが第二のDRC(コンゴ民主共和国)にならないことを祈りたいが......

 とにかく歴史的に見れば、何百年もヨーロッパの植民地支配がつづいたアフリカでの内戦には、いつも必ず大国同士の勢力争いがバックにある。南アフリカのアパルトヘイトだって、いまとなってみれば、結局は、冷戦時代のソ連とアメリカの勢力争いが背後にあったのだ。南部アフリカの資源、さらにサハラ砂漠以南の資源をどのように「開発」するか、という利害の上に、アパルトヘイトはあれほど長引いていたのだ。南アを反共の砦にするために、レーガン政権やサッチャー政権に支持されて、南アの白人政権が行った数々の南部アフリカ不安定化工作! つまりは、アメリカが世界にばらまいていた紛争地帯(ラッツネット)のひとつだった、と J・M・クッツェーが『ヒア・アンド・ナウ』で書いていた。それが文通相手の当の大国アメリカに住むポール・オースターにとって周知の事実ではなかったことは、外部の人間から見ると、ちょっと驚きではあったけれど。。。いや、そんなもんか、アメリカという国に暮らしていると。。。

 そしていつも、その内戦の最大の被害を被るのは、現地に住み暮らす人間、とりわけ、女性と子供たちだということを忘れずにいたい。メディアはぜひ、人としての顔の見える報道をしてもらいたい。とりわけ紛争地では、被害者を数字だけで書くのではなく。
 アフリカが紛争や貧困やエイズなどばかりで語られる「シングル・ストーリーの危険性」をチママンダ・ンゴズィ・アディーチェは口がすっぱくなるほど語ってきたけれど、さて、かの大陸に住み暮らす人たちへの想像力を、私たちはどれほど耕すことができているだろうか。
 スーダンという名前が出たついでに、といってはなんだけれど、スーダン出身の英語で書くムスリムの作家、Leila Aboulela レイラ・アブルエラーの作品が早く日本語に訳されることを心から願っている。