Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/08/15

パウル・クレーと夏日記(14)──domestic requiem

「今日のクレー」に選んだ絵。ロウソクが灯っている。ロウソクは祈りだ。タイトルが「domestic requiem(国内の、家庭内の、レクイエム)」、まずはこれだ。あの当時、勝手に拡大路線で「国」に含めた土地にいたすべての人たちを、正確に含めること。いまの国境によってではなく。



今日も残暑。蝉しぐれ。
 70年前に母たちはラジオから流れる天皇の声をこの日、聞いたのだろうか。それとも銃後の看護婦として走りまわり、人づてに、戦争は終わった、と知ったのだろうか。もういない彼女には確かめようもない。若い医者の卵はみんな、みんな戦争に行って、帰らなかった、と何度もいっていた母。北大の看護学校を出て、敗戦当時、26歳になっていた彼女はすでに北大病院から離れていたはずだから、その話はおそらく、同窓の知人友人から耳にしたのかもしれない。

 ずいぶん遅くなってから出征した父は、どこでこの日を迎えたのか? 満州へ行ったと聞いた。南洋にもいたといっていた。船に乗っていて下痢がとまらず、揺れる船の大きな上下といっしょに排便をしたという「笑い話」を語った父ももういない。ちゃんと聞いておくべきだった。もっと聞いておくべきだった。ただの体験談としてではなく、感情を抜きにして。

 そう、この「感情を抜きにして」ということができなかったのだ。それぞれの生死にかかわるほどの物語を、事実として、抒情などに流されない、筋のある話として再構築する試みを、親も子もすべきだったのだろうと、70年が過ぎてから思うのだ。遅すぎた。
 感情を込めて、歌いあげてはいけないのだ、歴史は。事実を事実として、分析的に伝えること。ちゃんと主語をつけて。行動主体を明らかにして。だれが、どこで、なにをしたのか。だれが、いま、なにを、どう考えるのか。辛かった、とか、ひどいめにあった、とか、被害者的な感情はひとまず横に置いて。なにをしたのか、なぜそれをしたのか、まず、事実を。
 自問、反省、自省、大きな枠組みのなかで、ひとつひとつ照らして、そこで確認したあとの謝罪は、相手の姿を視界におさめたうえでしなければ意味がない。