Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/08/14

パウル・クレーと夏日記(13)──あいまいな空洞化

 いまにも降りそうでいて降らない曇天、どんどん湿気だけが増えていく。 

 今日のクレーは、またまた怪しいクレー。解像度がいまいちなのも、怪しさを倍加させている。あの世とこの世を往復するような、赤い矢印。やっぱり赤が決め手か。右上にある赤い点は? ばらばらにほつれゆく魂か。旧盆の中日。

 この、あまりにも浅く埋葬する土地で。あまりにも浅くことばが入れ替わる土地で。座らずに、立って、ずっときみのことをかんがえてきたんだ。ずっと考えているんだ、きみのことを、ことばのことを。


 昨夜から今朝にかけて、ひゅんと気温がさがり、ほっと一息ついたのもつかの間で、また暑さがぶりかえす。こんな日が、まだまだつづくのだろうな。まだ8月なかばだもの。
 そして今日は金曜日。今夜もまた、国会前と官邸前に大勢の人があつまるだろう。そうせずにはいられない、何かに気づいて、なにが生まれつつある。やっと。やっと。

 主語のない、あんな、あいまいな、ことばと、ことばづかい。詭弁と、言い逃れと、歴史責任をあいまいにする、ことばを発する者の側の空洞化。ことばを愚弄する行為は、なさけない、絶対に許さない、許されない。