Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/06/28

6月の青空の下のメンフィス──ニーナ・シモン

6月の最後の日曜日に、ニーナ・シモンが歌う「Memphis in June/6月のメンフィス」を。

ここ5日のあいだに米国南部では4つも黒人教会が放火されて、まるで60年代の公民権運動時代に戻ったよう。その60年代の運動のまごうことなきディーヴァだったニーナ・シモンが歌うこの曲は、でも、とってもやさしい。
 メンフィスの日曜の青い空の下、いとこのミランダがブルーベリーパイを焼いてくれて、通りの向いでおばあちゃんがロッキングチェアを揺らしながら道ゆく人をながめていて、あまい西洋キョウチクトウの香りがあたりに漂って、天国みたいなメンフィス。 



Nina Simone – Memphis In June

Memphis in June
A shade veranda under Sunday blue sky
Memphis in June
And my cousin Miranda she's making a blueberry pie

I can see the clock outside a ticking and a tocking
Everything so peaceful and dandy
I can see my grandmama 'cross the street still a rocking
Watching all the neighbours go by oh my

Memphis in June
Sweet oleander blowing perfume in the air everywhere
Up jumps the moon to make it so much grander
It's paradise honey take my advice honey
Cos there's nothing like old Memphis in June

2015/06/22

クッツェー『サマータイム』の読みどころ

クッツェーの自伝的三部作の翻訳『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの〈自伝〉』が出版されてから、もうすぐ一年になる。
 去年、渦中にあるときは本当にぎっしりと目の詰まったような日々だった。すぐに書簡集の仕事へ移ったこともあって、いちいち細かいことはいまではよく覚えていない。でもこうして時間が過ぎ、距離ができて、かえってよく見えるようになったこともある。
 たとえば、いま再読しても『サマータイム』のいちばん面白い箇所のひとつは、ここだったなあと思うのだ。今日、facebook にある書き込みをして強くそう思った。

「ジュリア」の章にこんなやりとりがあった。

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p412-413  ↓ 最初の発言はジュリアのもの(下線は引用者)。

「一冊の本は私たちの内部にある凍った海を割る一本の斧かもしれないでしょ。でなければなんのために本なんてあるの?」
「時間に立ち向かう拒否の身振り。不死性を求める一つの試み」
「不死のものなどない。本だっていずれ死ぬ。私たちがいるこの地球全体だってそのうち太陽に呑み込まれて灰燼と帰すの。そうなれば宇宙そのものが内破してブラックホールとして消滅する。なにも生き残らない、わたしも、あなたも、そして少数の人間しか関心をもたない十八世紀南アフリカの想像上のフロンティア開拓者についての本なんてものも当然」
「ぼくのいう不死性は時間の外に存在するという意味じゃない。人の肉体的消滅を超えて生き残るという意味だ」
「あなたが死んだあとも、あなたの本が読まれてほしいのね?」
「そんなかすかな期待を手放さないでいるのは慰めにはなるだろ」
「自分でそれを目撃することがなくても?」
「自分でそれを目撃することがなくても」
「でも、あなたが書いた本を未来の人間がわざわざ読んだりするかしら、もしもその本が彼らに語りかけなければ、もしも彼らが自分の人生に意味を見出す助けにならなければ?」
「あるいはよく書けている本なら、まだ読みたいと思われるかもしれない」
「ばかばかしい。それって、もしもわたしが上質のラジオ付きレコードプレイヤーを組み立てたら、二十五世紀になっても使われるかもしれないってのとおなじよ。でも、そんなことありえない。だってラジオ付きプレイヤーなんて、どれほど精巧な造りであろうと、そのときは時代遅れになっている。二十五世紀の人たちに語りかけたりしないのよ」
「あるいは二十五世紀になってもまだ、少数ながら、二十世紀末のラジオ付きプレイヤーが出す音を聴きたがる人がいるかもしれないじゃないか」
「コレクターね。趣味人。そのために自分の人生を費やそうっていうの、あなた? 机に向かって座り、骨董品として保存されるかされないか不確かなモノを手づくりするために?」
 彼は肩をすくめた。「もっといい考えがあるかい?」
 わたしが自己顕示していると考えているんですね。わかりますよ。どれほど自分が切れ者かを示すために会話をでっちあげていると思っているのが。でも、あのころのジョンとわたしの会話はそんな感じだったんです。おかしかった。面白かったわ。あとで、彼と会わなくなってから恋しくなったのはそれ。私たちの会話、本当にいちばん恋しくなったのはそれでした。彼はわたしの知るかぎり、正直に議論してわたしに論破される唯一の男性でしたから。自分が論破されそうになると、怒鳴り散らしたり、話をはぐらかしたり、むっとなって逃げたりしない唯一の男性でした。それに、いつも論破したのはわたし、ほとんどいつもかな。
 理由は簡単。彼に論争能力がなかったわけではないの。でも彼は自分の原則に従って生きていた。それに対して、わたしはいつだって実用主義者(プラグマティスト)だった。プラグマティズムは原則主義を打ち負かす。そういうものですから。宇宙は動き、私たちの足元の大地は変化し、原則は常に遅れをとる。原則はコメディの種にはなります。コメディというのは、原則が現実にぶつかったときに起きるものですから。彼は気難しいという噂があることはわたしも知っていますが、ジョン・クッツェーは実際に会ってみるととてもおかしかった。コメディに登場する人物。気難しいコメディです。そのことを漠然とながら彼は知っていて、受け入れてさえいた。彼のことを振り返るといまだに愛着を感じる理由はそこですね。あなたがお知りになりたければですが。
 
 (沈黙)

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1970年代なかばの自分(30代なかば)を、作家が60代後半に振り返って書いている箇所だが、当時の自分を他者の目から見るとこういう感じだったのでは、という書き方がとっても面白い。きれいごとですませないところが良い。そして的を射ている。
 とりわけ、最初の下線部、「自分が論破されそうになると、怒鳴り散らしたり、話をはぐらかしたり、むっとなって逃げたりしない唯一の男性」の貴重さは、つねづね痛切に感じてきたこととみごとに重なった。それをこんなふうにみずから言語化する男性作家の文章を初めて読んだ。登場人物の女性の口を借りて、当時の自分をおおいに評価しているところなのだ。この本を「自虐的」と評する人は、こういうところをよく読んでほしいなあ。

 今日は夏至か。

2015/06/18

西江雅之さん、どうもありがとうございました!

西江雅之さんが逝った。享年77歳。

 西江さんの名著、『花のある遠景』を読んだのは80年代末のことだった。ケニアの場末に住み着いて売春婦のおねえさん、おばさんたちとの暮らしの光景をすばらしい文章で描いていく本だった。目を見張った。わたしのアフリカ入門の重要な部分は西江さんの考え方からもらったような気がする。ちっとも活かせていないけれど。感謝、 深謝! 心からご冥福をお祈りします。なんか、本当にさびしい。


 以前このブログにも書いた西江さんのお話のことを再掲します。2009.4.27とあるから、もう6年も前のことだったのか!

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ジャズはアフリカ起源の音楽だ、なんてのは違う。ぼくは何年か前に数人の学者とその議論をして論破した──と語るのは、言語学と文化人類学を専門とするマチョ・イネこと西江雅之さんだ。

  昨夜は三鷹の「文鳥舎」で「世界中に散るフランスという国」なるトークショーを楽しんだ。西江さんの話しっぷりは、本当に面白い。噺家のようなのだ。「フ ランス語が話されている世界の地域」のことではなくて「フランスという国そのものが、ヨーロッパ本国と、マルチニック、グアドループ、レユニオン、フラン ス・ギアナといった海外県と、カナダの大西洋側にあるサンピエール・エ・ミクロン、インド洋のマヨットといった特別自治体と、さらには、ニューカレドニ ア、フランス・ポリネシア、ワリス・フトゥナ、南極の一部といったフランス領をすべて含めた、世界中に散在する国、として成り立っている」というお話だっ た。

 頭のなかでかたまっている「フランス」というステロタイプのイメージがゆさゆさ揺れて、そこかしこに風通しのよい穴があき、崩れる。そして新たなイメージで「フランスという国家」をながめやる目が養われる。西江さんの話はいつも聴き終わったあとが爽快で、気持ちよい。

  最初のジャズの話は懇親会で聴いたもの。前日、ツトム・ヤマシタとのコラボレーションのため京都へ行っていたそうだから、その流れから出てきたものかもし れない。それを聴いて、ありありと思い出したことがある。それは1970年前後の日本の、いわゆる「ジャズ・シーン」をめぐる熱い語りにみられた、ある傾 向のことだ。

 当時、情報は、なんでもかんでも米国発のものが勢いをもっていた。というより、いま以上に、憧れを もって肯定的に語られていたというべきか。ヒッピー、フォーク、ロック(ときどきブリティッシュ)、文学だって、やれケルアックだ、ギンズバーグだ、サリ ンジャーだ、と圧倒的に「アメリカもの」で、さまざまなものが入り込む余地があまりなかった。見えていなかった。つまみ食いのようにして少しは読んだけれ ど、米国発の文学で興味を引かれるものは、ブローティガンが紹介されるまで、ほとんどなかった。でも、音楽は別、ジャズは別だった。

  あの当時のジャズ聴きたちは「ジャズ=黒人/アフリカ人の音楽」という固定観念から離れられなかったように思う。だから、ヨーロッパのジャズは二級扱いさ れ、極端な人は、白人プレーヤーのジャズは「白人だからダメ」とまでいう始末。いったい、どんな耳をしていたのやら。いや、どんな頭をというべきか──私 も含めて。
 ジャズを演奏する人たちのなかにもまた「黒人のように」演奏すること、より「黒い」音楽を演奏すること、さらには「黒人のよう になること」にまで(そんなこと不可能なのは分かりきっているのに)究極の目標を細めていく人もあらわれ、それを肯定する左派めいた論客もまた、人気を博 していたように思う。それは「黒っぽいフィーリング」があるかないか、というふうに論じられた。
 なんか変だと思いながらもきっぱり反論で きなくて、嘘くさいその手のライナーノーツや解説なるものを読まなくなったのは、そのせいだったのかもしれない、といまになると理由をつけることもできる ──だって、じゃあ、なんで日本人がジャズをやるの、なんでロックをやるの、ということになるでしょ? 60年代後半って、そういう時代でもあったのだ。

  音楽も、文学も、人種と不可分に結びつくものなんかない。結局、それは「文化」なのだから。文化は「創り出すもの」で、アフリカン・アメリカンと呼ばれる 人たちは、白人文化が命じる器のなかで、アフリカ起源のものをベースに、手近にある、さまざまな道具、アイディアを混入させながら、独自のものを創り出し ていった。彼らの創造性はそこにある。それは黒人でなければできないものではない。ただ、間違いなく彼らがやったことなのだ。そこのところを同一視する と、すごく間違う。その流れでいくと、日本人でなければ日本(語)文学は書けないという考えに(そう信じている人はある年齢層以上に、いまだって間違いな く、いる)反駁できない。

 日本人のすばらしいジャズメンはたくさんいるし、黒人でなければジャズができないなん て、いまじゃ誰も思わない。白人たちはジャズまで奪っていった、という黒人サイドの発言も聞いたことがあるけれど、それは見方を変えるなら、彼ら/彼女た ちの「文化」が白人文化を凌駕したということにもなる。文化も、伝統も、きわめて創造的な、つまりは、恣意的なものなのだ。西江さんの話を聴くとすっきり するのは、その辺と大いに関係がある。自分を縛ってきたしがらみや不安から、解き放たれたような気持ちになるのだ。☆

2015/06/15

クッツェー&カーツの、文学と心理学の絶妙な絡み合い

 数日前に届いたハードカバー: The Good Story は J・M・クッツェーの最新作だ。昨年からあちこちで一部分が引用されたり、きれいなカバーがネット上に早々とアップされたりして、話題になってきた本である。手にとってみるとカバーは確かに、水の上に何色かの水彩絵具を流したよう。内容は、イギリスの心理学者/精神分析医のアラベラ・カーツと作家であるJ・M・クッツェーが、「ストーリー」をキーワードに、人が物語を語るとはどういうことかをつきつめていくものだ。

 ポール・オースターとの往復書簡が「手紙」という形式のやりとりだったのに対して、これはメールを使ったのだろうか、クッツェーがあるテーマについて問題提起すると、即座にそれにカーツが反応する、といった構成になっている。問題がテーマごとに、深く、詳しく、探求されていって、そこに開ける予想外の風景へと読者は誘われていく。

 ここには、2009年の『サマータイム』で、三部からなる一連の「自伝」的物語にけりをつけた作家が、では自分の生涯を素材にした物語を書くとき、いったいなにが真実なのか、という究極の問題をさらにつきつめようとする姿勢が見られる。作品を書くときの作家の意識そのものに光をあてようとするのだ。

アラベラ・カーツ
ことばのキャッチボールをする恰好の相手として、患者を診る現場をもつセラピストを選んだことも興味深い。フロイトやラカンなど、クッツェーは心理学書をずいぶん読み込んできた。その成果をもとにして作品を書いてきたきらいもある。とりわけ自伝的物語ではそれが前面に押し出されている。

 セラピーの分野で扱われる「良い物語」とは、その人(患者)にとって都合の良い物語、患者の主観からのみ光をあてた物語になってしまわないか、という疑問がクッツェーにはあるようだ。それは作品行為を一種のセラピーと見立ててきた彼自身の「書く現場」に、徹底した疑問をつきつけることでもあるだろう。作品を書くとき、それを「書く」あるいは「語る」自分にとって、「真実/事実」とはなにか? 主観的な真実を超えることは、どこまで可能か? この文学的/哲学的問いはすぐれて倫理的問いへ向かわざるをえないだろう。

 これはまた、日本語のなかに住む者にきわめて大きな問いを突きつけもするだろう。ことばをめぐる現況の、ある決定的欠落を照らし出し、鋭く迫ってくるものがあるのだ。その構造が見えるか、見えないか、それは彼が書いた最後の自伝的物語『サマータイム』という作品と、どこまで腹を据えて向き合えるかということとも関連してくるかもしれない。
 「ことば」の針で自分自身の内部をどこまで探ることができるか。究極の自己対象化能力を研ぎすます、文学と心理学の絶妙な絡み合いがここにはありそうだ。心をいやす物語について、比類なく明晰なことばの向こうに見えてくるのは、いったいどんな・・・これはただ「孤独」といったことばで逃げをうつことはできない問いだ。

J・M・クッツェー
さまざまなテーマが俎上にのぼるけれど、基本的にクッツェーは文学作品としての物語をめぐって、カーツはあくまでセラピーの過程で語られる物語をめぐって、両者ともに頑固に譲らないところが面白い。そして最後にカーツが、あの厄介なテクスト、ゼーバルトの『アウステルリッツ』を持ち出すのもまた興味深い。きらり、きらりと光ることばのやりとりに興味はつきない。

ちなみにこの本になったものの一部は Salmagundi という雑誌(Spring 2010)に最初は掲載され、そのタイトルが「Nevertheless, my sympathies are with the Karamazovs/それでも、わたしの共感はカラマーゾフたちとともにある」だったというから、これもまた面白い。
 
始まりはこんな感じだ。 
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JMC──良い(信頼できそうな、説得力さえある)物語の性質とは何でしょうか? 他人にわたしの人生の物語を語るとき──そしてさらに重要なのは自分にわたしの人生の物語を語るとき──それを、何も起きない時期を飛ばして、多くのことが起きた時期をドラマとして強調しながら、ナラティヴに形をあたえ、予感と懸念を創り出し、均整のとれた工芸品にするよう努力すべきなのでしょうか? それとも逆に、中立的で、客観的で、法廷の基準に合致するたぐいの真実──この場合の真実とは、偽りのない真実、事実のみということですが──を述べるよう奮闘すべきなのでしょうか?
 自分のライフヒストリーとわたしはどのような関係にあるのか? わたしはその意識的な作者なのか、それとも自分を、わたし自身の内部から湧きあがることばの流れをできるかぎり邪魔をせずに呟く、たんなる声と考えるべきなのか? とりわけ、記憶のなかに蓄えられた豊富な素材、一生涯という素材をあたえられて、フロイトの警告──何も考えずに(意識的に思考せずに)省く内容にこそわたしに関するもっとも深い真実を解く鍵があるかもしれない──を心に留めながら、何を除外すべきであり、除外しなければならないのか? とはいえ、考えないまま自分が除外しているものを、どうすれば論理的に知ることができるのでしょうか?

AK──もっとも深い真実を述べようとすることが心理分析者に課せられた仕事だとわたしは思っています。あるいはもっと謙虚に、もっと精確にいえば、、、、、、、

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2015/06/01

アディーチェがウェズリー大学の卒業式でスピーチ

マサチューセッツ州にある名門大学、ウェズリー大学の今年の卒業式典でスピーチするチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。あいかわらず、にこやかな笑顔で、ばっちり言いたいことを伝えるチママンダ。人はこの世にいる時間は限られているんだから、自分を沈黙させずに、言いたいことは言おう、と若い人たちに呼びかける姿は小気味よい。最後のところで、女性が人から好かれることばかり気にするのやもうやめよう、と呼びかける。ジョークやさわやかな皮肉をきかせたスピーチです。



All over the world, girls are raised to be make themselves likeable, to twist themselves into shapes that suit other people.

Please do not twist yourself into shapes to please. Don’t do it. If someone likes that version of you, that version of you that is false and holds back, then they actually just like that twisted shape, and not you. And the world is such a gloriously multifaceted, diverse place that there are people in the world who will like you, the real you, as you are.

世界はすばらしく多様性にみちた、さまざまな層をもった場所で、あなたを好きになる人がきっと誰かいます、だから自分をねじまげて型にはめる必要はないのです。

このスピーチの文字テクスト全文はこちらで読めます

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付記:2015年5月31日付のニューヨークタイムズのオピニオン欄にアディーチェが記事を書いています。先日、誘拐され、無事に解放された父上のことについて。アディーチェがちょうどニューヨークでPEN大会のキュレーターをしていた最中のことでした。

こちらです。