Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/04/04

4月24日:ハベバ・バデルーンの公開レクチャー

毎日、アディーチェの『アメリカーナ』をこつこつとやっていますが、それとはちょっと別のお知らせです。


 半月ほど前にすでにこのブログでも書いた、ハベバ・バデルーンの公開レクチャーが開かれます。4月24日、一橋大学東キャンパスのマーキュリータワーです。
 あれ、このポスターでは「ガベバ」となっていますね。これはアフリカーンス語の「G」が喉の奥から出す激しい音で、あるときは「ガ」に、またあるときは「ハ」と聞こえて、日本語表記はどうしても決められない音だからでしょう。

 他の例としては、世界初の心臓移植手術で有名はケープタウンの Groote Schuur という病院がありますが、これはジョン・クッツェーさんに会ったとき何度か発音してもらって、喉から出す激しい「フ」と聞こえたので、わたしはもっぱら「フローテ・スキュール」と表記しています。

 1969年生れのバデルーン自身はあるインタビューで、あるときは「ハベバ」で、またあるときは「ガベバ」で、さまざまに姿を変えることができる、とじつにしなやかな、面白いことを言っていたのを記憶しています。

 さて、このセミナー、とても楽しみです。今日は夕食前に、彼女の著作『Regarding Muslims/眼差すムスリム』の『恥辱』について書かれた部分を、予習がてらざっと翻訳してみました。ケープタウンにおける植民地支配時代から面々と続く歴史的な性的搾取の分析です。『恥辱』の最初の章を細かく読み解いていく視点が光ります。先日書いたフレーズをここに再録しておきましょう。

”そう、ムスリムなのだ。そう、『恥辱』の冒頭に出てくるあの「ソラヤ」なのだ。
 これは面白い! 近著『鏡のなかのボードレール』でも触れるが、この有色女性の描写はともすると後半の劇的展開に目を奪われて、読後は印象が薄くなりがちな箇所なのだけれど、じつはクッツェーが極めて明晰かつ含みのあることば遣いで、南アフリカにおける人種をめぐる歴史の深層を暗示している箇所でもあるのだ。
 それは主人公である白人男性デイヴィッド・ルーリーには見えなかった歴史であり、教育や意図的認識によって合理化されてきた、歴史体験やその無知と彼が向き合わざるを得なくっていくドラマへの奇妙な助走をうながしている。この第一章に出てくる女性、それがソラヤだった。
 この本は、そのソラヤの存在を詳細に裏づける瞠目すべき好著である。”