Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/04/29

5月17日(日)『マイケル・K』について語りつくします!

 イベントのお知らせです。J・M・クッツェーが初めてブッカー賞を受賞したヒット作『マイケル・K』が岩波文庫に入りました。それを機に、この『マイケル・K』という物語について、都甲幸治さんと語り尽くしたいと思います。 場所は紀伊国屋書店新宿南店です。

 日時:5月17日(日)午後2時から(開場は1時半)
 場所:新宿紀伊国屋書店南店 6F イベントコーナー
 入場無料ですが、要予約。ご予約はこちら。

『マイケル・K』が単行本として筑摩書房から出たのは1989年、クッツェー作品の本邦初訳でした。わたしの実質的な翻訳人生はにここから始まったように思えます。
 1989年にはいろんなことがありました。昭和が終って平成になり、4月に消費税が導入され、6月に北京で天安門事件が起きて、11月にはベルリンの壁が崩壊して冷戦が終り、年末にバブルがはじけた。

『マイケル・K』はその後、2006年に全面改訳されてちくま文庫になり、さらに加筆補足されて今回、岩波文庫に入りました。決定版です。こうして初訳から4半世紀を経て、また新たな読者と出会えることになり、マイケルくんはさぞや喜んでいることでしょう。

 この作品が世に出てから、作者も翻訳者も当然ながら歳を取りました。『マイケル・K』を書いていたクッツェーはまだ40代初めでした。翻訳者も最初に訳したときは30代後半でした。でも、作中人物は、これまた当然ながら、まったく歳をとりません。31歳のままです。南アフリカでも、世界中でも、若い読者を中心に読み継がれ、クッツェー作品のなかで、マイケルほど愛されている主人公は、ひょっとしたら他にいないかもしれません。
移動を制限されながら、制度的な暴力も慈善も、不器用に、執拗にかいくぐり、痩せ衰えながらも、どこまでも土を耕して生きようとする31歳の若者、それがマイケル・Kです。これはある意味、このうえなく不可能な物語ですが、種を蒔き、水を遣り、山羊に食べられないように見張り、といったふうに、大地から生まれる恵みを糧に生きようとするマイケル・Kの物語が、どうしていま、こんなに人の心をとらえるのか、そんなことを話せたらいいなと思います。
 
 都甲さんには昨年8月末にも、クッツェーの自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの<自伝>』(インスクリプト)の発売を記念したイベントで、司会をしていただきました。そのときはまだ発売されていなかったポール・オースターとの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』(岩波書店)のことも、今回は話に出るかもしれません。
 また、昨年11月にアデレードで開かれたシンポジウム「世界のなかのJ・M・クッツェー」 のことや、アデレードのクッツェーさんのお宅を訪問したエピソードなども飛び出すかもしれません。お楽しみに!

「土のように優しくなりさえすればいい──内戦の南アフリカ、マイケルは手押し車に病気の母を乗せて、騒乱のケープタウンから内陸の農場をめざす。 ひそかに大地を耕し、カボチャを育てて隠れ住み、収容されたキャンプからも逃亡。国家の運命に本論されながら、どこまでも自由に生きようとする個人のすがたを描く、ノーベル賞作家の代表傑作」

*もちろん当日になってふらり、でも、だいじょうぶです、たぶん。
 その気になったら迷わずおいでください。


2015/04/25

5月1日、ハベバ・バデルーンの詩の朗読会

 昨日はハベバ・バデルーンの公開レクチャーを聴いてきました。じつに内容の濃い、充実した時間でした。教室に入り切らないほど大勢の人がやってきて、隣の教室からたくさん椅子を運び込んでのレクチャーでした。すごい熱気で、いやもう時のたつのをすっかり忘れました。
 予習はしていったものの、そうか、そういうことだったのか、と膝をうつこともあって、J・M・クッツェーやベッシー・ヘッド、マジシ・クネーネやゾーイ・ウィカムまで訳した者としても、もっとも見えなかったいわゆる「ケープ・マレー」と呼ばれる人たちの複雑な歴史的パースペクティヴや、「カラード」とか「カフィール」とか、日本語の辞書には載っていない複雑なことばの背景が、とてもクリアになったのは大きな収穫でした。

 南アフリカにおける、いや、南部アフリカにおける、というべきでしょうか、17世紀以降のあの地域の政治経済が「奴隷制」によって支えられてきたことは、意図的に歴史認識の後ろにおいやられ、忘れ去られてきた。そのプロセスを、バデルーンはさまざまな研究や例証をあげながら解きほぐしていきます。アパルトヘイトからの解放後、そこが最も複雑で忘却の波におしやられがちなところ。この「奴隷制」というのが、結局は、近代の植民地経営には欠かせない人間支配のシステムであったことをあらためて認識しました。

 そして、このシステムは現在も「格差」と言い換えられ、あらたな姿に変身しながら「不平等システム」となって、グローバル経済のあちこちで大きな力をもっているのではないか、ということも考える必要があるようです。歴史的健忘症は、そこから利を得る者たちの「意図的な政策」であることを深く認識したいものです。そこに絡んでくる大きな問題、それがジェンダーなのだということも。
 だから「忘れないこと」「記録すること」「伝えること」がどれだけ重要か、たかだか20年前まで続いたアパルトヘイトの記憶すら若い世代には、なかなか伝わっていない時代です。

 この国もまた、「70年」という長い眠りから覚めなければならない時期に至っています。「人種」はクリエイトされたもの、白人が創造した「ファンタジー」だった。そう喝破するバデルーンの言は爽快! そう、「名誉白人」だって「ファンタジー」だったのです。いまだにそれを「名誉」だとして内面化するところが、偏狭的ナショナリズムと表裏一体となって機能することを考えなければ、とも思いました。

 さて、詩人であるハベバ・バデルーンの詩の朗読会があります。南アフリカで生れて育った彼女のプロフィールを彷彿とする詩が、たっぷり聴けることになるはずです。そうそう、彼女は大学時代ジョン・クッツェーの学生だったとか。あの激動の1990年代初頭のことですね。

 5月1日(金)18:30 - 19:30
   一橋大学 佐野書院 サンルーム
   使用言語は英語です。

(ひょっとすると、わたしも飛び込みで詩の朗読することになるかもしれません!)

2015/04/16

クッツェー『Disgrace/恥辱』のソラヤとは誰か?(3)

 従順なはずのソラヤの「眼差し」が、窓ガラス越しに自分をじっと見返してくる。そのことにルーリーは強い居心地の悪さを感じる。そこに焦点をあてながら、著者クッツェーが冒頭部分を最後の最後に書き直したことの意味を、あらためて考えてみることは重要だ。この第一章に書かれたルーリーの心の「ざわめき」、それを引き起こしたソラヤの鋭い視線こそが、作品全体を貫く「ざらっとした感触」の、秘められた核心にあるのかもしれない。

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この小説はわれわれに、ケープタウンにおける「違和感」の始まりを警告する(p6)。これは、たとえばルーリーが「ワーム」とか「スネイク」といったトーテムを通してソラヤとのセックスを想像したり、あるいは後には動物のイメージを通してセクシュアルな出会いを想像するといった重層性や循環性を小説内に入れ込む手法に明示されている。ソラヤとの密会を描くルーリーの、油断のない、抽象化された表現、「自分の感情に逆らわずに生きる」(p2)が、小説後半でルーシーに振りかかる性的暴行とぞっとするような響き合いを見せるのは、あくまで合理的かつ熟慮の上のことなのだ。

以下は、もうすぐ出る『鏡のなかのボードレール』に著者の許可をえて詳しく引用してありますので、ぜひ、そちらを!

2015/04/15

クッツェー『Disgrace/恥辱』のソラヤとは誰か?(2)

クッツェーのDisgrace に最初に出てくるソラヤという女性とは、いったいどのような背景をもった人間なのか? それを考えることは、クッツェーがこの作品の冒頭にあえてソラヤを置いたことの意味を考えることでもあるだろう。ソラヤとの関係が主人公ルーリーのものの見方、感じ方、歴史に対する立ち位置を、くっきりと浮上させる役割をはたしていることにバデルーンは注目する。そのことの意味が、作品のその後の展開のなかで具体的に問われていくのだと。

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 グレアム・ペチーが示唆するのは、クッツェーのいくつかの小説においてさえ「現実的にも時局的にも突き止められのは・・・われわれが・・・斜めに、プリズムを通してあいまいにものを見ている」ことなのだ。わたしは、ペチーの指摘とは、強調されたパターンの感覚や小説内で明示される歴史への覚醒に注意しろ、ということだと理解している。Disgrace が露呈するのは、セクシュアリティの植民地的言説の遺産や、その搾取と暴力の長い記録に対する鋭い覚醒意識なのだ。ここには、クッツェーの「植民地的ホラーファンタジー」というコメントが示すように、白人の性的トラウマが強調される一方で、黒人の身体への暴力、とりわけ黒人女性の身体への暴力を常態とするやり方も含まれる。
 
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以下は、もうすぐ出る『鏡のなかのボードレール』に著者の許可をえて詳しく引用してありますので、ぜひ、そちらを!

2015/04/14

クッツェー『Disgrace/恥辱』のソラヤとは誰か?(1)

24日に国立の一橋大学で開かれるハベバ・バデルーンの公開レクチャーが近づいてきた。
 その予習のため、彼女の著書『眼差すムスリム』のなかの一部「ケープ植民地における性をめぐる地理学:Disgrace」(p90-93)を少し紹介する。この部分を読んで、南アでは激しい賛否両論を巻き起こした作品『Disgrace』の、巻頭に出てくる女性ソラヤの人種的、社会的、歴史的背景がこれまでにないほど、くっきりとした視界で理解できるようになった。
 クッツェー自身はこの作品を書き上げてから、最後の最後に巻頭部分を新たに書き直した、と言われている(カンネマイヤー、アトウェル)。それがどういう結果を生んだのか、その手法や意図などがバデルーンの著書を読むと、具体的に、詳細に明らかになるのだ。この作品を「読む」とき、これはなかなかの事件である。

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暴力にさらされることを前提としたある身体を、視覚的にマーキングすることには「長い歴史」があり、これは、初の自由選挙が実施された1994年から5年後に出版された J・M・クッツェーの小説 Disgrace にもまざまざと再現されている。 

 そしてある土曜日の朝、すべてが変わる。彼は仕事で街に出ていた。セント・ジョージ通りを歩いていたとき・・・
 ほんの束の間、ガラス越しに、ソラヤの目が彼の目と合う。彼は常に都会の人間であり、エロスが獲物を追い詰め、一瞥が矢のように閃く大勢の身体の流れのなかで、くつろいだ気分になれる。だが、彼とソラヤのあいだで交わされたこの一瞥を、彼はすぐに後悔する。(p6)
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以下は、もうすぐ出る『鏡のなかのボードレール』に著者の許可をえて詳しく引用してありますので、ぜひ、そちらを!

2015/04/11

メトロポリスと周辺 ── J・M・クッツェーたちの挑戦

 4月7日からクッツェーがブエノスアイレスのサンマルティン国立大学で開かれているセミナーのディレクターをつとめている。(左の写真はカルロス・ルタとジョン・クッツェー。)
 この大学では、昨年のいまごろ、ポール・オースターとクッツェーがいっしょに『ヒア・アンド・ナウ』から朗読をしたのだった。

 セミナーは「南の文学の抵抗と創出」を願って、4月と9月に年2回、この大学の大学院の授業として開かれる。第一回はオーストラリアの作家、ゲイル・ジョーンズとニコラス・ジョーズを迎えて7日から始まった。第2回は9月に、南アフリカからゾーイ・ウィカムとアイヴァン・ヴラディスラヴィッチを迎える予定だという。要するに、ヨーロッパとアメリカを中心にした「北の文学圏」に対して、アフリカとオーストラリアに南アメリカを加えて横断する「南の文学圏」を強く打ち出す姿勢といえるだろう。

このセミナー開催にあたって、クッツェーが雑誌クラリンにメールインタビューで答えている。その内容がとても面白くて、刺激的だ。北側が文学のメトロポリスとして機能してきたことに、南側から抵抗する姿勢なのだ。それは中心とされる北のメトロポリス以外の文学が、どこまでも北側からみた「エキゾチックな文学」と見なされつづけるのか、それを拒否することは可能か、可能であるとしたらどのようにしてか、という問題提起でもあるだろう。

 これは先月、東京外国語大学で開かれた「語圏横断・世界文学ネットーワーク」のシンポの主旨とも直接結びつく思想なのだ。すこぶる興味深いではないか。
 
 アルゼンチンの大学やウェブ上の雑誌からの情報なので、当然ながらスペイン語である。この「語圏横断性」がたまらない魅力でもあるのだが、いや、だから残念ながらわたしのような者には、およその意味を推測するしかない。スペイン語をちゃんと学んでおけばよかった! 15日と17日には、クッツェーが参加した会議が行われる予定らしいので、その結果が発表されたら、まとまった形でいずれどこかに、日本語訳で報告が出ることを期待したい。今回は、セミナーに先立ってクッツェーが「クラリン」にメールでインタビューに応じたものを以下に。ひどく粗い訳なのでご容赦を!(意味の理解にYさんとKさんのご意見を少し参考にさせていただきましたが、以下に示すのはあくまで、くぼたの解釈です。


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「われわれ(の文学)がマイナー文学であるという考えに抵抗しなければならない」

2003年にノーベル文学賞を受賞した南アフリカ生れの作家、JMクッツェーはすでに何度もこの地を訪れているが、今回はアルゼンチンのサンマルティン国立大学で開催されるセミナー「南の文学」のディレクターをつとめる。大学院の授業として開かれるこのセミナーは、アフリカ、オセアニア、南アメリカの文学を横につないで「南の文学」を創造する試みだ。今日から始まるセミナーではこの三つの地域から作家、研究者、教師、文藝批評家が一堂に会する。第一回はオーストラリアの文学に焦点をあてる。参加するのはゲイル・ジョーンズとニコラス・ジョーズ。

セミナーについて、クッツェーは「クラリン」紙の質問にメールで次のように答えている。

Q:南の文学に共通する基本的な要素とは何でしょうか?

JMC:それはまさに、われわれがこのセミナーで答えたいと思っていることです。これらの地域の作家と文学研究者どうしの繋がりはあまり強くはないので、そのため英語を使う世界への影響が、北から南へという方向になり、南から北へはあまりない。この位置関係を今回のセミナーによって覆すことが願いです。

Q:以前あなたは「スイス人が言うには、スイス人であることはマイナーな存在であることを運命づけられている」と書きました。それはオーストラリア人にも言えることでしょうか? 中心以外の文学で「マイナー」でいられずにすむ文学というのはありますか?

JMC:メトロポリスの出身でないかぎり、そして一般的に、北のメトロポリスのことを語らないかぎり「田舎者」であり「マイナー」であると運命づけられるという考えこそ、われわれが抵抗しなければならないものです。

Q:植民地であった点で共通しているオーストリアと南アフリカで、植民地化の影響の類似点と相違点は?
JMC:オーストラリアの文化的生活に、かつての植民地権力であった英国がおよぼした影響は、20世紀半ばまで強力なものでした。それ以降は英国に代わって、特にアメリカのポップカルチャーが文化モデルになりました。しかし、最良のオーストラリア人作家は独自の立場から、みずからの声で語るようになっています。

Q:オーストラリア文学は「エキゾチックな」文学に含まれるのでしょうか? それともアルゼンチン文学も同様に拒否されるのでしょうか?

JMC:世界文学(ここでは単一の「世界文学」ではなくて「世界のいろいろな文学」のニュアンス)というのは結局、北の大都市以外のところから出てくる文学を指す婉曲語法なので、オーストラリア文学も世界文学の一員であるなどと考える以前に、北のメトロポリスの文学とそうでない文学(地方的でマイナーな文学とされるもの)を区別する必要があるでしょう。

Q:中央と周辺という考えは、ヨーロッパの危機とグローバリゼーションと再定義してもいいでしょうか?
JMC:それは厄介な質問です。グローバリゼーションとは概念として、中央と周辺のあいだの対立を超越するもののように見えながら、実際は「北」がみずからを中心と見なし「南」を周辺と見なしています。
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4月7日  開会に際して:JMクッツェー
4月15日 「ナビゲーションとなるエッセイと対話」:クッツェーとアナ・カズミ・スタール
4月17日 討論「南の文学の挑戦」:クッツェー、トゥヌーナ・メルカド、ルイス・チタローニ, ゲイル・ジョーンズ、ニコラス・ジョーズ。
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2015/04/08

アディーチェ新作短篇:アポロ

このところ、せっせせっせとアディーチェの『アメリカーナ』を訳しているのだけれど、ナイジェリアは大統領選挙でついに現役のグッドラック・ジョナサンが負けて、ムハンマド・ブハリが次期大統領と決定した。
 ナイジェリアという国は独立からクーデタにつぐクーデタで、この人もまた80年代の政治情勢変化のなかにしっかり名前が出てくる軍人政治家だ。そう、あのフェラ・クティが逮捕された時期だ。2015年にナイジェリアはどうなっていくのか。

 さて、いま訳している『アメリカーナ』はその80年代にハイスクールに通っていた主人公イフェメルとボーイフレンドのオビンゼを、二つの大きな軸として展開される物語だ。給料の支払いが滞るため大学講師陣がストライキを続け、授業がろくに行われないナイジェリアの大学から一足先にアメリカへ脱出したイフェメル、それを追いかけようとするオビンゼ、ところがそこに異変が起きて・・・。これまた先行きがどうなるのか、、、、、、。

 今日はアディーチェの新作「アポロ/Apollo」が「ニューヨーカー」に掲載されたのでそのお知らせを。新作短篇はひさびさです。この「アポロ」とは、どうやら目の病気のことをいうらしいのだけれど。一人っ子のローティーンの男の子がハウスボーイのラファエルに抱く淡い気持ち。大人になってから、そのときのことを思い出してつづられるメモワールのような切なさ。そして最後の行動はまさに中2病的? いやいや、誰もがどこかでくぐりぬけてきた体験だよね、これ。

2015/04/04

4月24日:ハベバ・バデルーンの公開レクチャー

毎日、アディーチェの『アメリカーナ』をこつこつとやっていますが、それとはちょっと別のお知らせです。


 半月ほど前にすでにこのブログでも書いた、ハベバ・バデルーンの公開レクチャーが開かれます。4月24日、一橋大学東キャンパスのマーキュリータワーです。
 あれ、このポスターでは「ガベバ」となっていますね。これはアフリカーンス語の「G」が喉の奥から出す激しい音で、あるときは「ガ」に、またあるときは「ハ」と聞こえて、日本語表記はどうしても決められない音だからでしょう。

 他の例としては、世界初の心臓移植手術で有名はケープタウンの Groote Schuur という病院がありますが、これはジョン・クッツェーさんに会ったとき何度か発音してもらって、喉から出す激しい「フ」と聞こえたので、わたしはもっぱら「フローテ・スキュール」と表記しています。

 1969年生れのバデルーン自身はあるインタビューで、あるときは「ハベバ」で、またあるときは「ガベバ」で、さまざまに姿を変えることができる、とじつにしなやかな、面白いことを言っていたのを記憶しています。

 さて、このセミナー、とても楽しみです。今日は夕食前に、彼女の著作『Regarding Muslims/眼差すムスリム』の『恥辱』について書かれた部分を、予習がてらざっと翻訳してみました。ケープタウンにおける植民地支配時代から面々と続く歴史的な性的搾取の分析です。『恥辱』の最初の章を細かく読み解いていく視点が光ります。先日書いたフレーズをここに再録しておきましょう。

”そう、ムスリムなのだ。そう、『恥辱』の冒頭に出てくるあの「ソラヤ」なのだ。
 これは面白い! 近著『鏡のなかのボードレール』でも触れるが、この有色女性の描写はともすると後半の劇的展開に目を奪われて、読後は印象が薄くなりがちな箇所なのだけれど、じつはクッツェーが極めて明晰かつ含みのあることば遣いで、南アフリカにおける人種をめぐる歴史の深層を暗示している箇所でもあるのだ。
 それは主人公である白人男性デイヴィッド・ルーリーには見えなかった歴史であり、教育や意図的認識によって合理化されてきた、歴史体験やその無知と彼が向き合わざるを得なくっていくドラマへの奇妙な助走をうながしている。この第一章に出てくる女性、それがソラヤだった。
 この本は、そのソラヤの存在を詳細に裏づける瞠目すべき好著である。”