Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/02/04

『鉄の時代』から朗読するクッツェー

 11月11日から3日間にわたってオーストラリアはアデレードで開かれた、Traverses: J. M. Coetzee in the World の初日、J・M・クッツェーがエルダー・ホールで朗読をした映像がYOUTUBE にありました。



 最初に彼を紹介するのは、朗読の前にピアノ演奏をしたアンナ・ゴールズワーシーさん。クッツェーさんはまず、今回のコロキアムを企画、実行した人たちへの謝辞を述べ、それから朗読を始めます。「20年以上も前に書いた小説ですが」といって読みはじめたのは、なんと『鉄の時代』でした。彼がなにを読むかは、主催者をはじめ、誰にも知らされていなかったので、びっくりしたのなんのって! 彼が読んだ部分の拙訳を少しだけ以下に。

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 ガレージのわきに細い通路があるのを、おぼえているかしら、あなたがときどき友だちと遊んでいたところ。いまでは使われることもなく、さびれ、荒れ果て、吹きだまった枯れ葉がうずたかく積もり、朽ちている。
 昨日、この通路のいちばん奥に、段ボール箱とビニールシートでできた家があるのを見つけたの。なかで男が、通りから来たとわかる男が、身をまるめていた──背が高く、痩せこけていて、風雨にさらされた皮膚に、長い虫歯の犬歯、ぶかぶかの灰色のスーツを着て、縁のほつれた帽子をかぶっていた。その帽子をかぶったまま、縁を耳の下に折り込むようにして寝ていた。浮浪者よ。ミル通りの駐車場をうろつく浮浪者のひとり、買い物客に金をねだり、立体交差の高架の下で酒をあおり、ゴミ入れをあさって食べる浮浪者。雨の多い八月はホームレスにとって最悪の月、そんなホームレスのひとり。両脚をマリオネットのように外に突き出し、箱のなかで、あんぐりを口をあけて眠っている。まとわりつく、芳香とはおよそいいがたい臭気──尿、あまったるいワイン、黴臭い服、ほかの臭いも。不潔。
 立ったまましばらく彼をじっと見おろしていた。じっと見ながら臭いを嗅いでいた。訪問客、よりによってこんな日に、わたしのところに舞い込んできた客。
 サイフレット医師から知らされた日だった。知らせは良いものではなかったけれど、それは、わたしのもの、わたしのための、わたしだけのもので、拒むわけにはいかなかった。両腕で抱きあげ、この胸にたたんで、家にもち帰るものだった。首を横にふったり、涙を流したりせずに。「先生、どうもありがとうございました。率直にお話くださって」とわたしはいった。すると医師は・・・

          ・・・中略・・・

 男はぎょっとなることをした。まっすぐに、初めてわたしを直視して、ぺっと唾を吐いたのだ。ねっとりと、黄色い、珈琲の茶色い筋を含んだ唾の塊を、わたしの足もとのコンクリートの上に。それからマグをわたしに突き返し、ぶらりと歩み去った。
 ものそれ自体だ、そう考えると身震いが起きた。わたしたちのあいだに登場した、ものそれ自体。唾はわたしに、ではなく、わたしの目の前に吐かれた。わたしがそれを見て、調べて、それについて考えることができるように。彼のことば、彼なりのことば、その口から吐き出され、彼を離れた瞬間は温もりのあったことば。紛れもない、ひとつのことば、言語以前の言語に属するもの。最初は眼差し、それから唾を吐くこと。どんな眼差しかって? 敬意のかけらもない眼差しよ。ひとりの男からの、男の母親ほどの老齢の女に向けられた眼差し。ほら──おまえの珈琲だ、持っていけ。

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さらに偶然は重なるもので、この夜、わたしがホテルに帰ってパソコンを開けると、東京からメールが入っていたのです。それは世界文学全集第一期に入ったこの作品の邦訳『鉄の時代』(河出書房新社刊、2008年)が増刷されることになったというニュースでした。嬉しい偶然の一致でした!