Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/01/08

「アフリカン・アメリカン」と「アメリカン・アフリカン」

 2015年を迎えて初めてのブログ書き込みです。2014年をふりかえってみると:

  5月:詩集『記憶のゆきを踏んで』(水牛、インスクリプト刊)
  6月:クッツェー『サマータイム、青年時代、少年時代』(インスクリプト刊)
  9月:クッツェー&オースターの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』(岩波書店刊)

 詩集と訳書2冊を出すという、ここ数年のうちで最も多産な年となりました。
 さらに11月にはオーストラリアのアデレードで開催されたJ・M・クッツェーをめぐる「トラヴァース:世界のなかのJ・M・クッツェー/Traverses: J.M.Coetzee in the World」というシンポ+フェスタに招待されるというラッキーな出来事もあり、いつもなら机に向かって坦々とキーを打つ暮らしが、一転して、あちこち動きまわるというペースになりました。そのため自分でも気づかないうちにエネルギーが切れてきて、暮れからはしばらくPCから距離を置く必要が生じました。ブログも休みがちとなりましたが、今日から復帰です。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 この間、いくつか新しい進展もあり、それが間もなく形になります。それらが出版されて書店にならぶころ、このブログでもお知らせしていきますが、まずはこのところ遠ざかっていた音楽の話題で始めましょう。

 暮れから聴いているニーナ・シモン。60年代のアルバムを少しまとめて聴きなおしました。

Nina Simone sings the Blues (1967年録音)
'Nuff Said!/Nina Simone (1968年録音)
Black Gold/Nina Simone(1969年録音)

 どれもライブ録音で、当時のアメリカ合州国でニーナ・シモンというミュージシャンがどれほど絶大な人気を誇っていたか、それが手に取るように分かります。
 60年代公民権運動、ヴェトナム反戦運動にからんだ集会やコンサートにもひっぱりだこだったという、この黒いディーヴァは、白人や男たちに決して媚びない姿勢が圧倒的に支持されたようです。

 とりわけBLACK GOLDというアルバムの最後の曲「To Be Young, Gifted and Black/若く、才能にあふれた黒人で」は心にしみます。ロレイン・ハンズベリーが書いていた戯曲と同タイトルの曲です。
 ハンズベリーは1930年生れの戯曲家で、黒人女性としてまれにみる才能を発揮しながら、若くして(なんと、34歳という年齢で)ガンで逝った人。1933年生れのニーナ・シモンにとってはまさに同時代、同年代のアーチストであり、実際親しい友人だったといいます。あの60年代をともに生きた人だったのですね。
 
 そんなニーナ・シモンも、晩年はパリに移り住み、そこで2003年に没しています。パリの「アフリカン・アメリカン」だったニーナ・シモン。今年翻訳に取り組むチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』は、逆に、アメリカに渡ったアフリカ人女性イフェメルが中心となる物語ですが、ここに「アメリカン・アフリカン」という表現が出てきます。

「アフリカン・アメリカン」と
「アメリカン・アフリカン」

 地球上を何百年のあいだに移動した人びとの歴史が、そして、それぞれの歴史的な立ち位置、その意味合いを考えてしまう作品です。