2014/08/30

雨の池袋で──「これでわかるクッツェーの世界」報告


 イベントが開かれた28日は、8月とは思えないほどひんやりとして、小雨もぱらつくようなお天気でした。暑熱の雑踏を避けて、郊外暮らしを決め込んでいる者には、ひさしぶりの人の波。屋外はひんやりしていても、建物のなかに入ると妙に蒸し暑かったり、冷房が効きすぎて寒かったり、体調調整の難しい季節です。

 J・M・クッツェーについて、こんなイベントが開かれたのは恐らく、わたしの知るかぎり、大学以外では初めてではなかったかと思います。それだけでも、なんだかどきどきしました。
 
『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの〈自伝〉』(インスクリプト刊)刊行記念イベントは、池袋ジュンク堂の4階カフェで予定通り7時半から始まりました。田尻芳樹さん、都甲幸治さん、というベストメンバーを迎えて、翻訳者のくぼたのぞみがこれまでの経緯などを語り、それぞれのクッツェー作品との出会いや、さまざまな角度からクッツェーの作品を読み込んだ話の展開になっていきました。思わぬエピソードも飛び出し、くだけた調子で笑いも入り、専門的な突っ込みもあり、となかなか得難い会になったと思います。
 なにしろこの三部作は、ジョン・クッツェーという人間のできあがっていく過程を素材にして、作家になった J・M・クッツェーがその作家生成のプロセスをフィクションとして書くという希有な試みです。
 クッツェーの他の作品に向かって全方位的に触手が伸びていく、そんな芽をいくつも内包するこの自伝的三部作の翻訳出版によって、これからのクッツェーの読み方が大きく変わっていくことを確かに予感できる充実した会になりました。

 雨の中、とても大勢の方に来ていただきました。遠くは関西からわざわざいらしてくださった方までいて・・・感激です。質疑応答では、質問がどれもクッツェー作品をしっかり読み込んでくださっていることがわかる濃い内容のものでした。

 二次会もとても盛り上がって、終電の関係でわたしは途中退席しましたが、参加者どうしの会話がはずんで、まだまだ話は尽きないようでした。

 ご来場くださった方々、ほんとうにありがとうございました。

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PS: facebook に昨日書き込んだレポートに加筆して、記録としてこちらにも残しておきます。2日後のいまも、当日の密度の濃い時間の余韻がまだ抜けません(笑)。

2014/08/27

クッツェーが選んだ12冊とは

クッツェーが選んだ12冊とは:

1)ハインリヒ・フォン・クライスト『O公爵夫人』
2)ロベルト・ヴァルザー『助手』
3)ダニエル・デフォー『ロクサーナ』
4)サミュエル・ベケット『ワット』
5)フォード・マドックス・フォード『良き兵士』
6)フランツ・カフカ『短篇集』
7)パトリック・ホワイト『完全な曼荼羅』
8)ナサニエル・ホーソーン『緋文字』
9)レオ・トルストイ『イヴァン・イリイチの死』『主人と下男』『ハジ・ムラート』
10)ロベルト・ムージル『三人の女』
11)ギュスタヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』
12)詩のアンソロジー

 意外や意外、ドストエフスキーは入っていませんでした。ふ〜ん。しかし、どういう経緯で選ばれたのか、アルゼンチンの出版社が出すシリーズだし、スペイン語版なわけでしょうから、すでに翻訳が出ていて、よく読まれているものをあえてはずしたということは考えられる。
 とにもかくにも、昨夜、このラインナップが発表されたと伝えるコロンビアのニュース。スペイン語なので、部分的にしか分かりませんが、タイトルをなんとか拾って上に載せました。

こうして見ると、ドイツ語圏作家が4人、英語圏作家が4人+1人、フランス語が1人、ロシア語が1人。
 ドイツ文学、フランス文学、イギリス文学という国別とか、「国語」のくくりから完全にはみ出てしまう作家が多い。ヴァルザーはスイス人だし、ベケットは途中からフランス語だし、カフカはプラハの住人だったし、ホワイトはオーストラリアだし・・・。
 もちろん、文学作品としてこれがすべてでも、ベストでもないと、クッツェー自身はことわってはいるものの、とりあえずこれがスペイン語圏で文学をやろうとする人たちへ向けて、クッツェーが発信する「個人ライブラリー」ということでしょうか。

PS: 二枚目の写真に写っている対話の相手は、コロンビアの若手作家フアン・ガブリエル・バスケスだそうです。クッツェーはいつものようにダークスーツにノーネクタイですが、バスケスはジーンズというくだけたスタイル、この対比もまた面白い。(ミーハー観察者の独り言です。)

PS: ボルヘスの短篇は勘違いでした。スペイン語の記事のなかでは、ボルヘスの図書館の話はあくまでイントロとして用いられていたようです。考えたら、これは翻訳書シリーズですから/汗。詩のアンソロジーが一冊入っていました。すみません! 


付記:2017.2.1──2014年8月にボコタの中央大学を訪れたクッツェーが、この個人ライブラリーについて、なぜこの12冊なのかということを詳しく語った動画があります。そちらもぜひ見てください。詳細はこのポストで。


2014/08/26

コロンビアはボゴタの大学でスピーチするクッツェー

昨年4月、コロンビアのボゴタを訪れたクッツェーはいまふたたび、この地の中央大学を訪れています。クッツェーという作家を形成する基礎となった12冊の本、という個人ライブラリーの発刊にちなんで長いツアーに出たクッツェー、まずはボゴタの「中央大学」でスピーチ。明日はその、アルゼンチンの出版社から出る12冊を市内の劇場で発表するようです。

その12冊とは? 記事にあがっているのは7人の作家の名前だけですが、おそらくホーソーンは『緋文字』、ベケットは『ワット』、フロベールは『ボヴァリー夫人』、クライストは『O侯爵夫人』で、カフカ、ヴァルザー、ムージル、とドイツ語圏の作家の名前があがっています。12人ですから、残り5人にはドストエフスキーなども含まれるのでしょうか。興味津々です。もちろん各巻にはクッツェー自身の序文がつくとか。ツアーはその後、ブカラマンガの大学、それからブックフェア、と続くようで、続報を待ちたいところです。

 それにしても、この数年のスペイン語圏へのクッツェーの熱の入れようは凄いな。作品にもそれは出ているけれど。

クッツェー:文学によって孤独を深々と抱擁する作家

明後日です!

時代と土地の境界をこえ、文学によって孤独を深々と抱擁する作家、それがクッツェーです。

 クッツェーの作品には、「世界文学」の底で、文学にたずさわる個々の人間の連帯をもとめる姿勢が秘められている。秘められている、ということは、読者がそれを探し当てなければならない、ということでもあって、それが、クッツェー作品を語るときに人がよく「gem/宝物」という語を用いる理由かもしれない。さあ、宝さがしに!

 「これでわかるクッツェーの世界」

 8月28日(木)午後7時半から、池袋ジュンク堂4Fで。
 田尻芳樹 × くぼたのぞみ × 都甲幸治(司会)

 予約していただくのがいちばんですが、当日その気になったら、ためらわず、迷わずおいでください。

2014/08/25

いよいよ3日後です/池袋ジュンク堂イベント


今日は、いよいよ3日後に迫った池袋ジュンク堂でのイベントのため、田尻芳樹さん、都甲幸治さんと吉祥寺で打合せ。駅ビルがすっかり変わっていて、びっくり。

 昨日は朝日新聞に佐々木敦氏による書評が掲載されたクッツェー三部作。とにかく、この本の面白さ、意表を突く形式、その内容の深さ、そして、クッツェーという作家の魅力について語り尽くします。ご期待ください。 

2014/08/19

これでわかるクッツェーの世界/再度、お知らせ!

9日後に迫ってきました!

<イベントのお知らせ>

『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの〈自伝〉』(インスクリプト刊)刊行記念イベント


 日時:8月28日(木)午後7時半から

 場所:池袋ジュンク堂本店4Fのカフェ



  田尻芳樹(東京大学准教授)
  都甲幸治(早稲田大学教授)
  くぼたのぞみ(翻訳者)

 入場料:1000円(飲み物代を含む)

 J・M・クッツェーは南アフリカに住んでいるころから、世界中の耳目を集めつづけている「世界文学」の最重要作家の一人です。昨年3月の第一回東京国際文芸フェスティヴァルにも特別招待作家として招聘され、3度目の来日をはたしました。

 今回のイベントは、この作家とサミュエル・ベケットへの関心を共有し、いくつものクッツェー論を展開する東京大学准教授、田尻芳樹氏、またクッツェー作品を深く読み込み、幅広い読者にその魅力を紹介してきた早稲田大学教授、都甲幸治氏、そして、1989年に初訳『マイケル・K』で日本の読者にクッツェーを紹介してから今日までに5つの作品を訳し、クッツェーの世界にどっぷり浸かってしまった(笑)訳者、くぼたのぞみが、夏の夜、クッツェー談義に花を咲かせます。

 クッツェーは今後ますますその存在が世界的な重要性をもつようになる作家と思われます。アカデミズムの場以外で、このような議論やトークの場が設けられるのは今回が初めて(?)かもしれません。ぜひ、夏の夜のクッツェー談義をごいっしょに!


2014/08/16

クッツェー三部作こぼれ話(2)──『少年時代』『青年時代』から

 ユダヤ・キリスト文明の源流にさかのぼってものを考える、というのが J・M・クッツェーの思考には常にあるのだけれど、預言者イエス・キリストについても彼は何度か面白いことを書いている。

たとえば『少年時代』にジョンが通ったカレッジ(ハイスクール)は聖ジョゼフ・カレッジという学校だった。マリスト修道会が経営するローマ・カトリック系の学校だ。
 1950年代の南アフリカは、1948年に政権を握ったアフリカーナー民族主義者たちが、教育にも人種別教育を強制し、白人の通う学校にも選民思想たっぷりの歴史の教科書を使わせた。『少年時代』には思春期の鬱屈した感情がたっぷり書き込まれている。しかし、カンネメイヤーの伝記によれば、南アフリカ国内の潮流として相対的に見ればではあるが、かなり自由な雰囲気のなかで少年はハイスクール時代を過ごしているという。

『少年時代』に描かれるこのハイスクール時代、アイルランドから移民してきたばかりの、青白い青年教師ウィーランという人物が登場する。このアイルランド愛国主義者が教える英語の作文の授業で、ジョンは良い点がとれたためしがない。書きたくもないテーマでいやいややらされる作文。それでも、ふと筆が走って思わずどんどん書いてしまった作文、これが馬に乗った街道の盗賊のことなのだ。なぜこれを書いたのか、出てきたのかもよくわからない物語だ。これはなんと関連するのか? ずっと考えていた。 

 往復書簡集のゲラを読んでいて、謎が解けた。これは18世紀末のドイツの作家、ハインリヒ・フォン・クライストのある作品に深い関係がありそうだ!
 もうひとつ、学友たちがミサの礼拝に行っている時間に、カトリックではない子供たち、たとえば彼のような、どちらかというとピューリタンに属する子供(少年自身は無神論者だと考えている)、あるいはユダヤ教の家族の子供、さらには裕福なギリシア人の子供(家族はギリシア正教?)は、カトリックの子供たちがミサ礼拝に行っているあいだ、教室でその教師ウィーランと聖書を読むことになっていた。そのくだり。

 「ミスター・ウィーランの聖書の授業に対する彼の反発は深まるばかりだ。キリストの譬え話が本当はなにを意味するか、ミスター・ウィーランはなにもわかっていない、と確信する。自分は無神論者だし、これまでもずっとそうだったけれど、ミスター・ウィーランよりはるかにキリストのことを理解していると思う。キリストがとくに好きなわけではないが──キリストはあまりにもすぐかっとなる──我慢する覚悟はできている。少なくともキリストは自分が神であるふりをしない、それに父親になる前に死んでしまった。それがキリストの強みだ。それが力を保持している理由なのだ。」
            ──『サマータイム、青年時代、少年時代』p151〜152

 引用部にある「それに父親になる前に死んでしまった。それがキリストの強みだ。」は、作家みずからが父親になって初めて見えてくる視点だろう。少年時代に考えたこととは思えない。こういうところに作家クッツェーの本音がぽろりと出てしまうところが面白い。

 キリストとの絡みは『青年時代』にも出てくる。ロンドンでパゾリーニの映画「奇跡の丘」を観るところだ。さらに、いまゲラ読みをしている『ヒア・アンド・ナウ』にもユダヤ・キリスト教文明と自分の存在の関係を歴史的に見て述べる箇所があって、これは「オリエント」の一部であるこの群島に住む者としては、クッツェーという作家の仕事の全体像を、相対的かつ俯瞰的に考える必要のある重要部分だと気づくところだ。

(註/上の3枚の写真は2011年11月にケープタウンに旅したときに撮った、聖ジョゼフ・カレッジの写真)

2014/08/15

『ヒア・アンド・ナウ』── 今日もゲラ読み!

 長年、エアコンを使っていない。机上の温度計は30度を越している。外は蝉しぐれ。

 窓に面した机の上でB4サイズの再校ゲラのページが、書き込みをするたびに腕の下で湿っていく。窓からの風があるのが救いだ。

 こんな夏をいくつも越してきた。この夏を越せば、ポール・オースターと J・M・クッツェーの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』(岩波書店刊予定)ができあがるはずだ。ユダヤ系移民の系譜のポール・オースターとオランダ系移民の系譜のジョン・クッツェーの、パレスチナ/イスラエル問題への発言も、2011年までのものとはいえ、しっかり含まれている。世界情勢へのこの2人のスタンスの違いも、ちらりちらりと垣間見える。
 しかし、なんといっても面白いのは作家としての「書くこと」への態度の違いだ。というか、手紙をやりとりしていて明らかになっていく、それぞれの作家としての特徴だ。そこがだんとつに面白い。
 夏の仕込みと秋の収穫。9月26日が発売予定だ。あときっかり6週間の道のり。

 わたしが生まれる4年と5カ月前に終った戦争の、69回目の敗戦記念日に。

2014/08/13

ギデオン・レヴィが現在のイスラエルについて語る

ふたたび、京都の岡真理さんからの情報です。イスラエルの新聞「ハアレツ」にコラムを書いてきたギデオン・レヴィが8月8日にテレビ(CNN)出演したさいの文字起こしを、岡真理さんが訳したものです。

☆転送歓迎☆
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京都の岡真理です。
テルアビブで開かれた、イスラエル市民による反戦デモに対する右派のカウンターデモのスローガンが、「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとりの指導者」というものでした。
http://mondoweiss.net/2014/08/nation-frightening-protest.htm
これは、ナチスが掲げたスローガンです。
ホロコースト・サヴァイヴァーの娘であるサラ・ロイさんは、「占領とは、他者の人間性の否定である」と語っています(サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ』青土社、2009年)。
イスラエルが西岸とガザを占領して今年で47年。そして、パレスチナ人の民族浄化とパレス治安の占領の上に自分たちの祖国を築いて66年。他者の人間性の否定が、国家の政策として半世紀以上にわたり遂行されてきました。その結果、イスラエル社会は、公然とパレスチナ人に対するジェノサイドが叫ばれ、レイシズムによるヘイトクライムが溢れ、そのことを国民の大半がなんとも思わないという異常な社会になってしまいました。
日本のマスメディアは報道しませんが、それは、決して、ごく一部の排外主義者が…という話ではありません。イスラエル社会全体がそうなってしまっています。反対意見の者たちも声があげられないという状況です(ガザ戦争応援デモでは、「アラブ人に死を!」とともに「左翼に死を!」と叫ばれています。)
占領は人間の魂を破壊するのだということ――占領されている者たちではなく、占領している者たちの魂を。
イスラエルのハアレツ紙のコラムニスト、ギデオン・レヴィがCNNに出演し、イスラエル社会のありようについて語っています。
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なぜ、イスラエルが、自らにとって最悪の敵なのか
ギデオン・レヴィ
CNN 2014年8月8日
■イスラエルには寛容が欠けている
・ガザ紛争から一か月、イスラエルの民主主義における先例のない亀裂が露わになっている。
・最大の問題は、イスラエルの主流派が、異議申し立ての声を容認することができないこと。
・イスラエル人の多くはもはや、パレスチナ人を対等な人間だとは見なしていない。
・[パレスチナ人に対する]非人間化が、イスラエル人にその占領を強化させ、パレスチナ人の権利を否定することを許している。
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ギデオン・レヴィはイスラエルの日刊紙ハアレツのコラムニスト。過去25年にわたり、イスラエルによる西岸とガザの占領をカヴァーしてきた。著書に『ガザの罰』(2010年)など。
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私が月曜の午後、アシュケロンに着いたとき、通りは半ばガラガラでした。今般の戦争が進行するなか、ハアレツ紙はつい先日、イスラエル空軍のパイロットと、彼らのガザ爆撃がもたらした深刻な被害について私が書いた批判的な記事を掲載したところでした。
ガザからさほど遠くない、このイスラエル南部の町に私がやって来たのは、ガザとの境界近くに暮らすイスラエル人社会全体に広がっている恐怖について記録するためです。我が国で有数のリベラル紙のコラムニストとして、私は、自分の見解に対して人々が敵対的であるということには慣れています。しかし、今回の出来事は、今までとは違っていました。
チャンネル2のインタビューをおこなうため町の公民館に着くと、人々の一群がすぐさま私のまわりに群がって、私がこれまで見たこともないような攻撃的口調で私を罵りました。ごろつきどもが私を取り囲み、インタビューを続けさせまいと、カメラの前で飛び跳ねました。番組の司会者は放送を打ち切りました。群衆は私に侮辱の言葉を投げつけ、私のことを「ゴミ」とか「裏切り者」と呼び、イスラエル人パイロットを殺人者と私が主張したと言って――そんなことは言っていないのですが――、私を非難しました。
群衆がますます怒りを募らせたので、私は車に駆け戻り、公民館から急いで立ち去りました。男たちの叫び声が、アシュケロンの通りを車で走る私のあとを追いかけてきました。しかし、町のごろつきどもだけではないのです。イスラエルの著名人までもが公然と私を「裏切り者」呼ばわりしています。ネタニヤフ首相の政党の古参党員、ヤリヴ・レヴィンは、テレビで、私のことを戦時反逆罪を犯していると言いました。ハアレツは私の安全を保障するためにボディガードを一人雇ったほどです。この出来事で私の生活はひっくり返ってしまいました。
彼等は、私を黙らせることには成功していません。私は、この戦争の残虐性について、暴虐非道、民間人の大量殺人、ガザの恐るべき破壊について書き続けるつもりです。
■パレスチナ人が人間でないなら、人権という問題も存在しない。
しかし、私の話ではないんです。語られるべき話とは、紛争が始まってちょうど1ヶ月がたち、イスラエルの民主主義に先例のない亀裂が露わになっているということです。長年にわたり、イスラエル政府がナショナリズムを煽ってきたこと、レイシズムを表明し、非民主的な法制化を行い、西岸のパレスチナ人に対する「プライス・タグ」行動[入植者が占領下の住民に対しておこなうヘイトクライム]で誰ひとり司法の場で裁かれもしないこと――こうしたすべての不寛容が、私たちの面前で突然、爆発したのです。
反戦デモの参加者は、通りで、右派の暴徒らに襲撃されています。フェイスブックの個人ページで、批判的な発言をしたために職場を首になったという人々がいるということも伝えられています。ソーシャルメディアは人種差別的で民族主義的で、例外的なまでに残虐で無神経な内容で溢れかえっています。そうした内容が次々に何万人というイスラエル人に広がるのです。
数週間前、ラマト・ガンのある大学教授が自分の学生たちに電子メールで、彼らの家族が、たとえそれが誰であろうと、この暗い時代に安全であることを願っていると伝えました。優しさをシンプルに示したこの行動で、学部長はこの教授に、学生たちに謝罪させたのです。学生たちのなかに、教授の言葉に感情を害したと訴えた者がいたからです。イスラエル人の血とパレスチナ人の血を区別しなかったということが、イスラエルの学界の価値感に反し、2014年のイスラエルでは公然のスキャンダルになってしまうのです。
イスラエルの人権団体、ベツェレムは、イスラエルのメディアが決して、イスラエルの攻撃によるパレスチナ人の犠牲者の名前を口にしないということを憂慮しています。それで、ベツェレムは、ガザで殺された子どもたちの何人かの名前と年齢をリストにして、有料の意見広告を作りました。しかし、イスラエルの放送当局は、これを流すことを拒否したのです。政治的に議論を呼ぶ問題だから、という理由で。
そんな例は枚挙にいとまがありません。しかし、最大の問題は、ガザのパレスチナ人の子どもたちの殺害を応援したり、民家にイスラエルの爆弾が落ちるたびに喝采する、周辺的な過激派ではありません。最大の問題とは、イスラエルの主流派が、この戦争のあいだ、声を一つにして語り、いかなる種類の異議申し立てであろうと、あるいは、パレスチナ人の犠牲や苦しみや虐殺に対するほんのちょっとの人間的共感でさえ、まったく容認することができない、ということなのです。
すべては、非人間化なのです。イスラエル人がパレスチナ人を対等な人間として見なさないかぎり、真の解決などありえません。不幸なことに、パレスチナ人の非人間化が、占領を強化し、その犯罪を無視し否定し、イスラエル人がいかなる道徳的ジレンマも覚えることなく心安らかに暮らすことを可能にする最良の道具となっているのです。パレスチナ人が人間でないならば、人権にまつわる問いも存在しません。このプロセスが、今回の戦争で頂点に達したのです。これが、イスラエルを覆い尽くしている、道徳感の欠如の基盤なのです。
イスラエルの最良の価値の一つ――イスラエルがもっとも誇るべき源の一つ――とは、私たちの社会がリベラルで、民主的で、自由であることでした。しかし、私たちが今、自分たちに対して行っていることは、ハマースのロケット弾などよりはるかに私たちの存在を脅かすものです。イスラエルは「中東唯一の民主国家」を自称するのが好きですが、その民主主義とは、ユダヤ系市民にとってだけの民主主義であり、彼らは、イスラエルの戦車が国境を超えるたびに、たちまち主流派と肩を並べるのです。
つねにこんなふうだったわけではないかもしれませんが、しかし、この新たな現象がすっかり浸透しているのではないかと恐れています。誰もそれを止めるものがいないのです。イスラエルのメディアは商業メディアであろうと自由メディアであろうと、それと共犯しています。法制度や司法制度も後退しています。政治制度もです。私たちにはこれから先、この夏の傷が刻まれています。今回、イスラエルの攻撃反対を怖くて口にできなかった者が、次に立ち上がるなどということはもはやありえないのでしょう。イスラエルについてこれ以上に悪いニュースなど思いつきますか?
[翻訳:岡 真理]

CNNの映像および原文は以下の通り:
Editor's note: Gideon Levy is a columnist for the Israeli daily Haaretz, which appears both in Hebrew and in English. He has covered the Israeli occupation of the West Bank and Gaza for the last 25 years. His most recent book, "The Punishment of Gaza,"was published in 2010 by Verso. The opinions expressed in this commentary are solely his.
(CNN) -- The streets of Ashkelon were half empty when I arrived on a Monday afternoon. The latest war was under way, and Haaretz had just published a critical article I'd written about Israel's air force pilots and the grave consequences of their bombardment of Gaza.
I came to this southern Israeli town, not far from Gaza, to chronicle the fear spreading throughout Israeli communities near the border. As a columnist for the country's leading liberal newspaper, I am quite used to people being hostile towards my views, but this was something new.
Gideon Levy
Gideon Levy
As I arrived in the town center for a live interview with Channel 2, a crowd of people immediately swarmed around me, cursing me with an aggression that I've never seen before. The bullies encircled me, jumping in front of the camera in an attempt to prevent the interview from going on. The show's host cut the broadcast off. The mob hurled insults at me, calling me "garbage" and a "traitor" and accused me of claiming that Israeli pilots were murderers -- something I never said.
As the crowd's anger grew, I rushed to my car and drove out of the town center, the men's screams trailing off as I steered my way out of Ashkelon. But it wasn't just the street mobs. Leading figures in Israel have publically called me a traitor. Yariv Levin, a senior member of Prime Minister Benjamin Netanyahu's party, called on TV for me to be charged with treason during war time. Haaretz has hired a bodyguard to ensure my safety, and my life has been turned upside down by the incident.
They haven't succeeded in silencing me. I will continue to write about the brutality of this war, about the atrocities, the mass killing of civilians and the horrifying destruction in Gaza.
If the Palestinians are not human beings, there is no question about human rights.
Gideon Levy
But I am not the story. The real tale to be told is of the unprecedented cracks in Israeli democracy that have been revealed in just one month of conflict. Years of nationalistic incitement by the Israeli government, of expressions of racism, of anti-democratic legislation, of price-tag actions against Palestinians in the West Bank, without anyone being brought to justice -- all of that intolerance has suddenly exploded in our faces.
Anti-war protesters have been assaulted in the streets by right-wing hooligans. People were reportedly fired from their jobs because of critical remarks they made on their private Facebook accounts. And social media was flooded with racist, nationalistic and exceptionally brutal and callous content, which was then spread to tens of thousands of Israelis.
Several weeks ago a university professor in Ramat Gan emailed his students to say he hoped that their families, whoever they might be, would be safe during these dark times. This simple act of kindness was enough for the dean of the faculty to try to have the professor apologize to his students, some of whom claimed to have been offended by his words. Failing to make a distinction between the value of Israeli and Palestinian blood is apparently enough to contravene the values of Israeli academia and cause a public scandal in Israel in 2014.
B'Tselem, an Israeli human rights organization, was concerned that Israeli media never mentioned the names of the Palestinian victims of Israel's offensive. So they produced a paid advertisement listing the names and ages of some of the children who had been killed in Gaza. But the Israeli broadcasting authority refused to air it, on the grounds that it was "politically controversial".
The list of examples could go on and on.
But the biggest problem is not the marginal extremist who cheers for the killing of Palestinian children in Gaza, or applauds every Israeli bomb that falls on a private residence. The biggest problem is the Israeli mainstream, which spoke with one voice during this war, and which had zero tolerance for any kind of dissent, or even the simplest human compassion with Palestinian sacrifice, suffering and bloodshed.
It is all about dehumanization. As long as Israelis don't perceive Palestinians as equal human beings, there will never be a real solution. Unfortunately, dehumanizing the Palestinians has become the best tool to strengthen the occupation, to ignore and deny its crimes and enable the Israelis to live in peace, without any moral dilemmas. If the Palestinians are not human beings, there is no question about human rights. This process climaxed in this war and this is the real basis for the moral blindness which has covered Israel.
One of Israel's greatest assets -- as well as the source of its greatest pride -- has been our liberal, democratic and free society. But what we're doing to ourselves now is a greater threat to our existence than Hamas' rockets could ever be. Israel likes to describe itself as "the only democracy in the Middle East," but it's really only a democracy for its Jewish citizens who are quick to fall in line with the mainstream every time Israeli tanks roll across the border.
It may not have always been this way, but I fear that this new phenomenon is here to stay. There is no one to stop it. The Israeli media, commercial and free, is collaborating with it; the legal and legislative systems are stepping back, and so is the political system. We will carry the scars of this summer with us from now on. The people who were too afraid to speak out against Israeli aggression this time around won't be any more likely to stand up next time. Can you think of any worse news out of Israel?

2014/08/12

ひさしぶりに書評を書きました

北海道新聞(8月3日付)に書評を書きました。

小菅正夫著『動物が教えてくれた人生で大切なこと』(河出書房新社刊)

現場知る人の闊達な語り

小菅さんは旭川のあの動物園、旭山動物園の元園長です。北大の獣医学部を卒業して獣医として動物園に勤務、園長になってから、動物の生き生きとした姿を見せる展示方法を取り入れて、旭山動物園をいちやく大人気にした人です。動物の話が、ホントに面白い。動物と人間のこれからの関係を考えるうえでも、面白い読み物です。

2014/08/07

「これでわかるクッツェーの世界」8月28日池袋ジュンク堂

8月28日、夏も終わりに近づくころ、池袋ジュンク堂本店でイベントをやります。

「これでわかるクッツェーの世界──拙訳『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの〈自伝〉』(インスクリプト刊)の刊行記念イベント」

 日時:8月28日(木)午後7時半から
 場所:池袋ジュンク堂本店4Fのカフェ

  田尻芳樹(東京大学准教授)
  都甲幸治(早稲田大学教授)
  くぼたのぞみ(翻訳者)

 クッツェーとはベケットへの興味を共有し、クッツェー論をいくつも発表してきた田尻芳樹さん、アメリカの英語文学を専門としながら日本語文学もまた鋭く、縦横に論じる都甲幸治さん、そして三部作の訳者であるくぼたのぞみが、クッツェー文学について語り尽くします。
 作家論、作品案内、翻訳裏話など、トリビア満載のトークイベントになるでしょう。3度にわたるクッツェー氏来日時のエピソードなんかも飛び出すかもしれません。
 
 思えばこれまで、大学などアカデミズムの場以外で、J・M・クッツェーについて本格的なトークイベントが開かれることはなかったかも? 
 肩の凝らない、それでいて、クッツェー文学の神髄に迫るような話にしたいと思います。

 みなさん、ぜひ、足をお運びください。

 申し込みはこちらです。

2014/08/04

イスラエルのモラルの敗北は末永くわれわれにつきまとうだろう──アミラ・ハス


<イスラエルのモラルの敗北は末永くわれわれにつきまとうだろう>
 ──「ハアレツ」by アミラ・ハス  2014.7.28

パレスチナ人の死者は1000人を超えた。あと何人?

もしも勝利が死者の数で計算されるなら、イスラエルとイスラエル軍は大いなる勝者だ。土曜日にわたしがこのことばを書いているときから、あなたが記事を読む日曜日までに、すでに死者数は1000人(70-80%が一般市民)をはるかに超えているだろう。

あと何人? 10の死体、それとも18? 妊娠している女性がさらに3人? 子供の死者が5人? 目を半分開けたまま、口はぽっかりと開いて、乳歯が突き出たままで、シャツには血がこびりついた何人もの子供たちが、たった一台のストレッチャーに載せられて? もしも勝利が敵に、一台のストレッチャーに、人数分のストレッチャーなどないのだから、その一台に殺害された大勢の子供たちを積み上げるさせることなら、ベニー・ガンツ参謀総長、モシェ・ヤアロン防衛大臣、あなたたがは────あなたがたと、あなたがたを賞讃する民族国家は──勝利したのだ。

 そしてトロフィーもまた新設国家へ渡ることになる、今回は、知っていながら可能なかぎり少ない情報を報じた、新設された著名人たちのもとへ、また、多くの国際メディアとウェブサイトのもとへ。「おはようございます、昨夜は静かな夜でした」と軍のラジオ放送のキャスターは、木曜の朝、上機嫌でアナウンスした。その陽気なアナウンスに先立つ前日、イスラエル軍は80人のパレスチナ人を殺し、そのうち64人は一般市民であり、そこには15人の子供たちと5人の女性が含まれていた。そのうち少なくとも30人が、その静かな夜のあいだに、イスラエル軍砲兵隊からの抗うすべもない砲撃と銃撃によって殺された。ここには怪我人の数も吹き飛ばされた家の数も含まれていない。

 もしも勝利がこの2週間に一掃された家族の──両親と子供たち、片親と子供たち、祖母と義理の娘たちと孫たちと息子、兄弟とその子供たち、ありとあらゆる組み合わせの家族を読者は想像できる──その数で計算されるとしたら、われわれは圧倒的に優勢である。ここで、備忘のために名前をあげておく:アル・ナジャール、カラウア、アブ・ジャメ、ガーネム、クアナン、ハマッド、ア・サリム、アル・アスタル、アル・カラク、シェイク・カリル、アル・キラニ。これらの家族の、過去2週間のイスラエルの爆撃を生き延びた者たちのあいだには、いまや死者をうらやむ者までいる。

 忘れてはならないのは、われらが法曹界のエキスパートのための勝者の花輪だ。彼らなしではイスラエル軍は動きが取れない。彼らあってこそ、家を──家のなかに住人がいようがいまいが構わず──まるごと吹き飛ばすことがいとも簡単に正当化できるのだ。家族の一員が適切なターゲットであるとイスラエルが見なしさえすれば(その一員がハマースのメンバーでありさえすれば、それが上級であろうが下級であろうが、軍事部門であろうが政治部門であろうが、兄弟であろうが家族の客であろうが関係なく)。

「もしもそれが国際法にのっとって合法であるとするなら」と、西側のある外交官がイスラエルを支持するという自国のポジションに衝撃を受けながら、わたしに語った。「国際法のなかに胡散臭いものがある兆候だ」

 われわれへの助言者たち、つまりイスラエルとアメリカ合州国の、そしておそらくイギリスの、特権的なロースクール卒業者たちにもまた花束を手向けよう。もちろん彼らはイスラエル軍に対して、なにゆえパレスチナ人の救助チームを銃撃し、負傷者のもとへ到着不可能にすることが許されるかを助言する者だからだ。怪我人の救助に向かう7人の医療チームが、この2週間のあいだにイスラエル軍によって撃たれて死んだ。7人のうち2人はこの金曜のことだ。ほかにも16人が負傷している。救助隊員が被災地へ車で行くことをイスラエル軍が妨げるケースは、この数には含まれていない。

 あなたはきっと、軍のいう「テロリストが救急車のなかに隠れている」を復唱するだろう──パレスチナ人は本当は負傷者の生命を救おうとしているのではなく、廃墟の下で血を流して死んでいく者をなんとかしようと本気で考えているのではない、それがあなたの考えていることではないのか? われわれの賞讃すべき情報部は、ここ何年もトンネルによるネットワークを発見できなかったのに、イスラエル軍に直接爆撃されたあらゆる救急車内に、あるいは人命救助のために出かけて足止めを喰らう救急車のすべてに、実際に武装したパレスチナ人が乗っていることをリアルタイムで知っているのか? それになぜ、近隣地区をまるごと砲撃してまで1人の負傷兵を救い出すことが許されて、それでいて瓦礫の下に埋まった高齢のパレスチナ人を救い出すことが許されないのか? なぜ武装した男を、もっと正確にいうならパレスチナ人戦士を、救い出すことが禁止されるのか? その戦士は、自分の住んでいる地域を侵略する外国軍を撃退しているときに負傷したにもかかわらず。

 もしも、180万人の人びとに生涯にわたって(今回だけではなく)いつ殺されるかわからないというトラウマの原因をあたえることで、勝利の成果を計算するとすれば、勝利はあなたがたのものだ。
 その勝利は、つまるところ、われわれのモラルの内破となり、いまや自省のかけらもない社会の倫理的敗北となる。その社会とは、出発を延期された飛行機を嘆く自己憐憫にふけり、啓蒙された者たちの誇りでその身を飾る社会だ。これは40人以上の殺された兵士の死を、当然ながら、悼む社会であり、と同時に、自分たちが攻撃している相手の苦悩と、モラル上の努力と、ヒロイズムに直面して、みずからの心と精神を硬化させる社会であり、力のバランスが依拠するその範囲を理解しない社会なのだ。

「すべての苦悩と死のなかに、じつに多くの優しさと慈しみの表現がある」とガザから友人は書いてきた。人びとはたがいに世話を焼き合い、たがいを慰め合っている。両親を支えるには何が最良の方法かを探る子供たちはとりわけそうだ。まだ10歳にもならない多くの子供たちが、自分より年下の子供たちを抱き締め、なだめ、恐怖から遠ざけようと必死に努力しているのをわたしは目にした。こんなに幼い年齢ですでに他者の世話を焼く者となっているのだ。身近な誰かを失っていない子供に会ったことがない──親、祖母、友達、叔母、あるいは隣人を。そのときわたしは思ったのだ──もしもハマースが第一次インティファーダの世代から、あのとき石を投げた若者たちが銃弾を手にしたときに生まれたとするなら、この7年間にくり返された大虐殺を経験した世代によって、それはこれからも大きくなりつづけるだろうと。

 モラルの敗北は末永くわれわれにつきまとうだろう。

原文はこちら。

*****転載歓迎****

2014/08/02

明日の夜は、下北沢に雪が降る?

天気予報です──明日は真夏の夜に、下北沢で雪が降るかもしれません。


いえいえ、雪はすで積もっていて、それを踏みしめる夕べです。

靴の先でつんつん突きながら、北に生まれた者がふたり、

ことばの雪を舞いあげます。

妖怪も出ます。

ひょっとして、それって、雪女? 

  くぼたのぞみ × 中村和恵


明日です! みなさん、ぜひ!

B&Bで、午後7時から。

2014/08/01

「現代詩手帖 8月号」に『記憶のゆきを踏んで』が


「現代詩手帖 8月号」の詩書月評で、水島英己さんが『記憶のゆきを踏んで』を取りあげてくれました。こんな引用も。

 ここから出て行く
 閉じ込められずに
 プロヴィンシャルとは
 地方とは
 そんな思いを募らせる場所
 それでいて
 土くれとともに
 あの風景のなかに
 死んだら姿を消したい
 紛れたいと 思いをはせた遠い記憶
 ノスタルジアふくらませながら
 回顧する場所
                粉雪が舞い狂うピンネシリの

                       「ピンネシリから岬の街へ──JMCへ」
 
 水島さんの文章のなかに「翻訳者であるということは言語の複数性を自らの肉体で生きるということにちがいない」ということばがあった。Muchas gracias!