E. Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2014/07/31

『記憶のゆきを踏んで』が共同通信の記事に

詩人の平田俊子さんが担当する月評「詩はいま 7月号」で、詩集『記憶のゆきを踏んで』(インスクリプト刊)を取りあげてくれました。とても嬉しいです。
 前半は八木忠栄氏の『雪、おんおん』(思潮社)について。新潟出身の八木氏の詩には新潟の雪が降り、北海道出身のわたしの詩には北海道の雪が降っている、と書いてくださった。たしかに、新潟の雪と北海道の雪とはちがうけれど、真夏に雪の詩集が二冊、というのも涼しげな趣向です。Muchas gracias!



2014/07/28

イスラエルのガザ攻撃はパレスチナ人が占領を受け入れないことへの復讐である──アミラ・ハス


イスラエルのガザ攻撃はパレスチナ人が占領を受け入れないことへの復讐である。
 ──アミラ・ハス(2014.7.23)

ハマスのロケット弾についてあなたがなんと言おうと、あれは他の民族を支配することを正常とするイスラエルの信念の表層を、少なくとも、かろうじて引っ掻いてみせたのだ。

 狂気には方式がある。イスラエル人の錯乱は、ガザでの復讐の範囲を把握することを拒否しているが、この錯乱には現状に非常に都合のいい理由がある。国家全体が軍隊であり、その軍隊が国家であり、そして両者はユダヤ人の民主的な政府とそれに忠実な報道によって代弁されていて、その四者が共同で回避しているのが甚大な暴露──パレスチナ人が現状を常態と認めることを拒否しているという事実──なのだから。
 パレスチナ人は従順ではない。彼らは適応を拒否している。これまでは、彼らの少数をVIP待遇し、その幾人かに銀行口座がふくらむチャンスをあたえ、想像上のパレスチナ統治のポケットをふくらませる巨額の寄付が合州国とヨーロッパから寄せられ、それでわれわれにとってことは上手くいっていると考えていた。
 ヨルダン川西岸地区の村々で執拗に、断固たるデモンストレーションをしても、それが他民族を支配することを正常とするイスラエル人の信念の表層すら引っ掻くことがなかった。ボイコット、投資引き上げ、経済制裁の動きはわれわれのエゴを少しだけ混乱させはしたが、それではイスラエル人にメッセージを理解したいと思わせるにはまだ不十分なのだ。パレスチナの和解政府はわれわれを次のステップへ踏み込ませようとしているかに見えた。そこにはイスラエルによって命じられた常態のショーを拒否する道へ踏み出す可能性があった。だが、ファタハとハマース内のじつに多くの勢力がそれを支持しなかった。

 そこで次は、ハマースのロケット弾が占領者の安堵を攪乱する番だった。あなたがそれをなんと言おうが、彼らはデモンストレーションや、タプジナ・オレンジドリンクをボイコットしたり、コンサートをキャンセルしたりすることでは不可能だったことに成功したのだ。
 国家、軍隊、政府、そして報道。あなたには目もあり耳もあるのに、あなたは見ようとしないし聞こうとしない。あなたはいまも、われわれがすでに流し、これからも流さなければならないとするパレスチナ人の血が長期の気休めになってほしいと願っている。それでいつものようにわれわれが占領状態へ戻れるといいと願っている。あなたは、これ以上大きな災禍が起きる前に、タイミングよく自分の権限を使うことを拒んでいる──かつてあなたが拒んできたように、ずっと拒んできたように。

 いやはや、あなたは権限をもちたいと思うときその力をもつわけだ。キブツ・ニル・アムのトンネルから月曜日にあらわれた武装ハマース工作員はイスラエル兵の服を着ていた。ハアレツ紙のアモス・ハレルが、野戦指揮官は最初、彼らが兵士なのかテロリストなのか判断がつかなかった、と書いている。「最終的に、ドローン(小型無人機)が撮影した航空写真のおかげで、彼らがハマースの工作員だと分かった」とハレルは書いているのだ。「彼らはカラシニコフを持っていた、これはイスラエル軍が使っていないものだ」と。

 だからドローンが撮影した写真は、操作する者がそうしたければ、じつに精密に撮影できるわけだ。海岸や屋根の上に子供たちがいるかどうかは識別可能なのだ──法務省と軍がどれほど法的アクロバットをやろうと、子供たちを、われわれの爆弾のターゲットにする正当な理由などありはしない。ドローンはまた救急隊が負傷者を引き出すために到着したことも、家族が自分の家から逃げ出したことも認識できる。すべてドローンによって撮影し、クローズアップした写真で見ることができるのだから、爆弾や砲弾を投下する兵士がキーボード上の「殺人」ボタンを押す正当な理由はどこにもない。しかし、どういうわけか、小銃のさまざまな製造元の違いを見分けるドローンの目は、あそこにいる人物が子供であるとか、母親や祖母であると見分けることができない。見分ける代わりに、全員に死刑をあたえるのだ。

 いまこの瞬間イスラエル人であることは、まるでそのドローンのようだ。目がかすむことをあえて選んでいるのだ。主人である国の、善良で快適な生活にしがみついて、その被統治者に邪魔などさせるものかと思っている。防衛大臣のモシェ・ヤアロンはそれを政治言語に翻訳してこう述べる──「和解政府を認めることにわれわれは同意するつもりはないが、検問所のコントロールといった他の協定は受け入れてもいい。(パレスチナ政府首相のマフムード)アッバスは検問所をコントロールするだろうが、彼はガザ地区をコントロールするつもりはないだろう」
 これはわれわれが常套手段として用いるものだ。ガザとヨルダン川西岸地区は切り離されている。ハマースがガザ地区をコントロールしているが、それはあくまでわれわれの支配のもとでであり、ファタハとパレスチナ自治政府が西岸地区内の狭い地区を、われわれの条件に合致したかたちで「統治」しているようなものだ。もしもパレスチナ人がときには飼い馴らされる必要があるなら、われわれは血を流して、さらなる血を流して彼らを飼い馴らすことになるのだろう。イスラエルに平安あれ。

*転載歓迎*

写真は、1枚目がハアレツ紙(7月7日付)。2枚目はガザ東部のシジャイヤ地区(7月28日、撮影:RS

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付記:この記事は基本的にイスラエル人が読者層と考えられる新聞「ハアレツ」に掲載されたものです。イスラエル人記者であるハスがまずヘブライ語で書き、それを英訳したものが英語版ハアレツに載りました。You, We, us, our はそのような設定です。

2014/07/26

パレスチナ/イスラエルの現実──岡真理さんからの情報です


このところのガザのジェノサイドについて、アミラ・ハスの記事を探していましたが、ヨルダン川西岸地区に足止めを食っているのか、あるいは「ハアレツ」紙の限界なのか、最新情報へのアクセスがさまざまな理由で以前にくらべて困難になっています。以下はfacebook からの転載です。
(地図を一枚つけます。この地図が1948年から現在にいたるイスラエル/パレスチナのもっとも大きな問題を物語っています。)


*******以下転載********
(中村一成氏より)
岡真理さんからの情報です。
ガザでの虐殺について、殺す側が喧伝し、マス・メディアが流布している「嘘」(たとえば「発端はイスラエル人少年3人の誘拐、殺人である」など)や、いくつもの「何故?」(たとえばエジプト停戦案をなぜハマースは拒否したかなど)に関して、学識者3人が答えているインタビューです。ぜひ読んでください。URLは原文、日本語は岡さんの訳です※シェア大歓迎
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ガザ紛争をめぐる誤解(July 23, 2014)
http://imeu.org/article/faq-misperceptions-about-the-conflict-in-gaza
回答者:
ダイアナ・ブット 
人権弁護士、ラーマッラーを拠点に活動するアナリスト。PLOアッバース議長の顧問も務めた。アル=シャバカ:パレスチナ政治ネットワークの政治アドヴァイザー。
ジョージ・ビシャーラート
カリフォルニア大学サンフランシスコ校ヘイスティングス法律カレッジ教授。パレスチナ研究所上級フェロー、パレスチナ法評議会もと法律コンサルタント。

ナディア・ヒジャーブ
アル=シャバカ:パレスチナ政治ネットワーク代表、パレスチナ研究所上級フェロー

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Q-何が、今回の暴力の爆発を引き起こしたのでしょうか?
ダイアナ・ブット(以下DB) 
4月に、[ファタハとハマースによる]パレスチナ民族統一政府の発足が発表されるや、イスラエルはそれを破壊することに照準を定めました。まず、政府を孤立化させようと圧力をかけ、それがうまくいかないとなると、3人のイスラエル人の少年たち(彼らはイスラエルの完全支配下にある西岸地区で誘拐されたのですが)の死を利用して、ガザのハマースを悪魔化しました。
少年たちが行方不明だった18日間のあいだに、イスラエルは西岸の、何百人ものパレスチナ人を逮捕しました。その中には、11名の議員と、3年前、捕虜交換で釈放された59名のもと囚人たちが含まれます。これらの人々は、3人のイスラエル人少年の死に何等かのかかわりがあるという証拠などまったくなしに逮捕されたのです。
さらに、イスラエルは、西岸の10人のパレスチナ人を殺害しました。うち3人が子どもです。そして3軒の家を破壊しました。イスラエルはガザ地区に空襲をおこない、国連が報告しているように、10歳の子どもを含む2人を殺害しました。これらはすべて、ハマースのロケット弾がガザから一発も撃ち込まれていない段階で起きています。イスラエルは、パレスチナ統一政府を外交的に解体することに失敗したとき、残忍な軍事攻撃に訴えることにしたのです。明らかなことは、既成事実が「正解」ではない、ということです。2012年の停戦段階に戻るということは、[今回は]機能しません。[2012年の停戦を]イスラエルはいとも容易に侵犯にしているからです。
ジョージ・ビシャーラート(GB)
イスラエルは、6月12日に誘拐され殺された、3人のイスラエル人の若者たちの悲劇的な死を、西岸のハマースを攻撃し、パレスチナの民族的和解を阻害するための道具として利用しました。外交的に、民族的和解を阻止しようとして失敗していたからです。
イスラエルは400人以上を逮捕し、2200軒もの家を家宅捜査し、捜査の過程で少なくとも9人のパレスチナ人を殺害しています。若者たちは、誘拐された直後に殺されたという証拠があがっていたにもかかわらず、イスラエル政府はそれを隠匿して、イスラエルの世論を狂乱状態に煽り、それが、ムマンマド・アブー・フデイルを焼き殺すというむごたらしい事態に直結しました。これらのシニカルな行動が、ガザの境界線に沿って暴力のエスカレーションを招きました。
ナディア・ヒジャーブ(NH)
イスラエルは、6月12日に3人のイスラエル人の10代の入植者が誘拐され殺されたことを利用して、西岸と東エルサレムに対する残忍な大弾圧を行いました。人権団体は、これを集団懲罰として非難しています。イスラエルはとりわけ、ハマースのメンバーを標的にしました。[少年たちの誘拐と殺害について]ハマースの犯行という証拠もなければ、ハマースも責任を否定しているにもかかわらず、です。真の標的は、ハマースが実現した民族的統一の合意でした。
しかし、事実を言えば、イスラエルによるガザに対する総力を挙げての攻撃は、遅かれ早かれ起きていたはずです。イスラエルは、ガザに対する自分たちのアプローチを「芝を刈る」と呼んでいます。つまり、2年か3年に一度は必ず、ハマースを攻撃し、弱体化しなければならない、ということです。ハマースが停戦に積極的であり、停戦を尊重しているということが証明されているのに、です。これが、イスラエルが、西岸と東エルサレムの占領と植民地化、そして、ガザの占領と封鎖を「経営する」やり方の一つです。
Q-イスラエルは自衛のために行動しているのですか?
DB いいえ、ガザに対する攻撃を最初に始めたのはイスラエルであり、ガザ地区(および西岸)に対して過酷な軍事占領を続けているという事実ゆえに、イスラエルは自衛を主張することはできません。それどころか、イスラエルは、その軍事支配下で生きるパレスチナ人を庇護するという国際法上の義務があるのです。
GB 自衛とは、暴力を最初に行使した国家が主張しうるものではないでしょう。イスラエルが西岸のハマースに対して暴力的な攻撃を行ったのですから。
NH そうです。戦争に関する規定を尊重すると誓う国際条約に署名した国連加盟国に、民間人や民間のインフラを無差別に攻撃する権利などありません。男性、女性、子供を問わず、実に大勢のパレスチナ人民間人が死傷しているという事実が、イスラエルの「自衛」の主張が嘘偽りであることを示しています。ハマースが停戦を維持することに積極的であったという事実によってもです。
さらに、イスラエルは、何十年にもわたって軍事占領し、植民地化している土地の住民たち、しかも封鎖下においている住民に対して「自衛」を主張することはできません。
停戦だけがパレスチナ人とイスラエル人を同じように守り、そして、占領と封鎖の終結こそが、恒常的平和への道を整えます。
ハマースもまた、民間施設を標的にするのをやめなければなりませんが、ハマースは国連加盟国ではなく、国際法の順守を誓う条約に署名していません。
Q-イスラエルは、ハマースを標的にして攻撃しているのですか?
DB いいえ。イスラエルは民間人の住宅や民間のインフラを攻撃していると思われます。今日までに、国連の算定によれば、殺された者たちの80%が民間人で、150人が子どもです。イスラエルは病院や学校、モスクも爆撃しています。これらはすべて、国際法で、標的にするのが違法とされているものです。
2000軒以上の家とその近隣の地区がイスラエルの攻撃で破壊されました。このようなことは、国際法とは矛盾します。住宅など民間の構造物が標的として合法の標的とされるのは、軍事目的に使用された場合だけです。
戦争に関する規定に関するジュネーブ条約追加議定書のⅠは、「信仰の場や、家その他の住居、学校といた通常、民間の目的のために使用される対象が、軍事行動のために効果的に使用されているかどうかが疑わしい場合には、軍事目的には使用されていないと推定しなければならない」 イスラエルは、パレスチナ人の家々が司令センターとなっていると主張していますが、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、こうした主張を退けています。
民間人と戦闘員を区別しない攻撃は違法です。イスラエルの論理を使えば、過去あるいは現在、イスラエルの兵士や警察官がいるいかなる家も合法的標的と言うことになります。軍が存在するところ、たとえば、テル・アヴィヴの防衛相も、合法的標的です。明らかに、このような論理は受け入れがたいものです。
これはヴィデオゲームではありません。イスラエル軍は、ハマースに関係している者なら誰であろうと攻撃しています。戦闘員であるかどうかなどおかまいなしに、民間の基盤施設であろうと一顧だにせずに。
GB イスラエルはどうやら、ハマースの幹部なら誰でも、「戦闘員」に分類しているようです。実際にどんな仕事をしているかなど関係なしに。たとえばガザの警察庁長官のタイシール・アル=バトシュは、彼が従兄の家を訪ねているときをわざわざ狙ってイスラエルは攻撃し、タイシールは負傷、彼の親族18人が殺されました。
国際法上、警察は民間人です。そして、これは、一見したところ、明らかな戦争犯罪です。個人の住宅に対してなされるその他、多数の攻撃も同様に戦争犯罪です。もちろん、最終的な結論を下すには、さらに調査してみる必要がありますが。
イスラエルは、病院や、浄水施設、下水道、その他、ハマースとは何の関係もない民間の基盤インフラも攻撃しています。実際のところ、イスラエルは、軍事目標と民間人を区別するという国際的な法的要請を尊重していると主張していますが、イスラエル自身の行動が、ハマースを政治的に弱体化させるために故意に民間人を殺すという政策をとっているということを物語っています。
NH 民間人の死傷者の数が、イスラエルの主張を切り崩しています。国連の数字によれば7月22日までに殺された、640人を超えるパレスチナ人の死者の中で民間人は433人。一方、イスラエル側で殺された民間人は2人です。この数字を比べてみてください。
Q-ハマースはなぜ、停戦を受け入れるのを拒否したのですか?
DB ハマースにしてもその他の党派にしても、エジプトが提案した停戦案について相談されませんでした。エジプトはパレスチナやパレスチナ人を代表などしません。パレスチナ人を代表するのはパレスチナ人だけです。提案された合意の場に主要な当事者がいないのに、事態が前進するなど考える方が愚かです。さらに、イスラエルは最近、必要物資をガザ地区に入れ、同時医、パレスチナ人が亡くなった者たちの遺体を埋葬できるようにするための人道的停戦を拒否しました。
GB ハマースは停戦の申し出を受け入れるのを拒否しましたが、この申し出について事前に相談されておらず、公平さという点で基本的な要件を満たせていませんでした。しかし、それから24時間以内にハマースその他のパレスチナのグループはイスラエルに対して10年間の休戦協定を申し出ました。この協定でイスラエルはガザ地区の封鎖をやめていただろうし、その結果、長期にわたりこの地域の安定も保証されていたでしょう。しかし、イスラエルはこの申し出に応えませんでした。[長期的安定よりも]イスラエルにとっては、定期的に「芝を刈る」ことの方が都合が良いようです。
NH ハマースは停戦を受け入れたいと思っていますが、しかし、それは、イスラエルが尊重し遵守する停戦であり、ガザに対する封鎖を解除する停戦です。ガザのパレスチナ人は、圧倒的多数を占める民間人もハマースその他の党派のメンバーも、2007年以来、[封鎖下で]緩慢に殺されるか、[攻撃で]一瞬で殺されるか、という二者択一を迫られています。イスラエルがガザに課し、エジプトもその維持に協力している厳格な封鎖の結果、飲料水もなく、栄養も不十分で、医療も十分ではないせいで、病気や疾病で死ぬのか、イスラエルが、そろそろ「芝を刈る」頃だと決めたとき、あっという間に死ぬかのどちらかだ、ということです。
「国境の検問所が開放されて、人々や物資が自由に移動できるようにならないかぎり、ガザのパレスチナ人は、もっとも基本的な権利のないまま、これからも生きることを強いられることになります。」
Q-ハマースはパレスチナ人を人間の楯に使っているのですか?
DB ガザは縦40キロ、横が最長でも12キロの土地です。そこに180万近くのパレスチナ人がいます。ガザ地区は、世界でももっとも人口過密な地域です。さらに、この攻撃の以前から、ガザ地区の35%の地域がパレスチナ人立ち入り禁止――進入は死の危険を伴います――になっており、イスラエルは、これらの地域を立ち入り禁止区域として維持しています。つまり、ハマースがこの小さな地区の内部で闘うとき、パレスチナ人の民間人を援護には使いません。
[ハマースが民間人を人間の盾に使っていると]イスラエルはずっと主張していますが、今日まで、国際的な調査によっても、これらの長期にわたる主張を裏付ける証拠は何もありません。にもかかわらず、この主張が、多くの者に受け入れられ、まかり通っているのです。皮肉なことに、その逆こそ、確証されています。イスラエルは、軍事作戦を行うとき、パレスチナ人の民間人を人間の楯として使っています。
GB ハマースは、居住区の内部から闘います。人口過密なガザ地区です。しかし、ハマースが攻撃避けに、故意に民間人を危険にさらしているという主張は、ほとんど実証されていません。この主張は、「犠牲者を非難する」ためのものです。確かに、パレスチナ人にとっては、パレスチナ人の血を流しているのはイスラエルだといういことは、疑う余地もなく明らかです。
NH イスラエルは、ニューヨークの半分以下しかないガザ地区の44%を軍事的な「バッファ・ゾーン[進入禁止区域]」にしています。誰が誰を人間の盾に使っているのでしょう?
Q-イスラエル軍は、民間人の死傷を避けるために、可能なあらゆる注意を払っていますか。
DB いいえ。「屋根をノックする」方式で、つまり、家を爆破するに先立ってまずミサイルを家の上に落とすということですが、死をもたらしています。アムネスティ・インターナショナルのフィリップ・ルーサーによれば、「民間人の家に向けてミサイルを発射することは、効果的な「警告」を構成するなどということはありえない。アムネスティ・インターナショナルは、ガザ地区に対するイスラエルのこれまでの軍事作戦において、このようなミサイルによって殺害された、あるいは負傷した民間人の事例をまとめている」と彼は語っています。
加えて、イスラエルは[攻撃を警告し、退避を勧告する]リーフレットを撒いていると主張しますが、これらのリーフレットには、人々がどこに行けば安全かということは書かれていません。イスラエルの人権団体が書いているように、「リーフレットを撒くことでは、その地域に民間人は一人も残っていないと見なして、民間の用地を攻撃してよい、という許可を軍に与えはしない。軍は、すべての住民がほんとうに自宅を後にした、と仮定してはいけない」
さらにイスラエルは、鉄のドーム・システムが、イスラエルの民間人の死を防ぐのに効果を発揮していると主張しています。この主張を踏まえ、また、イスラエルの民間人の死者が2名(パレスチナ人の死者数は650名)であることを踏まえると、民間人を傷つけずに、イスラエルに向けて発射されるロケットを問題にする別の方法があることは明らかです。
GB これまでの回答のいくつかが示唆しているように、もちろん、違います。民間人に対して、効果的な避難場所などどこにもない状況下で家を離れろと警告することは無意味です。シュハイバル家の3人の少年を含む多数のパレスチナ人が、イスラエルの「屋根をノックする」というやり方で――つまり、より破壊力のある兵器を使う前に、警告用とされているミサイルを発射することで――殺されています。
NH ガザは地球上でもっとも人口過密なところの一つです。空から、陸から、海から攻撃しておいて、何百人もの民間人を殺さないでいることなど不可能です。ガザの民間人の殺傷を防ぐ唯一の道は、停戦しかありません。ハマースは過去の停戦を遵守してきました。そして、平和を実現する唯一の道は、西岸と東エルサレムの占領と植民地化、およびガザの封鎖を終結し、長期にわたり否定されてきたパレスチナ人のその他の権利を尊重するという合意を結ぶことです。
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以上
PS:爆撃の写真はこの記事が載ったサイトではなく、英ガーディアンの記事からの転載、以下にキャプションとクレジットを。

Smoke from an Israeli air strike rises over the Gaza Strip on 25 July 2014. Photograph: Majdi Fathi/NurPhoto/Corbis

2014/07/21

8月28日:「J・M・クッツェー」をめぐるトークイベント

決まりました!

J・M・クッツェーの自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの〈自伝〉』が、さる6月にインスクリプトから刊行されたことを記念して、

8月28日(木)午後7時から、
池袋ジュンク堂で、トークイベントが開催されます。

出演:田尻芳樹さん × くぼたのぞみ
司会:都甲幸治さん

詳細は追ってまた。

先日他界したゴーディマへのクッツェーのコメント

 ナディン・ゴーディマがヨハネスブルグの自宅で7月13日、子供たちに看取られて亡くなった。享年90歳。

 作家ゴーディマの訃報のあと、15日に同時代の南ア出身の作家として、J・M・クッツェーがBBCに語ったことばがここで読める。備忘録のためにここに訳出しておく。


 作家として、そして人間として、ナディン・ゴーディマは手本とすべき勇気と創造的エネルギーをもって、彼女が生きた時代の大きな試練に対し、つまり、南アフリカの人びとに理不尽に課され、残酷に実行されたアパルトヘイト制度に対して応答したモデルとして19世紀の偉大なリアリズムの小説家に倣いながら、彼女は一連の作品を書いたが、その作品には20世紀後半の南アフリカが永遠に消えることなく記録されている──J・M・クッツェー

2014/07/20

そぞろに不思議な読後感 ──藤原辰史著『食べること 考えること』

 タイトルにあるように「食べること」をめぐって真摯に考えた文章がならんでいる。農業思想史、という学問をする人のことばなのだが、机上の理論ではない。農作業の現場で体験した肉体疲労と身体疲労の違いとか、豪雪でかしいだ墓石を立て直す作業が残した「嫌な感じ」とか、痛みを感じる身体「感覚」からの出発がまずこの人の思考の原点にある。それはある種の切なさでもあって、この人のことばが信頼できる鍵となっている。

 そぞろに不思議な読後感──読んだあと、そんなことばがふと脳裏をよぎった。どんな意味かというと、記憶がゆさゆさと揺さぶられたのだ。著者、藤原辰史さんはわたしの息子と1歳しか違わない。なのに、まるでわたしが1950年代にすごした北海道の田舎のくらしとそれほど変わらない生活を体験的に描いてみせる。そのことにまず驚いた。

 歴史的に日本の農業が近代化される過程でどのような変遷をしてきたか、それによって社会がどう変化し、食べることや、労働や、家族関係を含む人と人の関係がどう変わってきたかに切り込む視点が鮮やか。日本だけではなく世界規模で動いているいまの経済システムのなかで、植民地と搾取の歴史的視座をぱっと透視する契機をも視野におさめながら──目の前のハンバーガーから見る者の位置がすうっと後ろへ引かれて、世界史的脈絡のなかに位置づけられ──それぞれのシーンがまるで早回しのスライドショーのようにくり広げられるのだ。

 なんといっても強烈な印象を残すのは、台所だ。彼が育った家の台所風景は、わたしが生まれて育った最初の小さな家の台所風景や、次に一時的に住んだ借家にあったタイル張りの流し(システムキッチンのシンクではなく、皿を落とすと粉みじんになるタイルの流しだ)を突然、記憶の底から引っ張り出した。蠅がびっしり貼り付いた蠅取り紙。台所の窓の向かいの牛舎からたちのぼる臭気。スライドショーのシーンの一つひとつが、細部をリアルに想起させながら、記憶の引き出しを開けてしまったのだ。さあ、どうする。

 著者は『ナチスのキッチン』(未読です)という著書で第一回河合隼雄賞を受賞した人だ。有機農法という循環農業の方法についても、無農薬野菜を育てる農法はナチス思想のなかから生まれたのだと、目からうろこの指摘をする。

 日本の農業経済を近現代化の歴史と重ね合わせた切り口で描いてみせるその文章からは、これまで自分でも思っても見なかった風景が(「雪印」の歴史的意味や満州移民のイデオローグなど)、細部をたっぷりと喚起する早回しの物語となって、ありありと立ち上がってくるのだ。面白くないわけがないじゃないか。

藤原辰史『食べること 考えること』(散文の時間)共和国刊、定価2400円+悪税

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2014.7.20付記:朗読劇「銀河鉄道の夜」を観て考えたこと→→宮澤賢治という人と彼の仕事について、もう一度、近現代日本における農村ユートピア思想、というか、農民ユートビア思想というか、ベクトルの方向を含めて、じっくりと批判的に再考してみたい思いにかられた。

2014/07/18

世界横断クッツェー祭に参加

 11月中旬にアデレード大学で開催される「世界横断クッツェー祭」に参加するため、昨日、旅立っていきました。早々と。

 旅に出たのは書籍、つまり、拙訳『サマータイム、青年時代、少年時代』です。クッツェー祭の展示物のひとつになります。9月には、オースターの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』も追いかけることになるでしょうか。
 
 
 

しっかりやっておいで、と子供を送り出す母の気持ち・・・はあ。


☆  ☆  ☆

PS: それにしても、昨日、イスラエルがガザに地上軍を侵攻させて、、、、「ハアレツ」に発表されたアミラ・ハスの記事を探すのだけれど、購読手続きをしないと新しい記事がまったく読めない。3日ほど経たないとオープンにならないのだ。それでも見出しだけなら昨日まで読めたのに、今日はまったくダメ。ハスの記事を検索する人が世界中からアクセスしているのだろうか。

2014/07/14

山羊にひかれて

1969年にこの曲「山羊にひかれて」を聞いたとき、これはわたしの曲だ、と(勝手に)思った。1974年にこの歌手、カルメン・マキがかつて所属していたレコード会社に入ったとき、すでに彼女は他社に移籍したあとだった。

 それから10年後、『山羊にひかれて』はわたしの第二詩集のタイトルになった。


2014/07/13

お花が届いた:詩集の感想の代わりにと

ぴんぽ〜ん、とチャイムが鳴って、いつもの宅急便のお兄さんが、縦長のダンボール箱を抱えてドアの向こうにあらわれた。
「ええっ、大きいなあ、なんだろ?」ドアを開けて受け取った家人の声がする。
「お花みたいですよ」そのお兄さんの声もする。

 学生時代からしばらく「未踏」という同人誌を出していたことがある。花はそのとき誌面でいっしょだったYさんからのプレゼントだった。2冊目の詩集『山羊にひかれて』を出したとき、当時、M新聞の武蔵野支局長をしていたYさんが、吉祥寺で出版記念会を開いてくれたのは、1984年だった。
 あれから30年。仲間だった人たちのなかにはすでに故人となった人もいる。同人誌の題字を筆で書いてくれた師の安東次男も鬼籍に入った。今回は、みんなで集まるのもちょっと無理そうだから、と花を贈ってくれたのだ。その心遣いがとても嬉しい!

 4冊目の詩集『記憶のゆきを踏んで』を出したのは、ひとえに、J・M・クッツェーの作品『サマータイム、青年時代、少年時代』を翻訳する過程で、みずからの出身地の記憶と向き合わざるをえないと思ったからだ。花と同時に送られてきたメッセージには、「北海道から南アフリカまで一跨ぎのミューズ」ということばも添えられていた。わたしの詩に霊感をあたえてくれるものとはなんだろう? 今回にかぎっていえば、おそらく、翻訳という行為そのものだろうな。

 8月3日夜、「失敗して転んでも笑ってはいただくつもり」という中村和恵さんをゲストに迎えて、下北沢のB&Bで朗読会を開きます。ぜひ、足をお運びください。

 

2014/07/11

11月にアデレードで「世界横断 J・M・クッツェー祭」

J・M・クッツェー、「世界文学の作家」という呼称がこの人ほどぴったりくる作家もいないかもしれない。現在74歳。来年の2月で75歳を迎えることを祝い、記念して、この11月に3日にわたって、彼の名前が冠されたアデレード大学「J・M・クッツェー創作センター」の主催で、とびきり面白そうな催し物が開かれる。 

TRAVERSES: J.M. Coetzee in the World 


11-13 November 2014 




この作家がこれまで成し遂げた仕事に敬意を表するため、また彼の仕事が広く研究者や創作者にあたえたインパクトを探るため、世界的なクッツェー研究者が集まって3日間のコロキアムが開かれるそうだ。
 
 コラージュされている写真がまたすごい。瞠目! 幼いころ、というか、赤ん坊の写真から始まって、幼児期、少年期、青年期、壮年期、そして、つい最近のものまでずらりと並んでいるのだ。『少年時代』を思わせる小学生時代のもの、斜にかまえたハイスクール時代のプロフィール、髭を生やしはじめた『青年時代』の写真、そして作家になってからの、クッツェーふぁんにはおなじみの写真まで。

 これはきっと、自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代』の読者の方々にはたまらない面白さではないだろうか。作品を読みながら、この章に描かれているのは、この25枚のコラージュのどの辺にあたるかな、なんて考えながら読むことができるのだから。
 訳者としても、初めて見る写真がたくさんあって、へえ〜っ! と声をあげてしまった。

 催しにはさまざまな展示、ステージ、発表、議論や討論が予定されているらしい。もちろんクッツェー自身の朗読もあるそうだ。これは面白そう! 困ったなあ、またまた、南半球までのこのこ出かけていきたくなるじゃないか。
 

2014/07/08

ジョンとポールの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』のゲラが届く

さて、今日からまたゲラ読みの日々だ。

 クッツェーとオースターの往復書簡集の初校ゲラがどさりと届いた。どさり、といっても三部作にくらべると、六分の一ほどの量だから、ぱさり、くらいかもしれない。

 それでもゲラはゲラだ。一行一行、目を凝らして読む。ことばをあれこれ調整しながら、文章を作っていく作業は、楽しいけれど肩も凝る。凝りをほぐすために、夕方からはワインタイムとあいなる。
 この湿気の多い季節は、以前ならビールが最髙に美味しい時期だったのだけれど、冷たい飲み物を多量に飲むことが御法度となってからは、もっぱら軽く冷やした白ワインだ。
 
 先日、ジョンとポールがアルゼンチンで行った朗読を三部に分けて見ることのできるサイトを見つけたので、それを聴きながら、見ながら、ゲラを読むのはなかなか楽しい。といっても、彼らは、本にした手紙をそのまま読んでいるのではなくて、あちこち削って、繋いで、うまく朗読テキストを作り上げているので、ゲラとは一致しない。
 それでも、二人が交わすことばのリズム、口調、気持ちの片鱗のようなものはびんびん伝わってくるので、翻訳をしあげるにはとても参考になる。

2014/07/05

クッツェー三部作の翻訳こぼれ話(1)

 ほぼ3年にわたる作業のなかで、いつもながら発見がいろいろあった。事実と虚構のあわいを漂いながら、作品に書かれていることとフィクションの差異がうっすらと、だんだんくっきりと、そして間違いなく明確にわかる瞬間に、何度も遭遇した。

 それとは別に、クッツェーの年譜を作成しているうちにいくつも気づいた、記述されていることそれ自体の不一致。たとえば1990年に南アフリカの National English Literary Museum (NELM) から出版された、この作家のバイオグラフィーには、1987年にクッツェーがイエルサレム賞を受賞したことがこのように記されている。

 1987. Awarded the Jerusalem Prize for the Freedom of the Individual in Society, for Life & Times of Michael K.   ── p16
(1987年、社会内の個人の自由を描いた『マイケル・K』でイエルサレム賞受賞)

 だが、カンネメイヤーの伝記ではこうなる。

 Coetzee received the Jerusalem Prize for Foe in December 1986.   ──p411
(クッツェーは1986年12月に『フォー』によってイエルサレム賞を受賞した。)

 他の研究者、Jane Poyner の論文にも、Foe でこの賞を受賞したと記述されている。

 考えてみると、しかし、イェルサレム賞は、Wikiなどによると、基本的には個別の作品に対してではなく、作家の仕事全体にあたえられる賞だという。とすると、NELM版の記述は間違いということになるし、カンネメイヤーやポイナーの理解も違うということになるのか。あるいは賞自体が、個別の作品にあたえられる賞から作家に対するものへ変わったのか? クッツェーの場合だけ、作品に対してあたえられたのか? どうなんだろう?

 そこで、年譜にはたんに1987年にこの賞を受賞、と記載した。受賞記念講演はクッツェーの講演のなかでもきわめて重要な意味をもつもので、1992年に出版された初期エッセイ/インタビュー集『Doubling the Point』にもおさめられている。これもまた、再読してみると、いくつも発見があった。むかし読んだときと印象がちがうのだ。味わいも断然ちがう。一般的なスピーチとして読むのと、クッツェーという書き手が抱える歴史的脈絡を明確に認識できてから読むのとでは、一つひとつのことばの重さ、ニュアンスの深さがまるで異なってくるのだ。味わいもまた。


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発売からおよそ10日。3日前に早々と「在庫切れ」になったAmazon ですが、この2日間はなぜか、「取り扱いません」という表示になっていました/涙。Why?  それが今朝から、無事に復帰。
 分厚くて一冊の本としては高めですが(でも三作分としてはとてもお買い得!)、嬉しいことに、順調に動いているようです。

2014/07/02

8月3日(日)真夏の夜のイベントをB&Bで

イベントをやります。場所は下北沢のB&Bです。

「こぼれ落ちることばたち
 ~翻訳をして、詩を書いて」
『記憶のゆきを踏んで』
『天気予報』刊行記念

中村和恵さんといっしょです。8月3日夜7時から。今年はふたりとも、ひさびさに詩集を出しました。
出し物は詩の朗読とトーク。中村さんはなにやら面白いパフォーマンスも考えてくれています。ふたりとも北海道出身者なので基本的に直球が得意ですが、中村さんは絶妙な変化球を出す隠しわざの持主でもあります。さて、どんな展開になるのやら! ビール片手に真夏の夜を、ごいっしょに! 

お申し込みはこちらへ!