Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2014/06/18

スポーツとは負けることを学ぶ場である

 ブラジルで行われているワールドカップ。スポーツとは、それぞれの国家がチームを作ってたたかう催しとは、考えてみれば、「負ける」ことを学ぶ場ではないのか。

 いま最後の訳稿を見ている『Here & Now』──ポール・オースターとJ・M・クッツェーの往復書簡集──に出てくることばだ。そう言っているのはジョンのほうなのだけれど、けだし名言だと思う。

 スポーツ大好き人間のジョンとポール。サッカーやクリケット、野球やテニス、テレビの前にどっかと座って、読みかけの本をほっぽり出して見入る2人の文豪たち。しかし、ただのスポーツ好きにとどまらないところが作家の作家たるゆえんだろうか。ジョンはポールに対してこう書く。

「つまりスポーツは良いことだと僕たちは考えている。しかし、なぜだ? だって、男のスポーツはもちろん人をより良い人間にすることはないし──スポーツでは抜きん出ていても人間としては、たいしたことがない例は掃いて捨てるほどある。だがひょっとしたら、ここには僕たちが見て見ぬふりをしている重要な問題があるのかもしれない」


「スポーツには勝者がいて敗者がいる。あえて言うこともないのは(あまりに明らかだから?)勝者の数をはるかに上まわる敗者がいるということだ」

「プロのテニスについて考えよう。トーナメントには32人の選手が参加する。彼らの半数が第1ラウンドで負け、甘美な勝利を一度も味わうことなく家に帰る。残った16人のうち8人はたった一度の勝利と追放を味わって家に帰る。人間的見地から言うなら、トーナメントでひときわ目立つ経験は敗北という経験だろう」

 そしてジョンはこう結論づける。

「スポーツが教えてくれるのは勝つことについてよりも負けることについてで、理由は簡単、われわれのじつに多くが勝たないからだ。なによりそれが教えてくれるのは、負けたっていいんだ、ということである。負けることはこの世で最悪のことではない、なぜならスポーツは、戦争と違って、敗者が勝者によって喉を掻き切られることはないのだから」

 なるほど!