2014/04/29

ポールとジョンの朗読 in ブエノスアイレス

4月末にチリからアルゼンチンへ行き、ブックフェアで朗読をした2人、ポール・オースターとジョン・クッツェー。ネット上で読める記事はたいがいスペイン語ですので──当然ながら──よく分からない/涙。

ここではせめて、2人の写真をアップします。スペイン語が得意な方は、ぜひ記事を読んで、面白いことが書いてあったらどこかにアップしてください。

クッツェーのめずらしいインタビュー記事とか。チリの軍政下での検閲制度のもとで文学者たちがどう書いたかとか。








San Martin Univ. で2人が名誉博士号を授与されたとのこと。クッツェーはこのとき Diary of a Bad Year から朗読しました。詳しい記事はこちらへ

2014/04/27

翻訳者泣かせの南アフリカ英語──その3

「その2で kaffir」について書いたのが2010年7月だったから、もう4年近く前だ。さて、今回は「sjanbok」という語について。西成彦さんが南アフリカのユダヤ系作家フェルドマンの短編をイディッシュ語から訳しているのを読んで、はたと気づいた。あら。

「sjanbok」という語を初めて見たのがいつだったかは思い出せない。反アパルトヘイト運動に多少なりとも関わりはじめたころだから、1980年代末だろうか。そのころ南アフリカから出てくる情報のほとんどは英語でわたしのところへやってきた。アフリカーンス語も部分的に含まれていたが、それを理解する耳も目も知識もわたしにはなかった。アフリカーンス語の会話や語彙を調べなければと思ったのは88年か89年、『マイケル・K』を訳しているときで、それもマイケルを虐待する警察署長のことばだったり、農場主の名前だったり。

 アフリカーンス語については最初から専門家のS氏にいろいろ教えていただいた。後年、『鉄の時代』のときもお世話になった。クッツェー氏から「大変正確です」とおすみつきをいただいたくらいだ。だが、80年代末は、いちいち語源までさかのぼって調べたりすることはなかった。「英語」でなんでも済ませてしまう、あのころの「偏った」姿勢がどこからくるものだったか、あらためて、立ち止まって考えざるをえない。

 この、sjanbok は「鞭」という意味だ。サイやカバの皮から作られた、長くて細い鞭だ(スチール製もあるらしい)。アパルトヘイト政策の末端機関=警察がデモ隊を追い散らしたり、懲らしめたりするために使われる、いわば「アパルトヘイトのシンボル的存在」として英語風に「スジャンボク」と周囲の人たちは読んでいた。
 周囲の人たち、というのは、反アパ活動に関わっていた人たちという意味だ。辞書を調べれば、そのときだって、そうじゃないということは分かったはずなのに「現地音」で表記しなければいけないと主張する人はいなかった。いたかもしれない、ひょっとすると・・・。だが、その声は大きくはなかった。なんとなく大声を出せない雰囲気があった。どうでもいい、と言われそうだった。それはなぜか。いま思えば、ここには見逃すことのできない、ある種の「傾向」と「沈黙」が読み取れるのだ。それはなにか? クッツェーの自伝的三部作を訳了したいま、そのことが、ある自責の念として思い出される。

 この sjanbok は「シャンボク」と発音される。「j」はオランダ語/アフリカーンス語などでは濁音にはならない。たとえば、Jan なら「ヤン」となる。shambok とも sambok とも表記されるこの語の語源はマレー語 tjambok、ペルシア語やウルドゥ語の chabuk らしい。つまり歴史は古い。植民地社会を支えた「奴隷制度」と分ちがたく結びついているのだ。
 最初はおそらく野外や農場で使われたのだろう。反抗する奴隷を鞭打ち、死なせたしても、法律的には罪を問われない時代からあった用具だ。それが反アパルトヘイト運動のなかで、暴力と支配を実行する警察の道具のシンボルとなった。そのように伝わってきた、「英語」で。

 アフリカーンス語はいわばアパルトヘイト政策を実施する為政者の言語と考えられた。無視していい、考慮しなくていい、とされなかったか? 1976年のソウェト蜂起が、アフリカーンス語で高校の授業をやろうとした政府に対して「ノー!」をつきつけた高校生の運動だったことも手伝った。「英語=反アパルトヘイト/アフリカーンス語=アパルトヘイト」といった図式的な理解が間違いなくあのころはあったのだ。それはある意味、避けられない「理解+心情」であったかもしれない。

 しかし、である。反アパルトヘイトの週刊新聞がアフリカーンス語で出たと知ったのはいつだっただろう。それは南アフリカでは大きな事件だったのではないか。いわゆる「カラード」の人が多い町アウツホールンで反アパルトヘイトの運動が立ち上がったと報じられたのはいつだっただろう。その意味を、もう一度、考える。図式的な理解は外部から見れば分かりやすい。「運動」はある意味つねに分かりやすくなければならない。だが、ここには落とし穴もある。一人ひとりの人間として見ることはなく、いつも考えや志向によって人を分類し、人を集団として見てしまうからだ。その先に待っているのは、シングルストーリー、ステレオタイプ。
 
人をあくまで個人として見る、個人として人と向き合う、その姿勢を崩さないためには、強靭な、自律的な思想が必要だ。文学はそのためにこそあるのだ。クッツェー作品から徹底して学んできたのはそのことだったのではないか。
 

2014/04/26

ゲラのあいまに蕗を煮る/クッツェーは南アメリカを旅

今日はゲラとゲラのあいまの束の間の休日。昨日、クッツェー三部作の詳細な年譜をメールで送って、ようやくこれで、三作分の本文、かなり長い解説、詳しい年譜、著訳書リスト、写真キャプション、著訳者略歴などなど、本に必要な原稿がすべてそろった。

ジョン・クッツェーご本人はいまポール・オースターと南アメリカにいるらしい。先日はチリのサンチアゴにあらわれ、数日後はアルゼンチンのブエノスアイレスに姿を見せるという。6月にはふたたびノリッジ文学祭にも参加予定だというから、今年もまた、世界中を飛びまわっているようだ。

 そのクッツェーの自伝的三部作、ここまでたどりつくのに随分時間がかかった。でも嬉しいことに、大勢の方々の助力、協力をえることができたし、幸運なタイミングというのもあったかもしれない。でも、タイミングといえば、この企画が始まった直後にこの群島を襲った災害、災厄もあった。そして、いまや全世界を見舞いつつある不運も。
 
 でも今日は、朝から晴れて、ひさびさのまるごとの休日。どう使おうか、わくわくした。まず若い光があふれる午前に蕗を採ってきた。さっと湯がいて皮を取り、薄いだし汁で煮物にした。いまの蕗は皮を剥くと、なんだか頼りないほど細くなるけれど、あくも少なく美味しい。春まっさかりの味覚だ。

 午後はやっぱり風が起きた。ひゅうひゅう唸る4月の風は特有の黒っぽい埃を運んでくる。この風、吹きながら憂いもまた運びさってくれるといいのだけれど。

 この季節、新タマネギや春キャベツが美味しいときでもあって、キャベツ狂いでキャベツばかり食べている人もいるらしい。わが家でもスライスした新タマネギを軽く天日干しにして瓶に入れ蜂蜜酢を注いで漬け込み、それを湯がいた春キャベツでいただくのが流行っている。家人がどこかでレシピを入手して始めたものだけれど、これが予想外にいけるのだ。パンでいただく朝ご飯にも、ワインといっしょに夕ご飯の少し前にも。健康にもいいとか。

 結局、どんなときでも、食べ物と料理法は文句なく興味、関心がそそられるものであるらしい。でも、それはとりあえず、戦争とか災害とか緊急時から遠いところで営まれる暮らしにおいて、という条件つきだけれどね。

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PS: 南アメリカはアルゼンチンにいるらしいそのクッツェーの「小さいころロビンソン・クルーソーって実在の人物だと思っていた」というぶっちゃけたインタビューがここで読めます。ただしスペイン語! 

2014/04/19

花曇りの午後に

 桜が終って、日に日に若葉が緑を濃くしていくこの季節。杉花粉も少しおさまってきたような気がする。ほっとする時期だ。レッドロビンの赤が鮮やか。

 花曇りの夕方ちかく、クッツェー三部作の再校ゲラを読了し、長い解説もほぼ完成したので、ぶらりと散歩に出た。

 あちこちで姫林檎が咲いている。山吹も咲き出した。
もちろんチューリップはいまを盛りと咲いてはいるけれど、今日の気温に花びらをしっかり閉じているようすが、コーンに盛りつけたアイスクリームのよう。

 ユキヤナギはもう終わりかな、薄いピンクのグズベリの花も散ったな、なんて思いながら歩いていくと、駐車場に薄茶色の不器量な猫が一匹、不機嫌そうな顔をして座っていた。
 遠くから撮っているうちは、こちらを無視していたが、少しだけ近づくと、そそくさと柵の向こうへ姿を消した。
 彼ら彼女らのなわばりだ。
 
 この辺は夜になると、狸をよく見かけると家人たちが言っていたっけ。
 見ると、ふたつのベンチのあいだにふわりと空から垂れ下がるようにして、たくさん花をつけたアメリカハナミズキの枝が。ほら、見て見て、こんなに花をつけているよ、とこちらに向かって、まるでおじぎでもしているように咲いていた。

2014/04/17

Turbulent Indigo/ジョニ・ミッチェル

facebook でのやりとりで記憶にいきなり浮上したアルバムについて少し。

 ジョニ・ミッチェルの「Turbulent Indigo」1994 です。発売されたときすぐ買ったわけではありません。ジョニ・ミッチェルは名前こそむかしから聞いて知ってはいたものの、ジャズばかり聴いていたわたしにとっては、もっぱら北米大陸から出てくるフォークやらロックやら、白人たちの音楽の向こうにいる人でした。「青春のなんたら」というような映画音楽といっしょに記憶されていたシンガーでした。ところが・・・

 2001年だったと思うのですが、カナダの西海岸のソルトスプリングという島に移住した友人の家を訪れたときです。乾いた空気が密度をます夏の夕べ、彼女はこのアルバムをかけながらキッチンに立って夕食の準備をしていました。「これ、だれ?」と訊くと「ジョニ・ミッチェルだよ、このアルバムで好きになった」というのです。たしかに。凄いアルバムでした。

 日本に帰ってきてすぐ買いました。1994年のアルバムです。日本版は出たのかな? ジョニ・ミッチェルでわたしがもっているたった一枚のアルバムです。日本の男性ファンでこれを「いいね」する人には、絶大な信頼を寄せたい。
 とにかく歌詞がね、凄い、とわたしは思った。たとえば、Not to Blame という曲。歌詞を以下に少しだけあげます。意味を考えてみてください。ぜひ!

The story hit the news
From coast to coast
They said you beat the girl
You loved the most
Your charitable acts
Seemed out of place
With the beauty
With your fist marks on her face
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Six hundred thousand doctors
Are putting on rubber gloves
And they're poking
At the miseries made of love
They say they're learning
How to spot
The battered wives
Among all the women
They see bleeding through their lives
I bleed--
For your perversity--
These red words that make a stain
On your white-washed claim that
She was out of line
And you were not to blame

I heard your baby say

When he was only three
"Daddy, let's get some girls
One for you and one for me."
His mother had the frailty
You despise
And the looks
You love to drive to suicide
Not one wet eye around
Her lonely little grave
Said, "He was out of line girl
You were not to blame."



2014/04/16

ローズマリーとローレルの花

今年もローレルの花が咲いた。4月は雨が少ないせいか、ずいぶんたくさん花をつけている。


 接写してみると、十文字に開いた白い四枚の花弁(ガクか?)のなかに、それと交差するようにまた4枚の黄色い小さな花びらが開き、そのまんなかに黄緑色のまるい蕾状のものから白い房が突き出ている。なかなか複雑な構造である。
 いつものように伸びた枝を少し切って、近隣の方々にもらっていただいた。

 ついでにローズマリーの花も切った。花を切る、というより、つんと伸びた枝を途中でバッツリ花ばさみで切るのだけれど、花は枝の途中から下についているので、ローズマリーを花瓶にいけるのはなかなか難しい。もっぱら細い針状の葉を乾燥させて、肉や魚料理に使うのがいいかもしれない。これは野に咲く花として楽しむのがふさわしい。薄い紫色の花の色は半月ほど前に、94歳で他界した母の大好きな色だった。

 今年は冬に雪が降った。積雪の重みでローズマリーの茂みが四方八方に枝を広げて、いささか不格好な形になっている。少し剪定してやるが、なにしろ硬い。花ばさみで何本も切っているうちに、手にあたった部分が赤くなって、痛くなってきた。皮下出血だ。使い慣れない道具をもって、夕暮れ前にそそくさと退場する。

 気がつくと、ずいぶん日が長くなってきた。
 さんざんな3年ではあったけれど、花は今年も咲くのだ。そしてこれからもしばらく、命あるものは生きていくのだ。願わくば、身のまわりの多くの命たちに恥じない生き方をしたいものだ。
 

2014/04/09

ワイナイナの「アフリカをどう書くか」が「神奈川大学評論 77」に

今朝、とどきました。「神奈川大学評論 77」です。ビンニャヴァンガ・ワイナイナの「アフリカをどう書くか/How to Write About Africa」の拙訳が載っています。この文章についてはすでにここに書きましたので、よかったら!

 最初は、昨年暮れに出た「神奈川大学評論 76」の「アフリカ特集」に載るはずだったのですが、版権の問題をクリアするために予想以上に時間がかかり、今号掲載になりました。

 ワイナイナは1月に、ナイジェリアやウガンダの反ゲイ法に抗議の声をあげるため、みずからゲイであることを宣言してメディアの注目をあびたばかりでした。ワイナイナのカミングアウトについてはこちらに

この号は「ラテンアメリカ特集」で、南映子さんのニカノール・パラの訳詩が載り、柳原孝敦さんの論考が載り、と知った名前がならんでいるのが嬉しい。
 
 アフリカ人の名前の読みは本当に難しい。Binyavanga をいろいろ悩んだ末に、とりあえず、ビンニャヴァンガと表記することにしました。昨年、開かれた Kwani! トラスト創立10周年イベントの動画を見るかぎり、アディーチェなど参加者がそう発音しているように聞こえるからです。