2013/09/26

J・M・クッツェーの自伝的三部作、通読完了!

終わった! クッツェーの自伝的三部作の見直し作業が終わった。まだ細かな統一などは残っているけれど、とにかく、三冊分の本文の通読は完了した。

 最初は8月いっぱいで終わる予定が、9月にずれ込み、猛暑がじりじり続くなかで休みなく、毎日、PCに向かって、読んだ。すでに体力の限界を超えた感がするけれど、もうよく分からない.......
 こうして机に向かっていられるのは、たぶん、慣性の法則ゆえだろう。しばし、沈没しよう。どぼん!
 
 いま後ろで流れている音楽は、前にも触れたサティマ・ビー・ベンジャミンの「Song Spirit」。ヨハネスで生まれ、ケープタウンで育った人だ。(付記:両親の離婚でおばあさんの家で育ったそうだ。そのおばあさん一家は、セントヘレナ島からケープタウンへやってきた人たちで、そこにピアノがあって音楽に親しんだとか。)
 彼女、アパルトヘイト時代は長期にわたりエグザイルしていたシンガー。あの国が「南アフリカ共和国」なんてのになったとき、14か15歳だったというから、およそ年齢の見当はつくかな。
 歌はスローで、かったるくって、脱力にちょうどいい。

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追記:今日読み終えたのは、クッツェーが2009年に発表した『サマータイム』。30代初めから半ばのジョンが主人公だ。5人の登場人物+クッツェー自身が残したノート、という構成。人生の朱夏のときに交流のあった女性たちと男性のインタビューがメインディッシュ。2009年のブッカー賞のファイナルリストに残った作品である。クッツェーという人物(もう死んだことになっている!)の、核心に迫る自画像スケッチブックというところか。

 ベンジャミンの例のアルバムの4曲目に「インディアン・サマー」という曲がある。秋になってもじりっと暑い日。小春日和より、たぶん、もう少し暑さの度合いがきつそうな一日を歌った曲だ。今日はひんやり涼しいけれど、これからの東京はまだこの小春日和やインディアン・サマーもどきの日がやってくるんだろうなあ。
 三部作ができあがるまで、もう少し時間がかかるけれど、楽しみに待っていてください!

2013/09/25

今日の1曲── ナントに雨が降る

 今日は、雨。
 1973年ころ、まだ学生のとき毎日のように聴いていた曲。Il pleut sur Nantes:「ナントに雨が降る」バルバラの曲。 アルバム「Barbara chante Barbara」のA面1曲目だ。


このアルバムは、ただし、1965年に出たオムニバス。

2013/09/22

夏バテ対策はナチュラルな石けんの香りで

 夏が去った。実感。
 日中はまだ暑いけれど、朝夕はひんやりと涼しい。猛暑疲れが出てくるころだ。仕事もまだ終わらない。そこでこれ! カナダの太平洋岸の島に住んでいる友人に頼んで、送ってもらったナチュラル素材の石けん、これがいい香りなのだ。

いまや、どんな香りでも化学合成できる時代になり、街に、ビルに、強烈な「匂い」があふれている。食べ物だって香りがついていたりする。買ったばかりの衣類や、届いたばかりの家具類は、たいてい強い異臭を放ってくる。偶然、電車で隣り合わせた人の強い香水の匂いに、いたしかたなく席を立たざるをえないことも。街中に出るには、とにかく、ちょっとした覚悟が必要な時代になってしまった。家々のベランダからさえ、窓を閉めたくなるような強烈な「芳香」がただよってくることが・・・。
 
 でも、これはだいじょうぶ。ジンジャー&レモン、ローズ・ジェラニウム、レモングラス。かなり強い匂いだけれど、胸いっぱい吸い込んでもだいじょうぶだし、むしろ、すっきりリフレッシュ、なのだ。部屋のなかに置いておくのもいいし、お風呂タイムがじつに楽しくなる。

 これが今年の、わたしの夏バテ対策。

2013/09/19

詩が書けなくなっていく青年ジョン

 じりじりと続く残暑のなかで、最後の見直しをしてきたクッツェーの『青年時代/Youth』、終わった!

自伝的三部作のまんなかにあたるこの『青年時代』は、なかなかの曲者であった。詩人として名をなすために、ケープタウンからロンドンへ渡り、コンピュータプログラマーとして灰色のビルのなかで暮らしながら、だんだん詩が書けなくなっていく青年ジョンの姿が、これでもか、これでもか、というくらい切実感をもって迫ってくる。

 20代の最初のころって、そうだった、こういう感じだった、というのは男も女も共通する部分としてある。茨の時間。でも、やっぱりこれは男の物語、それもいまと違って、1960年代初頭の若い男の物語だから、なかなか手応えもあるが、その心の底に降りていくためには、それなりの労力が必要だった。まあ、訳者が体験した青春時代と10年ほどしか違わないというのは、ある意味、助けとはなった。イギリスから日本までやってくる音楽やら映画やらの時差もあって、調べたり、当たりをつけたりする勘は十分働いた。そして、ばっちり、面白さは掛け値なしだ。

 三部作がサンドイッチだとすれば、これはちょうど中身にあたる。美味しい具なのだ。だから具体的には触れない。本ができたときに、ぜひ味わって読んでほしい。

 さて、今日は満月。中秋の名月となるや? だいじょうぶ、空は澄み、虫が鳴いている。ワインタイムにしようかな。

2013/09/18

2013/09/17

特別秘密保護法案へのパブリックコメントを!

なぜ、もっと大きなニュースにならないのか、納得できません。

 こんな、戦前の治安維持法なみの法律が、こっそり提出されて国会を通過しようとしているなんて。なぜ、マスコミはもっと大々的に取りあげないのだろう? 

 パブリックコメント、今日が締め切りの最終日です。

 わたしもすでに送りました。facebook でも多くの人たちがアップして呼びかけています。
 このブログでも呼びかけることにしました。せめて、パブコメを! あなたも!

2013/09/16

2013.9.9~10/ベルリンでのJ・M・クッツェー

ベルリンで開かれた国際文学フェスティヴァルに参加したクッツェーさんの写真を数枚アップします。9日は『The Childhood of Jesus』から、10日は『Here and Now』からそれぞれ朗読したようです。サインを求めるファンの長蛇の列も。





















 
三枚目の写真で、クッツェーさんを挟む男性二人はドイツ人俳優の Samuel Finzi とBurghart Klaußner。リーディングはドイツ語と英語で行われたようです。
 写真はいずれも、開催されたホテル・コンコルドのブログから拝借しました。あしからず。

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付記:2013.9.12付のNouvel Observateur 紙とのメールインタビューの一部がここに。孤島にもっていく3冊の本をあげてください、という問いに、クッツェーさんは、『イリアス』と『ドン・キホーテ』の2冊だ、と答えています。やっぱり!

2013/09/15

ジュノ・ディアス『こうしてお前は彼女にフラれる』

 ちょうど一年前の夏、このブログでもちょっとだけ書いたジュノ・ディアスの第二短編集『This is how you lose her』が、原著の発売からなんと一年後には日本語で読めるようになった。都甲幸治・久保尚美訳『こうしてお前は彼女にフラれる』(新潮社クレストブックス)である。

 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』に出てきたユニオールをおもな主人公にした短編集だ。9つの短編は、しかし、さまざまな角度から大きな物語に光をあてるような構成であり、書き方であり、登場人物の配置であり、と一見ばらばらな物語のように見えながら、大きな物語の複雑に入り組んだ細部を、念入りに読ませてくれる作品群だ。
 内容についてはあえて、深くは触れない。ぜひ、手に取って、じかに、わくわくしながら読んでください。

 わたしは仕事のあいまに、ひとつひとつ楽しみながら読んだ。すでに雑誌等に発表されたものもあったけれど、再度読んで、再度感心してしまった。面白い、どの行も、どの表現も。ディアスふぁんにはたまらない一冊なのだ。初めて読む人にとってだって、きっとそうだ。このテーマに対する、このアプローチはなかなかである。わたしは寡聞にして類書を知らない。
 都甲幸治さんの訳者あとがきが、クリアな分析で作品の読解を助けてくれる。光の当て方がいいのだ。

 エピグラフがサンドラ・シスネロスの詩からとられていることもあって、ご恵贈いただいた。Muchas gracias!

2013/09/14

ゾーイ・ウィカム:イェール大学での授賞式のようす

第一回ウィンダム&キャンベル賞授賞式のようすです。フィクション、ノンフィクション、ドラマの3部門でそれぞれ3人、計9人の受賞者の授賞式がこの9月10日にイェール大学で行われました。
 ドラマ、ノンフィクション、そして最後にフィクション部門の受賞者が賞を受け取ります。 『デイヴィッドの物語』の作者、ステージに向かっていちばん左に座っている真っ赤なドレスのゾーイ・ウィカムは(残念ながら照明が暗くて座っている姿がよく見えませんが)最後、27分30秒あたりで登場します。




2013/09/11

ムルージの LE DESERTEUR ──「脱走兵」

「脱走兵」= Le Déserteur

ボリス・ヴィアンの超有名な曲。

 沢田研二が日本語に訳して歌っているのを今日、聴いた。

 どこかで、むかし、耳にした曲だ、と考えているうちに、すぐに思い出した。1970年代半ばに、ムルージ Mouloudji の歌でよく聴いた曲だ。とてもきびしい歌なのに、奇妙に明るい歌いっぷりが逆に強い印象を残したことも。埃っぽい LPの棚から、マスクをしてごそごそ取り出したジャケットを写真におさめてアップする。

 1954年、ときいて、すぐにアルジェリア戦争か、と思ったのだが、ちょっと調べてみるとこれは勘違い。インドシナ戦争のディエンビエンフーのことだった。フランス軍の慢心によって膨大な死者の出たアジア圏での戦闘だ。ヴェトナム戦争はその延長線上にある。

 曲はYOU TUBE でも聴ける。



ムルージの歌の歌詞は、ボリス・ヴィアンの詩とは、とくに後半がところどころ違ってますね。
ヴィアンの詩のほうがずっと烈しいし、一人称で歌っていますが、ムルージのほうは三人称で歌い、フランスに限定せず、もっと一般化して歌っています。
 二つのバージョンを次にあげておきますので、興味のあるかたは比較してください。(緑色の部分が異なる箇所です。)


Le Déserteur par Vian:

Monsieur le Président
Je vous fais une lettre
Que vous lirez peut-être
Si vous avez le temps
Je viens de recevoir
Mes papiers militaires
Pour partir à la guerre
Avant mercredi soir
Monsieur le Président
Je ne veux pas la faire
Je ne suis pas sur terre
Pour tuer des pauvres gens
C'est pas pour vous fâcher
Il faut que je vous dise
Ma décision est prise
Je m'en vais déserter

Depuis que je suis né
J'ai vu mourir mon père
J'ai vu partir mes frères
Et pleurer mes enfants
Ma mère a tant souffert
Elle est dedans sa tombe
Et se moque des bombes
Et se moque des vers
Quand j'étais prisonnier
On m'a volé ma femme
On m'a volé mon âme
Et tout mon cher passé
Demain de bon matin
Je fermerai ma porte
Au nez des années mortes
J'irai sur les chemins

Je mendierai ma vie
Sur les routes de France
De Bretagne en Provence
Et je dirai aux gens:
Refusez d'obéir
Refusez de la faire
N'allez pas à la guerre
Refusez de partir
S'il faut donner son sang
Allez donner le vôtre
Vous êtes bon apôtre
Monsieur le Président
Si vous me poursuivez
Prévenez vos gendarmes
Que je n'aurai pas d'armes
Et qu'ils pourront tirer


La parole chantée par Mouloudji:

Messieurs qu´on nomme Grands
Je vous fais une lettre
Que vous lirez peut-être
Si vous avez le temps
Je viens de recevoir
Mes papiers militaires
Pour partir à la guerre
Avant mercredi soir
Messieurs qu´on nomme Grands
Je ne veux pas la faire
Je ne suis pas sur terre
Pour tuer des pauvres gens
C´est pas pour vous fâcher
Il faut que je vous dise
Les guerres sont des bétises
Le monde en a assez

Depuis que je suis né
J´ai vu mourir des pères
J´ai vu partir des frères
Et pleurer des enfants
Des mères ont tant souffert
Et d´autres se gambergent
Et vivent à leur aise
Malgré la boue de sang
Il y a des prisonniers
On a vole leur âme
On a vole leur femme
Et tout leur cher passé
Demain de bon matin
Je fermerai ma porte
Au nez des années mortes
J´irai par les chemins

Je vagabonderai
Sur la terre et sur l´onde
Du Vieux au Nouveau Monde
Et je dirai aux gens:
Profitez de la vie
Eloignez la misère
Vous êtes tous des frères
Pauvres de tous les pays
S´il faut verser le sang
Allez verser le vôtre
Messieurs les bon apôtres
Messieurs qu´on nomme Grands
Si vous me poursuivez
Prévenez vos gendarmes
Que je n´aurai pas d´armes
Et qu´ils pourront tirer
Et qu´ils pourront tirer...



2013/09/10

トロント映画祭にアディーチェも登場

トロント映画祭でプレミア上映されたばかりの映画「半分のぼった黄色い太陽」。映画評があちこちに載り始めました。
 昨日のパーティーでは、監督やプロデューサー、主演助演のそうそうたる俳優たちにまじって、原作者チママンダ・ンゴズィ・アディーチェもレッドカーペットに映える黄色い衣装で登場、と伝えるのはこのサイト、Bella Naijaです。

 
もう映画の内容よりも、だれがどんな衣装であらわれたかってことばかり。笑えます。
ちなみに、写真は左からプロデューサーのカルダーウッド、カイネネ役のアニカ・ノニ・ローズ、オデニボ役のチウェテル・エジオフォー、原作者チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、監督/脚本のビイ・バンデレ、オランナ役のタンディ・ニュートン、そしてエグゼクティヴ・プロデューサーのヤワンデ・サディクです。
    

2013/09/09

少年ジョンの思考のリズムに寄り添って

 『少年時代』の最後の見直しが終わった。遅いランチを食べおわると、立っていられないほどくたびれていることに気づいた。少しお休みしなくちゃ。

 改訳作業は、結果として「文章を引き締めること」が中心になった。
 できるかぎり無駄なことばを省き、余計な文字を削る。どれほど「名調子」といわれそうな訳語表現を見つけようと、感情をあおるような、目くらまし的効果のことばは避ける。ぶっきらぼうなまでに素っ気なく、それでいて明晰で強い簡潔なことばを選ぶ。シンプルに、端正に、すっきりと。
 
 何度もスピードを変えて読み返し、クッツェーの文体に寄り添い、少年ジョンの思考のリズムに近づくことを自らに課した。ひゃああ、疲れた。
 もしもクッツェーが日本語を読めるとしたら、ああ、これは my another self だと思うような日本語にしたいと念じた。とはいえ、どれほど寄り添う努力をしても、最後は訳者の日本語作品になってしまうのは避けられない。これは翻訳という作業の宿命である。そうはいっても、クッツェーの作品をネタに日本語で新たに「創作」しようなどとは思わなかった。これからも思わないだろう。それだけは確かだ。

 ジョン・クッツェーさん、今日9月9日と明日10日は、どうやらベルリンに出没するらしい。相変わらずフットワークの軽いこと!

2013/09/07

なぜ、クツィアでもクッツィーでもなく、クッツェーか

 今日もまた『少年時代』の見直しをやる。アフリカーンス語をめぐるジョン少年の立ち位置をよくあらわす文があった。作家クッツェーが、Coetzee を「クッツェー」と発音する理由はここにあるのか、と理解できる箇所だ。

 英語には「eː」という長母音がないため、ややもすると「クッツィー」と発音されがちな彼のファミリーネームを、どこまでもアフリカーンス語風に、あるいは、オランダ語風に「ツェー」と発音させる理由がここから読み取れる。
 これはまさに、作家のオリジンに対するこだわりであると同時に、彼が幼いころから感じてきたアングロ世界のモノリンガル的態度に対する居心地の悪さに通底する箇所でもあるだろう。


 イギリス人のことで落胆すること、真似はしまいと思うこと、それはアフリカーンス語に対する軽蔑だ。彼らが眉を吊りあげ、横柄にもアフリカーンス語のことばを間違えて発音するとき、「フェルト(veld)」を「ヴェルト」というのが紳士たる者の証しであるかのようにいうとき、彼らとは距離を置く──彼らは間違っている、間違いよりもはるかに悪い、滑稽だ。彼としては、たとえイギリス人に囲まれていても、譲歩しない。アフリカーンス語のことばを、本来口にされるべき音で、固い子音も難しい母音もすべて発音し分ける。

                    ──『少年時代』14章 ──

2013/09/05

10月にロンドンで:映画「半分のぼった黄色い太陽」上映です

もうすぐトロント映画祭でプレミア上映される「半分のぼった黄色い太陽」が来月、10月19日と20日の2日にわたり、ロンドンでも封切りになります! 詳しくはこちらへ!


2013/09/03

カナディアン・ロッキーのナキウサギ

残暑きびしい東京に、カナディアン・ロッキーからブライアン・スモールショーさんがお届けするかわいい動物。ナキウサギの写真です。口にくわえているのはなんだろう? とにもかくにも、お仕事中ね。


2013/09/02

カナディアン・ロッキーから、ふたたび

今年も友人のブライアン・スモールショーさんたちがカナディアン・ロッキーから素晴らしい写真を届けてくれます。アシニボイン山。Mount Assiniboine.  カルガリーのそばです。まずはその写真から。東京の猛暑を吹き飛ばしてくれるその勇姿。



そしてカスケード・ロック。


2013/09/01

ひさびさに、水牛9月号に書きました


 今月の「水牛のように」に「懐かしい農具たち」と題した文を書きました。

 1950年代の北海道の農村で行われていた農作業のようすについて、ぱらぱらと、大豆や小豆から殻を取り除く手作業のあれこれ、それに使われた殻竿、箕といった農具のことを、です。

  大人たちの動作を、傍らでじっと見ていたころの時間の長さや密度を、自分もやってみたいなあと思ってながめていたことを。写真は左が、箕。右が、殻竿。(いずれもネット上の写真を拝借しました。)

 そんなことをありありと思い出したのは、じつは、J・M・クッツェーのある短編作品を読んだからでした。その作品については近々、また別の機会に詳しく触れることにします。