Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/08/01

クッツェーの讃辞が消えた本

次の2枚の写真を比較してください。どこが違うか。

       

 2009年にこの本が出たとき、新聞やブログでも紹介しましたが、これは最近ついに日本語訳が出たジンバブエのペティナ・ガッパの短編集『イースタリーのエレジー』(小川高義訳 新潮社)のオリジナルです。まず、なんといってもガッパの翻訳が出たことは喜ばしい限りです。リンク先の版元サイトには小野正嗣さんの秀逸な評が掲載されていますので、ぜひ!

 それで上の2枚の写真ですが、左は、2009年4月に出版されたときに購入した、いま手元にある洒落たソフトカバーの本、右がその半年後に出たバージョン(キンドル版)です。さらに12月には新しい表紙の本も出ていて、ネット書店で現在入手可能です。

 掲載した写真ではいずれも、ジャカランダと思われる並木道の右手にトマトみたいな太陽がのぼっています(沈んでいる?)。その太陽の真上に、左の写真ではJ・M・クッツェーの献辞が書かれていますが、右の写真ではそれがきれいに消えています。
 あれ? と思ったのは、この本が出版されてまもなくでした。出版元の Faber & Faber のサイトからも、ガッパ自身のブログからも、大きく謳われていたクッツェーの讃辞がほとんど同時に消えました。ふ〜ん、なんでだろ? と奇妙な感慨を抱いたものです。その讃辞とは、

   "Petina Gappah is a fine writer and a rising star of Zimbabwean literature."  J.M.Coetzee
「ペティナ・ガッパはすばらしい作家であり、ジンバブエ文学の新星である」──J.M.クッツェー

 プロモーション用にこんなクッツェーのことばを使うのは出版社の案だったのでしょうか、本が出て話題になるとすぐに削除したのは、ガッパの意向なのでしょうか。よく分かりません。分からないけれど、つい、いろいろ考えてしまいます。なぜ消えたのか。

 南部アフリカに住む人たちはこの作品をどんなふうに読むだろう、ということも考えました。ふと思い浮かぶのは、南アフリカとジンバブエの微妙な関係。アパルトヘイト時代は南部アフリカの希望の星だったジンバブエは反アパルトヘイトを鮮明に打ち出していた。しかし、1994年の南アフリカ解放後、経済が逼迫したジンバブエから難民が南アに押し寄せると、南アでは反難民感情が高まり暴力事件が多発した。

クッツェーが南アフリカに生まれながらどこまでもヨーロッパ文明を背負おうとする白人男性作家であるのに対し、ガッパはジンバブエの固有性を描きながら世界舞台へ突き抜けていこうとする黒人女性作家。2人の世代的違い、立ち位置の違い。さらに、ノーベル賞作家というネームが欧米出版界で作品を押し出すときにどんな意味をもつか、ことガッパの作品となると、両刃の剣となるのか、とか。う〜ん、さまざまな要因が絡んでいそうです。
 いま英語圏でアフリカの作家たちが小説を出版するときにぶつかるさまざまな違和感、というか、そのプロセスで議論になったこと、ならなかったこと、がぼんやりながらベールの向こうに透かし見える、ような、気がします。気がするだけですが/笑。これついては、結論は出なくとも、よく考えてみたい、とそのときも思いましたし、いまも、思います。

 つい先日もジンバブエでは、チオニーソという優れたミュージシャンが、適切な治療を受けていれば助かったはずなのに、彼女が住んでいた土地では十分な医療が受けられなかったらしく、なんと37歳という若さで他界しました。都会と田舎の格差のリアルはやっぱり、どうしても考えてしまう。考えなければものは見えてこない。(東京と福島だってそうです。)
 だから、「世界文学」というときのその「世界」の中身を細かく考えていかないと・・・その見方、とらえ方、視野がどこを軸にしているか。あれ? と気づく視点をこれからも忘れないでいきたいと思います。
 とにもかくにも、このガッパの短編集はインサイド・ジンバブエを、そこに住み暮らす人間たちを皮肉たっぷりに、見事に描き切っています。お薦めです。

(2013.8.3:追記/なぜか6月に他の写真を使ったバージョンも出ていて、これには讃辞があります。ややこしい!)
(014.9.28:追記2/他の写真を使ったバージョンのカバーに書かれた讃辞を、備忘のためここに記録しておきます。
 "Petina Gappah's stories range from scathing satire of Zimbabwe's ruling elite to earthy comedy to sensitive accounts of the sufferings of humble victims of the regime.  Gappah is a fine writer and a rising star of Zimbabwean literature."──J.M.Coetzee)