Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/07/18

『青年時代』を朗読する61歳のクッツェー

3年ほど前に、やはり猛暑のなか、ここでもお知らせしましたが、J・M・クッツェーが『青年時代』を完成させた年、つまり2001年、の11月8日にニューメキシコのサンタフェでその原稿から朗読するビデオがあります。前半の朗読と後半の、ピーター・サックスとの対話を短く編集したものですが、クッツェーがノーベル賞を受賞する2年ほど前の映像、彼は61歳です。地味目のチャコールグレーのスーツにボタンダウンのシャツ、大きなレンズの眼鏡をかけて…。フレームが1990年ころからかけているのとおなじ型です。(なんかオタクっぽい観察眼ですが・・・笑/汗)。



『青年時代』の原稿が完成したのは、2001年の4月末。訳者は5月末に、紙で送られてきたものを読みました。当時、原稿はいまのように添付テキストでeメールで送られてくるのではなく、まだ紙のコピーで郵送されてきました。わずか12年前というか、もう12年前というか。

 朗読に先立って、クッツェーはその5年前に完成していた『少年時代』について語っています。この本がメモワールかフィクションか、と出版社から問われたとき、両者のあいだでホバリングさせることはできないか、と出版社にかけあってみたが、それは難しいといわれたとか。本屋さんでどの書棚に分類するか? ということはいつもながら本を作る者には、大きな悩みでしょう。
 書く側にとって、とりわけクッツェーのような「これまで存在しないような本を書くこと」を自分に課している作家にとって、これはなかなか納得いかないことかもしれない。結局、この『少年時代』は英国ではバイオグラフィー、米国ではフィクションとして書店で売られることになったと語っています(ここで会場からは笑い声)。

『青年時代』も『少年時代』とおなじ fictionalized autobiography、つまりフィクション化した自伝ということですが、名前も生年月日も作家とおなじ、生まれた土地、暮らした土地などほぼ事実に即した構成になっています。がしかし、『少年時代』はたんにぼかして書かれていたのに対し、『青年時代』は明らかにフィクション化されたところがあります。
 訳していてわかったのですが、それはどうも書かれていない部分にある。1963年の彼のロンドン/ケープタウン間の移動の事実、ケープタウンでの結婚の事実を伏せて──カンネメイヤーの伝記で明らか──後半部があくまで独り者の生活として描かれています。

また、この『青年時代』には60年代初めにロンドンの映画館にかかっていた新作映画の話がたくさん出てきますが、この辺も年代を微妙にずらしながら物語は書かれています。初めて眼鏡をつくって観て泣いた映画として、パゾリーニ監督の「奇跡の丘」が出てきます。(ついに訳者はこの映画のDVDをゲットしました! ああ、なんというはまり込みよう!)

 まあ、なにがどう事実と異なるか、詳細は三部作出版のおりに「訳者ノート」に詳しく書きますので、それを読んでいただくとしましょう。どうぞお楽しみに。

 朗読のフルバージョン(約43分)はこちら。クッツェーは作品の最終部分、18章、19章、20章からアレンジして読んでいます。