Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/07/20

2000年、ケープタウンで語るジョン・クッツェー



2000年に晩秋のケープタウンで録画された動画を紹介する。

 オランダのテレビ番組として撮影されたものだが、これはポルトガル語の字幕がついたバージョン。語りはオランダ語、インタビューとクッツェー本人の話は英語だ。
 1時間19分と少し長い動画だが、まだケープタウンに住んでいた2000年に、ジョン・クッツェーがインタビューワーのさまざまな問いに対して、ゆっくり考え、考え、表情ゆたかに、真摯に答えている。

 ケープタウンのホテルの部屋で語るクッツェー:美について、美と慰藉の関係について、愛における美とピースについて、気分が落ち込んだら料理をすること、そしてまたアパルトヘイトについて。ようやく過去のものとなったアパルトヘイトについてここまでことばを尽くして、平明に、正直に語るクッツェーは初めてではないか。『Disgrace/恥辱』を発表した翌年であることも興味深い。なぜかオランダのテレビで語っているという事実もまた。

 インタビューを受けるのは苦行ですか?──ええ。──なぜ? ──(沈黙)なぜならそこには省察がないからです。
 
 『マイケル・K』の最後のフレーズについて語り、オランダ語版を朗読するクッツェー。
 
そして、ケープ半島の岬近くのディアス・ビーチで、冬が間近に迫った晩秋に、打ち寄せる波しぶきを見ながら訥々と語るクッツェー:この季節にしては穏やかな良い天気の日だが、ここの美しさは好天の穏やかなときではない。冬場はひどく荒々しい場所になる。この海岸線の美しさは穏やかなものではなく、ワイルドという語がいつも使われる。

 冷たい風に吹かれて、イノセンスについて、南アフリカという土地の自然と植民者たちの関係について、人間と動物の関係について、戦時中のポーランドの詩人ツヴィグニュウ・ヘルべルトについて、自然の美が癒しになることについて、南アフリカの厳しい現実との対比、容易ではない死・・・、作品行為と癒し、人のオリジンを癒しをあくまで自然のなかに見るクッツェー、書いていないときはどんどん落ち込むこと、また、人間という生物種について、死のない世界を考えることについて、天国を作り出した人間をめぐる話など、見ていて、聞いていて、興味が尽きない。オランダ語のナレーションが理解できないのがとても残念!

 13年前の、60歳当時の──こうして見ると、すごく若々しい/笑──彼が、非常にリラックスした感じで、ことばを探りながら語っています。連日クッツェーばかりですみません! 

 明日は選挙ですからね。