Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/06/22

ちょっぴり、わたしもアフリカン

We are African, not because we are born in Africa but because Africa is born in us.

「われわれはアフリカンだ、理由はアフリカで生まれるからではなく、われわれのなかにアフリカが生まれるから」

という表現を目にした。「Africa, where laughing is the only reaction」とうfacebook のコミュニティがアップしたものだ。

 ふ〜ん、こじゃれたことを言うなあ。そんじゃ、まあ、わたしもちょっとだけアフリカンかもなあ〜〜と笑って言えそうな気がしてくる。わたしのなかにアフリカが生まれていれば、そういえるのだとしたら。距離があるから言えることば、でもあるかな。
 
 この発想は、中村和恵さんたちといっしょに4年ほど前に出した『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)の精神にも通底するものがある。あくまで「精神として」ではあるけれど。。。。

 しかし、だとすると、この表現の「アフリカン」と「アフリカ」を他の地域をさす固有名詞に置き換えることもできそうだ。ちょっと面白いゲームみたいだ。でもこれは、外側から決めつけられて、がんじがらめになりそうな「なにか」から確実に解放されるきっかけになる置き換えだ。