2013/04/29

ソフィスト=詭弁家

クッツェーとオースターの往復書簡集『Here and Now』を訳していて「ソフィスト」ということばの意味について考えた。

「ソフィスト」とは、ソクラテスがこてんぱんに論破した古代ギリシャの「詭弁家」だとずっと理解していた。ここから sophistication=詭弁、世慣れ、屁理屈、こじつけ、偽物、という意味が派生したのは納得できるけれど、どうして「洗練された高度の素養」が出てくるのか・・・???

 辺境に生きてきたわたしには理解できない。

 Faber & Faber のペーパーバックが予定より早く出版されたみたいです。この「予定」というのも、よくわからないもののひとつだけれど・・・。

2013/04/24

痛い真実──クッツェーの最新作『The Childhood of Jesus』ってじつは

 お母ちゃん、知っとるか? 中学というとこは物を考えない人間をつくるところやで──という子供自身の発言。

 ガツン!

 東京新聞4月10日朝刊に掲載された記事からの引用です。書き手の鎌仲ひとみさんは映画監督。情報元はこちら。

 思考する少年の、真実を突いたことば、大人には痛いことばだ。

子供たちが「義務教育」を生き延びるためになにが必要か? 真剣に考えたい。そうか、J・M・クッツェーの最新作『The Childhood of Jesus』、主要テーマはじつはこれだ! とも読めるな。。。もちろん、いろんな読みがあるし、とにかく彼の作品を読んで体験することばの快感と、時間の濃密さがサイコーなんだけれどね。


2013/04/22

Marisa Monte──いま聴いている音楽

ひっさびさに音楽の話。さっき facebook で知ったのは、美輪明宏の歌う「祖国と女達(従軍慰安婦の唄)」。77年のコンサートで歌った曲だそうだ。凄くうったえるものがある。この曲の入ったアルバムの販売がアイミュージックというのは分かるけれど、レーベルがソニーミュージックというのが、う〜ん、と唸ってしまうような時代性を感じさせる。

 でも、いまわたしが気に入ってかけているのは、ブラジルのマリザ・モンチというシンガーのアルバム「O Que Você Quer Saber De Verdade」。2011年の輸入盤。日本版も出ているようだ。タイトルの意味は「あなたが本当に知りたいこと」、あるいは「あなたが真実について知りたいこと」?

 声の質がとてもいい。ブラジル語(ポルトガル語)だから、もちろん、耳から聴いていることばの意味はわからないけれど、ちょっと憂いを含んだ心地よい柔らかさで、スペイン語とちがって、ひとつの語の最後の音が口のなかに内向きにこもるような感じがするところが、なんともたまらない魅力かな。

 4月ももうすぐ終わりだというのに、思いがけず冷たい、木枯らしのような風が吹いて明けた朝、新緑が目にまぶしい光のなかで聴くにはうってつけだ。ひと仕事終えて、かさついた心の表面をしっとりと流れてくれるメロディアスな声!

2013/04/20

真っ白な表紙で出したかった──とクッツェーは語る

 最新作「The Childhood of Jesus」のカバーについての、クッツェーの面白い発言を紹介します。2012年暮れにケープタウン大学で朗読を行った際に述べたことばとして、カナダの「ザ・スター」などが伝えています。

In a recent reading given by J. M. Coetzee at the University of Cape Town South Africa from his new novel, the Nobel laureate said: “I had hoped that the book would appear with a blank cover and blank title page, so that only after the last page had been read would the reader meet the title: namely, The Childhood of Jesus. But, in the publishing industry as it is at present, that is not allowed.”

「この本は真っ白なカバーと、真っ白な本扉で出したかった。読者が最後のページを読み終えてようやくタイトルを:The Childhood of Jesus 読むことになるように。しかし、現在の出版産業のなかでは、それは許されない

引用元はこちら。

http://www.thestar.com/entertainment/books/2013/04/19/the_childhood_of_jesus_by_jm_coetzee_review.html

 「イエス」という語はキリスト教文明社会においては、あまりに強いことばであり、作品を読む前に強烈な思い入れやイメージを喚起してしまいます。そこにはキリスト教の影響がきわめて弱い日本社会では、ちょっと想像がつきかねるものがあります。それをクッツェーはなんとか回避したかったのでしょう。しかし、現実にはそんな手法は許されない、というわけです。

 来日時の会話でも、この本のカバーは話題になりました。Havil & Secker 版の、二人の男と犬の綱を握る一人の女が写った写真を使ったカバーは「いい」といっていましたが、オーストラリア版のサングラスをかけた男の子の写真は「嫌いだ」と。「嫌いだ、と言ったのに、出版社(オーストラリア・ペンギン)はあの写真を使った」と不満そうに述べていました。こちらからの質問に答えたのではなく、この表紙のことが話題になったとき、彼から出てきたことばでした。よほど嫌だったのでしょう。

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2013.4.28  アメリカ版のカバーはこんな感じです!

JESUS がやけに大きく、すべて大文字。

 ほかの文字もすべて大文字だけれど、それにしても、やっぱりアメリカって。。。。ううう。9月発売だそうです。

2013/04/19

日本語という「異邦の言語」

 そうか。日本語はちょっとした外国語=異邦の言語だったのだ、わたしの場合。北の旧植民地から、18歳の春に東京へ出てきた人間にとって、それまで自分が使ってきたことばは正統な日本語ではなく、東京で使われる「日本語」はほとんど「外国語」に近い感触があった。ましてや、さらに西の京都など、はるかな、はるかな「異国」に感じられた。

「外国語」ということばを含む大学に入学して通った時代、あるいは通わなかった時代、わたしがもっとも真剣に学んだのは「外国語」としての「日本語」だったように思う。

 ひたすら日本語で書かれた書物を読んだ。とくに文学、近代のものも古典も手当たり次第に読んだ。授業が長期間なかったのをいいことに、フランス語や英語を「読む」ことはあとまわしにして、とにかく「日本語」で書かれた書物を読んだ。日本語の壁を突破しなければ、ヨーロッパ言語は把握できないとさえ思った。
 だから、冗談に「東京外国語大学 日本語学科卒業です」と言ったら「留学生だったの?」と訊かれたことがある。マジ? 
 そうかもしれない。確かに。異国へやってきた、という疑似感覚は、そんな感覚に通じるものがあった。おまけに浄土真宗の圧倒的に多い住民のなかで、両親はピューリタンだった。

 ヨーロッパから「約束の新天地」へ移住したピューリタンの末裔であるジョン・クッツェーという若者が、21歳で、アフリカの南端からはるか北の英国へ渡って感じたであろう心境を想像するとき、自分自身のそんな「違和感の記憶」が微妙に動き出すのだ。
 彼の作品を初めて読んで、ガツンと来たのは、いまにして思えば、そういう下地に響いたのだろうか。

「女なんか大学へやって、それも4年制の大学なんかにやって、どうするのか?」と母はまわりから言われたことだろう。わたしの耳には入らないようにしたのかもしれないが、あるいは、そんなことばに耳をかさずに、自分がはたせなかった夢を娘に託そうとして日々、がんばったのか。1960年代の旧植民地北海道の片田舎では「女なんか勉強なんかしなくてもいい」「勉強だけできる女なんかどうしようもない、旨い飯を炊けなければダメだ」とあからさまに言われた時代だ。

 息苦しいそんな日常から一瞬でも逃れたくて、わたしはひたすら本を読んだ。とにかく、狭い土地に閉じ込められたくないと思って。文学は生き延びるための空気穴だ。外へ開かれた窓なのだ。その感覚はいまも続いている。

2013/04/15

光のなかのローレル

 今年もローレルの花が咲いた。たくさん咲いた。まだ若い朝の光のなかで、ひっそりと輝くように咲いている花たち。
 ローレルに花が咲くの? と多くの人がいう。そう、咲くのよ、実もなるの。ひっそりと。

 はるばる地中海沿岸地方からやってきた樹木。ギリシア神話を読んで、どんな樹木なのだろうと思いをはせたむかし。
 長い時間のなかで見れば、そんなにむかしのことではないけれど。

2013/04/14

男も女もみんなフェミニストでなきゃ!

最近のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。すごい人気です。

彼女はナイジェリア社会を中心に話を進めますが、これはもっと広い地域でもばっちりあてはまりますネ!

 "Culture does not make people.  People make culture."

Yes, Chimamanda!  オーディアンスのバラエティも要注目です。なんとたくさんの笑い!
この率直さ、この大胆さ!
 


2013/04/09

旅する「アフリカ」文学のリポートがアップ

さる3月12日、ミッドタウンタワー「d-labo」で開かれた会のようすがアップされました。

  旅する「アフリカ」文学

「d-labo」というのは、ミッドタウンタワー8Fのスルガ銀行のなかにある、とてもおしゃれなスペースです。左の写真は、ケープタウン旅行で撮影した写真を使ったスライドショーのようす。

 わたしの話は、放っておくといつも、あちこち飛んで、とっちらかった話になりかねないのですが、聞き手の管啓次郎さんがバッチリ引き締めてくれました。おかげで、とても話しやすい雰囲気になりました。お世話になったスタッフのみなさん、わざわざ足を運んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。

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付記:d-labo の記録のなかに「2人とも英語の他にアフリカーンス語やイボ語といった母語を持っている」とありますが、わたしは「母語」ということばを使わず「両親世代がそれぞれ第一言語にしたことばとして」という表現を使ったつもりです。とくにクッツェーは「母語/mother tongue」という表現をあえて避ける作家で、あくまで「第一言語/my first language」と言います。もしも「母親が赤ん坊に語りかける最初の言語が”母語”である」としたら、クッツェーの場合は間違いなく英語です。この微妙なことば遣いは、なかなか重要な意味合いを含んでいるので、ここにあらためて注記しておきます。

付記の付記:2013.4.10  d-labo の担当の方にお知らせしたところ、件の箇所が「2人とも作品を書くときは英語だが、それぞれアフカーンス語やイボ語とのバイリンガルだ」となりました。迅速な対応に感謝します。

2013/04/08

ジョン・クッツェーとの時間(4)

予定より少し遅れて、『少年時代』の訳の見直しが終了した。

 まず、クッツェー自身が書き込んだ三部作オリジナルテクスト(Scenes from Provincial Life)の変化と元の単行本テクストとの差異をチェックするため、13年前にみすず書房から出た拙訳と一行一行付き合わせ、差異があれば旧バージョンのオリジナルテクストを参照しながら改訳し、さらに改訳すべきところを改訳し、さらに三部作としての全体の文体を考慮しながら整え、さらに......といった作業をしていると、思った以上に時間がかかった。

 作業の途中でジョン・クッツェー自身が来日したこともあり、いくつか不明点を解決し、さらに三部作として読み込むと、新たな発見がいくつもあった。不透明だった部分、ただ読み過ごしていた部分があちこちで響き合っていることがわかり、小躍りしたくなるような面白い発見もあって、すごく濃密な翻訳時間を体験することになったのは嬉しいかぎり。たとえば『サマータイム』のある部分と、『少年時代』のある箇所が響き合っていたりするのだ。クッツェーが三部作をまとめた意味も、あらためて深く納得した。

 3月初旬、来日したジョン・クッツェーとおしゃべりしていて、彼のフランス語訳者の話になった。最初は、Sophie Mayoux という人だったのが、途中からCatherine Glenn-Lauga に変わったのだ。この二人の翻訳者と作家との関係、というか無関係というか、ここのところがちょっと複雑かつ微妙だ。

 この Sophie という名がまたややこしいことに、『サマータイム』の語り手のひとりとして出てくるのだ。作中では、70年代初めにケープタウン大学で同僚として働き、恋仲でもあったことになっている。ジョンより10歳年下のソフィーのことばには、フランス人らしいエスプリのきいた皮肉がたっぷり含まれているのだけれど、一方、当時のジョン・クッツェーの思想や反アパルトヘイト運動との関わり、ジャーナリズムとの関係などを、的を射た表現で、外側から伝えてくれる役回りも割り当てられている。

 来日時のおしゃべりで、『サマータイム』のソフィーですが、最初のフランス語訳者とおなじ名前ですねえ、とシャルドネで軽く酔った頭で話題にすると、彼は「Sophie is a common name./ソフィーはありふれた名前でしょ」といって、にやりと笑った! カトリーヌとは30年以上の友人だともいっていた。そうそう、カンネメイヤーの伝記にも何度も出てきたから、わたしもそれは知っていたが.....。
 カトリーヌは1970年代にケープタウンに住み、家族ぐるみで当時のクッツェー一家と交遊があった人だ。『ダスクランズ』が出た直後に著者と膝詰めで仏訳していた人でもあった。つまり、アトリッジ氏が語っていたように、『サマータイム』の登場人物にはいろんな人のチップがアマルガムのように、寄木細工のように集められ、人物造形がなされていることになる。ふ〜ん、面白い。

 もうひとつ、来日時に作家は、自分の作品のドイツ語版を読むのが面白い、another self を読むような楽しさがある(日本語も読めるといんだけれど....)、と語っていたっけ。これもまた、ふ〜ん、である。

 思えば、1988年に初めて Life & Times of Michael K を手にしてから25年の歳月が流れた。あの作品との出会いが、考えてみるとわたしの人生を大きく変えたといっても過言ではないかもしれない。そんなこともおしゃべりできた今回のジョンの来日は、ケープタウン訪問のあとでもあり、以前とくらべて、肩の力を抜いた会話を楽しめる得難いチャンスでもあった。こんな機会をあたえてくれた、すべての人に深く感謝! (了)

2013/04/06

ささやき──明日はミッドタウンの桜カフェで


ささやきの思想レジスタンス、明日は14:30分から東京ミッドタウンの桜カフェでのささやきがあります。ぜひ!(写真は広島でのパフォーマンス!)

2013/04/04

アチェベを追悼するアディーチェ



先ごろ他界したチヌア・アチェベを追悼するチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの映像です。

また、ここではアディーチェがイボ語で書いた追悼文が読めます。英訳付です。