Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/03/25

春はわくわく、採集民になる

春になるとわくわくする。気もそぞろになる。古い葉っぱのかげからふきのとうが秘かに地面を突き破って薄緑色の帽子があらわれ、樹木の固く細い枝からやわらかな新芽が芽吹く。となると、花よりだんご、眠っていた採集民の血がさわぐ。そのように育ったからだろうか。
 
 この季節、東京の西の郊外ではふきのとうの季節は終わり、すでに蕗の小葉が地面のあちこちに群生を始めた。桜は満開、風にちらちら散って。白いゆきやなぎもはらはら、黄色い山吹もほろりとつぼみを広げる。
 さて、食い意地のはったわたしはきょろりきょろり。いつもの散歩道にしっかり見つけておいた山椒の木。公有地に生えている、かなり大きな木だ。今年も新芽がほころび、ちいさな葉っぱを広げはじめた。

 もらうよ! 少しだけね。

 手を伸ばし、腕を伸ばし、ぷつん、ぷつんといただく。帰宅して、さっそく香り高い焼きみそをつくった。

 最初のプランでは、採集した葉芽もちゃんと撮影するつもりだったのに、家に帰ると料理に忙しく、できあがったみそを見てから、葉芽の撮影を忘れたことに気がついた。というわけで、写真は「焼きみそ」だけ。炊きたての御飯にのっけて食べるとサイコー。

 福島の人たちは、こんなささやかな楽しみさえ奪われたことをあらためて考える。何度でも考える。春がくるたびに。