Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/02/28

Passages ── 1997年の J. M. クッツェー

 SABC(南アフリカ放送)が1997年に制作した番組「JOHN M. COETZEE: PASSAGES」をようやく入手して観た(AさんとTさんに感謝!)。1997年は、J.M.クッツェーの Boyhood が出た年で、この番組はその直後に制作されたものと思われる。

 何人かのアカデミックや詩人などがクッツェー作品との出会いやその意味を語るあいまに、クッツェー自身が第一作『Dusklands』から『In the Heart of the Country』『Waiting for the Barbarians』『Life and Times of Michael K』『Foe』『Age of Iron』『Master of Petersburg』までを朗読し、風景、岩肌、水の流れなど、さまざまなイメージが映し出される。クッツェー作品の1997年という時点での評価としては、デイヴィッド・アトウェルの語るクリアなことばが、わたしの耳にはもっとも的確なものに聞こえる。作家自身の声は最近のちょっとかすれたものとはかなり違って、やわらかく、妙に耳新しい。

「6歳から8歳まで通ったローズバンク小学校はいい小学校だった、学校生活でいちばん楽しかった時期だ」とか、内陸の町ヴスターへ引っ越す前に住んでいた大きな家とその前に生えているオークの巨木に手を触れながら「子供が木登りするには最適な木だ」といったコメントが『少年時代』を改訳している者には、とても面白い。

 険しい山肌のアップ、暗い夕暮れか暁に国道を走る車窓から撮影したシーンなど、もともと暗いのか、画質が悪いから暗いのか、判断し切れないところはあるものの、あのころの多くの読者が、クッツェー作品のなかに読み取っていたものはこういう感じか・・・と想像力をかきたてられる。


 最後のほうに出てくるUCT裏のシーンがいい。セシル・ローズ・メモリアルの前で「ローズは書斎の窓から北のカイロの方角をながめていた」と語り、自分が生まれた産院、通った学校、この樹木の後ろの大学、と指差しながら、ケープタウンという町の、デヴィルズ・ピークの斜面にある大学で学生として学び、教師として教えてきた・・・と目を細めて遠くを見る。このクッツェーの姿がひどく印象的だ。
(左の写真はその記念碑近くに建てられた、physical energy という塑像だ。まったくおなじものがロンドンのケンジントン公園にもある、と『デイヴィッドの物語』にも出てくる。)

驚いたのは最後。家族写真が続々と出てきた。昨年、刊行されたKannemeyer の伝記に入った幼いころの写真や、若いころの写真・・・。OH! これを『少年時代』を訳していた1998〜9年ころに見ることができていたらなあ、と思わず唸ってしまった。