Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/01/26

SANDIYA ── マリの音楽

注文していたCDが届いた。さっそく聴いている。バラフォンの音色がすごくいい。マリの音楽。少し前に、フランスがこの国へ軍を投入したというニュースが流れた。


 あの、マリーズ・コンデが魅せられたマンディンカの人たちがすむ土地でもある。コンデには『セグー』というベストセラー作品がある。

 西アフリカの政治に私は詳しくはないし、アフリカの政治に詳しいわけでもない。ひとりの日本語の翻訳者が、それでもできることは、こうしてかの地の生んだ音楽に耳をかたむけて、そこに住む人たちがいまなにを思い、どうやって日々を暮らしているか、おぼつかない情報をもとに、ひたすら想像することだ。

 わからないところから出発する。簡単にわかろうとしないこと。かすかな入口として、わたしはいま、このCDを聴くことにした。いくばくかのことは想像できる。こんな音楽をつくるひともいる、ということはわかる。これは間違いなく「わかる」。

 いまは尺八のような音色の笛が聞こえている。すてきだ。

 朝日新聞の記者、江木慎吾さんがマリのバマコ近くで書いた25日付の記事にこうある。

 窓の外を眺めると、ところどころ、タマリンドのダイダイ色の花が見える。村を通ると、臼に入れたミレットを両頭の杵(きね)で突いている少女がいる。水道管を埋設するのか、たくさんの人が手作業で溝を掘っている。
 ここには、大地に根を張った人々の暮らしがある。ここが紛争地であろうがなかろうが、退避勧告が出るような状態であろうが、変わらぬ日常を踏みしめている。

 わたしはこういう報道が好きだ。