Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2012/09/20

失われたエデンの園、ふたたび

  エデンのどこかで、この時代のあとになお、
  まだ立っているだろうか、廃墟の都市のように、
  打ち捨てられ、不気味な釘で封印された、
  幸運に見放された園が?

  そこでは、うだる暑さの昼のあとに
  うだる暑さの夕暮れと、うだる暑さの夜がきて、
  黄ばんだ紫色の木々の枝から
  朽ちかけた果実が垂れているだろうか?

  その地下世界には、いまもなお、
  岩々のあいまに広がるレースのように
  縞瑪瑙や黄金の
  未発掘の鉱脈が伸びているだろうか?

  青々としげる葉群れのなかを
  遠く水音をこだまさせて
  この世に生きる者は飲まない、川面なめらかな、
  四本の小川がまだ流れているだろうか?

  エデンのどこかで、この時代のあとになお、
  まだ立っているだろうか、廃墟のなかの都市のように、
  見捨てられて、ゆっくりと朽ちる運命を背負った、
  誤りであると知れた園が?

                   イナ・ルソー

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 この詩のオリジナルはアフリカーンス語。1954年に発表されたイナ・ルソー(1923〜2005)の第一詩集『見捨てられた園/Die verlate tuin』におさめられています。今回は、J.M.クッツェーの英訳からの重訳です。

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2008年6月にこのブログで試訳した詩です。いまふたたびアップします。半世紀も前に南アフリカで書かれた詩。世界はまだ希望に満ちていたかに思えた時代に、南アフリカで進んでいた事態はいま世界中に確実に広がっている。この陰画のような風景が、脈略は少し違うけれど、この暑さにぴったりに思える。クッツェーの詳しい訳者ノートはこちらへ


(2012.9.21 付記)
上は1965年ころのカンパニー・ガーデンの写真(テーブルマウンテンに、雲のテーブルクロスがかかっている)。

下は2011年、ケープタウン旅行で筆者が撮影したカンパニー・ガーデン。