Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2012/04/10

安東次男と花蘇芳

「花蘇芳(はなずおう)」ということばを知ったのは故安東次男の著作からだったと思う。北海道にはない植物のひとつだ。濃い紫がかった桃色の、ちいさな花を房状につける樹木。桜が終わったころに咲きはじめる。

 昨日、4月9日は故安東次男の命日だった。彼が他界して10年がすぎた。

 安東次男が逝った2002年はひときわ暖かな春で、3月末にはすでに桜は満開。千日谷公会堂でおこなわれたお別れ会で、多恵子夫人は、彼が病院の担架車にのって庭で満開の花を見おさめて逝ったことを語った。そのときの夫人のことばのなかには、こんなことばもあった。それを折に触れて思い出す。

「安東は天上天下唯我独尊の人でした」

 このことばは、時がたつにつれて、聴いたものの耳のなかで次第に重さをましていく。さまざまなシーンが脳裏をよぎる。すでに逝った人たちの姿もちらほら見える。そして彼が残したことばたちのうえに、多恵子夫人のことばが羽衣のようにふわりと落ちる。

 時の風がことばのうえに吹きつけて、文脈を剥ぎ取り、意味だけをあらわにしていく。倒れた樹木が風雨にさらされ、森のかげで、草原の陽の下で、白っぽい繊維だけを残すように。

 その号が流れる火を抱いた草の堂であればなお。