Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2012/02/29

書評:中村和恵著『地上の飯』

抱腹絶倒、腹の底から笑える本だ。笑うのは身体にいい。それでいて本を閉じるとしんみり、適度の湿気に、心も活気づく。

 話は世界中の食い物についてである。南インドの古都マイソールで食べた「皿の上の雲」さながらのふわふわ蒸しパンから始まり、カリブ海の小さな島ドミニカ島のむせるような果物の匂い、トリニダード島で何杯もおかわりした(島に住みつづける)作家アール・ラヴレイスお手製の魚汁、タヒチで食べた生マグロのココナッツミルク和え、オーストラリア先住民のおばさんおじさんが食するぱりぱりに火で炙った幼虫、さらには欧州北部はエストニアの首都タリンのお菓子まで、多種多様な人間と食物がお出ましになる。まさに七つの海の皿めぐり航海記である。

 札幌郊外で少女期をおくった中村和恵さんは、つらら食い、踏むと片栗粉のようにきしきし音をたてる粉雪、吹雪のなかを橇を引いてお餅を買いにいった話など、記憶の宝物箱から取り出した北国の冬をふんだんに物語る。あの冬を身体深く記憶しながら、そこから遠く離れてしまった評者のような者には、たまらない懐かしさである。がしかし、もちろん、そこで話は終わらない。

 比較文学という仕事がら研究資料をもとめ、あるいは作品の舞台となった土地を実踏するため、著者はジェット機に乗って軽々と国境を越える。訪れた各地で食したものたちについて、歴史や文化や植民地支配がもたらした結果などを絡めて、蘊蓄に富んだ話がわかりやすいことばで論じられるのだ。たとえば「じゃが芋、トマト、チョコレート、ナツメグ、胡椒、コーヒー、お砂糖、といったおいしいものを、マリー・アントワネットさまやそのお友達及びご子孫の方々がふんだんにおほほ、と食べてこられたのは」なぜか。本書を読めばすっきりわかる。

 パンチのきいた、すばらしい着地の文章を読んでいると、読み終わらないうちから、おかわり! といいたくなった

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北海道新聞に書評を書きました。掲載日は2012年2月26日(日)。『地上の飯』は平凡社刊、1980円です。ぜひ、本屋さんで!

2012/02/26

『こども東北学』──身につまされる記憶!

「まん中はどこにある?」──そう、まん中ってどこにあるんだろう?

 どこから引用すればいいのかな。どこを取りあげればいいのかな。迷ってしまう。それぞれの章が遠い記憶と結びつく。近いいまとも結びつく。これからと、どう結びつければいいのかな。そうなのか、と学ぶことも多かった。そうだったよなあ、と膝うつこともたびたびあった。

 田舎と都会。土と野原と、川と海と。生き物たちの傷ついた世界、わたしたちの生き物としての身体が内部で日々、傷ついてきた長い時間。傷つけてきた「便利で」「豊かな」、「モダンな」暮らし。それがあらためて露になったいま。東北だけじゃないけれど、日本だけじゃないけれど。

 東京というちいさな中心に生きながら、from provincial life を発信できる人がここにいる。おすすめです。

2012/02/20

『明日は遠すぎて』──チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

お待たせしました!

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの第二短編集『明日は遠すぎて』の画像が、ネット書店のサイトにアップされました。

 ナイジェリアのストーリーテリングの名手が放つ、切なくも愛おしい9つの物語。最年少でオレンジ賞を受賞し、一躍世界に注目された実力派の、O・ヘンリー賞受賞作を含む最新短編集。

 これは版元、河出書房新社のサイトにある説明ですが、それぞれの作品は第一短編集『アメリカにいる、きみ』よりも、さらに密度が増したように思います。
 アディーチェは34歳、まだまだ成長途上にある作家です。楽しんでいただけると嬉しい! 3月10日の発売です。(付記:Amazon によれば)後記:13日に変更されました。Sorry!

2012/02/16

「クッツェーを読むことは」by Peter McDonald

面白い映像を見つけた。ピーター・マクドナルドが J.M.クッツェーとその作品について語るものだ。

「アパルトヘイト体制下の南アフリカで書くということは、監獄のなかから書いているようなもので」とクッツェーが述べたのは確か1987 年のイェルサレム賞受賞スピーチだった。当時の南アフリカで実施されていた厳しい検閲制度について詳細に論じたのが「文芸警察/The Literature Police」。(これについてはこちらこちらへ)その著者、ピーター・マクドナルド/Peter McDonald がオクスフォード大学で、「彼の作品を読むことは、英語が話されているもうひとつ別の国へ旅するようなものだ」とレクチャーしている。「偉大な作家シリーズ」のひとこまである。

 1964年にケープタウンで生まれたマクドナルドはクッツェーの次(の次?)世代にあたり、いってみればクッツェーとは親子、ほどの年齢差がある。そんなマクドナルドがクッツェーを論じる視点は、デイヴィッド・アトウェルなどクッツェーと同時代の研究者にくらべると、時間的にも空間的にもぐっとパンした視線からとなる。つまり、カメラ位置がぐんと後ろに下がっているのだ。だからスカッと見通しのいいランドスケープのなかにクッツェーを置いて論じてくれる。世界で使われる英語という言語、その英語を使った文学活動としてのクッツェー作品、という視点である。ふむふむ。

 マクドナルドはケープタウン出身だから、もちろん、クッツェー作品の英語がどんなコンテキストから生まれてきたか、手に取るように理解している。作品で使われる英語が、一見、端整な、オーソドックスな英語で書かれているように見えながら、じつはそこに含まれる固有の異質性をも的確に理解、読み取れる位置にあるのだ。
 マクドナルドは、そんなクッツェー作品を、作品内に埋め込まれた「名前」をキーにして読み解いていく。あるいは「Disgrace/恥辱」の冒頭に書かれた「五つの語」を手がかりに、この作品がどんな手法で、どのような戦略で書かれているかを分析する。

 ひとことに英語文学といっても、多種多様。作家と作品を生み出したコンテキストの奥の深さを理解しなければ、「世界文学」とよべる作品の翻訳は難しい時代にきているのだな。心しなければ。

2012/02/09

Happy Birthday, John! ── 今日、彼は72歳に

1940年生まれの J. M. Coetzee は今日で72歳になります。  1989年に日本で初めて訳書が出てからはや23年。これまでに出た作品と日本語訳名を以下にあげて、作家の誕生祝いとしましょう。  『ダスクランズ』Dusklands, 1974  『石の女』In the Heart of the Country, 1977  『夷狄を待ちながら』Waiting for the Barbarians,1980  『マイケル・K』Life & Times of Michael K,1983  『敵あるいはフォー』Foe,1986  『鉄の時代』Age of Iron,1990  『ペテルブルグの文豪』The Master of Petersburg,1994  『少年時代』Boyhood,1997  『恥辱』Disgrace,1999  『エリザベス・コステロ』Elizabeth Costello,2003  『遅い男』Slow Man,2005  『動物のいのち』The Lives of Animals,1999 未訳: Youth, 2002 (現在翻訳中) Diary of a Bad Year,2007 Summertime, 2009(現在翻訳中) White Writing,1988 Doubling the Point, 1992 Giving Offense,1996 Stranger Shores, 2002 The Nobel Lecture in Literature, 2003 Inner Workings, 2007 日本語訳のカバー写真を! (大きさにばらつきが出ていますが、ご容赦ください。) (ひとり言/こうしてならべてみると、けっこうなタイトル数になるのですが、残念ながら絶版/品切れ状態のものが多い。ぜひ、復刊、あるいは文庫化をお願いしま〜〜〜〜〜す! あ、『少年時代』は改訳バージョンで読めるようにしますので、ちょっとお待ちを!)

2012/02/07

映画「半分のぼった黄色い太陽」キャスティング決定!

長いあいだ「制作中」としか伝わってこなかった映画『半分のぼった黄色い太陽』の確かなニュースが、ようやく発表されました。

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの小説をもとにシナリオを書いたビイ・バンデレが監督もやるようです。イギリスをベースに活躍する劇作家で、チヌア・アチェベの代表作「崩れゆく絆/Things Fall Apart」の舞台化が有名です。

 さてさて、どんなキャスティングになるのか、一部では思惑情報が流れてはいましたが、あくまで予測の域を出ず、この俳優だったらいいなあ、とか、あの女優はぜったいダメとか、みんな勝手な(!!?)ことをブログ等に書いていました。

 ナイジェリアでは「ノリウッド」と呼ばれる大きな映画産業があって、インドの「ボリウッド」に負けず劣らず華やかなようです。それで、みなさんそれぞれに強い意見をもっているらしく、侃々諤々の意見でブログがよく炎上していました。とにかく、熱い!!
 
 でも、今回のニュースはどうやら本当。そう、ハリウッド映画です。(あ、イギリス映画、というべきか?)

 監督・脚本:ビイ・バンデレ・トマス/Biyi Bandele Thomas
 制作:アンドレア・カルダーウッド/Andrea Calderwood

 キャスト: タンディ・ニュートン/Thandie Newton(オランナ or カイネネ)
      チウェテル・エジォフォー/Chiwetel Ejiofor(オデニボ)
      ドミニク・クーパー/Dominic Cooper(リチャード)

 キャスティングで確かなのは上の三人ですが、はて、ニュートンはオランナを演じるのか、はたまたカイネネを演じるのか。オランナらしい、という情報が多いですね。あるブログ情報に、もうひとり女優の名前があがっていますが、きりりとした表情がすてきな女優さんです(Sophie Okonedo)。でも、とすると、これがカイネネか? と思わせる、肌の色の白っぽい方でした。う〜ん、原作の小説ではカイネネは黒檀のような肌をしていたのですが、映画となるとそういうこともありなんだろうなあ〜〜。

 ちなみに、アディーチェ自身は映画の制作そのものにはタッチしないといっていましたが・・・。

 写真は上から、タンディ・ニュートン、監督のビイ・バンデレ、オデニボ役のチウェテル・エジォフォー、そして最後がリチャード役のドミニク・クーパー。プロデューサーのカルダーウッドは「ラスト・キング・オブ・スコットランド」を作った人です。スタッフはすでに現地入りしていて、来月3月からナイジェリアで撮影開始。う〜ん、楽しみです!

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付記、2012.6.19:リチャード役の俳優がドミニク・クーパーからジョゼフ・モール/Joseph Mawle に代わったようです。カイネネを演じるのはアニカ・ノニ・ローズ/Anika Noni Rose。詳しいキャスティング情報はこちらへ!

2012/02/05

Sathima Bea Benjamin ──サティマ・ビー・ベンジャミン

友人の Oさんから教えてもらった、南アフリカ出身のヴォーカリスト、Sathima Bea Benjamin/サティマ・ビー・ベンジャミン。

 ジョバーグ生まれでケープタウン育ち、いまはニューヨークを中心に活躍している、とオフィシャルサイトにあった。この女性、かのダラー・ブランド/アブドゥラ・イブラヒムのパートナーだそうで、歌を聴いてみると、とってもなつかしい感じがする。

 アルバムの SongSpirit をみると、ジャズのスタンダードナンバーがずらり。もちろん「アフリカ」を歌った曲もある。Amazon com のサイトで視聴し、彼女のオフィシャルサイトでも2曲視聴して、購入を決定した。

 そうか、ダラー・ブランド(1933年生まれ)が名前をイスラム名にした理由を、ケープタウンに行ってきてから、『デイヴィッドの物語』を翻訳してから、あらためて考えてみなくちゃなと思う。ケープタウンにはムスリムがけっこう多かった。アザーンが朝、聞こえてくる場所もあるとか。ヴェールを頭にまいた女性も見かけたし・・・。アパルトヘイトはたんなる「白/黒」の分離なんかじゃなかったんだよね。

 ダラー・ブランドの名前を初めて耳にした70年代は、もっぱら米国のジャズミュージシャンの行動をもとに考えていたんだ、わたしは、と反省した。彼は、まさに、南アフリカの複雑な人種関係のなかで生まれ、生きてきた人だったのだ、とあらためて思った。

 ちなみに、Sathima は「サティマ」と表記するのが原音に近いだろう。南アフリカの人名では、「th」は日本語の「タチトゥテト」をあてるのが一般的。たとえば、Mathabane は「マタバーネ」、Themba は「テンバ」といったふうに。

 アルバムが届くのが待ち遠しい!

2012/02/01

マヘリアはうたう

「水牛のように 2月」に詩を書きました。

  マヘリアはうたう

比較的みじかい詩です。編集の八巻美恵さん、いつもどうもありがとう!