Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2011/08/12

Memeza──ブレンダ・ファッシー

ひさしぶりに音楽の話。この夏はこれ!

 ビニャヴァンガ・ワイナイナの『One Day I Will Write About This Place』を読んでいると、いろんな名前が出てくる。とりわけ、1990年代前半を南アフリカですごしたワイナイナにとって深く刻印されているのか、当時の激動期にメディアをにぎわした名前がふらっ、ふらっと日常的な感覚であらわれる。そこがとても面白い。たとえば:

「自己憐憫の音楽が聞こえる。ケニー・ロジャーズとドリー・パートン」とか「安宿の部屋にもどってリアリズムと刺すような散文を読みたい。たぶん、クッツェー? それで俺はふたたびプロテスタントになるだろうな。ナイポール。狭量だが、すがすがしいなにか」 

 ネルソン・マンデラ、クリス・ハニなど政治家の名前にまじって、あるときブレンダ・ファッシーの名も出てきた。南アフリカの一時代を駆け抜けたシンガーだ。

 1964年にケープフタウンのタウンシップ、ランガに生まれて小さいときから観光客相手に歌を歌ってお金を稼いでいたブレンダ。16歳でジョバーグへ出てからスターダムをのぼりつめて、アルコール、薬、同性愛、結婚の破綻と、あらゆるスキャンダルと名声のしぶきを一身にあびたブレンダ。そのブレンダの結婚相手の兄だか弟だかが目の前にあらわれる場面をワイナイナはメモワールとして書ける「場」にいたのだな。

 ブレンダ・ファッシーをいま一度「密林サイト」やグーグルで調べてみる。当時、わたしはブレンダの音楽にはあまり興味がわかなかった。音楽も映画も絵画も文学も、あまりに政治的な文脈をひっかけて語ったり、ステロタイプなイメージを売りにするメディアに、じつは、ちょっとうんざりしていたのだと思う。そしていま、ワイナイナの本のなかで出くわすブレンダの歌に思わず、オッと声をあげる。

 買いました、CD。これです。「Memeza」じつに良い。時間がたってもまったく古くならない。1999年盤です。

ちなみに、ビニャヴァンガ Binyavanga という名前はケニアでは耳慣れない名で、たいていの人が一回で覚えてくれないとか。彼のお母さんはウガンダのナンディ人だったようだ。 
 右の写真は2002年に第3回ケイン賞を受賞したときのワイナイナ。

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追記:2011.8.13 New York Times にワイナイナの本の書評が載りました。こちらです。