2011/08/31

カナダは Brian Smallshaw さんの夏山の写真


8月も最後。今年の夏は、街に出ると空調温度が低め、これは助かった! でも、今年はどちらかというと涼しい夏だったように思う。


 暑い日がつづいたと思うと、すとんと気温が落ちて雨が降り、頭の働きがにぶくならない程度の温度で、しばらくするとまた30度をこえて、といった具合に。


 昨年よりはぐんと仕事がしやすかった。冷房はたった1日、夕方2時間ほどかけただけだ。今年から電気代請求書/領収書に使用電力の昨年比、というのが記載されるようになったけれど、節電に心がけている分、少しだけ減ったかな、という程度で、わがやはあまり変化がない。ふだんからクーラーを使わないし、乾燥機もない。電熱機と呼べるものは炊飯器とトースターだけだから、こんなものか。おそらくいちばん電気の消費量が高いのが、2台ある PC だろう。
 
 さて、夏の終わりに、冷房なんていらない地方からのすてきな便り。カナダはブリティッシュ・コロンビア州に住むブライアン・スモールショーさんの夏山の写真を今年も。



付記:写真は Lake O'hara、アルバータ州のカナディアン・ロッキー。

2011/08/29

「スロー・マン/Slow Man」がオペラに!


「あなたが寝てる間に」という映画がむかしあったけれど、「私たちが寝てる間に」という書き出しでこんなニュースが

 そうです。邦訳ももうすぐ出るという『スロー・マン』がオペラになるのです! 
 ベルギーの作曲家、ニコラス・レンスが曲を、作家自身がオペラの台本を書いています! バリトン/ポール・レイメント、メゾソプラノ/エリザベス・コステロ、ソプラノ・コロラチューラ/マリヤナ・ジョキッチ、で初演は2012年7月ポーランドのポズナニ音楽祭。

『Disgrace/恥辱』の主人公がバイロンの作品をオペレッタにしようとして、バンジョーで作曲するというシーンがありましたが、映画も大好きだけれど、音楽も大好きのクッツェーさん、自分の作品がオペラになる(いや、自分でオペラ化する)のは嬉しいのでしょう。写真もちょっと笑顔で写っています!

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付記:作曲家の Nicholas Lens はベルギー人とのことですが、Nicholas という名前がオランダ語風なので(フランス語なら Nicola となるでしょうか)、オランダ系の人かもしれません。偶然ですが、若くして死んだクッツェーの息子さんとおなじ名前です。

福島原発から80キロ離れた土地の現実/ドイツからの報道


厳しい内容の報道ですが、というより、とてもまっとうな報道という印象です。これが日本の現実です。こんな無責任な政策をするのは、文明国ではない、とまでいわれています。
本当になさけない、恥ずかしいかぎりの、政府の対応、自治体の対応ですが、これが日本の現実です。
 でも絶望は、しない! 生きているかぎり。

2011/08/28

深山に咲くレンゲショウマ

山好きの友人が「残暑見舞い」として送ってくれた、レンゲショウマの写真です。

 うっすら透明感のある白がだんだん紫色に変わっていくグラデーションがとてもすてき。湿り気の多い深山や林の下に咲く花だそうです。
 
 『デイヴィッドの物語』の翻訳も残り数ページ。レンゲショウマの花に涼しさをもらいながら、激動の南アフリカ、1991年のあの大集会へと話がすすみます。

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追記:そして今日、2011年8月29日、ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』最終ページを訳了! ふ〜〜〜〜っ!!

2011/08/21

クッツェーがオースターとステージで対話!

クッツェーが9月22日にカナダのキングストンで開かれる文学祭に招かれて朗読する。

 朗読のあと、ポール・オースターといっしょにステージ上で対話をするというのだから、これはちょっと驚き。
 80年代から、オースターはみずからクッツェーファンであることを公言してきた人だから、念願かなって、ということなのかもしれない。

 そんな話が「The Whig Standard」なるウェブマガジンの「J.M. Coetzee, in the third person」で読める。


 そう、なぜカナダのキングストンなの? と疑問に思う人もいるかもしれないが、この土地はクッツェーの自伝的三部作の最終部「Summertime 」の最初に出てくる女性ジュリアが「現在住んでいる」街なのだ。といっても物語はあくまで架空のものだから、もちろん、現実のキングストンにジュリア・フランクルなる人物が住んでいるわけではない。

 ステージ上の対話はきっと、この Summertime やオースターのカフカエスクな最新作をめぐるものになるのではないか、とこの記事を書いた Wayne Grady は期待を込めて述べている。どんなものになるのだろうか? (ドラえもんの「どこでもドア」でちょいと行ってみたい気がする/笑。)
 
 クッツェーはノーベル賞を受賞したとき、受賞スピーチの代わりに「He and his Man」という文章を読みあげた。表面上はロビンソン・クルーソーとデフォーを下敷きにした、不思議な、連想にみちた話だったけれど、グレイディが上記の文章でジェイムズ・ミークの文章(Guardian, September 5,2009)から引用しているように、あれは確かに、「He and his double」といったほうがいいような内容だった。つまり、クッツェーとその分身、登場人物と作家をめぐる話なのだ。

 ノーベル賞受賞後の2005年に発表された小説「Slow Man」もぴたりこのテーマが当てはまるけれど、そういえば「J.M.Coetzee and His Doubles」というタイトルのシンポジウムが2007年に、ニューヨーク大学で開かれたことがあったっけ。

 そのときの論文集をさらに発展させてまとめたものが2009年に刊行され、現在はネットで読むことができるようだ。これは嬉しい。シンポで中心的な役割をしたMark Sanders がずばり「J.M.Coetzee and his Doubles」というイントロダクションを書いているし、『デイヴィッドの物語』を書いたゾーイ・ウィカムも「Slow Man and the Real」という、シンポジウム発表時のものに加筆した文章をよせている。ほかにもアトウェルやアトリッジ、クラークソンなどおなじみのクッツェー・スポッターの名前がいくつも見える。

 先の記事のタイトル「J.M.Coetzee, in the third person/三人称で(語られる)、J.M.クッツェー」は9月に出る一巻にまとめられた自伝的三部作を考慮してのこととは思うけれど、はて、キングストンに登場するクッツェーが何を読むのか、オースターと何を話すのか、う〜ん、聞いてみたい!

2011/08/18

ブレンダ、ふたたび!

暑い、とにかく、暑い東京です。

『デイヴィッドの物語』も終盤にさしかかり、解放運動の背後、ミステリアスな部分に突入しました。
 1991年ころの南アフリカへトリップです。

 ブレンダ・ファッシーは80年代から39歳で死ぬ2004年まで、南アフリカのタウンシップの空気をめいっぱい歌いあげたポップ歌手として心に刻まれているのでしょう。
 ハチャメチャな生活に比して、歌だけはずば抜けて・・・という感じです。

 この猛暑のなかで。原発とさよならしたい・・・この猛暑のなかで。

2011/08/16

北海道よ!──柏原発の再稼働は待って!!

猛暑です。暑さ負けでちょっと頭が痛い。でも、これは見過ごすわけにはいかない。

 北海道の柏原発を再稼働させる動きが活発になってきた。経産省出身の高橋知事は、再稼働に向けて地元の賛成がえられれば、ゴーサインを出すつもりらしい。それはないだろ!

 ちょっと待って!! 

 かつて柏原発の安全検査の結果を改ざんしていたことは、「私が命じられた北海道泊原発の検査記録改ざん」という記事からも明らか。
 こんな検査体制のままゴーサイン出していいわけがないよね。

 道議会へ意見を!というサイトもあります。

 柏原発近くに新たに発見された断層についてのこんな記事も。

2011/08/13

読書、切り抜き帳──Memeza/Shout

One Day I Will Write About This Place』のなかでワイナイナは、1998年にケープタウンに住んでいたころの、あるシーンをこんなふうに記す。

 So, I am sitting in this taxi, floating. The two white women are saying, "Oh, oh. It's so so beautiful, this new Brenda Fassie song." Not a word in English in this first real corssover song in a new South Africa.
  It's the way the song begins ── a church organ, playing on a scratchy old record, a childhood memory of a sound, for the briefest moment, then come her first few words, slurred like she is drunk and far away, the path ── delivered in a soft, childlike candor, and for the next few sounds, we are left alone with her voice, pleading to us softly, vul'indlela, let me in. (p175)

2011/08/12

Memeza──ブレンダ・ファッシー

ひさしぶりに音楽の話。この夏はこれ!

 ビニャヴァンガ・ワイナイナの『One Day I Will Write About This Place』を読んでいると、いろんな名前が出てくる。とりわけ、1990年代前半を南アフリカですごしたワイナイナにとって深く刻印されているのか、当時の激動期にメディアをにぎわした名前がふらっ、ふらっと日常的な感覚であらわれる。そこがとても面白い。たとえば:

「自己憐憫の音楽が聞こえる。ケニー・ロジャーズとドリー・パートン」とか「安宿の部屋にもどってリアリズムと刺すような散文を読みたい。たぶん、クッツェー? それで俺はふたたびプロテスタントになるだろうな。ナイポール。狭量だが、すがすがしいなにか」 

 ネルソン・マンデラ、クリス・ハニなど政治家の名前にまじって、あるときブレンダ・ファッシーの名も出てきた。南アフリカの一時代を駆け抜けたシンガーだ。

 1964年にケープフタウンのタウンシップ、ランガに生まれて小さいときから観光客相手に歌を歌ってお金を稼いでいたブレンダ。16歳でジョバーグへ出てからスターダムをのぼりつめて、アルコール、薬、同性愛、結婚の破綻と、あらゆるスキャンダルと名声のしぶきを一身にあびたブレンダ。そのブレンダの結婚相手の兄だか弟だかが目の前にあらわれる場面をワイナイナはメモワールとして書ける「場」にいたのだな。

 ブレンダ・ファッシーをいま一度「密林サイト」やグーグルで調べてみる。当時、わたしはブレンダの音楽にはあまり興味がわかなかった。音楽も映画も絵画も文学も、あまりに政治的な文脈をひっかけて語ったり、ステロタイプなイメージを売りにするメディアに、じつは、ちょっとうんざりしていたのだと思う。そしていま、ワイナイナの本のなかで出くわすブレンダの歌に思わず、オッと声をあげる。

 買いました、CD。これです。「Memeza」じつに良い。時間がたってもまったく古くならない。1999年盤です。

ちなみに、ビニャヴァンガ Binyavanga という名前はケニアでは耳慣れない名で、たいていの人が一回で覚えてくれないとか。彼のお母さんはウガンダのナンディ人だったようだ。 
 右の写真は2002年に第3回ケイン賞を受賞したときのワイナイナ。

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追記:2011.8.13 New York Times にワイナイナの本の書評が載りました。こちらです。

2011/08/10

待望のビニャヴァンガ・ワイナイナの新著

ビニャヴァンガ・ワイナイナ/Binyavanga Wainaina の『One Day I Will Write About This Place」を読んでいる。仕事を放り出して読みたくなるので、ちょっと困る。

 1971年にケニアで生まれたワイナイナ、少年時代の話からはじまり、南アフリカのトランスカイ大学に留学していた90年代の話、帰国して故郷に帰るとちゅうのナイロビの話など、いろいろ。
 memoir とうたってある。そうか、自分の生地(リフト・ヴァレー州のナクル)や故国や、アフリカ大陸や、そこに住み暮らす人たちの姿を「外部の目」からではなく、もっと身近な人の目線から、シンパシーをもって(批判も含めて)、彼ら自身の物語として書かれたものを読みたい、だから自分で書きたい、と思っていたことがひしひしと伝わってくる。

 文体がいい。スワヒリ語やキクユ語や、南アにいるときはその土地のことばや、とにかく、「説明」ぬきでどんどん取り入れるラップのような文章なのだ。細かなところまで全部「わかる」わけではないけれど、彼が書きたかったことの中身はよ〜くわかる。
 見聞きしたこと、体験したこと、それを等身大の目で描く。視線はかぎりなく地面に近い。

 おなじケニアの大作家、グギ・ワ・ジオンゴの賛辞はこうだ。

「ビニャヴァンガ・ワイナイナはシンガーであり、ことばの画家だ。読者に、匂いを、音を、手触りを、光景をありありと伝える。とりわけ、ケニアやアフリカで起きている事柄の表層を生き生きと具体的に捕えながら、その下で繰り広げられる生のドラマとバイブレーションを感じさせるところがすごい。どの行からも、どのパラグラフからも、生活と、笑いと、パトスがはじけてくる」
 
 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが毎年ラゴスで主催するワークショップに、ワイナイナは第一回から毎回欠かさず、ゲストとして参加している。アディーチェとは友だち、というかほとんどコムラッドに近いかも。第三回ケイン賞をワイナイナが受賞したとき、アディーチェは次点だった。2002年のことである。

2011/08/09

アムステルダムでスピーチする、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

現在、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの第二短編集『鳥の歌』(仮題)のゲラ読み真最中です。

 昨年の来日以来、あちこちの文学祭などに出没しながら次の長編を準備しているチママンダですが、この4月18日にアムステルダム大学でこんな話をしています。

 Narratives for Europe - Stories that Matter

 ヨーロッパ植民地主義の歴史、とりわけアフリカについて語られる物語について、です。すさまじい集団レイプが問題になっている、コンゴも出てきます。

 そうそう、チママンダはまたしても大きなフェローシップを獲得していました。ハーバード大学のラトクリフ研究所「2011-12 Advanced Study」のフェローになっていました。応募した800人のなかから選ばれた、さまざまなジャンルの51人の1人として。
 コロンビア大学の医学生で小説も書く俊才、ウゾディンマ・イウェアラ/Uzodinma Iweala の名前もあります。

 フェローの条件がまたすごい! 恵まれているなあ、とため息をつく人がいそうです。詳しくは、AfricaBookClub、あるいは Nextへ

2011/08/07

ジュノ・ディアス、ふたたび

やっぱり書いておこうかな。ま、いっか、と時間切れになるまで放っておかないで、やっぱり書いておこう! 
 
 わたしが聴きにいったのは8月4日のシンポだったけれど、その前日、渋谷の青山ブックセンターで訳者のひとりである都甲幸治さんとのトークがあった。そのときディアスさんが語ったことのひとつに、作品に登場する女性と男性の書き方についてというのがあったらしい。

 ネット上のことばを引用すると「女性作家が描く男性はとても的確だが、男性作家が描く女性は総じてひどい、これは全世界共通」。この話、おおいにうけたとか。やっぱり!

 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』の原稿を女友だち5人に読んでもらって、半数以上からオーケーをもらうまで書き直したというのも凄い。あの作品は長い年月をかけて、周到な準備のもとに、きわめて意識的な書き方で書いたのだ。作品内にミソジニー(女嫌い)が欠片も感じられないわけだ。

 ジャンク・カルチャーを「本当のこと」を書き込む器として使いこなした点もさることながら(あらぬバッシングを避けるためだろう)、女性を描くときのこの作家の態度は、まったく新しいアメリカ文学の書き手が登場したといっても過言ではないように思う。

 もう一度書いておこう、これは特筆にあたいすると。なんともお寒い日本の現実のなかで奮闘している作家たちにとって、これは大きな励ましになるだろうな。Viva, Junot!!!

2011/08/05

ジュノ・ディアスの話を聴いてきました

昨日、溜池山王で開かれたジュノ・ディアスを囲んだシンポジウム「オタク・災害・クレオール」に行ってきました。
『オスカー・ワオの短く、凄まじい人生』(このブログにも書評を掲載)の著者は、写真で見るより全体に細身。都甲幸治さん、小野正嗣さんと、なぜか3人チェックのシャツ姿でならび、短い時間ながら面白いトークを展開してくれました。

「オタク」「災害」とこなしていって、「クレオール」については残念ながら時間切れ。これを話し始めるとものすごく広いスパンの話になるなあと思っていて心配なほどだったけれど、やっぱり話はその手前で終わりましたね。

 エスパニョーラ島の東半分を占めるドミニカ共和国で生まれて6歳まで住んだカリブ出身者らしく、「災害」についてはとても敏感に反応、いや、きちんと考え、判断し、行動しているところが印象的でした。石巻まで行って、この冬に本格的なボランティアとして参加するための下見をしてきたとか。今回の日本の原発事故についても鋭い意見をきっぱり述べていたし。

 しかし、わたしのトリビア頭にいちばん印象に残ったのは、腰痛の話です。大学の教職につく前に肉体労働をしていたころ、毎日、ビリヤードのテーブルを運んでいたそうです。あれはものすごく重いですよ、試しに、今度見かけたら押してみてください、といっていた。それで腰掛ける姿勢をつづけていると腰痛に見舞われるとか。リアル!

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付記:さきごろ「Hitting Budapest」でケイン賞を受賞したジンバブエの作家、ノヴァイオレット・ブラワヨがインスパイアされた作家としてイヴォンヌ・ヴェラとともに、ジュノ・ディアスをあげている。やっぱりなあ。コミットする力と技法が飛び抜けてすぐれているもの。

2011/08/01

面白かった! おもしろかった! 本!

 話題の本です。いま売れている本です。あっというまに読める本ですが、中身は濃い。この本の文章のなかに具体的に書かれていないことが、たぶん、凄い。

 著者の熱い知性。しなやかで強い意志。地底からの勇気。

 いろんな評があるでしょう。わたしは書評はしません。あえて。ここに書くのは感想の一部だけです。めったに泣きませんが、この「おもしろさ」には胸が熱くなりました。