Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2011/07/21

2010年5月、オースティンでスピーチをするクッツェー

 昨年5月、クッツェーは25歳から3年間滞在して博士論文を書いたテキサス大学へ招かれてスピーチをした。その動画がアップされていた。

 内容はおおまかにいって、テキサス大学で過ごした思い出と(息子がここで生まれたことや、博士論文をここで書いたこと、図書館に眠っていた宝物のような資料を発見したことなど)、そして、2008年に彼が知った驚くべき記録「南アフリカの検閲制度が彼の作品をどのように検閲していたか」について。(動画の下に字幕が出る。)

 クッツェーはスクラップされたと思っていた検閲委員会の記録から、記録番号まで具体的に引用しながら、初期の三作品、「In the Heart of the Country」「Waiting for the Barbarians」「Life and Times of Michael K」を誰が読み、どんなふうに評価したか、衝撃的な内容を披露している。
 
 このいきさつはすでに二度にわたってこのブログでも書いた。それはこちら:

J・M・クッツェーの小説が発禁にならなかったわけ──南アフリカの検閲制度(1)
J・M・クッツェーの小説が発禁にならなかったわけ──南アフリカの検閲制度(2)


 当時ケープタウン大学で働いていたクッツェーにとって、ごく身近な人が検閲委員会の議長だったこと、その人物は彼の両親が住んでいた地域に田舎の家を一軒もっていて、庭で開かれたバーベキューの夕食会に彼らを招いてくれたこと、などなど耳新しい情報もある。

 彼は吐露する──「I was surprised to have this revealed to me. I was even shocked. But was my surprise naive? I think it was. And now we come to the point. 」

 当時の南アフリカのインテリ小集団内で、検閲という行為が、歴史的な背景と政治的な文脈のなかで、個々人のどんな意識のもとで行われたか、彼の作品がどう評価されたか(これがとても興味深いが、正直いって、わたしは聴衆のように笑う気になれない!)、クッツェーは細かく細かく検閲官の心理の奥を考える。ここがじつは、もっとも面白く、ひやりとするところなのだ。

 *写真はクッツェーが2003年にノーベル賞受賞したときに、ライトアップされたというテキサス大学のタワー。スピーチでは、博士課程在学中、ここから無差別に銃で撃たれそうになった事件があったことも述べている。