Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2011/02/23

ささやきの詩想レジスタンス

ささやきの詩想レジスタンス──桜前線2000キロの旅

 もうすぐ桜の季節がやってきます。「東京演劇集団 風」と「スーフルール・コマンド・ポエティック」の共催で、「ささやきの詩想レジスタンス──桜前線2000キロの旅」がはじまります。皮切りは3月17日です。日仏学院では3月29日。

 日本を南から北へ縦断する桜前線に沿って、日仏のパフォーマーたちが長い筒、短い筒を手に、あなたの耳もとへ詩を、詩想をささやきにやってくるのです。

 わくわく! この投稿のタイトルか、出だしのブルー文字をクリックしてください。YOUTUBE ですてきな映像が見られます。

 今年の催しに私も詩作品を提供しました。

2011/02/19

「週刊ブックレビュー」のあとで

浅川マキの最初のLPは、友人が貸してくれたので部屋にもって帰って聴いた。何度か聴いた。LPはしばらくしてから友人に返し、そのまま、自分では買わなかった。1970年か、71年のことだ。

 いまみたいに簡単にコピーなんかできない時代だから、好きなときに取り出して聴くには、LPを買うしかなかった。でも、買わなかった。部屋で聴いたのは、サラ・ヴォーン、アン・バートン、ポップなところではキャロル・キングあたりだったか。

 それでも浅川マキのコンサートには友人に誘われて行った。1970年か71年初冬に立教大学で開かれたコンサート。すごい、なんという黒いフィーリング、と思ったけれど、LPは買わなかったし、追っかけにもならなかった。その理由が「週刊ブックレビュー」にでるために『ロング・グッドバイ』を読んですごくよくわかった。

 たぶん、浅川マキにわたしは出会いそこねたのだ。

 理由は、いまからみると頑固で、若い、ある「反発」だ。マーケッティングのための、過剰な演出。いや、それは、浅川マキというシンガーの実像のうえから、ある強烈なイメージをかぶせて売ろうとした演出への反発だったのだろう。そして事実よく売れたのだ、当時は。
 
 もう一度、浅川マキを聴いてみよう。そう思ったのは、NHKのスタジオ収録中に流れてきた彼女の歌声を聞いたときだ。巻上公一さんの指摘する「ミュージシャンとしての浅川マキのすごさ」も、なるほどと思った。いまは80年代以降の作品を聞いてみたい。すぐに買った2枚組のCD(まだ未開封、これからゆっくり聴くつもり)にはあまり入っていないけれど。

 巻上さん、貴重なきっかけを作ってくれて、ありがとう!!
 

2011/02/16

2月19日放送のNHK週刊ブックレビューに出ます

今日は雪もやんで、ぽかぽか陽射しが暖かく、永田町まで「NHK週刊ブックレビュー」の収録に行ってきました。いやあ、中身の濃〜い話になりました。時間もかなりオーバーしたのじゃないかな。

 書評者でごいっしょしたのは作家の辻原登さん、ミュージシャンの巻上公一さんです。

 いちおし本は、辻原さんがいま話題の「ガツン」とくる山城むつみ著『ドストエフスキー』(講談社刊)、巻上さんが昨年他界した浅川マキの世界を文字でつづった『ロング・グッドバイ』(白夜書房刊)、そして私は岸本佐知子さん訳のめくるめく(!?)リディア・デイヴィス著『話の終わり』(作品社刊)です。

 私がおしたほかの二冊は、池澤夏樹個人編集の世界文学全集に唯一入った日本文学、石牟礼道子著『苦海浄土』(河出書房新社刊)、惜しくも昨秋他界した、大好きな絵本作家、エッセイストの佐野洋子著『わたしが妹だったとき』(偕成社刊)です。

 なんだか、司会の藤沢周さんや守本さんを含めて、みんなものすごくいっぱいしゃべった感じです。は〜、くたびれました/笑。でもとっても面白かった。土曜日の放映が楽しみです。お時間があればぜひ。

放送予定
【BS2】2011年02月19日(土) 午前8時30分~午前9時24分
【BShi】2011年02月20日(日) 午前10時00分~午前10時54分
【BShi】2011年02月21日(月) ※休止
【BS2】 2011年02月22日(火) 午前9時00分~午前9時54分

2011/02/09

クッツェーの不安、ガッパの不満

 ジンバブエの若手作家ペティナ・ガッパが1月16日付けガーディアン紙に、一昨年ケイン賞を受賞したオソンドゥの短編集「Voice of America」の書評を書いていた。これがなかなか面白かった。

 西欧諸国で作品を出版するアフリカ人作家はリプリゼンテーション(代弁)について二重の重荷を負っている。西側の批評家や読者はアフリカ人作家の声や物語を彼/彼女の民族や国民を代弁するものとして読むが、作家自身の国の批評家や読者は、西欧人によって選ばれて本を出版できる作家というのは特権的地位にあるのだから、自国の人間がよしとする形で代弁し、物語は「ポジティブ」でなければならない、と考えるのだという。

 これでは作家は国民の意思を代弁する政治家か、アフリカ大陸がいま切実に求めているポジティブな印象を打ち出すための広報係として、この大陸を「ブランド再生」させなければいけないみたいだ、とガッパはちょっと不満そう。作家はあくまで個性的な想像力をもった1人の人間にすぎないのに、という彼女の指摘はもっともで、この自由な感性に新しい世代の声の響きが感じられる。

 それとは別に、言語や民族を超える世界文学を読み解くには、作品をあくまで1人の作家のものとして読みながらも、植民地化によって各大陸に散らばった英語、フランス語、スペイン語といった帝国言語が、独立した国々で現地語と共存しながらどのように使われてきたかにも思いをはせることが必要かもしれない。たとえばガッパの作品内には、ジンバブエの民族言語のひとつであるショナ語がたくさん出てくる。自分は英語とショナ語が混じった「ショニングリッシュ」で書く、とガッパはいう。

 1月末にインドのジャイプールで5日間にわたって開かれた文学祭では、この帝国言語の問題について活発な議論がなされた。南アフリカ出身でオーストラリア在住のJ・M・クッツェーも参加し、マザー・タング(母語)内の内密な言語空間について語ったという。

 第一言語である英語を十全に駆使するクッツェーにして「英語で書くのは他者の母語で書いているようだ」というのだからこの問題は奥が深い。彼はオランダ人植民者の家系に生まれ、家では英語、親戚とはアフリカーンス語で会話したという。そのためか、英語にもアフリカーンス語にも深い疎外感を抱いて生きてきた。
「言語や民族を超える」作家が不可避的に直面する人間関係への不安と不確かさ。そこから卓越した文学が生まれるのは紛れもない事実ではあるけれど、考えてみると、言語と作家の関係はまことに因果なものでもある。

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付記:2011年2月8日北海道新聞夕刊「世界文学・文化 アラカルト」に書いた記事に加筆しました。
今日、2月9日はジョン・クッツェーの誕生日!