Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2010/07/01

翻訳者泣かせの南アフリカ英語──その2

「kaffir/カフィールという語」

サッカーのワールドカップでは早々と負けてしまった南アフリカだけれど、「虹の国」と呼ばれるこの国には、じつにさまざまな人が住んでいる。さまざまなという意味は、この国の成り立ちとおおいに関係していて、アパルトヘイト体制による「人種」という「厳密な」定義によって、その実、きわめて恣意的な区分が何十年にわたって人々の暮らしや心に残したものは、10年や20年では払拭できないほど深いのかもしれない。

 ましてや、ヨーロッパ人がやってきて、銃と聖書とさまざまな物資をもちこんで土地を奪っていった歴史がその前提となっているのだから複雑きわまりない。でも、その複雑さのなかに、アジアやアラブの人間が深く絡んでいることは案外、見落とされがちだ。つい「ヨーロッパ対アフリカ」の構図に目を奪われてしまうからだろうか。ヨーロッパ人がやってくるはるか前から、東アフリカ地域、海域ではアラブ人交易商たちが活躍していたのは周知の事実。

 そのことを示す端的な例が「kaffir」ということばである。この語を「リーダーズ英和辞典」で引くと「1a<古>カフィル人(南アフリカのBantu族); カフィル語(Xhosa語の旧称)b[derog](南アフリカの)黒人」と出てくる。「ジーニアス英和辞典」では「1カーフィル[コサ]族(の人)(南アフリカのバントゥー族の一部族;<南ア><侮蔑>アフリカ黒人」とあり、つぎに「2カフィール語<コサ語の旧称>」さらに「4(イスラム教徒から見て)不信心者、異教徒」となる。

 では件の「南アフリカ英語辞典」ではどうか。出てくる、出てくる。すごい量の情報だ。二段組みで約3ページ半。しかし、これなどまだ少ないほうで、先日、遅ればせながら取り寄せた「A Dictionary of South African English on Historical Principles/South Afirican Words and Their Origins」(Oxford, 1996)では、三段組みの細かな文字で、関連項目を含めると、なんと10ページを越える。

 クッツェーやウィカムの小説にこの語が出てくるのは、たいてい会話のなかで、話者が「アフリカ黒人」を罵るようにして呼ぶときだ。もっとも強い侮蔑語として使われる。だから「コサ人」とか「ズールー人」といった民族集団をさす語とは全く違うニュアンスをもつことに注意しなければいけない。
 しかし、「イスラム教徒から見た不信心者、異教徒」というところも興味深い。この「kaffir」という語、語源をさかのぼるとアラビア語に行きつく。つまりこの語の裏には、アラブ商人によって売買された奴隷と南部アフリカの関係が見え隠れしている。ご存知、ケープタウンには「Slave Logde」という建物がある。売られてきた奴隷の一時滞在所とでもいうべき建物である。

 英帝国やオランダが植民地にしていたインド、インドネシア、セイロン、マラヤなどから労働力として運ばれて来た人々や、東アフリカからアラブ商人に売られてきた奴隷が相当数いた(当然、その人たちの子孫がいる)ことを考えると、アラビア語やイスラム教と強く結びついた文化が、かなり古くから持ち込まれていたことが理解できるだろう。彼らイスラム教徒からみた「異教徒」を意味する語が、イースタンケープ州に多く住むコサ(マンデラ元大統領が属する民族)の人々をさすようになった経緯というのも興味深い。
 
 歴史に強いわけではないから細かなことまでは分からないけれど、これはたった一冊の小説を訳すためにも、その国の時代的背景、歴史的背景を調べなければ正確な訳ができないことばがある、という具体例かもしれない。
 ちなみにコンサイス版のOED(2003)ではこの語、「an insulting and contemptuous term for a black African/アフリカ黒人を意味する侮辱語、軽蔑語」となって、他の説明はいっさい出てこない。さすが現場に強い旧宗主国の辞書。この説明が現代の南アフリカ(および他のアフリカ諸国)から出てくる同時代的文学作品のなかで使われる「kaffir」の意味合いを、もっとも端的にあらわしているといえそうだ。