Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2010/06/23

翻訳者泣かせの南アフリカ英語──その1

これまで何冊か南アフリカ出身の詩人、作家の作品を訳してきたけれど、最初に出たのは、J・M・クッツェーの『マイケル・K』で、1989年のことだった。
 80年代はまだワープロが主流だった。PCによる通信もはじまったばかりで、現在のようなインターネットの繁栄は、当時の一般の人間にしてみれば、ほとんど想像がつかなかった。
 
南アフリカからの情報も、いまでこそワールドカップの試合のようすを、ネットで刻一刻と追いかけたり、コメントを書き込んだり、と相互に交信できるようになったが、80年代後半は、定期購読している南アの新聞も、いつ届くのやら、発行時期順に届くことさえまれだった。
 いまは「メール&ガーディアン」という紙名になったその新聞、当時は「ウィークリーメール」という週刊新聞で、アパルトヘイト体制下の検閲制度によって、頻繁に発禁処分になったり、記事がバンされてその箇所が真っ黒に塗られて発行されたりしたものだった。
 紙面にならぶ英語がまた一筋縄でいかず、骨が折れた。南アフリカ特有の英語なのだ。

 当時すでにブッカー賞やらなにやら国際的に高い評価を受けていたクッツェーの文章は、さすがに、じつにすっきりした文体で、「南ア特有の」という感じは「一見」ほとんど感じられなかった。だれもが指摘するように、削りに削った無駄のない、無機的なとまでいわれる端正な文章だった。しかし、である。やはり、南アだあ〜、と思わせることば使いがあちこちに隠れていた。
 
 主人公マイケルが自力で育てたカボチャを、ついに収穫して、ナイフを入れ、網で焼くシーンがある。作品中もっとも美しい場面だ。

「やがて、十分に熟れた最初のカボチャを切る夕べがやってきた。それは畑のまんなかで、ほかの実よりも一足早く生長していた。・・・(中略)・・・外皮は柔らかく、ナイフはすっと深く入った。果肉は、縁のところがまだ緑色を残していたが、濃いオレンジ色だ。作っておいた焼き網の上にカボチャの薄切りを並べ、炭火で焙った。暗くなるにつれて火はいっそう明々と燃えた」(ちくま文庫版、p166)

 最後の「炭火」、これは「coals」の訳。英語の辞書には真っ先に「石炭」という訳が出てくるが、「南アフリカの英語辞典/A Dictionary of South African English」(Oxford Univ. Press, Cape Town, 1991)には、はっきりと「炭火」とあって、それ以外の意味は出てこない。
 ジョハネスバーグ近郊のタウンシップ、ソウェトの煮炊きでは石炭が使われ、朝夕の空は煤煙でおおわれる、という情報に引っ張られて、そうか南アは石炭の産地なんだ、と最初の訳では、悩んだ末に「石炭」と訳した。
 それから2年後に出た件の辞書には「The glowing or white-ashed embers of a wood or charcoal fire used for braaiing」とある。まさに「炭火」である。braai(ing)/ブラーイ というのはアフリカーンス語で南アの農場料理、肉やブルボース(渦巻き形のブラッドソーセージ)を網で焼くバーベキューのことだ。

 しかし、考えてみるべきだった。マイケルはマッチで火を点けるのだ。石炭はマッチごときでは火は点かない。新聞紙をしぼるようにひねり、その上に細く割った薪をのせ、さらにそこに拳大の石炭をのせて、それから火を点ける。石炭は燃え出すまでにひどく時間がかかるのだ。北海道では60年代半ばまで、冬の暖房の主力は石炭だった。思い出すべきだった。
 いまならネット検索であっけなく情報に行き着くことも可能だし、メールで確認だってできる。当時は、そうはいかなかった。件の辞書も手元になかった。だから、全面改訳して2006年に文庫化できたときは、ほっとした。間違いに気づいていて、それを訂正できないもどかしさ。長いあいだの宿題がはたせたのは、本当にうれしかった。 

2010/06/16

アディーチェ講演/9月24日は18時から

早稲田大学で開かれる、国際ペン東京大会2010の文学フォーラムに、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが出ることは以前もお知らせいたしましたが、講演時間が18時開始へと変更になりました。場所は、大隅講堂です。

 詳しくはこちらへ!
 
 当日はアディーチェのほかにもあっと驚く人がステージにのぼります。どうぞお楽しみに!

2010/06/15

皿の上の雲──おもしろ食い物日記

「全体わたしは湯気好きだ。生まれ変わったら雲なり風呂なり火山池なり、おひつのご飯、せいろの小龍包、なにしろなにか湯気の立つものになりたいとおもう。漱石先生は余も木瓜(ぼけ)になりたいと書いておられるが、わたくしはできれば湯気になりたい」

 のっけからそんな愉快な文章で読者を世界中の食い物の世界にいざなう、おもしろ楽しい旅日記がはじまった。

 世界食堂随聞記「皿の上の雲」、初回は「南インド、マイソール」である。書いておられるのは(ああ、文体が感染してきた!)この日本から、しばし「どろん」の旅に出た、詩人で作家の中村和恵さん。

 南インドでは朝ごはんにイディリという、お米とお豆の粉でつくる蒸しパンのようなものを食べるそうな。ちいさな白い雲のようなものがひとつ、皿の上でほわほわと湯気を立てている場面からはじまり、話は古都マイソールの歴史やら、そこの出身の文学者、ラージャ・ラオなどへすいすい進む。ころがるような独特の文体で(読みはじめると癖になる!)、その地の事情やらそこから出てくる文学など、ふむふむ、そうか、とお勉強させていただけてまことに重宝。
 
 旅をしながらの、この食い物エッセイが載っているのは、平凡社の「月刊百科」。2010年6月号から掲載開始です。毎月1日刊行で、大きな本屋さんに行けば無料でもらえます!

 さあて、次はどんな土地の、どんな話になるのかしらん?

2010/06/13

南アフリカ、キックオフ・コンサート

サッカーに強いわけではない。特別、好きなわけでもない。でも、観た。「キックオフ・コンサート」をPCで・・・あれれ、いまリンクしたら編集版(シャキーラ)に繋がってしまった。私が観たときは2時間以上の、なが〜い無編集のバージョンだったのだけれど。おかげで、早送りもできず、ずっと最後まで観ていたら、PCが加熱してきて大変だった(涙+笑)。

アンジェリック・キジョーがよかったなあ。カラフルなシャツにグレーのスーツで出てきて、いちばん最初に、私の大好きな曲「マライカ」を歌った。画面に、ソウェトで歌われたゴスペルソング、とコメントが出たけれど、あれはれっきとした作曲者のいる曲で、もともとはタンザニアの歌(2010.6.14訂正/ごめんなさい、作曲はケニアの人でした*)。キジョーもスワヒリ語で歌っているらしい、手元にあるマホティラクイーンズのヴァージョンとは歌詞が違うもの。
 まあ、南部アフリカで広く歌われてきた名曲中の名曲で、ゴスペルといってもいいくらいの曲だけれどね。

 いまは個別に探すと、それぞれのアーチストや曲が出てくるようになった。でもステージの準備のために、曲と曲の間をつなぐちょっとした出し物が、けっこう面白かったんだけれど。
 たとえば、ツツ主教が白いセーターの上から黄色いTシャツを着て、ものすごく上機嫌に、はしゃぐように語っていた。大声で呼びかけよう、このソウェトにマディバ(マンデラの愛称)は住んでいるんだから、といって。コンサート会場はオーランドだった。あ、ここで観ることができます。フランス語の訳つきですが。

*************
*2010.6.14 付記/Malaika はタンザニアの曲と書きましたが、ケニアのFadhili Willias という人の曲でした。キジョーはしっかりスワヒリ語で歌っていました。
このサイトに歌詞、歌っている人の映像+音へのリンクなどが載っています。ミリアム・マケバも出てきます。

2010/06/10

バーバラ・キングソルヴァーがオレンジ賞受賞!

このところ更新が続きますが、書かずにはいられないニュースです! 

 アメリカのベストセラー作家、バーバラ・キングソルヴァーがオレンジ賞を受賞しました。受賞作「The Lacuna」は9年ぶりの作品で、メキシコとアメリカの歴史が絡んでくる作品のようです。出たのは知っていましたが、忙しさにまぎれてまだ読んでいません/涙。

日本でもすでに3つの作品が訳されています。すべて訳が出たときすぐに買い求めて読みました。

『野菜畑のインディアン』が1994年10月、『天国の豚』上下巻が翌11月と、たてつづけに早川書房から出たのですが(いずれも真野裕明訳)、その後の訳書は2001年の『ポイズンウッドバイブル』(永井喜久子訳、DHC)まで待たなければなりませんでした。

『ポイズンウッドバイブル』は現在のコンゴ民主共和国を舞台にした手に汗握る大作で、読みはじめたら途中でやめられなくなる面白さ。ニューヨークタイムズの書評欄で、長期にわたって1位を続けた作品でもあります。時事通信に書評を書き、以前このブログにもアップしました。キングソルヴァーのこれまでの代表作です。

 この受賞は、なんだか、すごく嬉しいなあ。
 

2010/06/09

「心の揺れを捉える」アディーチェ

雑誌「新潮」7月号に、アディーチェとその作品について論じる、都甲幸治さんの文章が載っています。連載「生き延びるためのアメリカ文学 28」です。
 「アメリカ文学」というところがミソですね。そうです、紹介されている彼女の短編集『The Thing Around Your Neck/なにかが首のまわりに』にはアメリカを舞台にしたものが多い。だから十分に「アメリカ文学」でもある。ナイジェリアから US に移住して大西洋を往復する人たち、英語とイボ語が混じることば、二つの文化のあいだで揺れる感覚。

 読んでいて、なんとなく遠くが見えるような気分になります。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェという作家の現在地が、風通しのいい視界のなかに位置づけられているからでしょう。

2010/06/07

TOKYO FMで、作家の小川洋子さんが『鉄の時代』を

6月6日(日曜)の朝10:00〜10:30、TOKYO FM の番組「パナソニック メロディアス ライブラリー」(全国38局ネット)で、J.M.クッツェーの『鉄の時代』が紹介されました。
 もうすぐサッカーのワールドカップが開かれる南アフリカの、1980年代後半を舞台にした作品です。

「この小説を読むと、南アフリカについて感じることもできるはず。ワールドカップ開催中にぜひ手にとってみて下さい」── 番組パーソナリティの作家、小川洋子さんのことば。

「不毛の時代を象徴する“鉄の時代”のあとには、万物が成長する他の時代がやってくると、うっすら希望を残しているこの作品。遠き南アフリカ発の文学から、この国の苦悩、現実、そして人々が持っている期待を、ダイレクトに受け取ることができました」── 番組アシスタントの藤丸由華さんのことば。 

2010/06/05

ニューヨーカー誌の「40歳以下の作家20人」

週末はたいていあちこちの新聞の読書ページをのぞく。南アフリカの M&G から始まり、Guardian や NYT や、オーストラリアの SMH なんかもときどき見る。

 今週はガーディアンのアンドレ・ブリンクの話がおもしろかった。インタビューをもとにクリストファー・テイラーという記者が書いているかなり長い記事。ブリンクとクッツェーは長年、ケープタウン大学で同僚として働いていた仲で、クッツェーの作品やオーストラリアへの移住についてのブリンクの発言を、ふむふむ、そうだよな、と読んだ。

 読み終わってふと横に発見したのが、ニューヨーカー誌が発表した「40歳以下の作家20人」という記事。見出しに「チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ」の名前があった。ほぼ10年単位でニューヨーカー誌がやっているイベントだとか。ニューヨークタイムズにも、シドニーモーニングヘラルド(内容はおなじで、こちらはなぜかアディーチェの写真が出てきた)にも記事が掲載されている。
 
その20人とは以下の通り。

<The top 20>

Chimamanda Ngozi Adichie, 32
Chris Adrian, 39
Daniel Alarcón, 33
David Bezmozgis, 37
Sarah Shun-lien Bynum, 38
Joshua Ferris, 35
Jonathan Safran Foer, 33
Nell Freudenberger, 35
Rivka Galchen, 34
Nicole Krauss, 35
Dinaw Mengestu, 31
Philipp Meyer, 36
C E Morgan, 33
Téa Obreht, 24
Yiyun Li, 37
ZZ Packer, 37
Karen Russell, 28
Salvatore Scibona, 35
Gary Shteyngart, 37
Wells Tower, 37

 ベズモーズギス、イーユン・リーは好きな作家なので、おお、と思ったけれど、ニューヨークタイムズの記事の最後に載った、ジュノ・ディアスのコメントには笑ってしまった。以前、選ばれたことのあるディアスの言:「ドミニカ人たちについて短編小説をいくつか書いたんだけれど、間違いなくいえるのは、これに選ばれたからって本がバカ売れすることはなかったってことね」