Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2010/05/01

追悼、沢田としきさん

沢田としきさんの訃報は2日前、新聞の朝刊で知った。
「ええっ!」と思わず声をあげてしまった。享年51歳、あまりにも若い。

 沢田さんには、1996年に2冊出した訳本にすてきな絵を描いていただいた。80年代の米国でブレイクしたメキシコ系アメリカ人/チカーナ作家、サンドラ・シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』と『サンアントニオの青い月』(共に晶文社刊)、スペイン語と悪戦苦闘して訳した2冊だった。

『マンゴー通り』のカバーをよく見ると面白いことがわかる。本のなかに登場する人物が、一人ひとり丁寧に描き込まれているのだ。訳文を読み込み、内容にぴたりと沿って絵を描いてくださった。絵のまんなかにスペイン語で「EL BARRIO ES NUESTRO(このバリオはあたしたちのもの)」とあるのは、沢田さんが奮発して、ご自分で書き入れてくださったもの。最初は原著者がどう思うかなあ、とちょっと心配になったけれど、まったくの杞憂だった。

 シスネロスさんは2冊つづけて出版された邦訳書を手にして、とても喜び、そのときまでに出た訳書のなかでいちばんお気に入りの装丁です、と手紙をくださったのだ。

『サンアントニオの青い月』を読んだ沢田さんが「聖なる夜」が衝撃的でいちばん印象的だった、とおっしゃっていたと編集者からきいた。訳者にとってそれは、軽い驚きとともに、まだお会いしていないこのイラストレーターの人柄を知るひとつの手がかりとなった。

 沢田さんとはたった一度だけお目にかかったことがある。「アフリカ子どもの本プロジェクト」(代表はさくまゆみこさん)の発起人に名を連ねる彼が、西アフリカの太鼓/ジェンベをすばらしい音で叩くのを、このプロジェクトの原画展で拝見したときだ。その後、何度も展覧会のお知らせをいただきながら、忙しさにまぎれて、結局うかがえなかったのが、本当に心残りだ。

 ご冥福を心よりお祈りいたします。