Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2010/03/29

日記ふうに ── フランコフォニ祭

 このブログをはじめるとき、いくつか決めたことがあって、そのひとつに「日記にはしない」というのがあったのですが、今日は例外的に日記ふうに。といっても、すぎてしまった一週間以上も前のことです。やっぱり書かずに時間の波に流してしまうのは、なんだかなあ、と思って書きます。

 3月21日の「フランコフォニ祭」の夜のことです。日中いくつか催しがあったのですが、わたしはひたすら夜のコンサートをめざしました。その前にひとつ大切な用事があって、それが終わって飯田橋に電車が着いたとき、時計はすでに19時をまわっていました。日仏学院の前までほとんど駆け足でたどりつくと、大きな音が聞こえています。すでにコンサートは始まっていた! わくわく!! 
 
 めざすは、ドベ・ニャオレのステージ。すばらしかった! 学院の庭に設営された、どちらかというとこじんまりしたステージのまんなかで、彼女のパワフルな歌、バックの3人のギター、ベース、ドラムスの面々の熱い演奏がたっぷり楽しめました。といっても、屋外ですから、寒い! あの日は本当に寒かった。昼間はぽかぽか陽気で、つい、一枚抜いて薄着で来ていた人も多く、ドベさんも最初は肩を出したスタイルで歌ったり、跳んだり(!!)していましたが、さすがに途中から黒いニットをはおっていました。「みんな元気? こんなに寒いけど!」といいながら・・・。
 
 あの日、お腹がすいて食べたのが、マリの「アカラ」。仮設テントの売り場には「マリ風がんもどき」とあって、なるほど、そういう言い方もあるか、と納得。「アカラ/akara」というのは、いま訳しているアディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』にも何度か出てくる食べ物で、マメをすりつぶした粉をペースト状にし、香辛料を混ぜて揚げたものです。西アフリカではよく屋台で売っている料理らしい。ナイジェリアでも「アカラ」、マリでも「アカラ」というのですね。(写真は以前行ったレストラン「カラバッシュ」のサイトから拝借しました。)
「がんもどき」とは。たしかに大豆をすりつぶしたものを揚げているわけだから、基本的におなじと考えていいのかもしれません。でも当然、味も食感も違う。その日食べたアカラはどちらかというとザラッとした感じ。ひと船かったそのマリのアカラにはトマトソースが添えられ、赤唐辛子ペーストも好みで付けてくれました。とにかくあの日は寒かったので、熱々のを食べたかったけれど、時間も遅かったのですでに冷たくなっていて、ちょっと残念。でもなかなか美味しかったですよ。

 さて、ドベです。リズムののりといい、のびやかな歌声といい、これだけのために来たかいは十二分にありました。発売されたばかりの新譜「Djekpa La You」も売っていて、買いました! サインしてもらって、ミーハーのわたしは握手までしちゃった! いや、ステージを下りたドベさんは、あんがい小柄で、握手した手も思いのほか、やわらかく華奢でした。

 それから、知ってる人たちと再会できたのも嬉しかったな。おまけに、このコンサートの情報をいちはやく教えていただいた清岡智比古さんともお話しすることができて。ついでに当日のドベさんのステージ写真、清岡さんのブログから拝借してしまおう! お許しあれ! いわずと知れた「NHKラジオのフランス語講師」である清岡さんのすてきなブログは:

  http://tomo-524.blogspot.com/

 あの日は寒かったけれど、駆けつけてホントに良かった、そう思える熱い一日でした! ほら、今日はやっぱり、完全に日記ふうになってしまった!

2010/03/23

『マイケル・K』が重版に!

ながらく待たれていた『マイケル・K』の重版が決まりました!

 この物語の背景は、今年6月にワールドカップが開催される南アフリカです。31歳の庭師マイケルは、ケープタウンから手製の手押し車に病気の母親をのせて、内陸のプリンスアルバートまで行こうとします。そのマイケルが遭遇する出来事のなんと過酷なこと。
 J・M・クッツェーが43歳のときに発表した作品です。最初のブッカー賞受賞作、日本語初訳のクッツェー作品でもありました。

 主人公は警察につかまったり、労働キャンプに入れられたり、衰弱して半分刑務所のような病院に入れられたりしながら、ひらりひらりと身をかわし、田舎に舞いもどっては農場や山奥に隠れ住み、カボチャを育ててひとりで生きていこうとします。抑圧システムの外で生きのびるために、ひたすら逃亡をくりかえすマイケルの姿が圧巻。
 
 この作品にはクッツェー作品のなかでも際立った、不思議な魅力があります。あれはなんなんだろう? ひょっとしたらクッツェー自身がマイケルという作中人物をとても「気に入っている」ことによるのかも。
 
「訳者あとがき」の情報も訂正しました。読んでくれたみなさん、これから読んでくださるみなさん、ありがとう! クッツェーという作家の魅力が、さらに多くの読者にとどきますように!

このすばらしき、どうしようもない世界」へようこそ。

2010/03/20

明日は・・・フランコフォニー祭へ!!

今日は春のプチ嵐のような風が吹いて、明日のお天気がすごく心配。なぜなら、明日は飯田橋の日仏学院でフランコフォニー祭があって、夜は、かのドベ・ニャオレがパフォーマンスをするというので、それを見に、それだけを見に、出かける予定だからです。

 ほかの催しに魅力がないわけではないのですが、なにしろ、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの長編『半分のぼった黄色い太陽』(8月刊行予定)のゲラ読みが佳境に入っていて、時間がたっぷりあるというわけにはいかなくて、というわけなのです。それでも、それでも、わくわくします!

 先日、ドベについて書いた文章をここに転載して、イヴの気分を盛りあげましょう!

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 ドベ・ニャオレ/Dobet Gnahoréをご存知だろうか。コート・ディヴォワール出身の多才なアーチストだ。来日歴もあり「ナ・アフリキ」というアルバムがある。乾いた温かい風のような、伸びやかな声の持ち主。ネットではエネルギッシュに踊りながら歌う姿も見られ、アフリカでは音楽がダンスと切り離せないことを再確認させてくれる。

 生い立ちがまた面白い。カメルーンの劇作家ウェレウェレ・リキン(2005年の野間アフリカ出版賞受賞)が1985年にアビジャン郊外に創設したアーティストコロニー、キ=イ・ムボックで育った。父は著名なドラマー。12歳のとき、学校からドロップアウトして音楽や演劇の道に進んだ。決定的な出会いは、コロニーへふらりとやってきたフランス人、コリン・ラロッシュ・ドゥ・フェリンと恋に落ちたこと。99年に渡仏した2人はバンドを組んで活動開始、数年後には押しも押されぬ存在になった。

 ドロップアウトといっても日本とはちょっと意味合いが違う。あまり学校へ行かせてもらえない女子が多いアフリカで、フランス式教育から積極的にドロップアウトした成果は、ダイナミックなステージをみると納得できる。ヨーロッパに洗脳されいていないのだ。

「アフリカへ」という意味の先のアルバムに入っている曲は、ディダ語(お金/彼を信じて/教えて/追悼/虐殺)、マリンケ語(イッサ/一夫多妻/キイムボック讃辞)、コサ語(私の涙)、ウォロフ語(女たち/近親姦)、フォン語(泣かないで)、ゲレ語(私の息)、リンガラ語(略奪)、とアラビア語まで交えて多様な言語で歌われる。
 アフリカで起きていることを歌う( )内のタイトルがなんともリアル。そう簡単に「ハクナマタタ(No problem!)」とはいかないのだ、と。

 でも、ドベの歌を聴いていると、民族や国家におさまりきらない、パンアフリカンな現実を世界にむけて開いてみせる、しなやかな才能が確実に育っているのがよく分かる。力強い、媚びない、ドベのパフォーマンスは、本当に楽しみだ。

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(北海道新聞2月23日夕刊に掲載された記事に加筆しました。)

2010/03/11

喜望峰をまわる ── クッツェー・トリビア

Doubling the Point/ダブリング・ザ・ポイント』というのは、J・M・クッツェーの2冊目のエッセイ集のタイトルだ。1992年にハーヴァード大学出版から出ている。彼が若いときから50歳ころまでに書いた論文やエッセイがおさめられていて、さらに各章に、デイヴィッド・アトウェルとの対話がついている。クッツェー研究をする人にとっては欠かせない情報が、もりだくさんに入っている本だ。

 でもこのタイトル、なんとも日本語になりにくい。意味としては「点をダブらせる」とか「ポイントをずらす」とか、モダニズム的手法論を暗示するニュアンスが多層的に見え隠れする。日本語にしてしまうと、その重層的な意味合いが消えてしまうので、私はもっぱら「ダブリング・ザ・ポイント」という芸のないタイトルを使ってきた。

 ところが、デイヴィッド・アトウェルが最近発表したある論文のなかに、おお、そうだったのか、と思わせる、さらなる意味合いを発見した(私が知らなかっただけかもしれないが・・・)。それによると「the Point」というのは「Cape of Good Hope」つまり「喜望峰」のことで、「Doubling the Point」とは船が「喜望峰をまわる」ことだそうだ。調べてみると、たしかに「double」には航海用語で「sail round(a headland)」という意味がある。南アフリカという土地に生まれ育った人には、このタイトル、船が「喜望峰という岬をまわること」をさすのはごく自然なことなのだろう。う〜ん。
 そういう「歴史的、地理的な」意味も含まれていたのか・・・。そういえば、ケープタウンには海岸近くに「グリーンポイント」とか「シーポイント」といった地名があって、『マイケル・K』の母親が住み込みで勤めていたお屋敷はこの近くだった。

 表立ってはいないものの、この「ポイント」という語の背後には、細く強靭な糸がついていて、知らずに触れたものをぐいっと引き寄せる力がある。だが考えてみると、それこそクッツェー文学の最大の特徴で、こんなタイトルの意味合いにもそれが隠されていたのかもしれない。ご用心、ご用心!

 そこで思い出されるのが、クッツェーが第一エッセイ集『White Writing』で論じた、ヨーロッパ的価値観から書いてきた南部アフリカ文学者たちのオブセッション、「アダマスター」だ。これは喜望峰をまわるヴァスコ・ダ・ガマの船団に出没した霊のことで、16世紀のポルトガルの詩人、ルイス・ヴァス・デ・カモンイスの詩にも出てくるとか。

 それにしても、クッツェーのエッセイ集、書評集のタイトルには、「〜ing」が、なんとたくさんでてくることか。『White Writing』をはじめとして、この『Doubling the Point』や『Inner Workings』、『Giving Offense』など、動作や動き、ある種の揺れがこめられたタイトルが多い。ここにはなにかあるな、とかねがね思ってはいるのだが。そうそう、小説にも「〜ing」がひとつある。『Waiting for the Barbarians/夷狄を待ちながら』だ。

2010/03/04

『マイケル・K』ふたたび

「このすばらしき、どうしようもない世界」

そう銘うったパネルをつけて『マイケル・K』をならべ、どんどん売ってくださっている本屋さんがあります。丸善日本橋店です。

「どうしようもない世界」というところに、そうなんだよなあ、と深くうなずいてしまいます。そしてさらに、パネルのもうひとつのことばに思いいたります。

 J・M・クッツェーが1983年にブッカー賞を受賞した作品です。クッツェー作品の本邦初訳作品として出た1989年から2006年の文庫化まで、17年もあいてしまいましたが、とにもかくにも版元や多くの方々のおかげで文庫化できたことに、あらためて感謝します。そしていま、新しい読者との出会いをつくってくださる本屋さんがいる。とっても嬉しいことです。深謝!

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付記:文庫の解説を書いている2006年初夏には、まだ、ニューヨークタイムズやガーディアンの誤情報(クッツェーがミドルネームをマイケルからマクスウェルに変えた)を誤った情報とは知らず、そのまま使っています。本を買ってくださった方、すみません。このことについては「クッツェーの微笑み、あるいはテキストの落とし穴(4)」に書きましたので、ぜひ読んでください。重版がなって、早く訂正できるといいのですが・・・。

2010/03/01

今月の「水牛のように」

「水牛のように」に詩を書きはじめて、早いもので 1 年になりました。今月の「水牛のように」には、管啓次郎さんも加わって、片岡義男さん、藤井貞和さんと、ずらり詩がならぶにぎやかな紙面です。嬉しい。
 最後が高橋悠治さんの、なんと「芭蕉の切れ」。連句をめぐる面白い文章です。「切れ」というところがみそですね。

「「切れ」はことばの方法論ではなく、芭蕉の生きるプロセス。身分社会からはずれ、故郷なく、定職なく、座という一時的自律空間を主催する旅の人」というところで、はたと膝をうつ。

 わが師、安東次男が生きていてこれを読んだら、なんといっただろうと思ったりして──空想力は楽しみをかもしだす力。
 
 こちらも和して、「梅が香の巻」を入力します!
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むめがゝにのつと日の出る山路かな      芭蕉
 処どころに雉子の啼きたつ         野坡
家(や)普請を春のてすきにとり付て     野坡
 上(かみ)のたよりにあがる米の直(ね)  芭蕉
宵の内はらはらとせし月の雲         芭蕉
 薮越はなすあきのさびしき         野坡
御頭へ菊もらはるゝめいわくさ        野坡
 娘を堅う人にあはせぬ           芭蕉
奈良がよひおなじつらなる細基手       野坡
 ことしは雨のふらぬ六月          芭蕉
預けたるみそとりにやる向河岸        野坡
 ひたといひ出すお袋の事          芭蕉
終宵(よもすがら)尼の持病を押へける    野坡
 こんにやくばかりのこる名月        芭蕉
はつ雁に乗懸下地敷て見る          野坡
 露を相手に居合ひとぬき          芭蕉
町衆のつらりと酔て花の陰          野坡
 門で押るゝ壬生の念仏           芭蕉
東風風に糞のいきれを吹まはし        芭蕉
 たゞ居るまゝに肱わづらふ         野坡
江戸の左右むかひの亭主登られて       芭蕉
 こちにもいれどから臼をかす        野坡
方ばうに十夜の内のかねの音         芭蕉
 桐の木高く月さゆる也           野坡
門しめてだまつてねたる面白さ        芭蕉
 ひらふた金で表がへする          野坡
はつ午に女房のおやこ振舞て         芭蕉
 又このはるも済ぬ牢人           野坡
法印の湯治を送る花ざかり          芭蕉
 なは手を下りて青麦の出来         野坡
どの家も東の方に窓をあけ          野坡
 魚に喰あくはまの雑水           芭蕉
千どり啼一夜一夜に寒うなり         野坡
 未進の高のはてぬ算用           芭蕉
隣へも知らせず嫁をつれて来て        野坡
 屏風の陰にみゆるくはし盆         芭蕉

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付記:この連句が巻かれたのは元禄7年、於深川芭蕉庵。野坡は呉服・両替商越後屋(三越・三井の前身)江戸店の手代、だそうです。
『安東次男全詩全句集』(2008年 思潮社刊)からの孫引きです。