Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2010/01/26

ハイチ支援

最近の新聞から、注目したい記事のクリッピングを載せます。

「これまでは、ハイチのNGOに海外から援助資金が落ちても、つながりの深い政治家たちに渡るだけだった。その政治家は、権力を維持することにカネを使い、社会基盤の整備には回さなかった」。ブレーズさんは政府が機能してこなかった理由を説明する。国際社会は今後、ハイチで誰と手を組むのか精査してほしいと注文する。」

ブレーズさんとは、ハイチの医学部に通う学生、心理学者といった面々で構成されたボランティア集団のメンバーだそうです。

詳しくは↓

http://www.asahi.com/international/update/0125/TKY201001250001.html 

この記事には:

「いまは海外から支援物資が次々と届くようになった。しかし、その担い手は国連や大規模NGO。ハイチ人の組織は影が薄い。SAJのメンバーは「ありがたいが、援助活動から疎外されている気がする」と口をそろえる。
 医薬品の提供を求め、病院を訪ねようとしたところ、警備の米軍に阻まれた。身分証を示しても許可してもらえなかったという」
とありました。
 
世界中の心ある人たちからの支援が、だれの手に渡り、どのように使われるか、寄付をする人は、集める人がどのようなルートを持っているか確かめ、自分の出す支援がどのように使われるか最後まで見守ることが大事かもしれません。

古くからハイチ支援の活動をしている団体が日本にも3つあります。

ハイチ友の会」「ハイチの会セスラ」「ハイチの会

注記/写真は「被災者に水を提供するボランティア(右)=ポルトープランス」記者、田中光氏撮影。

2010/01/19

嗚呼、ハイチ!!

1月12日(日本時間では13日)に起きた、ハイチの大地震は、その後、確認された死者の数も増えつづけ、救援がなかなか進まないというニュースが、たびたび流れています。

最貧国、最貧国、とメディアはくり返し流します。たしかにハイチは貧しいかもしれない。でも、それは1804年に黒人国家として世界で初めて独立した、そのつけ(フランス人が奴隷を所有できなくなった賠償金)を宗主国フランスに長いあいだ(100年間だそうです!)、払いつづけてきた結果でもあることは忘れられがちです。

 近年にいたっては、6年前に独立200周年を祝った直後、ブッシュ政権のアメリカが、旧宗主国フランスと手を組んで仕掛けた(といっていい)クーデタによって、ハイチ国民によって民主的選挙で選ばれたアリスティド大統領が、中央アフリカへ拉致されるように連れ去られたことの詳細は、あまり知られていないかもしれません。(アリスティド大統領は、先の賠償金をフランスに返還要求しようとした。)

 2007年の情報ですが、大手メディアには流れなかった情報があります。2004年のクーデターの詳細と、その後の現地情勢を調査したランダル・ロビンソンが、そのときの詳細をレポートしています。これはいまから見ても、一読、一見にあたいします。

 また自分の訳した本を、この機に乗じて宣伝するのも、ちょっと気がひけるのですが、ハイチ出身の作家、エドウィージ・ダンティカが書いた『アフター・ザ・ダンス』は、この国のおおまかな歴史や文化といった背景を知るには、とても役に立つ本です。

地震から1週間がたとうとしています。日本にいて、パソコンに向かっているだけの私には、ほかになにか役立つこともできそうもないので、はやり、非力ながらささやかな情報発信だけはしたいと思い、紹介させていただきます。

2010/01/10

世界中のアフリカ2010、大盛況!!

新宿の職案通りにある、Naked Loft で今夜、正確にいうともう昨日だけれど、「世界中のアフリカ2010」の夕べが開かれた。

 旦敬介がケニヤからウガンダへ国境を越えて旅する自作の短編を、管啓次郎がみずから訳したジャメイカ・キンケイドの『川底に』から刺激的な2編を、中村和恵がアール・ラヴレイスの新作「Salt」からアフリカが出てくる箇所を、それぞれ朗読したけれど、いやあ良かったですねえ。

 それからコンゴ民主共和国出身のムンシ・ヴァンジラ・ロジェとベナン共和国出身のゾマホンの、のっけから熱の入った本音トーク。アフリカ諸国の政治経済を牛耳る、欧米主導のネオコロニアリズムと現在の状況、そしていま起きている内戦に乗じて、コンゴ民主共和国の東側をルワンダ側に分離させようという話、またコンゴの西側で起きているのはそういった策動に対するレジスタンスだという話などなど。日本のメディアでは、アフリカ報道の80%が真実を伝えていない、それは欧米経由の情報をうのみにするから、欧米諸国に都合のいい情報が流れる仕組みになっている、という耳の痛い指摘もあった。

 そして最後はマリ共和国出身のママドゥ・ドゥンビアのコーラと、セネガル共和国出身のボカが叩くドラムの競演で〆。オープニング前やインターヴァルの間、岡崎彰がスクリーンに映し出すアフリカのダンスや、ミュージシャンたちの映像や音楽。とにかく盛りだくさんの内容で、『世界中のアフリカへ行こう』という本の中身の濃さと多様さに負けない夕べだった。

 50の席に100人以上が集うという、ぎっしり満員、立錐の余地なしという大盛況で幕を閉じた。
 2010年はどうやら、アフリカの年になりそう! 
 うーん、わくわく!(敬称略)

********************
追記:幕間に流れたコンチャ・ブイカの歌と映像がすごくよかった。私のいちばん好きな曲だった。No habrá nadie en el mundo。
ここです。(岡崎さん、ありがとう!) 

2010/01/01

Balancê──作業しながら心地よく聴ける音楽

「世界中のアフリカ」の、これもまたひとつの例。

ポルトガルのリスボンから南西に向けて、アフリカ大陸の海岸沿いに斜線を引く。すると行き当たるのが、カーボヴェルデ。アフリカ大陸はセネガルの少し西の海上に浮かぶ島々。セザリア・エヴォラを生んだ国だ。

 笑顔の女性、Sara Tavares/サラ・タヴァレスは、でも、1978年にポルトガルで生まれ、ポルトガルで育ったそうだから、カーボヴェルデ人を両親にもった、いわゆる2世。日本でも昨秋、アルバムが2枚リリースされた。

 梅田洋品店で暮れに試着、いや、試聴して、アルバムを1枚買った。洗練された、耳に心地よい音楽。手作業などしながら、BGMとしても楽しめる。ポルトガル語は分からないから、もっぱら音として楽しんでいる。

 新年を迎えて。今年もまた、アフリカ系から始まる。