Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2009/07/23

草刈り

 草刈り鎌を研ぐのはなかなか難しかった。子どもの手にあまった。草を刈る動作にもこつがあって、しっかりと鎌の柄を握り、草の茎の根元あたりにほぼ垂直に刃をあて、思い切ってさっさっと動かさなければならない。やはり小学生のわたしは上手くできなかった。

 いまの時期、田んぼの畦の草はどんどんのびる。牧草地の草は、毎日ちがう場所に山羊の鎖の先端を打ち込んでおけば、その杭を中心にしてまあるく山羊が食べてくれるので、刈る必要はなかった。

 東京に出てきてから、しばらく隣人たちと畑を借りて、無農薬野菜を作っていたことがある。80年代の話だ。子どもがまだ小学生のころで、ほうれん草は冬に灰を周囲に敷いてやるとか、霜の降りそうなころになると白菜はすっぽり新聞紙にくるんでやるとか、東京にいながら野菜作りをほんの少し体験したことになるけれど、さあ、はたして覚えているかどうか。彼女たちは隣人が飼っている犬や猫ばかり追いかけまわしていた。

 あるとき思い立って、家の近くの草地を刈りはじめたことがある。鎌が草の根元にすっと入っていった。ああ、こういう感じ。大人になればできるのか、と改めて思った。つまり、肩と腕の筋肉と鎌の大きさの関係なのだろう。しばらく気持ちよく刈ったけれど、あっという間にエネルギー切れ、翌日は右の腕も肩も痛んだ。それもまた、ずいぶん前のことだ。
 
 湘南の知人の田んぼの光景をまた、借りることにした。草刈り鎌と、きれいに刈られた畦の草。下の写真は蓮の花だ。稲はすくすくと育っている。