2009/06/22

南アフリカ──1Q94?

昨日、たまたま観たNHKのテレビ番組「海外ネット──W杯準備は万全?」で、アパルトヘイトについて触れた箇所がありました。アパルトヘイトが完全になくなった年を1994年として、画面の右下に大きな太い文字で「1994」と出していたのが強く印象に残りました。

「それぞれの民族の分離発展」を名目としてうたい、権利を奪われた人たちを搾取しつづける制度を合法化し、政策を正当化し、「人間への犯罪」とまでいわれた南アフリカのアパルトヘイトでしたが、当時のデクラーク大統領が国会で法律そのものの廃止を宣言したのが1991年(追記2010.6.13/4つのアパルトヘイト根幹法のうち最後まで残っていた法律を廃止すると宣言、まだ関連法はいくつも残っていた)、それから解放組織への政権委譲のための交渉委員会が設けられ、この間、さまざまな政治勢力の衝突、虐殺、暗殺などの時期を経て、ようやく全人種参加の総選挙が実施されたのが1994年の4月でした。
 
 したがって、南アフリカの人たちは「1994年」を「解放の年」と認識しています。映画「ツォツィ」でも「ホテル・ルワンダ」でも、登場人物たちが「1994年の南ア解放」と言っていました。(字幕にはならなかったかな?)

 ところが、日本ではどういうわけか、1991年をもって「アパルトヘイト撤廃の年」とする人たちが少なからずいたのです。本当になぜでしょうねえ? それでも、昨日の番組を見るかぎり、「1994年」がようやく定着してきたように思えます。

 まあ「撤廃」といっても、現実には、貧富の差が開いた、といわれていますし、南アに何度も足を運んできた人のなかには、現状を見て、「まだアパルトヘイトからの解放はない」と言い切る人さえいますから、この辺のことは実情を細かく見ないかぎり、どっちがどうだ、と言っていても始まらない部分も残りますが、やはり、それはそれ、これはこれ、です。

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<2009.6.28追加情報>
映画「Disgrace」の予告編がここで見ることができます。ご興味のある方はどうぞ。

2009/06/17

Davy Sicard──KABAR

いま聴いているのは、パリから帰ってきたばかりの友人が送ってくれたCD。フランスの海外県、レユニオン島出身のダヴィ・シカールのアルバムだ。どちらかというと高めの、少しだけハスキーな、なかなかしぶくて良い声で、切々と歌う。私の好きな音楽です。

 タイトルの語「KABAR」は「村の木陰で開かれる話し合いの会」といった意味らしい。15曲入っているが、クレオール語がほとんどで(後半にフランス語もちらほら聞こえてくるけれど)、意味は残念ながらよくわからない。

 しばらくは、毎日、このCDをかけて暮らそう。
 

2009/06/15

ペティナ・ガッパ ── ジンバブエ文学の輝く新星

ジンバブエから大型新人作家が登場!

 Petina Gappah/ペティナ・ガッパ

 2007年のアフリカン・ペン賞で第2位になった作品「At the sound of the Last Post」を読んで、この人、なかなか辛辣な調子でムガベ政権を批判する作品を書くなあ、と強く印象に残りましたが、やはり、ぐんぐん頭角をあらわしてきました。

 新人ながら、出たばかりの短篇集『An Elegy for Easterly/イースタリーへの悲歌』は今年のフランク・オコナー短篇賞のロングリストにも入っています。表題作にある「イースタリー」というのは、ジンバブエの首都郊外のスラムの名前。物語はちょっと悲劇的ですが、書き方はさらりとしています。上手い。

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付記:7月6日、フランク・オコナー賞のショートリストにも残ったことが分かりました。わくわくします。

2009/06/12

「オン・ザ・ルンバ・リヴァー」──ジャック・サラザン監督

「On The Rumba River」──by Jacques Sarasin

旧ザイール、現コンゴ民主共和国の音楽については「リンガラ」くらいしか思い浮かばない「シロウト」ですが、ルンバと呼ばれるキューバ発祥の音楽には、もちろん、いろんなものが含まれているのは知っています。根幹には、アフリカから大西洋をわたった人たちが創り出した「アフリカン・アメリカン文化」があります。
 この映画は「ルンバ・リヴァー」という語がタイトルに入っていますが、出てくるのはコンゴ川です。つい最近まで地図にはザイール川とも書かれていました。そこに浮かぶ、いまにも壊れそうな、旧式の船がなんとも印象的。

1960年前後、コンゴは独立のために、初代首相になったルムンバを初めとして多くの人が血を流しました。この映画の主人公、ウェンド・コロソイは1920年代の生まれで、独立当時は一世を風靡していたミュージッシャン。ところが、動乱のとき彼は逮捕され、ルムンバは殺されてモブツが大統領になった。以来、音楽の世界から遠ざかっていた彼が、モブツ亡きあと、音楽シーンへ復帰する。この映画はその物語を「記録」しています。
 なかなか一筋縄ではいかない映画ですが、コンゴ川対岸のブラザヴィルから盟友が背広にネクタイ姿でぴしっと決めて、ウェンドを訪ねてくるあたり(ウーン、どんなドラマが背後にあったのかなあ、いま彼はなにをしているのかなあ、と思わず考えてしまいましたが)、複雑な歴史的背景がここには埋もれていることが推測できます。

 それにしても、「コンゴは内戦によって400万人の人が死んだ」と字幕が流れると、打ちのめされる思いがします。ものすごい人数です。90年代、あるいは2000年以降も紛争は続いていますから。それが外部に適切に報道されるかどうかを決めるのは、決して巻き込まれた人たちの「数」ではないことを、この数字はよくよく物語っている。
 
 とはいえ、この映画には貴重なシーンがたくさんあります。道路で遊ぶ子供たちの姿が一瞬、見えたり、家々の軒先に綱から下がるたくさんの洗濯物、ポリバケツ、鶏肉の煮物、でっぷり太ったアフリカンママたちが着る素敵なプリントのドレス、壊れそうな家々の壁にペンキで描かれた「SHOP」という文字、ずらりとならぶ錆びたトタン屋根、ごぼっと穴のあいた下水路、ゆったりと流れる広い川の水に揺れながら川下へ押し流されて行く植物。そういった、一見どうでもよさそうな細部が、私にはとても面白かった。屋外のカフェ風のテーブルにならぶ白い椅子が、ハイチの街角の椅子とそっくりおなじ、というのも面白かった。フランス製なんでしょうか。

 ちなみに、先月出たばかりの『世界中のアフリカへ行こう』には、この国出身の在日コンゴ人、ムンシ・バンジラ・ロジェさんの貴重な話「コンゴはどうして貧しいか」が載っています。

2009/06/09

アフリカン・ラブ・ストーリー

 アフリカ、といえば、飢餓、紛争、汚職、あるいは、広大な平原に沈む大きな太陽と野生動物、さらには人類の発祥の地、希少金属の埋まっている大陸、奴隷貿易、大きくたくましいアフリカン・ママの姿、とさまざまなキーワードが浮かんでくるけれど、この本はその名も『African Love Stories』。そう、「ラブ・ストーリー」の本です。

ええっ? アフリカのラブストーリー? なにそれ?

 そうねえ、「ジャーパニーズ・ラブストーリー」というと、やっぱり、なにそれ? という感じがしますよね。ごもっとも。でもね、ほら、表紙がとってもきれいでしょ。
 ウガンダの作家モニカ・アラク・デ・ニイェコ/Monica Arac de Nyekoの「2007年ケイン賞受賞作/Jambula Tree」という金色のシールも貼ってあって。編者はガーナの大御所作家、アマ・アタ・アイドゥー/Ama Ata Aidooです。ちなみに表紙は、アマンダ・キャロルという人の絵。

 ちょっとだけ、中身を──といっても「もくじ」だけね──ご紹介しちゃいます。

'Something Old, Something New' by Leila Aboulela
'Marriage and other Impediments' by Tomi Adeaga
'Transition to Glory' by Chimamanda Ngozi Adichie
'The Lawless' by Sefi Atta
'The Rival' by Yaba Badoe
'Tropical Fish' by Doreen Baingana
'Scars of Earth' by Mildred Kiconco Barya
'Ojo and the Armed Robbers' by Rounke Coker
'Ebube Dike!' by Anthonia C Kalu
'Three [Love] Stories in Brackets' by Antjie Krog
'Modi's Bride' by Sindiwe Magona
'Modupe' by Sarah Ladipo Manyika
'Counting down the Hours' by Blessing Musariri
'Jambula Tree' by Monica Arac de Nyeko
'Needles of the Heart' by Promise Ogochukwu
'Give Us That Spade!' by Molara Ogundipe
'The Telltale Heart' by Helen Oyeyemi
'The Veil' by Nawal El Saadawi
'A Sunny Afternoon' by Véronique Tadjo
'Possessing the Secret of Joy' by Chika Unigwe
'Deep Sea Fishing' by Wangui wa Goro

2009/06/02

500マイル by Peter, Paul & Mary と Dusklands

ある人のブログでたまたま見つけて、何気なくのぞいてみた YOUTUBE で、いきなり胸を突かれました。
 60年代が舞台の小説を訳しているからではないのですが、この歌は、さまざまな感情を思い出させて、うまく文節化できません。さまざまな感情が断片となった記憶といっしょに襲ってきて、ことばにならないのです。
 でも、PP&Mのこのヴァージョンは、ほかのものと違って、いま見ても、いま聴いても、心打たれます。


Five Hundred Miles by PP&M
(Hedy West)


If you miss the train I'm on, you will know that I am gone
You can hear the whistle blow a hundred miles,
Hundred miles, a hundred miles, a hundred miles, a hundred miles,
You can hear the whistle blow a hundred miles.

Lord I'm one, lord I'm two, lord I'm three, lord I'm four,
Lord I'm five hundred miles from my home.
Five hundred miles, five hundred miles, five hundred miles, five hundred miles
Lord I'm five hundred miles from my home.

Not a shirt on my back, not a penny to my name
Lord I can't go a-home this a-way
This a-way, this a-way, this a-way, this a-way,
Lord I can't go a-home this a-way.

If you miss the train I'm on, you will know that I am gone
You can hear the whistle blow a hundred miles.


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ヴェトナム戦争まっさかりの60年代 USAから発信された曲を(ジョーン・バエズの「DONNA DONNA」とか)、北海道の片田舎で聴いていたこと。東京に出てきてからも、ヴェトナム戦争は烈しさを増し、立川の米軍基地へと中央線を走って行く黒いタンク車を目にしながら、反戦デモの末尾にぼそぼそとくっついて行ったころのこと。さまざまなことを思い出しますが、いまあらためて考えるのは、1974年にJ.M.クッツェーが第一作目として出した「ダスクランド/Dusklands」のことです(原タイトルの最後の複数の「s」に注目してください)。

 第一部が「The Vietnam Project」、そして第二部が「The Narrative of Jacobus Coetzee」。前者がヴェトナム戦争時の米国を舞台にした物語、後者がアパルトヘイト体制へいたる南アフリカの植民の歴史を根源まで遡る物語、その両者を「黄昏の国々」という意味のひとつの作品におさめ、細部をたがいに響き合わせる小説として発表したクッツェー。彼はこの作品で「作家」になりました。この作品から歩き出した、といってもいいでしょう。

 クッツェーは1968〜71年という時期をバッファローのニューヨーク州立大学ですごし、大学内の反戦集会*に参加して逮捕され(学内にいただけで全員逮捕、ということが当時よくありました。私が通っていた東京の大学でもありました。)、彼の場合は外国人ですからヴィザがおりなくなってしまった。その当時のことを「my political patrons dropped me like a hot potato」(DP-p338)と後に語っています。「ホットポテトを落っことすようにして、彼の厄介事を見捨てた」という意味でしょうか。

 あれからほぼ40年の時がすぎました。

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注記:2013.11.1──*「反戦集会」というと、ヴェトナム戦争に反対する集会と思ってしまいますが、後にカンネメイヤーが書いた詳細によると、これは大学内に警察が常駐することに対して教職員が反対し、学長に対して抗議する集会だったようで、その場にいあわせた参加者全員が逮捕された、ということのようです。

2009/06/01

映画「Disgrace/恥辱」の評──オーストラリアの書評誌より

映画「Disgrace」の面白い評を見つけました。Brian McFarlane という人が「Australian Book Review」に書いた評です。

 少しだけ抜き書きしてみます。

Coetzee maintains a distance, an observational detachment from David Lurie, making the reader privy to the essential passages of his life in a spare prose almost lapidary in its precision and refusal of commentary and decorative effect.

  ──中略──

it is as if he(Jacobs)has also intended to preserve Coetzee’s curious tone of objectivity in the chronicling of these events; as though only by such an approach could he ensure our thinking about the issues put before us. There is perhaps a Brechtian denial of easy emotional involvement in favour of a tougher engagement with tough matters.

評者マクファーレンは、クッツェーの小説「Disgrace」をSteve Jacobs 監督が映画化した同名の作品と、フィリップ・ロスの小説「The Dying Animal」をIsabel Coixetが監督した映画「Elegy」とを比較しながら論じています。しかし、重点がおかれるのはもっぱら「Disgrace」。

 作家クッツェーは主人公デイヴィッド・ルーリーから距離を置き、あくまで客観的な剥離/分離を維持しながら、読者をエッセンシャルな話の流れに巻き込んで行く、それも「ほとんど宝石細工のように研磨された精確、かつ簡潔な文体で、説明や装飾効果をいっさい拒否して」──と。

 そして、映画化したジェイコブズ監督もまた、そういった「好奇心をそそる客観的トーン」を踏襲しながら作品内で起きる出来事を追っているが、そうすることでのみ、われわれに、確実に、作品内で扱われていることをありありと考えさせることができるといわんばかり──と論じます。ウーン!! この指摘は「Disgrace」というクッツェー作品を考えるうえでも、また、映画化という行為を考えるうえでも、なかなか重要なポイントを含んでいるように思えます。

 クッツェーは2作目の小説「In the Heart of the Country」をもとにした映画「Dust」にいたく不満足だと伝えられています。「Disgrace」の映画化にあたっては、大きな映画会社が企画した脚本にNOを出しつづけ、最終的にOKを出したのは、原作に非常に忠実なヴァージョンだったとか。若いころから映画好きのクッツェーは、いくら売るためだからといって、自分の作品がゆがめられて映画化されることには耐えられなかったのでしょう。

 ともかく、ジョン・マルコヴィッチ主演のこの映画、はやく観たいものです。

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<2009.6.28追加情報>
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