E. Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2009/03/28

アミラ・ハスとルー・リードと J.M.クッツェーが

スペインのバルセロナで2年おきに開かれる大規模なフェスティヴァルがあるらしい。Kosmopolis。CCCB(Centre de Cultura Contemporània de Barcelona=バルセロナ現代文化センター)で開催されるフェスタだ。昨日、少し調べ物をしていてこの催しのサイトに行き当たった。(まあ、知る人ぞ知るフェスタなのだろう。)
 2008年10月22日から26日まで開催された第5回の催しに登場した面々がすごい。

 著名な人物がつぎつぎと出てくるので、いちいちあげるのもためらわれるが、ちょっと驚いたのは「ジャーナリズム」のジャンルに出てきた写真。これ、どこかで見たことがある顔だ。じっと見ているうちにそれが「アミラ・ハス」だと分かった。

 さらに「オーラル・リテラチャー」のジャンルには、ルー・リードとローリー・アンダースンが出てきて、「文学」のジャンルにはクッツェーの写真もある。

そして今日の「要注目ニュース」に登場しているのが、なんとあの、スーザン・ジョージ。「主要20カ国グループは危機を作り出した者たちにさらなる資金と権力をあたえる以外に、新しい考えをもっていないのか」と手厳しい。

 世界では日々、いろんなことが起きているわけだけれど、これはちょっと興味深い催し。広範囲におよびながら、すぐれて現代的な、的を射たセンスで開催されているように見受けられる。たぶん、観光スポットにもなっているに違いない。文化に対して、どこが、どのようにお金を出して、なにをやっているか。スペイン語文化圏はいま、このような勢いをもっているのだな、と改めて思った。

2009/03/20

サハリンの素晴らしい写真

アフンルパル通信 7号」です。

 表紙のサハリンを撮った写真がほんとうに素晴らしい。大友真志という人の写真です。木の葉の緑に実の赤が映えて、背景の水面の色がまた微妙な色合いで。空を写す湖面かな? その波紋もほの見えて。
 A4サイズの紙を縦に二つ折りして閉じてあるのですが、開くと、表紙の写真の右側がぐんと広がり、おおっと声をあげてしまいました。私の大好きな色合いなのです。
 じつはもう一枚、なかにも写真があって、やっぱりサハリン。ああ、なんか涙が出てきそう、この写真はいい。なぜだろうなあ。やっぱり…かなあ。

 今回は、関口涼子さんという詩人/翻訳家の方の文章に、思わずうなりました。
 管啓次郎さんの詩の緊迫感にも圧倒されっぱなしです。
 
 全16ページの小冊子、定価500円、中身の濃さを考えると断然お買い得。年3回発行で、年間購読も受け付けているようです。
 連絡先は書肆吉成

感情の高まりの頂点に立つような歌ではなく

1950年8月、安東次男は初詩集『六月のみどりの夜わ』を出した。その「あとがき」を少しだけ、ここに写す。
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 ぼくは時には政治という風景を、時には文学という風景をじぶんに許されたものとしてしらずしらずそれをゆるめたかたちで書いてきたようにおもう。しかしこれは安易にあまえた態度であり、最後のぎりぎりのところでじぶんの人間的立場をあいまいにするものだということを感じはじめている。
 そういうところからぼくはもういちど歌いなおさねばならぬ。ぼくにはアラゴンのいうような「たたかい」も「人」もうたえてはいない。そのことはぼくに、あらゆる「たたかい」の場に於て──ぼくがそれを黙認してきたかたちになつたかつての日本帝国主義侵略期の戦争をもふくめて──いかに抵抗を持ちつずけることがむつかしいかということをおしえた。このおしえはぼくにとつてもう決定的なものとなるであろう。
 そういうところからぼくは持続する歌をうたっていきたい。感情の高まりの頂点に立つような歌ではない。感情の低まつた谷間谷間がそのままで頂点に立つような歌をだ。

 ──以下略──

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日付は1950年2月10日、安東次男が30歳のときに書いたものだ。
 私がよく思い出すのは「感情の高まりの頂点に立つような歌ではない。感情の低まつた谷間谷間がそのままで頂点に立つような歌をだ」というところ。

 私がクッツェーの『マイケル・K』の第3章は不要ではないかという意見に頷けないのも、『夷狄を待ちながら』の終章についての感想を書いたのも、ごく若いころ読んだこの詩人のことばが、長い時間を経て自分ものになってしまったからかもしれない──つい最近、気づいたことなのだけれど。

 この詩人のことを、晩年は「国内亡命者」のように暮らしていた、といったのは確か A氏だった。

2009/03/19

氷柱──『安東次男全詩全句集』より

氷柱
 プロローグにかえて


冬になつてつやつやと脂のよくのつた毛なみをしその下に
充分ばねのきいた皮膚を持つ獣たちがいるかれらの皮膚が
終つたところから毛が始まるといつたらこれは奇妙なこと
になるにちがいないしかしまさしく目の終つたところから
視線は始まるのだそして視線の終つたところからはなにも
はじまりはしない始まるのはle vierge, le vivace et le bel
aujourd'hui...一種の痛みだけだ受け継がれるところのない
不透明ないたみの連禱だけであるさきにつやつやと脂のよ
くのつた毛なみとわれわれの眼に映つたのもじつはこの痛
みの連禱にほかならないそれをわれわれは不透明さという
ことにたいする若干の嫉妬の気持もあつて透明だといつた
り溶けることにたいする頑固な期待もあつて氷つていると
いつたりするだがそれがどんな反応を期待することなのか
じつは自分でもよくはわかつていない
                      (一月)

 人それを呼んで反歌という──『安東次男全詩全句集』(思潮社、2008刊)

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ステファーヌ・マラルメの有名な詩行を含むこの詩が書かれたのは「人それを呼んで反歌という」が出版された1966年だろうか。年譜を見るとこの年の8月に「詩の翻訳は可能か」と題する「現代詩手帖」での座談会に出席、とあるのがなんだか面白い。

 年譜には1966年から82年まで東京外国語大学の「文学、比較文学」の教授とある。1968年12月末の大衆団交(私は残念ながら北海道に帰省していて、その場に居合わせなかった)以降、マスコミで「造反教官」として名を馳せた。教授会から「弾劾・辞職勧告決議」が出され、翌年3月に朝日ジャーナルに「私こそ弾劾する」を、さらに6月に「再び弾劾する」という文章を発表している。

 その文章が載った小冊子が、なぜかいまも、私の手許にある。

2009/03/18

厨房にて──『安東次男全詩全句集』より

透明な直立した触媒
水のリボンが
自然の奥の
もうひとつの自然の形に
つながつている
はじかれた水が疑つている暗部で
結晶しなかった一日が
無数の
ゼラチンの
星のようにはりついている
存在の白桃まで
ひさしく届かない

 人それを呼んで反歌という──『安東次男全詩全句集』(思潮社刊、2008)

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安東次男という詩人はものの手触りをとても大切にする人だった。骨董との付き合いにおいても、飾るだけのものはいらん、といって水に浸けて味わいを出してみたり、酒を酌んでみたり、食べ物を盛ってみたり、生活のなかで役立てることを試みていた。「骨董」などというものが、ほとんど皆無に近い旧植民地生活のなかで育った者には、いろいろ教えられることが多かった。
 この詩はそんな詩人が厨房に立ち、水と遊んでいる姿を想像させる。遊んでいるといっても、それは即座に、水と向き合い、対峙することになるのだけれど・・・。

2009/03/16

樹 ──『安東次男全詩全句集』より

樹 ── 高原の夏に


ぼくがおまえを見ると
おまえがぼくを境界づける
血を流している 世界のたしかさで、
血はもう光をもつてはいない
血は血のいろに燃えているだけだ。

そんなときおまえは じぶんの足許に、
身ぶるいする影をもつ
だが 影はおまえをもつてはいない!
おまえは
世界で 最初の孤独になる、

そのおまえがもつ
無限に 対象からやつてくる認識、
血のいろに 燃えている 人間。

と、光がぼくにかえされ ぼくは逆流をはじめる
ぼくが おまえと入れ替り、
ぼくが世界で最初の樹になる。

   詩集補遺──『安東次男全詩全句集』(思潮社刊、2008)

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昨日の「球根たち」は安東次男の詩のなかでも、最も有名な詩のひとつだ。代表作をいくつか、と問われるとたいていの人はこの作品をあげる。
 それにくらべると、今日の詩「樹」はあまり知られていない作品だと思う。昨年の夏に出た『全詩全句集』をはらりと開いたら、この詩が出てきた。この詩人の作品行為の原型のようなものを表していて、ともて興味深い。「The Poetics of Reciprocity」ということばを思い出した。

2009/03/15

球根たち──「人それを呼んで反歌という」より

 みみず けら なめくじ

目のないものたちが
したしげに話しかけ
る死んだものたちの
瞳をさがしていると

一年じゅう
の息のにお
いが犇めき
寄ってくる

小鳥たちの屍骸
がわすれられた
球根のようにこ
ろがっている月

葬むられなかつた
空をあるく寝つき
のわるい子供たち

あすは、

 すいみつ。せみ。にゆうどうぐも。
                      (六月)

       『安東次男全詩全句集』(思潮社刊、2008)

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また桜の季節が近づいてきた。この時期になると詩人、安東次男の命日が近いことを思い出す。4月9日。
 彼が逝った年も暖冬だった。桜は例年よりも早く開き、3月下旬に盛りを迎えた。ストレッチャーに乗せられた詩人は、飽くことなく桜花を見ていたという。花のもとに逝った詩人を偲んで、今年もまた、彼の詩を幾篇か、ここに写す。

2009/03/14

J・M・クッツェーとヒュー・ケナー

 つい最近、あちこちの新聞で目にして、あれっと思った名前。

 「ヒュー・ケナー」

 どこかで読んだ名だ。どこだっけ? ウーン、ウーン。そうだ、思い出した!!
 去年のいまごろ、クッツェーの『鉄の時代』の解説を書くために、1992年に出たエッセイ+インタビュー集『Doubling the Point/ダブリング・ザ・ポイント』を集中的に読み、インタビュー内の発言を解説に引用しようと部分的に訳していた。そこで読んだ名前だった。(クッツェーの博士論文はベケットだから、ケナーの名前は彼のビブリオグラフィーにもたくさん出てくる。)

 ヒュー・ケナーの名前は、私が覚えているかぎり、2箇所出てきた。まず「ベケット」のところでインタビュアーのアトウェルが述べ、クッツェー自身も自分のことを回顧する最後のインタビューで触れている。『鉄の時代』の解説にこのインタビューから引用することは、前年暮れに著者とも打ち合わせをし、『鉄の時代』が出た直後のものだからと快諾を得ていた。

 私が記憶していたのは後ろの部分。20代のころヒュー・ケナーに心酔していたクッツェーが、51歳のとき、それを批判的に回顧していたことだ。「ケナーが幅広い経験全体を──たとえば暮らしのこと、召使いがわたしたちのために・・・」という部分が強く印象に残っていた。このインタビュー、最初はそのまま解説に入れ込む予定でいたのだけれど、結局、使われることなくお蔵入りとなった。以下にそのケナーの名が出てくる箇所を、少しだけ引用しておこうかな。

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<回顧>

10代のときこの人物は、この主体は、この物語の主人公は、このわたしですが、彼は多かれ少なかれこそこそと書いているわけです、できることなら、科学者になろうと決め、根気づよく数学の道を追求します、しかし、この分野での彼の才能はたいしたものではない。この決意をわたしはどう読解するか? こうです、つまり、彼はあるカプセルを見つけようとしている、そのなかで自分が、世界の空気を吸い込まなくても生きていける、そんなカプセルです。

 それまでの生活で彼は、自分をとりまく環境に対する関心を、物理的にも、社会的にも欠いていた。彼は自分がいるどんな場所でも、内面へ引きこもって生きている。若いころ書いたものでは、アングロ・アメリカ的モダニズムのもっとも閉鎖的なものに歩調を合わせようとしています。彼はパウンドの『キャントーズ』に没頭する。批評家ではヒュー・ケナーが最高であると絶賛する。ケナーの知識の幅広さとウィットを賞賛しますが(それを模倣するには、嗚呼、彼はあまりにも生真面目すぎますが)、ケナーが幅広い経験全体を──たとえば暮らしのこと、召使いがわたしたちのためにすることはいわずもがなで──平然と無視することさえをも賞賛している。

 21歳で彼は南アフリカを離れます。足もとからこの国の埃を振り払いたいといった気持ちで。1960年代半ばに、学者の生活を送りたいと思って、コンピューター職を離れます──彼にとっては水難救助的な決定です──文学といっても彼が研究対象として目指すのは、きわめて狭い意味のものです。ベケットがその生涯で彼もまたフォルムに、自己閉塞的ゲームとしての言語に取り憑かれていた時期に書かれたテクストに集中して、彼はベケットについての形態論的分析論を書きます。

Doubling the Point/ダブリング・ザ・ポイント』
     ──p393(Harvard Univ. Press,1992)