2009/01/21

ゾーイ・ウィカム──「ディスグレイス」を「真夜中」に

南アフリカ出身の作家、ゾーイ・ウィカム Zoë Wicomb の短篇「ディスグレイス/Disgrace」を訳しました。1月22日発売の雑誌「季刊 真夜中 No.4」(リトルモア刊)に載っています。
(2009.6.28注記/「真夜中」に発表当時は「ウィコム」の表記でした。)

 主人公のグレイスが、なにやらディスグレイス(不面目)なことになってしまう話で、昨年、南アの出版社 UMUZI から出たばかりの短篇集「THE ONE THAT GOT AWAY」に入っています。クッツェーが表紙に賛辞を寄せています。

 ぜひ本屋さんで、ぱらりぱらりと!!
 

2009/01/17

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ──『半分のぼった黄色い太陽』

今年は、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの長編小説『Half of a Yellow Sun/半分のぼった黄色い太陽』を訳している。

 パレスチナではガザへの空爆から地上侵攻へ、どんどん死者数が増えて。死者は分かっているだけで1100人を越えた。民間人が7割、それも女性と子どもが多い。国連施設まで爆撃されて、小麦も燃料もない状態へ追い込まれている。
 暮れから、イスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハスの記事を訳してきたが、思うところあって、この辺で本来の仕事に専念したいと思う。

 いま訳している小説は、1967年7月から70年1月まで、アフリカのナイジェリアと呼ばれる土地で起きた、ビアフラ戦争がテーマだ。この戦争では、戦闘による死者が10万人、餓死者が50万とも200万ともいわれている。ものすごい数字だ。でも、小説はただただ「悲惨な話」を書いているわけではなく、そこで生きる人間の有り様が活写されている。統計上の数字にちらりと出て終わるものが、名前をあたえられ、顔をあたえられ、語ることばをあたえられる。
 
 若い作家が、祖父母、父母が体験した戦争を描く。ナイジェリアでは話題にすることがタブー視されてきた戦争を。それも女性の目から見た話として。そこが読みどころ。

2009/01/16

アミラ・ハス──空爆標的の実践

ハアレツ紙/Last update - 21:04 15/01/2009
アミラ・ハス

空爆標的の実務経験

マルク・ガーラスコはペンタゴンで7年間働いた。「私は空爆標的の実務をやっていました──空軍司令部の人たちに、どこに爆弾を落とすべきかを伝える仕事です。イラク戦争で。」その前はコソボで。2001年9月11日の米国防省へのアルカイダの攻撃によって、彼はたくさん同僚を失った。ペンタゴンでは、アルカイダとサダム・フセインのあいだに結びつきがあるかどうか、彼は質問された。「ないことは知っていました」と彼はいう。「なぜならサダム・フセインの動きを追跡することが私の職務でしたから」

それが、彼が幻想から目覚める始まりだった。そのとき彼は自分の任務が政治的なもので、軍事的なものではないことに気づいたという。イラク攻撃が開始される前に、彼はヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)へ立候補したが、自分には市民に被害をあたえないようにすることができると考え、ペンタゴンで働きつづける決心をした。バグダッドでサダムの像が引き倒された2日後、彼はペンタゴンを去った。HRWの代表としてイラクへ行き、新たな立場からその目で、初めて「本物の」爆撃を見た。その後も(2004年と2005年に)レバノンで、グルジアで、ガザで。
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略記/イスラエルは違法兵器をガザで使用?(旧:ロケット砲の赤い炎のなかで)
マルク・ガーラスコが、現在イスラエル軍が使用している兵器がどのようなもので、どこで、いつごろ、どのような目的で開発され、何という会社がつくったものか、具体的に名前をあげて述べている記事です。使用法が国際法違反といわれる白燐弾は、水に触れるとさらに激しく燃えるもので、米国のGeneral Dynamicsが製造。先週、国連運営の学校を直撃したのは、イスラエルの兵器産業と米国のアリアントという会社が2006~7年に開発したGPS(全地球位置把握システム)誘導の迫撃砲。イスラエル軍は誤差30メートルの誤爆だというが、ガーラスコは標的への誤差は3メートルしか起きないはずだと述べる。
 今回使われている兵器の多くが米国製で、冷戦期にロシアの戦車を破壊するために開発された古い兵器。新兵器も実験的に使用され、イスラエルの要請で米国が売った1000の新型爆弾GBU-39は、ボーイング社製。

 この記事は、それぞれの兵器が一般市民にどのような甚大な被害をあたえるか、といったことが具体的に述べられている。ガザ市内で医療にあたる人びとから得たハスの情報も、使われた兵器の具体的な殺傷力の激しさを示している。

 ガザ地区には、外部のジャーナリストを含め、彼のような第三者が入ることをイスラエルが禁じているため、外側からの観測および写真などによって、ガーラスコは判断しているが、その指摘による「イスラエルの武器使用の国際法違反」は極めて濃厚だと思える。詳しくは

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1055927.html

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2009/01/15

アミラ・ハス──パレスチナ人医師、治療中にイスラエル軍によって殺される

ハアレツ紙/ Last update - 07:30 14/01/2009
アミラ・ハス

パレスチナ人医師、治療中にイスラエル軍によって殺される

ガザの人権団体「ミザン」によると、ガザのジャバリヤ難民キャンプの28歳のパレスチナ人医師が、今週イスラエル軍の砲撃によって殺された。イスラエル軍ミサイルの標的となった建物から、負傷者を運び出している最中にだった。

彼の死によって、12月27日以降、イスラエル軍によって殺された医療関係者は7人になった、と人権団体は語った。

さらに、3つの病院と4つのクリニックが、この数日の銃撃によって損害を受けた、とパレスチナの情報筋はいう。

イッサ・サラーフ医師は、パレスチナ民間自衛サイービスのメンバーで、彼のチームが負傷者のいる建物に到着したのは、月曜の午後4時半すぎだった。その数分後、建物はイスラエル軍のヘリコプターが発射したミサイルの直撃を受けた。

住人たちは走って逃げた。最初のミサイルが、次々と落とされるミサイルで建物が破壊される前に、建物から避難しろ、という警告を意味することを知っていたからだ。

しかし全員が間に合ったわけではない。2発目のミサイルが直撃したとき、18歳の少女が殺され、2人の子どもを含む4人の住人が怪我をした。

サラーフは3発目のミサイルが直撃したときに殺された。彼の同僚もひとり怪我をした。その場から女性と4人の住人を避難させ、手当を受けさせようとしていたところだった。

一方、死んだ女性の23歳の妹と、20歳のもう一人の女性もまた、その建物に対するイスラエル軍の、続けざまの砲撃によって殺された。

ほかにも5人が怪我をした。

サラーフ医師の死は、負傷者をその場から移送するとき、パレスチナ人が直面している困難を際立たせている。

パレスチナの情報筋によると、昨夜までに、パレスチナの救急隊がイスラエル軍と調整して、負傷者を避難させることがほとんど不可能になっている地区が、少なくとも4つあるという。それは、ジャバリヤ、ガザ市近郊のサジャイエフ、トゥファフ、ゼイトゥンである。

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2009/01/14

アミラ・ハス──歴史はカッサムロケットで始まったわけではない

ハアレツ紙/Last update - 02:33 14/01/2009
アミラ・ハス

歴史はカッサムロケットで始まったわけではない

歴史はカッサムロケットで始まったわけではない。だが、われわれイスラエル人にとって、歴史はいつでもパレスチナ人がわれわれを傷つけるときに始まる。そのため苦痛が、完全に状況から切り離されたものになってしまう。われわれはパレスチナ人に、もっともっと大きな苦痛をあたえれば、最後には彼らも教訓を学ぶだろうと考えている。ある用語でこれを「成果」という。

しかしながら、多くのイスラエル人にとっては、その「教訓」が抽象的なままだ。イスラエルのメディアはその消費者に、情報ひかえめ、真実ひかえめの、厳格な食事療法を処方している。軍司令部の人間とその仲間たちのことだけはたっぷり含まれた療法だ。それは慎み深く、自国が達成した成果を自慢することはない──つまり、殺害された子どもたちや、廃墟のなかで腐敗していくその遺体、自国の兵士たちが救急隊員を銃撃したため血を流しながら死んでいった負傷者たち、さまざまな型の武器によってひどい怪我をしたため脚を切断された幼い少女たち、打ちのめされて辛い涙を流す父親たち、跡形もなく消し去られた住宅地区、白燐による激しい火傷、そして小規模移転──自分の家から追い出された何千何万という人たち、そしてこうしているいまも追い出され、命令によって家屋密集地域へ押し込められ、その地域はさらに頻々と狭くなっていき、なおかつ絶え間ない爆撃と砲撃にさらされていること、それが達成した成果だ。

パレスチナ政府が樹立されてからというもの、イスラエルの広報活動装置は、パレスチナ人がわれわれに見せかける軍事的な威嚇の危険性をおおげさに強調してきた。彼らが石から小銃に、火炎瓶から自爆攻撃に、路上の爆弾からカッサムロケットに、カッサムからグラッドに、そしてPLOからハマスに移ったとき、われわれは大声をあげて「だからいったじゃないか。彼らは反ユダヤ主義者だって」といったのだ。かくして、われわれは凶暴な行動にでる権利を得たわけだ。

イスラエル軍の凶行を可能にしたもの──それを表現するための正確なことばが私の辞書には見つからない──それは、着実に進められたガザ地区の隔離だ。隔離はガザ住民を、名前もなく住所もなく、さらに歴史もない──武装した男たちの住所を例外として──抽象的なモノに変えた。シンベトの公安警察によって決定された日付は別として。

ガザ包囲は、ハマスがガザ地区の警備機関を掌握したときに始まったわけではない。それが始まったのはギラド・シャリット(イスラエル軍伍長)が拘束されたときでも、ハマスが民主的選挙によって選ばれたときでもない。包囲は1991年に始まった──自爆攻撃が開始される前のことだ。それ以来、包囲はさらに巧妙に洗練されたものへと変形されただけで、2005年にピークに達した。
 
イスラエル広報活動装置は手際よく、恥知らずに事実を軽視しながら、(ガザからの入植地)撤退を占領の終了であると発表した。隔離と封鎖は、軍事的必須事項だと発表した。しかし、われわれは成人した男女であり、「軍事的必須事項」と首尾一貫した嘘が、国家の目標に与するものであることを知っている。その目標とは、二国家解決案を巧妙に阻むことである。この解決案は、1990年、冷戦の終了時に世界がその実現を一度は期待したものだった。完全な解決案ではないにしろ、しかしパレスチナ人はそのとき、この解決案を受け入れる用意があったのだ。

ガザは、その隣にある、平和を愛する小国、イスラエルを攻撃する軍事力などではない。ガザは、イスラエルが1976年に、西岸地区ともども占領した一地区なのだ。そこに住む人たちはパレスチナ民族の一部であり、この民族がその土地と故国を失ったのは1948年のことだ。

1993年(オスロ合意)、イスラエルはたった一度、世界に対して、われわれについて語られていることは真実ではないと告げる、またとないチャンスを得た──つまり、イスラエルは生来の植民地国家ではないこと、一民族をその土地から追放し、人々をその家から追放し、ユダヤ人を入植させるためにパレスチナ人の土地を強奪することが、国家としての存在の基本でも本質でもないことを告げるチャンスを、である。

1990年代に、イスラエルは1948年がそのパラダイムではないことを立証するチャンスがあったのだ。ところがイスラエルはその絶好のチャンスを逃してしまった。代わりに、ひたすら、土地を強奪し、人々を住んでいる家から追放し、パレスチナ人を隔離した飛び地へと追い込んでいった。そしていま、この暗くおぞましい日々にイスラエルは、1948年は決して終わらないと立証しているのだ。

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2009/01/13

アミラ・ハス──砲火と農地、ノーマンズランドに閉じ込められたガザ住民

ハアレツ紙/Last update - 08:07 13/01/2009
アミラ・ハス

砲火と農地、ノーマンズランドに閉じ込められたガザ住民

ガザ地区の周辺にある農業地域のなかで、多くのパレスチナ人が──いったい何人いるかは不明──イスラエル軍陣地に取り囲まれた小さな飛び地に、閉じ込められている。その飛び地を離れようとする者を、兵士は無差別に銃撃する、と彼らはいった。

彼らは、この地区にイスラエル軍が侵攻したとき、逃げることができなかったか、家に留まることにした人たちだ。しかし、親戚や、近くの町や村から、これほど長期間、切り離されるとはまったく思わなかっただろう。

そんな飛び地から断片的に入ってくる報告は、包囲されたパレスチナ人が次第に水、医療品、食料の窮乏に苦しめられていることを示している。少なくともジャバリヤの東にある飛び地には、薬が切れてしまったガン患者が1人いることを、ハアレツ紙は知っている。別の飛び地では、そこから糖尿病の患者と高齢者を避難させる試みが失敗に終わった。そこを離れようとする者を、飛び地を取り囲むイスラエル軍部隊が無差別に銃撃するのだ。

外部から完全に断ち切られ、ほかの飛び地とも、数キロ先の親戚との連絡も、まったく途絶えてしまった人たちもいる。たとえばベイト・ラヒアの北、シーファでは、ある包囲された地区の家屋に住む1人の女性とその息子が生きているのか、死んでしまったのか、親戚も隣人も知る手段がまったくない。彼らの要請によって、ハアレツ紙は、HaMoked(個人の権利防衛センター)と他のイスラエル人権団体に助けを依頼した。

HaMokedは包囲された人々の幾人かと連絡をとり、イスラエル軍と調整して、シーファに閉じ込められている約120人に食料の配達を手配しようとした。

日曜日にごくわずかな備品、医薬品、食料が配達されたが、イスラエル軍の一時的な砲撃停止が終わったため、配達は途中で中断された。

イスラエル軍は、閉じ込められた人たちの親戚に、ロバの引く荷車で品物を運ぶよう強要した。

配達を急ぐため、家族はもう1台の荷車を馬に引かせるよう、イスラエル軍と話をつけた。ところが、荷車がトラックに近づいたとき、兵士たちが馬を銃撃して、殺したという。

イスラエル軍の砲弾によって怪我をした、高齢の女性2人と4人の子どもを含む約20人のアル=アイディ家の人たちは、この週末に家から避難した──砲撃を受けてから1週間もすぎていた。彼らが怪我をした翌日、「赤十字」と「人権のための医師団」が病院へ避難させようとしたが、できなかったのだ。

一週間たち、ようやく救急の努力が実を結んだとき、救急車はガザ市の南東にある彼らの家に近づくことができなかった。家がイスラエル軍の陣地と銃撃目標のあいだにあるためだ。彼らは約2キロの道を歩かなければならなかった。

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2009/01/12

アミラ・ハス──死者の統計数に入らないよう、全力をつくすガザ住民

ハアレツ紙/Last update - 05:25 12/01/2009
アミラ・ハス
死者の統計数に入らないよう、最善をつくすガザ住民


昨日午前8時45分、ムスタファが電話をかけてきて、家を離れたという。8時10分、車を所有している、勇気ある友人に電話して、子どもたちを車に乗せ、北へ2キロ離れた、ガザ市近郊リマルにある義理の弟が借りたアパートへ連れていったのだ。義理の弟がそのアパートを借りたのは一週間前、ガザ市北端の自家から家族をつれて逃げだあとのことだ。ガザ市北端は爆撃、銃撃地帯だ。いまでは2部屋のアパートに15人が住んでいる。もちろん水はない。とにかく肝心なのは爆撃音が少しでも小さいことなのだ。

(爆撃が開始されて)15日がすぎて、シェイク・アジリーン地区へ戦車が入ってくるプレッシャーに彼らは耐えられなくなっていた。夜中、絶え間なくつづく銃撃音、海から撃ち込まれる迫撃砲。ヘリコプターからどさりと投げ出され、人々に家から出るよう呼びかけるパンフレット──それもまた神経を逆なでする。しかしなんといっても恐ろしかったのは、近くのアパート群に撃ち込まれたミサイルだ。近所の人が何人も殺され、そこにはヤセル・アラファトの公式フォトグラファーと、その一家も含まれていた。

昨日まで、ガザ市内の通りは逃げ出す人々でごったがえしていた──さえぎるもののない畑と農家のあるシェイク・アジリーン地区からも、人は逃げてきた。ハマス銃撃隊とイスラエル軍兵士のあいだの戦闘が起きている地区だが、その周辺の地区からも逃げてきていた。だれもが家財道具を運んで。

こうしてムスタファとその家族は、日増しに増加する、被退去者の統計数字に新たに加えられたわけだ。そのうち比較的少数の2万人が、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校へ避難し、それよりはるかに多くの人たちが、ガザ市、ラファ、ハーン・ユニス、ベイト・ハヌーン、そしてヌセイラト難民キャンプの、親戚や友人のところに身を寄せたのだ。

軍部は「人口密集地域」とされるエリアをじりじりと内部へ押し込めている。その周辺地区を「一掃しながら」──まず農地、そしていま農地の周辺の地区を──人々をさらに狭い領土へとどんどん追い込んでいるのだ。

死者をすべて数えあげることは難しい。しかし、家族全員が殺されたという報告はいくつもある。おなじ家族の人間が多数殺された例は、とりわけ住民が追い立てられた地区の周辺地区で多い。住民は死者の統計数に入れられないよう、全力を尽くしている。

先週の木曜日、午後3時40分、医療班が瓦礫のなかから4人の遺体を引き出した──そのうち3人が子どもだった──ベイト・ラヒヤの南西にあるアタトラ地区でのことだ。報告によると、4人は死後数日たっていた。金曜日の午後3時30分、無人飛行機がジャバリヤのファイズ・サルハの家に、警告のためのミサイルを撃ち込んだ。家族は、さらに大きな迫撃砲が2分後に撃ち込まれる前に、すぐに家屋から外へでることができず、家族6人が殺された。

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2009/01/11

アミラ・ハス──PAがガザ侵攻に抗議する人たちを追い散らす

ハアレツ紙/2009.1.11
PAがガザ侵攻に抗議する人たちを追い散らす・・・金曜日、ラマラ住民は衝撃を受けた。イスラエル軍のガザ侵攻に抗議する人たちを、パレスチナ自治政府の警察が催涙ガスと警棒によって追い散らしたのだ。

 →この日のデモについてはこちらへ、詳細なようす、アミラ・ハスとの会話も

ガザの戦闘地帯での暮らし・・・イスラエルとの境界に近い新しい墓地へ行くことを妨げられて、増える一方の死者を古い墓地に埋葬することを余儀なくされている。

2009/01/10

『夷狄を待ちながら』──最終章はいらない?

年末の2日間、J・M・クッツェーの出世作『Waiting for the Barbarians夷狄を待ちながら』を再読した。最初に読んだのは、キングペンギン版のペーパーバックで、『Life & Times of Michael Kマイケル・K』といっしょに2冊まとめて読んだときだから、ほとんど20年ぶりだ。

この小説は「帝国」と「夷狄/野蛮人」という二項対立で語られることが多いが、今回あらためて通読して、いくつも発見があった。そのひとつが、主人公である初老の執政官の、男としての性的欲望の描かれ方に関するものだ。『Disgrace/恥辱』の、やはり初老の主人公の場合のそれと、重なったり、ずれていたり。そうか、70年代後半(作家は30代後半)に書かれた作品ではこんな風だったのが、90年代後半(50代後半)ではああなるのか、と非常に興味深く読んだ。もちろん架空の帝国およびその植民地とポストアパルトヘイトの南アフリカという背景の違いも大きい。

 再読のきっかけは、5、6歳年上のある男性作家から「最後の章は要らないのじゃない?」という問いを受けたことだ。そのときは返すことばに詰まった。質問の内容を作品に照らして具体的に考えるための情報が、私の頭のなかから消えていたからだ。いくら好きな作家の作品でも、20年前に読んだものの細部までは覚えていない。今回しっかり読み直して気づいたのは、終章は要らないどころか不可欠のもので、作品全体にくっきりとしたパースペクティヴをあたえていることである。それが確認できたのは大きな収穫だった。
 
 物語の概要はこうだ。架空の帝国が支配権をもつ辺境の植民地(季節の移り変わりと月の関係からみて北半球を想定)で執政官を長年勤める主人公(名前はない)のところへ、夷狄の襲来を懸念する帝国の第三局(ロシアの秘密警察を想起させる)から、ジョル大佐という人物が派遣される。そして夷狄狩りが始まる。ジョル大佐率いる部隊に連行されてきた夷狄は、人間以下の扱いを受け、尋問され、拷問を受ける。
 父親を殺され、自分も両足を潰され、視野も狂って、仲間に置き去りにされ、物乞いをする夷狄の娘を街から拾ってきた執政官は、自分の本来の職務は法と正義を行うことにあるはずだ──と、ジョルの行為や自分の立場をあがなうかのように、娘の足に油を塗り、撫でさすり、寝床をともにする。しかし性交に至ることがない。これまで女をつぎつぎと渡り歩いてきて何の疑問も持たなかった主人公は、そこで、自分の性的欲望について熟考することになる。
 旅籠屋の女たちに対しては何の問題も生じない。女を「欲望することは彼女を掻き抱き彼女のなかに入ることを意味する、彼女の表面に穴を穿ち、その内部の静まりを掻き混ぜて恍惚の嵐を起こすこと、それから退き、終息し、欲望がふたたび結集するのを待つ。ところが、この女はまるで内部などないかのようで…」(p43)と作家は男の性的欲望について詳らかに言語化する。これはそっくり、新しい土地(いみじくも「処女地」などという語が使われたりする)に対して帝国が抱く野望や欲望と重なるもので、ある種のアナロジーとも読める。

 主人公にも、褐色の肌の夷狄の女にも、名前があたえられることはなく、作中で名前があたえられるのはわずか3人。ジョル大佐、青い目のマンデル准尉(夷狄の娘を仲間に返してきた主人公を逮捕して拷問する)、そして旅籠屋の料理女メイである。料理女は最初登場したときは名前がない。その息子が獄舎の主人公に食事を運んでくる場面はあっても、母親のほうに名前があたえられるのは物語が終盤に入ってからだ。これは読んでいていささか唐突な感じさえする。それまで影のような、顔のなかった人物が突然、表情をもった固有の人物に変わって、主人公の前にあらわれるのだから。

 しかし、このメイは最終章できわめて大きな役割をはたす。主人公の語りを「聞く相手」──相対化の視点を運び込む役──として、さらに、主人公にはついに聞き取れなかった「夷狄の娘のことば」を伝える者として登場するのだ。つまり、夷狄をめぐる嵐のような一年の出来事:ジョルの到来、夷狄の捕獲、娘の返還の旅、主人公の逮捕、さらなる夷狄狩り、拷問、ゲリラ戦で消耗した軍の破滅、大挙して逃げ出す住民たちのエグゾダス、残された少数の人々との暮らし──といったプロセスが、おもに主人公の内面で生起することば(幻想/妄想も含む)によって展開されるわけだが、その時間の経過を相対化する視点が、この終章で入るのだ。そのことで主人公の経験と、その結果彼に起きた変化が、ひとつの俯瞰図のなかにくっきり見えるようになる。
 したがって、終章はまさにエピローグとして機能し、物語はクライマックスで終わることなく、頂点を冷静に見つめる視点で終わる。そして視界は一気に見通しがよくなるのだ。これはクッツェーのすべての作品にいえる、きわめて重要なポイントかもしれない。この章を読んでいて私はクッツェー作品を読む醍醐味を味わうことができた。

 さらに思い出すのは、3部構成の『マイケル・K』をめぐる、あるインタビューだ。クッツェー作品の本質を考えるうえで示唆的なやりとりである。
 第3部は不要ではないか、というインタビュアーの問いに対してクッツェーはこう答えるのだ。「この本が第2部だけで終わるなら、それは明らかに責任回避になります。この本から、Kが、天使として立ちあらわれないことが重要なのです」(FROM SOUTH AFRICA, Chicago Univ.,1988──p457)

2009/01/09

ガザ侵攻へ抗議する人たち──世界各地の写真(2)

ガザ侵攻へ抗議する人たち

上から順に、ロンドン、イエルサレム、ヨルダン川西岸ラマラに近いビリン村、オークランド(NZ)──1月7日と8日。

アミラ・ハス──イスラエル軍は民家にまず犬を送り込み、それから兵士が

w w w . h a a r e t z . c o m
ハアレツ紙/Last update - 05:59 09/01/2009
アミラ・ハス

イスラエル軍はガザの民家に、まず犬を送り込み、それから兵士が

パレスチナ人たちがいうには、イスラエル兵は戦車のなかに残っていて、最後の最後に、ガザの住居に乗り込んでくる。「兵士たちはわざわざ戦車から出て、われわれの家に入ってくることはありません──先に犬を送り込んでから、その地域を一掃するんです」とガザ北部の家から強制退去させられたパレスチナ人たちはいう。

Mは、ジャバリヤ難民キャンプの住人で、ハアレツ紙にこう語った。「軍はすごくゆっくり動きます。戦車が家々に近づくと、そこで彼らは犬を送り込みます。もしもその家が3階建てなら、3匹の犬を送り込むんです。犬は片方の足にカメラを装着されていて、もう一方の足にウォーキートーキー(携帯用の送受信両用の無線電話機)を装着されています。そうやって、犬に家のなかにあるものを伝達させています。それから、戦車が塀に乗り上げ、入口のところまで近づき、そこで兵士が戦車から出てくるんです」

Mによれば、兵士が入っていっても、女性と、子どもたちと、高齢者しかいないという。50歳以下の男たちは全員、拡声機で、学校へ集まるよういわれたからだ。

「国連が避難場所として開設した学校へ行ったり、モスクに身を隠すのを、みんなものすごく恐がっています。イスラエル軍がそこも爆撃するからです」とMは言い足した。

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今日のもう一つのハスの記事は:「人権グループが負傷したパレスチナ人への医療アクセスを要求

学校への砲撃は誤爆──イスラエル軍将校が認める

01:55 UN: IDF officers admitted Gaza school shelling was by mistake (Haaretz)

  ガザの学校への砲撃は誤りだった、とイスラエル将校が認めた。

イスラエルの新聞「ハアレツ紙」が「フラッシュニュース」で伝える情報です。

http://www.haaretz.com/

2009/01/08

ガザ侵攻へ抗議する人たち──世界各地の写真

ガザ侵攻へ抗議する人たち

上から順に、イスラエル北部の町シャクニン、ロンドン(白煙は小麦粉)、カブール、ジャカルタ(右)、アムステルダム、ニューヨーク、メルボルン、ドバイ、ローマ──1月3日と4日の写真です。

2009/01/07

アミラ・ハス──私の両親は生きてこれを見ずにすんで幸運だ

私の両親は生きてこれを見ずにすんで幸運だ

ハアレツ紙/Last update - 02:13 07/01/2009
アミラ・ハス

私の両親が死んでいて幸いだ。1982年、レバノンのパレスチナ難民キャンプ上を飛びまわるイスラエルのジェット戦闘機の騒音に、両親は耐えられなかった。テルアビブの自家にいても、キーンという飛行機の音に彼らはぞっとしていた。見なくても分かる、と彼らはいった。

そのときはそんな調子だった。そしていまはどうか。姉がノートに絵を描いているテーブルに素早くのぼってのぞき込む2歳のシャム、笑うと前歯のすきまが見える5歳のタイーヴ、大好きな絵本を抱えた6歳のカルメルのことを、私から聞いてどう思うだろうか。この子たちのまわりで世界が爆裂している、何度も、何度も、わずか10メートル、5メートル先のところで。もう10日も、分刻みの恐怖だ。分刻みの恐怖は、分刻みの死でもある。それに150万を掛け合せてみるといい。

私の両親は毎日の活動をすべて嫌悪していた──珈琲に砂糖を入れること、皿を洗うこと、横断歩道に立つこと──彼らの心の目に、それまでの個人的な経験から、子どもたちの目のなかの恐怖心、幼い子どもを守ってやれない母親の絶望、巨大な爆発音が住人の頭上に落下して高性能爆弾が家族全員を爆死させる瞬間が映るからだ。サルメフの母親はいう──「[不安な眠りから]目が覚めると驚くんです。自分がまだ生きていることがまったくの偶然だとわかっているから」

70歳にもなったウム・カーリドのことを私から聞いて、両親は毎日の日課にどう耐えられただろう。シャブラ難民キャンプの一角にある、閉め切ったコンクリートの部屋に爆弾が落ちて、市民が2人死んだ。なかが空洞のコンクリ建ての何十軒もの家が徹底的に破壊された。ウム・カーリドの頭から数センチのところにアスベストの屋根が一枚落ちた。半キロほど離れた娘の家に「避難した」のは、新しい家のほうが安全かもしれないという幻想からだ。「いまはもう、おまえたちに何かが起きる前に私は死にたい」と子どもたちに向かって、彼女はくり返す。

いま流行の洗練された言語表現が捻出される以前から、私の両親は「ガラリヤにおける平和のための戦争」とか「公共の秩序を乱すもの」といった表現に吐き気を感じていた。「公共の秩序」なるものが「占領」を意味し、「乱すもの」とは「それへの抵抗」だったのだから。秩序というのは、ユダヤ人がその権利を主張するものをパレスチナ人がもつことを妨害することなのだ。エフード・バラクとツィピ・リヴニが、自分たちはパレスチナ人にはまったく敵対していないと説明するのを聞かなくて、イスラエル政府の閣僚事務官が、人道上の危機はまったくない、それはハマスのプロパガンダにすぎない、と説明するのを耳にせずにすんで、両親はなんと幸運だったか。嘘であると認識するため、水道が5日以上も止まっている人々の名前を知る必要もない。爆撃のことなんか忘れろ、電気のことも、食物のことも、眠ることだって、忘れろ。でも水がないのは? 海から、陸から、空から爆撃されて、人々は市営の水道蛇口まで飲料水をくみにいくことさえできずにいる。かりにだれかが屋内で流水を手に入れても、それは飲むことはできない。

みずから経験したことのために、鉄条網のフェンスに囲われた狭い地域内に人々を閉じ込めることがどんなことか、私の両親は熟知していた。1年、5年、10年。1991年からだ。両親は好運だ。こんなふうに閉じ込められた人たちが、イスラエルと合州国の輝かしい軍事テクノロジーを用いた爆撃を受けるところを、生きて見ずにすんだのだから。「大至急ここにムハンマド・エル=バラダイ*を招いて、私たちが核兵器を保持していないことを証明してもらわなければ」と著名な喜劇俳優、リヤドは爆撃のなかでさえいう。しかし土曜の夜、彼はひたすら「むずかしい、むずかしい」といって電話を切った。

私の両親はその個人的な歴史ゆえに、ニュース番組の司会者がリラックスして夜間外出禁止令について述べたようすを嫌悪しただろう。両親がここにいなくて本当に幸運だ、コロセウムのなかで怒号をあげる群衆を目にしなくてすんだのだから。


* IAEAの事務局長(エジプト)、原子力の軍事目的使用を防止した努力が評価されて、2005年ノーベル平和賞受賞。
<訳注/ハスの両親は、ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅をもくろんだ第二次世界大戦時のホロコーストを生き延びた人たちでした。>

【転送・転載 歓迎】
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今日のもう一つのハスの記事(共筆)はトップ記事:
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1053418.html

2009/01/06

アミラ・ハス──ガザのインフラは崩壊寸前

ガザのインフラは崩壊寸前

ハアレツ紙/Last update - 06:09 06/01/2009
アミラ・ハス


60万人から70万人のガザ住民が、水のない状態におかれている。なかには、そんな状態が1週間も続いている人たちもいる。

約100万人が停電下にあり、汚水がそのまま通りを流れる場所もあちこちに見られる。とくにガザ地区北部では汚水が溜まって氾濫する危険が高まっている。

修理しようにも、砲撃と道路状態の悪化のために、修理人が駆けつけられない。携帯電話も地上電話も、ガザ地区のネットワークは、空爆と電力不足のために深刻なダメージを受けてしまった。次第に、ガザ住民は親戚や地方当局、救援、救急の連絡先に電話する手段がなくなってきて、孤立感とパニックが高まっている。

それが、ガザ住人や、海岸地区水道局の副局長マヘル・ナジャール、国連人道調整官マクスウェル・ゲイラードの報告から浮かびあがってくる、ガザのインフラの状態だ。ナジャールは、使用不能の井戸や水を十分確保できない井戸の数から判断して、ガザ住民の40パーセントから50パーセントが水を得られない状態にあると判断する。

連日の空爆が、上下水道の施設にさらなるダメージをもたらしている。水道局への苦情件数は刻一刻と増すばかりだ。たとえば昨日、ラファ地区内のウム・アル=ナスル村の給水管がダメージを受けて、1万の住民が断水状態になった。

ガザ地区中部の3万の住民に給水していた水道管もまた、イスラエル空軍の爆撃によってダメージを受けた。ガザ住民からハアレツへの声明、さらにナジャールから「運動の自由のためのギシャ法律センター」宛に出された供述書によると、人々は屋内の水瓶がカラになっても、イスラエル軍の爆撃のために、公共水道の蛇口まで水をくみに行けない状態だ。

約100万のガザ住民の家は、すでに5日から7日間もまったくの停電状態だが、原因は戦争によるインフラへのダメージと、発電所用重油の欠乏による。

ガザの上下水道の施設は電気で稼働している。電力が不足すれば、重油を燃料とする臨時の発電機によって動く。これらの発電機に2日以内に新たな燃料を補給しなければ、ガザ市内とガザ地区全域の残り25本の水道管は、水の供給をストップしてしまう。たとえばラファでは、70パーセントの住民が2日以内に水がまったくない生活になる。

配管、パイプ、フィルター類といった修理用部品はひどく不足している。イスラエルが、停戦状態以来、ガザ地区に持ち込ませなかったからだ。

赤十字社は昨日、エレズ検問所に到着した2万リットルの重油を搬入することについて、イスラエル軍と交渉していた。運転手たちはイスラエル軍に爆撃されること、さらに、ガザ地区の悪路と苦闘しなければならないことを恐れている。

ガザ地区にある37の給水施設のうち、32施設が電力不足のために部分的にしか稼働していない。残りの5施設はまったく稼働していない。

ベイト・ラヒヤの汚水処理場は、イスラエル軍の侵攻によって発電機がダメージを受け、稼働を停止した。その結果、汚水が通りに流れ込んでいる。ガザ市の4つの汚水処理場は予備発電のために重油を使い切ってしまい、3施設から出る廃液が海に流れ込んでいる。4つ目の施設からの廃液は近くの農場へあふれ出ている。残っている処理場へ数日内に燃料が新たに補給されなければ、おなじように汚水が通りへあふれることになるだろう。

ベイト・ハヌーンでは、汚水を下水処理場へ運ぶパイプがダメージを受けて以来、すでに6日間も汚水が通りを流れている。昨日までに、修理技術者の派遣についてイスラエル軍と調整する努力は失敗した。

ガザ地区北部の巨大な下水処理場に溜まった汚水が──氾濫を回避するため一カ月以上も前に処理され、カラになっているはずのものが──着々と増量し、近隣に住む1万の住民に危険が迫っている。

【転送・転載 歓迎】
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2009.1.6/もうひとつの記事は:
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1052983.html

2009/01/05

音楽、ときどき日記──コンチャ・ブイカ

暮れからお正月にかけて、そしていまも、仕事の手を休めて聴く音楽はもっぱらこれ!

赤道ギニア生まれの両親をもってマヨルカ島で生まれて育ち、スペイン語でジャズを歌う歌手、コンチャ・ブイカ。タイトルは「niña de fuego/火の子ども」。

「ジャズ」というカテゴリーにはとても収まりきらない歌い方だ。鉄錆色の声がいい!

アミラ・ハス──ガザには人道上の危機はない?

IAF missile hits two Gaza boys heating water over a fire/イスラエル空軍のミサイルが、火でお湯を沸かそうとしたガザの少年2人を爆撃 
Last update - 04:08 05/01/2009

ガザには人道上の危機はない?
Last update - 09:41 05/01/2009

Wounded Gaza family lay bleeding for 20 hours/怪我をしたガザの家族が20時間、血を流しつづけたまま 
Last update - 12:43 05/01/2009

             (タイトルが3度変わりました)
ハアレツ紙/アミラ・ハス


ガザでイスラエル軍が地上侵攻を開始して3時間後、土曜日(註/1月3日)の夜、午後10時30分ころ、砲弾あるいはミサイル弾がフセイン・アル=アワイディとその兄弟の所有する家に命中した。ぽつんと一軒立つその家に21人が住んでいる。家はガザ市ツァイトゥーン地区の東部、農業地帯に位置している。爆撃のために5人が怪我をした。80歳代の女性が2人(フセインの母親と叔母)、14歳の息子、13歳の姪、そして10歳の甥だ。

20時間たったいまも、怪我人たちは家の庭にある小屋のなかで血を流しつづけている。電気はない、熱源もない、水もない。親戚たちいっしょにいるが、水をくみに庭を離れようとするたびに、イスラエル軍が彼らを銃撃するのだ。

アル=アワイディは携帯電話で助けを求めようとしたが、ガザの携帯ネットワークは崩壊している。砲弾がトランスポンダー(応答機)を直撃して、電気もなければ重油もないため発電機を稼働させることができない。電話がつながる瞬間は、ちょっとした奇蹟のようなものだ。

日曜日の正午、アル=アワイディはついにSに連絡を取ることができ、Sが私に電話してきたのだ。Sは近くに住んではいても、何もしてやれなかった。

アル=アワイディとは8年前からの知り合いで、私はPHR/人権のための医師団へ連絡した。彼らはイスラエル軍の渉外局に電話をかけ、負傷者を脱出させる手配を依頼した。ちょうど正午を過ぎたころだった──記者会見の時間になっても、渉外局はPHRに電話をかけなおさなかった。

そのうち、だれかがなんとか赤新月社に連絡をつけた。赤新月社が赤十字に電話し、イスラエル軍と協力して負傷者を脱出させることを依頼した。それが午前10時半──日曜の夜の記者会見の時間になっても、赤十字はまだ脱出を実現できずにいた。

PHRと私が電話で話しているあいだ、正午ごろのことだが、Hが電話をかけてきた。彼が伝えたかったのは、2人の子ども、10歳のアフメド・サビフと11歳のムハンマド・アル=マシュハラウィが、ガザ市の自分の家の屋根にのぼって、火でお湯を沸かそうとしていたことだ。電気もないし、ガスもない、だから燃えている火が最後の手段なのだ。

戦車が砲弾を吐き出し、ヘリコプターが雨のように銃弾を降らせ、戦闘機が地震を起こしている。なのに、住民たちにとっては、お湯を沸かすことがハマスの軍事組織に加わるのとおなじくらい危険だ、と認識することは難しいのだ。

イスラエル軍のミサイルがこの2人の少年たちを直撃し、アフメドを殺し、ムハンマドに重傷を負わせた。日曜日の午後遅く、インターネットのニュースサイトが、2人とも死んだことを報告した。しかし、Hの携帯電話には応答がない。だから私は事実を確認することができなかった。

Hに地上電話で連絡しようとするのは無意味なことだった。土曜日、一発の爆弾が彼の住む地区の電話システムをすべて破壊してしまったからだ。ターゲットは印刷所だった(これがイスラエル軍のいまひとつの「軍事」目標なのだ)。印刷所の所有者は、以前UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)で働いていて退職した人で、退職金のすべてをこの店に注ぎ込んでいた。

Bの近所では、爆弾が水道の本管を直撃したため、彼女は昨日の朝からまったく水が得られない。「電気なしでやっていくことにはもう慣れました。テレビもないけれど、なにが起きているかは電話してくる友人の話で聞いて知っています。ある友人はレバノンから電話してきてくれました。ハイファからかけてくれる友人もいます。ラマラからも。でも、水なしで、どうやってやっていけますか?」

Aは事態への彼なりの対応をとった。「子どもたちを窓のところで遊ばせないようにしているんです。F-16機が飛んでいますから。子どもたちに窓のところで遊んじゃだめだと、危険だから。海からこっちへ爆撃してくる。東からも。空からも爆撃してくる。電話が繋がっているときは、みんなが殺された親戚や友人のことを教えてくれます。妻はいつも泣いてます。夜になると妻は子どもたちを抱いて泣きます。寒いのに、窓は開いたまま。外は銃撃と煙。家のなかには水もないし、電気もないし、暖房用のガスもない。なのに、あなた方(イスラエル人たち)は、ガザには人道上の危機などないという。教えてくれ、あなたがたは正気なのか?」

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アミラ・ハス──緊急用の発電機さえ動かない

緊急用の発電機さえ動かない

ハアレツ紙/Last update - 01:37 05/01/2009
アミラ・ハス

殺到するおびただしい数の負傷者に加え、ガザの病院はあらたな問題に直面している。唯一の電力源である発電機の燃料がもうすぐ尽きてしまうのだ。

ガザ地区の多くでは、ガザ市も含めて、土曜の夜から停電が続き、イスラエルの地上攻撃によって電力の主力ラインが破壊されてしまった。イスラエルからガザのいくつかの地域に引き込まれていた、他の6本のラインも破壊された。

エジプトからラファ地域に電力を送り込んでいたラインもまた、イスラエルの攻撃によって破壊され、ガザの発電所は燃料がないため、12月30日以来ずっと閉鎖されたままだ。各病院は自家発電に完全に依存している。

これはまた別の問題をもたらしている。ノンストップ使用によって負担がかかり、発電機が故障しやすくなっているのだ。しかし、故障が起きてもそれを修復する手段がない。修理用の部品がないからだ。イスラエルがそういった部品をガザ地区に持ち込むことを禁止して、すでに2年になる。

ガザ市のシーファ病院の病院長、ハセン・カラフ医師が、昨日、非営利組織「アクセス」に語ったところでは、赤十字と世界保健機関に対して燃料輸送についてイスラエルと調整することを要請したという。しかし、現在まで、彼の請願は実を結んでいない。

そのうえ、発電機の発電能力が弱まり、病院内の酸素テントを十分機能させることができなくなっている。患者の生命が危険にさらされているのだ。

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2009/01/04

アミラ・ハス──ガザから出てきた人たちは…

イスラエルが300人にガザから出ることを認める──出てきた人の大部分がガザ住民と結婚した外国人とその子どもたちだった

ハアレツ紙/Last update - 01:41 04/01/2009
アミラ・ハス&マヤ・ズィンシュタインの記事

金曜日の朝、300人の住民がガザを出てアレンビー橋(註/ターミナルにあたる)に向かった。出国を確保するため、ここ数日間イスラエル政府と交渉してきた各大使館は、彼らを避難者と呼ぶが、脱出者というのがより正確だ。

大部分が外国のパスポートをもっていて、ガザ住民と結婚した外国生まれの妻とその子どもたちだった。

何人かの子どもたちは、自分が出てきたことを友だちは知らなかったと語った。

「どうして言えるの? だれも出られないのに、電気もないし、インターネットもないし、電話はつながらないんだから」と15歳の少年は言った。彼の妹は、自分がガザから出ていくことを友だちに告げるとき恥ずかしかったと認め、17歳の少年は彼の友だちがそれを知って羨ましがったと語った。子どもたちの大部分はただ黙って見ていたけれど、幼い子どもたちは泣き叫んで、お父さんの名を呼んだという。父親たちの大半はあとに残った。外国のパスポートをもっていないからだ。

「ターミナル」という語は、イスラエルとガザと呼ばれる国を区切る国境を意味するが、これは誤解をまねく。ガザ地区のパレスチナ人は、ヨルダン川西岸のパレスチナ人とおなじように、イスラエル内務省の人口登録局によってすべて記録されているのだ。もしもイスラエルのコンピュータシステムに登録されていなければ、そのときは彼らは存在しないことになる。だから「国境」のターミナルは、一国の内務省にすべて登録された人たちを選別しているのだ。

イスラエル人にしてみれば、「ターミナル」という語はガラス壁のビルのなかで、パスポートと手荷物カートの審査を受けることだ。ガザ住民にとってはまったく違う──厳しく見張られた、巨大な捕虜収容所の端みたいなものなのだ。この一週間のガザのことを「包囲されたときのレニングラードみたい」とスヴェトラナは言った。「電気もない、料理用のガスもない。一人にピタ(パン)が20枚。食糧が足りないのは誰の目にも明らか。でも、なんといっても恐怖よ。子どもたちが外で遊びたがる。家のなかにずっと閉じ込めておくことはできないから。外へ走り出るたびに、心臓が縮む思いだった」

ガザを金曜日に出てきた人の大部分がロシア、ウクライナ、その他の旧ソ連だった国々の市民だ。それらの国へ留学してきたガザ生まれの男性と出会った女性たちと、その子どもたちだ。ほかにもノルウェイ人が6人、トルコ人が7人、アメリカ合州国の市民16人とその親戚でU.S.パスポートをもたない幸運な11人もいた。

大使館と領事館のすべてが自国の市民を受け入れるために代表者を送っていたが、アメリカ大使館だけは──警備員1人と3、4人の役人が──国境を越えてきた彼らの国の市民がジャーナリストと自由に話をすることを禁止した。一人の若い女性がカメラとマイクに向かって屋外で話してくれたのだ。

東エルサレムの合州国領事館の広報官、ミカエラ・シュヴァイツァー=ブルムはハアレツ紙の質問に対して、禁止したのは「アメリカ市民のプライバシーを守り」彼らにとって事態がスムーズに運ぶようにするのが目的ですと答えた。

リリアは2人の子どもがいて、妊娠9カ月。彼女はガザに7年間住んできた。「夫は医者で、いつも病院に詰めていますが、そこさえ保護するものはありません。手術室に窓がなくなってもう随分になります。すべてそのまま。窓ガラスは全部外したんです。砕け散った窓ガラスが降ってくるより、寒さのほうがまだましですから」

ガリナの夫は彼女に留まってほしいと言った。

「昨日の夜まで留まるつもりだったんです。でも隣の家に爆弾が落ちて、うちの窓ガラスが全部こわれて、子どもたちが大声で泣きだしたんです。そのときわたし、もう耐えられないと思ったの。6夜つづけて一睡もしていないんです、とにかく眠りたい、目が覚めたとき、爆撃機が自分の頭の上を飛んでいないようにって、そればかり思いました。出てきたことに後ろめたさなんてありません。出てこられて神に感謝しています」

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鳶の羽の巻──芭蕉七部集より

突然ですが、「芭蕉七部集」より「鳶の羽の巻」をここに写します。私が大学というところで、40年ほど前に日本語を再学習したテキストのひとつです。
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<鳶の羽の巻>


鳶の羽も刷(カヒツクロヒ)ぬはつしぐれ         去来
 一ふき風の木(こ)の葉しづまる            芭蕉
股引(ももひき)の朝からぬるゝ川こえて         凡兆
 たぬきをゝ(お)どす篠張(しのはり)の弓       史邦
まいら戸に蔦這かゝる宵の月               芭蕉
 人にもくれず名物の梨                 去来
かきなぐる墨絵おかしく秋暮て              史邦
 はきごゝろよきめりやすの足袋             凡兆
何事も無言の内はしづかなり               去来
 里見え初(そめ)て午の貝ふく             芭蕉
ほつれたる去年(こぞ)のねござのしたゝるく       凡兆
 芙蓉の花のはらはらとちる               史邦
吸物は先(まず)出来(でか)されしすいぜんじ      芭蕉
 三里あまりの道かゝえける               去来
この春も蘆堂が男居(ゐ)なりにて            史邦
 さし木つきたる月の朧夜                凡兆
苔ながら花に竝(なら)ぶる手水鉢            芭蕉
 ひとり直(なほり)し今朝の腹だち           去来
いちどきに二日の物も喰て置(おき)           凡兆
 雪けにさむき嶋の北風                 史邦
火ともしに暮(くる)れば登る峯の寺           去来
 ほとゝぎす皆鳴仕舞たり                芭蕉
痩骨(やせぼね)のまだ起直る力なき           史邦
 隣をかりて車引こむ                  凡兆
うき人(ひと)を枳穀垣(きこくがき)よりくゞらせん   芭蕉
 いまや別(わかれ)の刀さし出す            去来
せはしげに櫛でかしらをかきちらし            凡兆
 おもひ切(きつ)たる死(しに)ぐるひ見よ       史邦
青天に有明月の朝ぼらけ                 去来
 湖水の秋の比良のはつ霜                芭蕉
柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ             史邦
 ぬのこ着習ふ風の夕ぐれ                凡兆
押合(おしあう)て寝ては又立つかりまくら        芭蕉
 たゝらの雲のまだ赤き空                去来
一構(ひとかまへ)鞦(しりがい)つくる窓のはな     凡兆
 枇杷の古葉(ふるは)に木芽(このめ)もえたつ     史邦

ガザ爆撃に抗議して、靴を投げるロンドンの人たち

ガザ爆撃に抗議して、靴を投げるロンドンの人たち

イスラエルのガザ爆撃に抗議して、イギリス中で何万という人たちが集会を開いた。ロンドンのホワイトホールでは、抗議のしるしに投げられた数百足の靴がダウイング通りの路上にちらばった──ガーディアン紙、2009.1.3
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ガザ地区:長さ40km、幅20kmの土地に150万のパレスチナ人が住む、世界で最も人口密度の高い地区のひとつ。150万の住民のうち約100万が国連から難民として認定されている。イスラエルの地上攻撃が開始されたいま、人口の過密な都市部で一般市民の犠牲者が大勢出ると予想される。「どこへも逃げられない、だから家のなかで待つしかない、でも、みんなものすごく怖がっている」と住民の声を載せているのは「シドニー・モーニング・ヘラルド、2009.1.4

2009/01/03

お正月は静かに詩を読んですごすはずが…

お正月は静かに詩を読んですごしたい、と思っていた矢先に、暮れの27日からガザ空爆が始まり、数年前にイスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハスの本を訳したこともあって、彼女の記事を急きょ訳してブログに掲載する作業に追われました。

 1954年生まれのハスは、占領下のパレスチナに住んでイスラエルの新聞「ハアレツ紙」に記事を書いてきた気骨のあるジャーナリストです。今日も爆撃は続いています。国際社会が有効な手を打てないまま、死者は410人を超えました。

 そんななか、テルアビヴの詩人たちがガザ爆撃に抗議して、詩の朗読会を開いた、という記事が今日のフラッシュに流れました。以下の文章をそっくりコピー&ペーストしてGoogle検索すると出てきます。

Group of Tel Aviv poets hold poetry-reading vigil protesting Gaza operation (Haaretz)

 イスラエル人の8割が政府を支持するという調査もあるなか、この詩人たちは、良心的兵役拒否者などとともに、残り2割に入る人たちと考えていいのでしょう。

 日本は平和でいい、と単純にいえるとはとても思えない今日このごろですが、いつも「世界のなかの日本の位置」を考えていたいと思います。
 詩については、なお。

2009/01/01

まだまだ旅はつづく──Sweet Honey in the Rock

あけましておめでとうございます!

今年、最初にかけたCDは、これ!

SWEET HONEY IN THE ROCK の STILL ON THE JOURENY(1993).

6人の黒人女性たちのアカペラ。たっぷり元気がもらえます。

アミラ・ハス──われらが指導者を好む、私たちの作法

<ハアレツ紙の主な読者はイスラエル人で、ハス自身もイスラエル人です──訳者>

われらが指導者を好む、私たちの作法
ハアレツ紙/2008.12.30

倫理について語るときではない、正確な諜報についていて語るときだ。私たちの息子のなかでいちばん優秀なパイロットが操縦する、100機の軍用機に出撃命令を出す者は、ガザの敵に狙いを定めて爆撃し、地上掃射せよと指令を出す者は、それが誰であろと、目標──とくに警察署──に近接した多くの学校のことを熟知している。その人間はまた土曜日の11時30分きっかりに、いきなり襲ってきた爆撃に敵が驚いているあいだ、ガザ地区の子どもたちが全員通りに出ていることを知っていたのだ。子どもたちの半分は午前中の授業を終えたばかり、残りの半分は午後の授業を受けるため登校中だということも。

いまは均衡のとれた応答について語るときではないし、イスラエル国会がこの作戦の立案者たちに、より多くの議席を分けあたえると約束する得票数について語るときでもない。むしろ、いまはこの作戦は成功すると見る有権者の信条について語るべきときだ、この攻撃は正確で、目標は正当であるとする信条について。

たとえば、土曜日の深夜直前に、ジャバリヤ難民キャンプ内のイマド・アケル・モスクが爆撃され、一斉射撃を受けた。私たちが見事な軍事的勝利とするものの名前をあげよう──4歳のジャワヘル、8歳のディナ、12歳のサハール、14歳のイクラム、そして17歳のタハリール、すべてバルーシャ一家の姉妹たちだ。姉妹は全員、モスクが「正確に」攻撃されて殺された。残りの3人の姉妹たちと、2歳の弟と、その両親は重傷を負った。近くにいた24人もまた怪我をし、5軒の民家と、3軒の店が破壊された。軍事的勝利のこの部分は、昨日の朝のイスラエルのテレビやラジオのニュースで取りあげられず、イスラエルのニュースを伝えるウェブ上に現れることもなかった。

いまは、イスラエル軍指揮官の手中にある詳細な地図について語るときだ。モスクと近隣の民家との正確な距離を熟知しているシン・ベト顧問について語るときだ。小型無人機について論じるときであり、最先端技術のカメラを備えた熱気球が、夜も昼も、ガザ地区の上空を飛びまわり、あらゆるものを撮影していることについて論じるときだ。

いまは、「附随する損害」を正当化する的確な表現を見つけようと、作戦について学んでいる法律顧問に頼るときであり、外務省の広報担当者がエレガントな南アフリカ訛りと、うっとりするようなパリ仕込みのアクセントを駆使し、洗練されたことば遣いで「ハマスが悪いのです。なぜなら近所のモスクを自分の目的のために利用したからです」と語るのを賞賛するときなのだ。二重基準の語りはいつも議論の余地を残してきた。モスクには武器が貯えられていたかもしれない。アル・アクサ殉教者軍団の戦闘員がそこで毎夜集会を開いていたかもしれない、レベルアップした戦闘用ロケット弾をそこから撃ち込む計画だったかもしれない、と。

イスラエル軍参謀長が戦闘計画を立案するとき、彼はどこに座っているか? サハラ砂漠でも、ネゲブ砂漠でもない。テルアビブ映画館の入口で誰かが自爆したとしたら? 彼を送りだした者が、ごめん、彼は通りの向こうの国防省に行くつもりだったんだ、といったとしたら?

いまは、長く忘れられた歴史の授業を思い出し、こんなやり方で政府を打倒すべきではない、などというときではない。バランスのとれた政治家をもとめて道理ある提案をするときでもない。そんなことをする時機はすでに去った。私たちが傲慢にもかつてレバノンで打ち立てようとした「新秩序」とともに。あれはヒズボラを生んだだけだった。あの計画は、PLOの人気を削ぐためのオリエンタリストの計画とともに、武装イスラム民族主義者運動の台頭に道を開いただけだった。

そんな提案をするときは去ったのだ。パレスチナ人の土地を略奪し、オスロ合意の時代に入植地を激しい勢いで拡大したこととともに。あの合意は、第二次インティファーダへの礎石を敷き、ファタハの凋落を招いただけだった。

道理と審判のときはとうに死んだ。ファタハ活動家を狙った、ヨルダン川西岸地区での暗殺の前に死んだのだ。暗殺はすぐに、兵士への銃撃に転じ、新たに武器をとる数千の若者の登場をうながした。自爆攻撃の現象については、いうまでもない。

いまは決して「だから言ったじゃないか」というときではない。なぜなら、かりにそういえるとしても、ことばはすでに無力だから。死者を生き返らせることはできないし、傲慢と誇大妄想によって引き起こされた損害を修復することもできない。

いまは私たち自身の満足と喜びについて語るときなのだ。地上戦の準備のために、ふたたび砲身を上げ下げする戦車への満足感について、脅すように指を振りながら敵を示すわれらが指導者への満足感について。それが、われらが指導者を好む、私たちの作法なのだ──予備役兵を召集し、敵を爆撃するパイロットを送り込み、国家の団結を表明する、バルーク・マーツェルからツィピ・リヴニまで、ネタニエフからバラク、そしてリーバーマンへいたるまで。

【転送・転載 歓迎】